ルアンの本(ミミとアステル)
「おじいちゃんの蔵書ってさあ、物語の本ばっかりだよね。もっと実用的な本はないの?」
本を借りにきて文句を言う孫のミミに、アステルは首を傾げる。アステルの腕のなかで、猫のシンシアがごろごろ、と喉を鳴らした。
「ボクは人間の文化とか、暮らし方とかそういうのが知りたいんだよね」
孫の言葉にアステルは考え込んだあと、打ち明ける。
「親友から譲り受けた本のうち、ぼくがあんまり興味なかった本を集めた書庫があるよ」
「それだ! 見せてよ」
「……いいよ」
アステルは猫のシンシアをシンシアの部屋に放して扉を閉めたあと、カンテラを手に、ミミを暗い廊下に案内する。
(魔王城にこんな場所があったんだ)
書庫は、暗い廊下に並ぶ扉のひとつ、魔術で鍵のかかった暗い部屋だった。アステルが鍵を開けて中に入ると、長年使われていないようなのに、埃っぽくない。
(魔術で管理されているのかな?)
アステルはミミにカンテラを渡す。
ミミはカンテラを手に、本のタイトルをなぞり、目を輝かせる。
「すごい、すごい、すごい! 人間の文化とか歴史とか地理、学術書もある! これだよ、おじいちゃん! これがぼくが求めていた本だよ!」
「ルアンは教師をしていたからね」
ミミはピタッと止まり、祖父を振り返る。
アステルは入り口に立ち、どことなく、寂しげな表情をしている。
「ルアン? ルアンって、あのルアン?
おじいちゃんの犬のルアン?」
「ミミに聞かせたことなかったっけ? ルアンはもともと、ぼくの友人で、人間だった。
彼は、ぼくのために魔物になったんだ」
「ふぅん……」
ミミは一瞬、興味を惹かれたが、それ以上に興味を惹かれる宝の山が目の前にあったので、すぐにどうでもよくなった。
「本当にすごい本ばっかりだ! おじいちゃん、ここの本も借りていって良いの?」
アステルは深呼吸したあと、答える。
「良いけれど、絶対に返してね」
「うん! 返すよ。返すけど、おじいちゃんさっき、興味がない本って言ってたでしょ?
いらないなら、一冊くらいボクに――」
アステルの片手が、急に、ミミの喉元に伸びる。急に喉元を掴まれて、ミミはカンテラを取り落とす。ガランガラン、とすごい音がした。散らばった灯りが、床から本棚に伸びる。
アステルは少し手に力を込め、ミミを脅す。
「ぼくから宝物を奪うなら、」
ミミは、アステルの青い瞳に狂気を見る。
「孫といえども、容赦しないから」
アステルはすぐに手を離し、また、ふらふらと入り口のあたりに戻っていった。
ミミは本棚に背を当て、ずるずる……と床にしゃがみこむ。
(びっっっくりした)
心臓の鼓動が急に早まり、ミミに警鐘を鳴らしている。
(おじいちゃんがおばあちゃん以外のことで、あんな顔するなんて……というか、まずいな。ボク、今、まずい部屋にいる)
シンシア妃がどんな生き物であれ、シンシア妃に触れてはならないのが、魔王城のルールであるように。
きっと「魔王アステルの宝物に触れない」ことも、ルールなのだ。
魔王城で生きて帰るためのルール。
シンシア妃に触れてはならないのは、傷つけたり殺したりしてはならないという意味だけではない。触れるだけで。下手したら、見るだけで。魔王アステルは嫉妬し、機嫌を悪くするからだ。
絶大な魔力を持ち、正直なところ、祖父はなんだってできてしまう。その気になれば、今この部屋で、ミミを殺すことなんて造作もないはずだ。
一瞬で首を跳ね飛ばされてしまうだろう。
ミミはそっと歩き、アステルの前に跪く。
敵意がないことを示すために。
「おじいちゃんの宝物に触れて、ごめんなさい」
魔王アステルは何も言わない。
「おじいちゃん、ボクはここの本を借りません。
でも、すごく読みたい。
提案があるんだけど、ここの本を魔術で複製することを許してもらえませんか?
魔術で複製して、通常書架に置いてもらえたら、気兼ねなく読めるかな……って」
祖父の沈黙に、ミミはかつてない緊張に襲われる。
「かまわないよ」
アステルの表情が和らいだのを見て、ミミはすこしだけホッとした。しかしまだ、心臓がバクバク鳴っている。
「ミミ、きみの能力で複製しても時間がたったら消えてしまうだろうから、ぼくが複製しよう」
アステルは、やさしい祖父の顔に戻っている。
「きみが読みたい本を3つ、選ぶといい。
他の本は追々、ぼくが複製して、おもての本棚に加えておくよ」
「ありがとうございます! おじいちゃん」
密室でふたりきりの状況をはやく終えたくて、ミミは急いで本を選ぶ。アステルが複製してくれた本を抱えて、部屋をあとにした。
アステルと別れてホッとしたのも束の間、ミミは犬のルアンと出会ってしまう。魔王城の入り口でひなたぼっこをしていたようだ。
ミミは、子どもの頃から遊んでおり、ルアンと仲良しだ。ルアンはミミに尻尾を振り、(ミミ、こんにちは!)(遊んで!)という顔をしている。ミミに擦り寄り、撫でて欲しそうに近づいてくる。ミミは体がこわばり、引いてしまう。
(こ、怖い! ルアンがこんなに怖く感じられたのは、はじめて!)
ルアンには、触れてもよいのだろうか?
小さい頃からずっともふもふもさもさ撫でてきたから、触れて良いはずだ。しかし今日、あの一件の後なので、ためらいがあった。
なのにルアンは(さわれ!)とでも言わんばかりに、ミミに前足をかける。
「ルアン、おまえって、ただの犬じゃなかったんだね……」
ミミはおそるおそる、ルアンの頭を撫でる。
ルアンは嬉しそうな顔をした。
(いやー あの部屋は明らかに禁足地だったな……部屋どころか、思い返せば廊下の時点で……どうして気づかなかったんだろう……)
欲に目が眩むって、恐ろしい……とミミは反省した。
禁足地といえば。魔王城には噂がある。
魔王城の地下深くに罪人が封印された部屋があって。その部屋の前にアサナシア教の女神アサナシアの小さな石像があって、魔王アステルが何故か、石像を大事にしている。お花を飾りに行っている、という噂だ。
アサナシア教は教義が魔物を排斥するようなものなので、歴史的には、魔物の敵だ。アステルは「みんな仲良く」主義なので、敵とは言わないが……とはいえタフィ教の生き神であるアステルが『他教の神様の石像を大事にしている』という噂は、かなり妙な話だ。
(子どもの頃、本当かどうか調べたくて探してみたことがあるけど、当然だけど、ボクが入れる場所にはなかった。怖いもの知らずすぎたなあ。
あの噂も、周囲の反応的に、絶対にやばいんだよな〜 首を突っ込まないに越したことないよ)
本当かどうか知りたい気持ちよりも、祖父への恐怖が勝る。
「ルアン、おまえは全部知ってたりして……なんてね」
そんなわけないか〜 と、ミミは笑う。
ルアンはミミに、わん! と一回吠えると、もっと撫でろとばかりにミミのまわりをくるっと回った。




