「忠犬じゃなくて狂犬だよ!」(主従回)
後日談ロアンがニフタ事件後、毎晩ベッドに潜り込んでくるアステルの奇行をやめさせる話
ニフタ事件のあと。陰鬱屋敷にて。
ロアンが暑さに目を覚ますと、アステルが同じベッドの上にいる。となりに横になり、じーっとロアンのことを見つめている。
「ルアン、一緒に寝ようよ」
「……」
ロアンはため息をつく。
「アステル様、ひとのベッドに潜り込んでから言う台詞じゃないんですよ」
ロアンは困り果てている。3人で寝た夜以降、3日連続でアステルがベッドに潜り込んで来ているからだ。扉に鍵をかけているにも関わらず魔術で急にあらわれる。一日目は(ニフタの夢が怖いとまた言うので可哀想に思って)添い寝を許したが、二日目はなんとか部屋から追い出したのに、三日目だ。
「昨日は、ルアンにダメだって追い出されたあと、やっぱり一人で寝たくなくて、ルーキスの部屋を訪ねてみたんだよ」
アステルの話に、ロアンは眉をひそめる。
「迷惑そうだったけど、『主が自分のベッドで寝たくないというなら、私のベッドを貸しましょう』って言ってくれたよ。でもルーキスは夜行性だから、結局、一緒に寝てはくれないんだよ」
「そりゃそうでしょうね」
「ねえ、ルアンがダメなら、ぼくはだれのベッドで寝たらいいの?」
(自分のベッドで寝てください……まったく……)
ロアンは起き上がるとベッドのそばの魔石に触れて灯りをつける。ぼんやりとした灯りのなかで、寝巻き姿でひとのベッドにうつ伏せになって足をぱたぱたさせているアステルに聞く。
「リアは?」
「シンシアは変なことしてくるかもしれないし……ぼくも変な気持ちになっちゃったらどうしようって心配だから、夜は一緒に寝ないんだ、まだ。おひるねは一緒にするけど」
(まあ、賢明な判断ですかね、そこは)
アステルはベッドに頬杖をついている。
「エルミス兄さんが泊まりに来てくれたら、一緒に寝るのになあ」
「ええ……?」
エルミスが喜んで弟と添い寝する様子を想像して、ロアンは頭が痛くなってくる。
「そもそもアステル様、ひとのベッドに潜り込んだらダメですよ」
「どうして? 別に、男の人同士なら良いじゃん。魔物たちだって寄せ集まって寝たりするよ、それと一緒でしょ」
「男の人同士なら良いって考えてるんですか?」
「友達だったら良いかなあって思うよ」
「……」
(そのうち、襲われかねないのでは?)
ロアンはアステルの身を案じる。
(友達のベッドなら潜り込んで良いと思っているのは、その友達に誤解を招きそうだが……アステル様はお美しいし……)
12歳のアステルが、アズールのギルドで娼婦たちにキャイキャイ囲まれていた姿も思い出す。
(でもアステル様に『友達のベッドなら潜り込んで良い』と思わせた原因って、もしかして、おれか?)
アステルが目覚めて最初のころ、読み聞かせのときに「怖い夢を見たからそばにいて」と言われると、ロアンは拒否できなかった。13歳以降はなかったので油断していたのだが――ニフタ事件で復活してしまった。
(タフィ教徒は魔王を襲うなんて罰当たりなことは考えないだろうが……アステル様の長い人生を思えば、悪い癖はいまのうちに無くしておいたほうがいい)
ロアンは真剣に言い聞かせはじめる。
「アステル様、本当に、ひとのベッドに潜り込むのはやめてください。もう14歳でしょう。幼い子どもみたいなことやめてください」
「どうして? 寒いんだよ」
「いま、夏ですよ。寒いわけがないでしょう」
「人肌恋しいんだ、さみしいんだよ」
アステルは、(お願いだから一緒のベッドで寝ようよ〜)という目線をロアンに送る。
「アステル様、変態教師に襲われかけたりしていたじゃないですか」
「ぼく知らないよ、その記憶。初耳だよ」
アステルは『変態教師』という単語が面白かったようでけらけら笑う。
「魔術院の研究室の先輩が良い人だなあと思ったらアステル様が好きだったこともあったじゃないですか」
「それも知らないんだよ、ぼくってモテるの? シンシア以外にモテたことないんだよ、ぼく。あー……魔物とかタフィのお年寄りにはモテるんだけど、それはぼくが魔王の魔力を持っているからなんだよ」
アステルの話に付き合うと話が逸れ続けそうなので、ロアンは無視して忠告する。
「私が言いたいのは、男の人が男の人を襲うことだってありますよ、ということです」
「ルアンも襲う?」
「いえ、私は襲いませんけど――アステル様が『ひとのベッドに潜り込まない』というお約束を守ってくれないなら、守る気になるようにします」
ロアンは真剣にそう伝えながら、アステルのことを押し倒してみる。以前リアが押し倒したときに怖がったと聞いていたためだ。
(リアで怖いんだから、力の強いおれだったら、もっと怖いだろう)
しかし、アステルはきょとん、としたあと、にへら〜っと笑った。
「『守る気になるように』って言ったって、何をするのさ」
「アステル様が他人の寝床に潜り込みたくなくなるようにします」
「ルアンはぼくに何もできないよ。だってルアンは、ぼくのこと大事だもん」
アステルは、ロアンを侮るように見上げて笑う。ロアンはその態度に、カチン、ときた。
「じゃあ、おれ、噛みます。おれのベッドに入ってくるなら、アステル様のこと」
沈黙が流れる。
「……そういえば、騎士団でも他の子を噛んだって問題になってたね、ルアンが小さいころ。歯が丈夫なんだね、ルアンは。
でもルアンは、噛まないよ、きっと。だってぼくのこと大事でしょ? ね?」
「ええ、とても大事ですよ、アステル様。
本当に出て行ってくださらないんですか?」
「出て行かないよ、どうせ噛まないし。ね、ルアン?」
ロアンは押し倒すのをやめてベッドの上に起き上がると、アステルに微笑んで、両腕を広げた。アステルは喜んで起き上がると、何も疑わず、ロアンの体に抱きついてぎゅーっとする。
ロアンは、そんなアステルの左肩に思い切り噛みつく。
「痛――!」
アステルは悲鳴をあげる。
真っ青な顔で手を離し、ロアンから離れる。
ロアンは笑う。
「ほら、おれの寝床に入り続けるなら、また噛みますよ、アステル様」
「しんじられないよ、なんで!? なんで噛むの!?」
「ひとの寝床に入るのは危ないことだってアステル様に覚えていただくためです」
「ぼく、こわい夢を見たんだよ、ルアン。なのに!」
「そんなの理由になりません。こわい夢を見たことで、アステル様が危険に晒されることがあってはなりません」
「私はアステル様の忠犬のつもりですが、飼い主のために飼い主を噛むことだってありますよ」
「忠犬じゃない! こんなことするのは狂犬だよ!」
アステルはあまりの痛さに涙目になりながら、ベッドの上で左肩を抑えている。
「……狂わせたのは誰ですか?」
「え?」
「おれが狂っているとしたら、アステル様のせいですよ」
「ぼくのせい?」
アステルは全然わかんない、という顔をする。
「ええ。アステル様がある日急に消えてしまって、大人になって、急に消えて、子どもになったせいなんです。
仰る通り、おれはアステル様が大事です。もう誰かがアステル様を傷つけたり苦しめたりするのは耐えられない。だから、他人の寝床に気軽に入って欲しくない」
「……全然わかんない、そのためならルアンは、ぼくをこうやって傷つけて良いっていうの?」
アステルは涙を数粒こぼして、それを手の甲で拭う。
「……でも、ルアンがそんなに言うなら、ぼくもう、ひとの寝床に勝手に入り込むのはやめる」
ベッドから立ち上がったアステルを、ロアンは見上げる。
「傷、治さないんですか? 回復魔術で」
「戒めとしてとっておくよ、しばらく。ぼくへの戒めでもあるけど――きみだって、この傷を見て反省して」
アステルは悲しみのあとに怒りを覚えたようで、ひどくぷんすかとしている。
ロアンは忠告する。
「その傷、リアに見せないほうがいいですよ。アステル様がリアじゃなくておれの寝床にたびたび潜り込んでいたって知ったら、リアはショックだと思いますよ」
「幼馴染と毛布を共有するのが、なんでショックなのか全然わかんないけど……わかった、内緒にする。ルアンとぼくの秘密ね」
アステルは不機嫌そうに、そう告げたあと――怒りに満ちながら、ロアンを見る。
「ルアン、でも、ぼく納得できないよ。すごく痛かったんだ――ごめんなさいは? ルアン」
ロアンはアステルの前まで歩くと、跪く。
「お怪我を負わせて、大変申し訳ありませんでした、アステル様」
「うん、いいよ。それでこそ忠犬だよ」
アステルは偉そうに言うと、フイッと視線を逸らす。
ロアンはアステルを見上げて、聞いた。
「アステル様はおれに犬でいてほしいんですか?」
「え? どういう意味? ルアンは幼馴染で、親友だよ。ルアンが忠犬って言ったから、忠犬で居たいのかなって思って、繰り返して言っただけ」
ロアンはウィローのことを懐かしく思い出す。『きみと、対等な友達になりたいんだよ』と言ったウィローのこと。それを実践しようとしたウィローのことをだ。
「……まあ、あってます。おれは仕事したり結婚したりして、一緒にいる時間こそ減りますけれど……おれはずっと、アステル様の忠犬ですよ」
「うん、わかった。ずっと一緒ね」
アステルの言葉に、一瞬、言葉を失ったのち。
「ええ、ずっと一緒ですよ」
ロアンはアステルを見上げて、微笑む。




