傷心のロアンを見守るテイナとトーリ(後日談 後章10話の余談)
朝、家の扉が開いて、仕事へ行ったはずのロアンが戻ってきてテイナはびっくりする。ロアンはソファーに座り、ひどく落ち込んでいる。
「生きていけない……」
「え、仕事は?」
絨毯の上で気ままに、木箱にものを投げ入れたり、取り出したりして遊んでいたトーリも、目をぱちくりとさせている。
ロアンは、一週間と三日前の深夜に、もう見るからに元気なく帰ってきて。翌日の午前中は死んだように寝ていた。それから一週間、ロアンはアステルとリアをいつも以上に気にかける様子があった。
三日前、リアが「神聖医術院をあけます」とテイナとロアンの家に挨拶にきた。
「アステルが一人暮らしだから気にかけてあげて」
「リアが特訓に行く間、アステル様、うちで過ごしますか?」
「陰鬱屋敷で過ごす案もあったのだけれど、本人がひとりで過ごしたいって言ってるから、たまに様子を見に行ってあげて」
ロアンはものすごく心配そうにしていた。リアは「たまに」と言ったのだが、テイナの読みどおり、リアが出かけた翌朝からロアンはアステルの様子を見に行っていた。朝早く学校に行く前に神聖医術院に寄って、何か食事を置いてから、学校へ行く。夜は、一日目は神聖医術院に寄ったが「夜はいいよ、ぼく、お皿はロアンの家に魔術で戻すから」と言われたようで、二日目からは夜は家にまっすぐ帰ってきた。
しかし今朝は、アステルの様子を見に行って、職場に行かずにそのまま家に帰ってきた――授業開始まではだいぶ時間があるので、帰ってきてもおかしくはないのだが、遠回りだ。
「アステル様に何か言われたの?」
「……」
「言われたんでしょ」
「……おれのこと必要ないって」
「アステル様、絶対にそんなこと言ってないわ。記憶をちゃんといちから振り返ってみて」
「あ!」
トーリが積み木を床にたたきつけて遊んでいるのを見ながら、ロアンは話し始める。
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アステルが一人暮らしになって一日目も、二日目も、ロアンが家を訪ねたときにアステルは起きていなかった。神聖医術院の玄関を開けると鍵が開いていたので、不用心だなあと思いながら、アステルの部屋に行くとアステルは寝ていた。
寝顔を見て、元気そうだな、と思って、食卓にメモと食事を置いて帰った。
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「いやいやいや、ダメでしょ」
「何が?」
「距離感おかしいでしょ、なんでお部屋に入るの?」
「え……いや、顔を見ないと安心できないし……」
「アステル様、もう18歳でしょう? じゃあお部屋に許可なく入るのはダメでしょ」
「ああ、そうか、アステル様もそう言いたかったのかな……」
ロアンはしょぼくれながら、続きを話し始める。
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今朝、神聖医術院に近づくと焦げくさいにおいがした。不安にかられて走ると、アステルが祠の前に立っていた。
「アステル様、なにかありましたか!?」
声をかけると、しばし反応が遅れて、
「ルアン、おはよう」
にこ、とアステルは作り笑いで笑った。
「おはようございます、アステル様。なにか燃やしてたんですか? 何を燃やして……」
アステルはそれに答えなかった。
「ねえ、ルアン、お願いがあるんだけど」
「なんでしょう?」
「ぼくのこと、しばらく、ひとりにしてくれないかな? ごはんも、いらないよ。
ぼく、ひとりでもなんとかできるから」
「え! いや…… でも……」
ロアンは、まごつく。
「私、アステル様のことが心配なんですよ」
「ありがとう。でもぼく、大丈夫だよ。しばらくひとりで考えたいんだ」
「でも……」
アステルは、ふわっと笑った。
「ルアン、ぼく、昨日も一昨日もルアンがぼくの部屋に入ったの気づいてるよ」
ロアンはぎく、とした……勝手に部屋に入って寝顔を見てホッとしていたことが後ろめたかったのだ。
「ルアンが来るかもって思って、鍵をあけておいたんだ。でも……ぼく、やっぱり見られたくないものもあるし、鍵をかけておこうかと思うんだ」
何かを燃やしたあとの灰を見つめ、それからもう一度、アステルはロアンを見た。
「おやすみの日にぼくから会いに行くから、ルアンはぼくのことは気にしないでほしいんだよ」
「気にしないで?」
「どうかした?」
「……」
ロアンは、いま24歳で。5歳でアステルと出会ってから19年が経過している。その中で、アステルのことを気にしない日があっただろうか?
トーリが産まれた前後くらいは、テイナにかかりきりだったが、その中でもリアと、アステルについて話していたような……気がした。
リアもテイナの出産に産婆さんと一緒に立ち会い、しばらく我が家にいてくれたりしたので、あのときアステルは陰鬱屋敷でルーキスと過ごしていたのだ。
「ぼくも、なんでもルアンに頼るのはよくないし、ルアンもぼくのこと、気にしすぎるのはよくないんじゃないかな、ね?」
アステルは可愛らしく、首を傾げて微笑んでいる。ロアンも一緒になって首を傾げそうになって、慌てて戻した。
(ね? じゃないんですよ、ね? アステル様?)
クレム大聖堂での一件があって、まだ一週間と少しなのだ。
(おれがアステル様が心配すぎて頭がおかしくなりかけてるこのタイミングで? 来るなと? おれに?)
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テイナはトーリの積み木を積み、トーリはそれを壊して遊ぶ。テイナはロアンを振り返る。
「ほら、『必要ない』なんて仰っていないわ。アステル様にだってひとりでお考えになりたいときくらい、あるわ」
「でも……来ないで、だなんて……アステル様が、おれに……?」
「来ないでって言ってないわ。『ひとりにしてほしい』『気にしないで』って言ったのよ」
「同じことだ」
ロアンはつぶやく。
「おれからアステル様をとったら、テイナとトーリしか残らないのに……」
「あと、仕事が残るわ」
「いや、そうじゃなくて、おれの生き甲斐って意味で……」
(……リアちゃんは?)
テイナは心の中で不思議に思う。
「もう今日、仕事が手につく気がしない……」
ロアンはため息をつく。
「仕事になったら仕事モードで頑張れるわよ、ロアンは、えらいから」
テイナはロアンのことをぎゅーっとハグする。
「……がんばれる気がしてきた」
「きりかえ、だいじだいじ」
テイナは笑う。
ふたりの顔を見比べてトーリもきゃっきゃと笑った。
「ごはんも多めに作らなくて良いってこと?」
「……」
「納得いっていないのね」
「いや、昔、アステル様が研究のたびに、食べていないこともあったので……タフィで目覚められてからは、はらぺこ少年のイメージなので、大丈夫かなあと思うんですが」
「青年の間違いでしょ」
「おれのなかで、幼いイメージが抜けなくて」
(ロアンが子ども扱いしているのがアステル様は嫌なのかもね)
トーリがロアンの足につかまってきたので、ロアンはトーリを抱っこする。
「…………供えてきちゃえば?」
「え?」
「アステル様はきっと、お供えものから何かつまむでしょ。お供えだったら、べつに村のみんなすることだし家の中に入るわけでもないし、特別感もないでしょう?」
「それだ!」
ロアンはトーリを片腕で抱っこしたまま、もう片腕でテイナにハグをする。
「名案をありがとう、テイナ!」
「どういたしまして」
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アステルは夕方、お供えもののなかに、ロアンの家の食器を見つける。テイナが好きそうなデザインの食器の上に、おいしい果物が山盛りで乗っている。
「まったくもう、ルアンは仕方ないなあ」
(ルアンって過保護で困るけど、ぼくのこと、本当に大好きなんだよね)
アステルは困ったように笑うと、ひとつ食べる。
(おやすみの日になったら、すぐに会いに行ってあげようっと)




