ロアンとミーロ
ロアン62歳の初夏。
旅行のお土産を渡すため、神聖医術院を訪ねようと道を曲がったロアンの後ろ姿に、畑仕事をしていた村人が声をかける。
「ロアン先生〜 タフィ様なら、ルーキスさんの屋敷にいるよ」
「そうなんですね、ありがとうございます」
その後、陰鬱屋敷の庭で、ロアンは幻に遭遇する。
3歳くらいのアステルだ。アステルそっくりだ。柔らかそうな透明感のある金色の髪に、空のように青く澄んだ瞳。男の子は赤いほっぺをして、地面にいる虫を観察している。
「アステル様」
思わず声をかけると、男の子は驚き慌てて、ダッと駆けていった。駆けた先に、エプロンをしたリアの背中が見えた。花の世話をしていたようだ。
「ミーロ、どうしたの?」
リアは振り向いて、腕にお土産を下げたロアンに気づく。
「ああ、こわい顔のおじいさんがいたのね」
「なんですか? こわいおばあさん」
リアはニヤッと笑って、男の子を見た。
「ミーロ、気をつけなさい。あのおじいさん、絶対に貴方のこと 可愛い〜!!! って思っているわよ」
「いやいや、ほんとうに可愛いですね……なんですかこの子、アステル様が3歳になっちゃったんですか? いや、普通に考えたら、孫か?」
リアは困った顔をした。
「違うわ、ええと……ミーロ、ちょっとお屋敷に入っててくれるかしら? アステルを起こして良いから、遊んでもらいなさいな」
ロアンはいまだに信じられないものを見るように、ミーロの姿を目で追った。ミーロが屋敷に入ったのを見届けたあとで、リアは打ち明けた。
「ミーロはね、アステルの隠し子」
「隠し……え?」
ロアンは思考が止まる。
「もちろん、私の子じゃないわ。リアおばあちゃんは、もう子どもを生もうと思っていませんからね。
ミーロは、アステルの隠し子で、立場としては、お父様の養子」
「ど……? え……? 誰と!?
アステル様が、リアを裏切るなんてそんなこと!?」
ロアンは大いに狼狽している。62歳にもなって、こんなに混乱することが待ち受けているとは思ってもみなかったようだ。
「順を追って話すわね。
お父様、しばらく旅に出てたでしょ。ロアンが旅行に行っている間に帰ってきたの。それで、アステルを珍しく陰鬱屋敷に呼んだの。
手紙に養子をもらったって書いてあったから(お父様が養子? 私の弟?)って楽しみにしていたけど私は呼ばれなくて。アステルは呼ばれたきり帰ってこなくてね。どうもね、お父様に大目玉をくらったみたい。魔王城の床の掃除をさせられていたらしいわ」
「あのアステル様に忠義を尽くすアステル様に甘いルーキスさんが、魔王城の床の掃除をさせたんですか? リアを裏切ったから?」
「うーんと……。
まあ、浮気とも言い難いのよ。
ほら、魔王城に毛布の魔物っていたじゃない。あれ、ミミック種で、両方の性別を持っているんだって。アステル、あれに幻術かけられて襲われていたらしいのよ、3-4年くらい前に。なのにアステル、「気づかなかった」って言うのよ。私と寝る、やらしい夢を見ただけだと思ったらしいの。
馬鹿すぎて私、呆れちゃったわ。最初、あの子を見たとき大混乱したけど、真相がアステルすぎて」
あっけらかんと話すリアを、ロアンは唖然と見つめる。
「魔物にとって魔王とその……交配する? 魔王の子を生む? ってすごく名誉なことらしいのよ。だけど、アステルってそのあたりの自覚がないでしょう? 自分が偉いとか美しいとか、そういうことに興味がないの。だからお父様、すごく気をつけてあげていて、アステルにも気をつけるように口うるさく言ってたんだって。なのに寒くて、毛布が暖かいから一緒に寝ちゃったって言うのよ。それで、そんなの言い訳にならないって一喝されたみたい」
「あー」
ロアンは頭を抱える。ルーキスの気持ちが痛いほどわかるからだ。もうちょっと若かったらロアンも怒鳴り散らしていそうだ。ロアンもずっと、アステルの警戒心の無さを案じていたためだ。
「でもその結果、あんなに美しい子が生まれてきたわけなんですか。そうか、魔物だからあんなに美しく感じるんですね」
「そうなんだけど……お父様が逃げた魔物の情報を掴んで追っかけて、3匹子どもが生まれていて、2匹はもう、あきらかにミミックだったんだって。ポットと本って言ってたかな? そういう形よ。
でも、1匹だけ、人間の姿の子が生まれてきた。だけど魔物は育て方がわかんなくて、育児放棄していたみたい。それでミーロはお父様が見つけたとき、痩せ細ってて、死にかけてたそうよ」
「助けてくれたお父様にすごく懐いているの。
でもお父様は夜行性だから、昼間はメイドに任せきりだった。だから最近は私とアステルで面倒みてるの。ミーロが一番懐いているのはお父様だから、お屋敷とうちを行ったりきたりしながらね。でも、もう、うちの末子ってことにしてもいいかなって思っているわ」
「末子にする? リアは、嫌じゃないんですか?」
「まあ、びっくりしたけど……だって、アステルに瓜二つなんだもの。それに、気が小さいの。可愛くて可愛くて仕方ないわ……まあミミックだから、そう思わせるためにアステルの容姿で生まれたのかな? とも思うんだけどね」
リアはロアンに微笑んだ。
「ミーロって名前をつけたのはアステルよ。
りんごみたいなほっぺただからって」
ーーーーーーー
リアは花の世話を終えてから屋敷に入るというので、ロアンはひとりでルーキスの屋敷に入る。
玄関先で、果物を並べて遊んでいるミーロに出会う。ミーロは、ロアンの顔を見て、ダッと逃げ出す。ロアンは足元に並んだ果物に目を向ける。あか、きいろ、あか、みどり……。
居間に目を向けると、ソファーでアステルは眠ったままのようだ。ロアンはアステルの前の机の上に旅行の土産を置くと、足音をたてないようにミーロを探しに行く。
ミーロはキッチンに積まれた木箱の影に隠れていた。ロアンはしゃがみこもうとして……考え直して、跪き、「こんにちは」と声をかける。
木箱の影で小さな生き物がビクッとしたのがわかった。
「私の名前は、ロアンです。アステル様とリアのふたりは、私の家族も同然です。ルーキスさんにも、ながらくお世話になってきました。
ミーロさん、君とも仲良くしたいんだ。顔を見せてくれるかな?」
ロアンは待つ。だいぶ長いこと時間がたってから、しぶしぶ……と小さな男の子が木箱の影から出てきた。ロアンは微笑む。魔物のミーロは、本当にアステルそっくりだ。
ロアンが手を差し伸べると、ミーロは握手には応じなかった。手を出そうとしたり引っ込めたりして、結局、引っ込めてしまった。しかし、その仕草。
(か……可愛い! 可愛すぎる! なんだこの生き物は!?)
おどおどと、上目遣いで。引っ込み思案そうに。ミーロはロアンを見る。
「私も、ミーロと呼んでも良いかい?」
ミーロはこくん、と頷いた。
「行きましょうか、ミーロ。
美味しくて甘いお菓子があるので、アステル様とたべましょう」
立ち上がったロアンの耳に、声になるかならないかくらいの小さな声が聞こえた。
「いかない」
「え?」
「とうさま、ねてるよ」
「ミーロは、アステル様を起こしたくないのかい?」
「うん。ねてるから」
ロアンは微笑む。
優しい子だと感じたのだ。
「そしたらふたりで、先に、お菓子をいただいてしまいましょうか?」
「え! とうさま、おこらない?」
「おこりませんとも。リアももうすぐ戻ってきますから、大丈夫ですよ」
歩き出そうとしたロアンの指先に、ミーロは、そっと触れた。少し、気を許してくれたのだろうか?
幼子の様子を嬉しく思い、ロアンはミーロに微笑みかけた。




