口付けの練習 前編(ルキリーリア)
あらすじ: ルーキスとリーリアは結局、結婚していたほうが体裁を保てるので式をあげることになったが……。
(わかっているのかしら……)
リーリアは紅茶を飲みながら、執事と結婚式の段取りを相談するルーキスのことを見ている。妙な緊張感があった。ルーキスは仕事の傍らにテキパキと結婚式についても決め、執事に託す。執事が部屋を出ていくと、ルーキスは声をかけた。
「リーリア」
「は、はい」
急に話しかけられてリーリアは紅茶を取り落としかける。
「私はドレスや装飾品のことはわからないので、貴女に一任します。よいですか?」
「ええ、もちろん。もう決めてあるの」
リーリアは、あまりお金をかけたくなかったので、祖母が結婚式で着たドレスを直して着るつもりだった。
「予算を割いても良いのでは」
「え」
「結婚式の主役は花嫁だ。貴女がみすぼらしい格好をしていては家の品格に関わる」
「私は着飾らなくても充分美しいわ」
「それはわかっている。その話はしていないでしょう。品格の話をしている」
(冗談だったのに……)
リーリアは、ルーキスは恐らく……辺境伯の娘の結婚式を馬鹿にしにくる連中を、どう焼こうか考えているのだろうと思った。オルトゥスの家を舐める者が今後、出なくなっていくように。
「衣装は、ちゃんと人を呼んで作らせましょう」
「一任するって言ってなかった?」
「審美眼は一朝一夕で身につくものではない」
「つまり、ルーキスさんは花嫁さんに好みの格好をして欲しいっていうこと?」
「そんなことは言っていない」
ルーキスは無表情だ。
リーリアは再度思う。
(わかっているのかしら……)
父は知らないことだが、契約結婚のようなものだ。ルーキスは魔物で、お互いの利益のためにリーリアはルーキスと契約した。
だから、手を繋いだこともないのに。結婚式で、人前で口付けをしなければならない。
リーリアは、結婚にも結婚式にも口付けにも憧れがない。ずっとリーリアには手に入らないものだと思ってきたから。
だけど実際にするとなると……上手くできるのか不安だった。口付けなんてしたことがないから。
リーリアはルーキスに提案する。
「夫婦らしい振る舞いを学びに、夜会に行きませんか?」
「夫婦らしい振る舞い?」
ルーキスの顔に(必要だろうか)と書いてあった。
「私は出て行ったお母様の振る舞いをあまり覚えていないし、ルーキスさんだって貴族の振る舞いは学んでいても、貴族の恋人同士や夫婦を観察してきたわけではないのでしょう? 観察しに行きましょう」
「……まあ、良いでしょう」
ルーキスは少し考え、賛同したあと、言った。
「そのかわり、リーリア。夜会に行くのであれば、ワルツを練習しましょう」
練習のために、夜、あまり使われていない屋敷の大広間に煌々と灯りをともした。
ルーキスに手を差し伸べられて、手をとったときに。触れたその手があまりに冷たくて、リーリアはびっくりした。
「ルーキスさんは、手が冷たいのね」
リーリアは思わず手を重ねて、ルーキスの手をあたためる。ルーキスには、不可解な行動だったようだ。
「あんまりに冷たいから、あたためたほうが良い気がしたの」
「不要なことです、私は魔物ですから」
「でも……」
ルーキスは片手を繋ぎ、もう片方の手をリーリアの背にまわすと、自らの体にリーリアの体をぐっと引き寄せた。
「踊るのでしょう?」
「そ、そうね、踊りましょう」
リーリアはとぎまぎとした。
赤くなっているのはリーリアだけ、というのはわかっていた。わかっていたつもりだった。
ルーキスの頭には『ワルツを練習する』という目的しかないこともわかっていたつもりだった。
リーリアは、人並みに踊れた。踊れるのだからルーキスとの練習は、正直なところ、ふたりで息を合わせる練習さえすれば良いと思っていた。
曲を流し、踊りはじめて気づいた――速い。
合わせられない。
ルーキスに、ついていけない。
(な、なんで? これは、なに?)
リーリアの知っているワルツと違った。
リーリアの足が、もつれそうになる。
一曲終わるころには、リーリアの息はあがり、もう一曲踊ったら、ふらついて倒れるのでは? という状態になっていた。
「これは、なに?」
「リーリア」
混乱し、へたり込むリーリアの前に、ルーキスは表情ひとつ変えずに立っている。
「夜会へ行くのであれば、完璧にしましょう」
「か、かんぺき?」
「ええ、完璧に」
ルーキスに導かれて、もう一曲を踊る。
リーリアが倒れそうになったのを、ルーキスは抱き止める。倒れそうになったのを婚約者が抱き止めてくれるなんて本来なら甘いシチュエーションだ。
しかし、その原因は婚約者だ。
ルーキスはリーリアの頬に手を寄せる。
回復魔術を使う。
リーリアは多少回復する。
(あれ、おかしいな)
リーリアは青ざめる。
(私、殺されそうになってない?)
曲を流し、踊りがはじまる。
リーリアは、足がもつれて転ぶ。
ルーキスは手をさしのべる。冷たい手に手を重ねると、リーリアの不安げな表情を、灰色の瞳がじっと見つめた。
「リーリア、私は貴女の身体のことをよくわかっている。何をすれば熱を出し、何をすれば痛み、何をすればそれが和らぐか。
そうであるから、このくらいの無茶は、死にはしないのもわかっている」
甘い台詞のようでいて、甘さがない。
厳しさしかない。
「それに、以前からもう少しリーリアに体力をつけたいと思っていたところです」
「た、体力?」
「ちょうど良い機会だ」
リーリアは最初に踊るときにルーキスに触れられてとぎまぎした。照れ。そんな感情はすぐに消え失せた。
手を繋ぎ、踊る。ハイペースで。
手を繋ぎ、踊る。ハイペースで。
リーリアが倒れそうになればルーキスは魔術で回復させる。しかし、体の疲れがとれても心の疲れまではとれない。
ルーキスはリーリアが限界と感じる頃がわかるようで、限界より前に練習をやめた。
翌日も翌々日も、踊りの練習は続いた。
リーリアは、少しずつルーキスについて行けるようになっていった。踊れる時間も少しずつ伸びていった。
夜にふたりきりで踊りの練習をしていると知って、メイドたちが「仲睦まじい」と噂したり、レヴァンタがリーリアに「愛されてるねえ〜」と声をかけてきたりした。誤解だ。
体を密着させて踊っているからといって、甘い雰囲気は一切ない。
リーリアはルーキスと踊るときに手を組むことに、恐怖しか感じない時期を経て、今は「無」になりつつあった。いつも通り。無になり、神経を研ぎ澄ませて、踊るだけ。
(ルーキスさんの『完璧』って――いったいどこまで?)
あまりの指導の厳しさに、リーリアがこの日々に終わりは来るのだろうか? と疑いはじめたころ。
「良いでしょう」
ルーキスは、認めた。
『リーリアとの踊り』を。
「夜会に行きましょう、リーリア」
リーリアはものすごくホッとした。
この地獄の練習の日々が終わることに。




