蝶の標本 (コルネオーリの王子たち 幼少期)
春の林で、コルネオーリの王子たち三兄弟が蝶の採集をしている。王太子イレミアが蝶の標本をつくるのが趣味なので、その採集に下の2人が参加して、なごやかな雰囲気だ。兄弟3人が集まることは滅多にないので、エルミスは嬉しそうだ。ディアスもむすーっとしながらもついてくる。
付き人や護衛がイレミアには4名ついている。エルミスとディアスには2名ずつ。全員で11名で大所帯だ。
エルミスは長い金髪を後ろでひとつにゆるく結んでいる。ディアスは短い金髪だ。イレミアは国王譲りの少し癖のある金髪をしている。イレミアとエルミスのズボンの丈は長く、ディアスは短いズボンを履いている。
「なかなかつかまらないな」
ディアスが網を振りまくるので、逆に蝶が逃げていきそうだ。イレミアは微笑む。
「ディアス、焦らずに待つんだよ」
「イレミア兄様とこんなふうに蝶を捕まえるなんて、すごく久しぶりですね」
エルミスは、イレミアに敬語だ。エルミスはイレミアと接するときに敬意を払うように気をつけていた。
「僕はいつも忙しくて、エルミスともディアスとも遊んであげられなくて申し訳なく思っているよ」
「べつに俺はいいんだけど」
「こら、ディアス」
エルミスはぶっきらぼうなディアスをたしなめる。
3人はガサッと茂みが動いたのに気づく。護衛騎士がイレミアの前に出る。
「動物かな?」
イレミアが呑気に話をしていると、茂みから小さな男の子が顔をだした。エルミスは目を丸くする。
「アステル」
なぜこんなところに? しかも、護衛をつけずに一人だ。護衛を撒いたのだろうか?
4歳のアステルは黙ってエルミスに両手を伸ばす。エルミスはアステルを抱っこする。
ディアスは嫌なものを見る目でアステルを見る。イレミアはエルミスとアステルの様子を見て、驚いたようだ。
「エルミスは末の弟と親しいのかい?」
「けっこう、遊びに行っているんです。ミルティア様の部屋に。魔術の勉強でわからないところがあると、聞きにいっています」
三兄弟の中では、エルミスが一番魔力量が多い。王国魔術師団に魔術を教えてもらいに行くこともあるのだが、少し建物が遠いので王城内にある元王国魔術師団員のミルティアの部屋に教えてもらいにいっているようだ。
エルミスはミルティアがとても美しく、勉強を教えてもらうのが嬉しくて行っているところもあるのだが、それは内緒だ。
「お母様が怒るぞ」
ディアスがぼそっとエルミスに言う。
「怒らせておけばいい」
エルミスが言う。
「みな、仲良くできたら良いのだが、むずかしいね」
イレミアはため息をつく。
「アステル、イレミアお兄様とディアスにも挨拶しておくれ」
エルミスがアステルに言うが、アステルはエルミスの肩に顔をうずめたままだ。エルミスがアステルを地面に下ろすと、今度はエルミスの足にしがみついて隠れている。
エルミスはイレミアに説明する。
「アステルは、人見知りが激しいんです」
「これだから平民の血は」
「おい、ディアス、アステルが聞いているんだぞ」
エルミスは悪態をついたディアスをにらむ。
「アステルは王族だよ、ディアス。城で生まれているのだから」
イレミアもディアスをたしなめる。
「それに人間に貴賤はないよ、ディアス。貴賤を考えることこそ賤しい人間のすることだ」
イレミアはしゃがんで、アステルに話しかける。
「アステル、こんにちは。覚えていないかもしれないけれど……君の一番上の兄のイレミアだよ。君と仲良くしたいんだ、顔をあげてくれるかい」
「……イレミアでんか、こんにちは……」
アステルはじっ……とイレミアを探るように見ながら、挨拶をする。ディアスには挨拶しない。ディアスはムッとしたようで、しゃがみこんでアステルの顔を間近にのぞきこんだ。アステルは怖がってまたエルミスの足に隠れてしまう。
アステルは再度、エルミスに抱っこしてほしそうに手を伸ばす。ディアスに顔を覗き込まれたのが嫌だったようだ。エルミスが抱っこすると小声でエルミスの耳元にささやく。
「おにいさま、なにしてるの」
「みんなで、蝶を捕まえようとしているんだよ」
エルミスも小声で返す。
「そうだ、アステル、君もやってみるかい?」
イレミアが優しげな眼差しで、アステルに網を差し出す。アステルは不思議そうな顔で網の竿をつかむ。
ディアスは不満がありそうに口を開こうとして、やめる。従者たちもあまり好ましく思っていない顔をしている。しかし、この場で最も権力があるのは13歳のイレミアだ。
アステルは網の振り方をエルミスに教わるが、蝶の動きを目で追ううちにエルミスに網を渡す。
「おにいさま、これ、ないないして」
「? アステル?」
イレミアは不思議そうにアステルの動きを見る。
「ぼく、あみがなくてもね、できるよ」
アステルは手を高くあげて、蝶を指さす。
まずい、とエルミスは思う。アステルのズボンのポケットに魔石があると気づくが時すでに遅しだ。
「アステル!」
エルミスがアステルを止めようとするも、アステルは魔法で蝶を捕縛する。
アステルが目視していた1匹の蝶。
それから、目視していなかった2匹の蝶。
3匹の蝶が動きを止め、ぱらぱら、と地面に落ちる。蝶は地面で、もがき苦しんでいる。
場の空気が凍りつき、ひそひそ、と従者たちが話す。
「不気味だ」
「虫取りに来て、魔術で蝶をとるなんて」
「やっぱり血筋がよくないから」
エルミスは、そっとアステルの耳をふさぐ。周囲の悪意を察知したアステルの瞳が硝子玉のように見える。周囲のひそひそ声が止むと、エルミスはアステルの耳から手を離す。
「おどろいた、魔術の才能があるという噂は本当だったんだね」
イレミアはしゃがんで、アステルの顔をのぞきこむ。
「アステル、蝶を捕まえてくれてありがとう。
でも僕は、魔術を使うことを望んでいないんだ。蝶を放してあげてくれるかい?」
「どうして? 簡単なのに」
アステルは不思議そうにする。
イレミアはアステルに優しく説明する。
「網でとることは、むずかしいから、やる価値があるんだよ。なんでも魔術に頼るのは、簡単だけれど、そればかりでは、楽しくないんだよ」
「そうなの?」
「そうだよ、僕たちは蝶がとれるかとれないかのドキドキを楽しみたくて、網を使っているんだ」
「そうなんだ」
アステルは、蝶を解放する。しかし、一匹だけ落ちどころが悪かったのか、飛び立てない蝶があった。
「しんじゃった……」
アステルが悲しそうな顔をすると、イレミアはそっとその蝶を手のひらに乗せる。
「アステル、この蝶は僕が貰っていくよ。標本にして、綺麗な姿をそのまま残すんだ。僕が大切にするよ。ありがとう、アステル」
イレミアが微笑むと、アステルも小さく微笑みを返した。
ーーーーーーー
夜、イレミアは自室で、アステルが魔術で捕まえた蝶を標本にしている。イレミアはあの場では何も言わなかったが、それはずっとイレミアが探していた珍しい黒い蝶だった。うっすらと紫色の模様が入っていて、とても美しい。
側近で執事のサルデラが、イレミアにお茶を淹れにくる。サルデラは初老の執事で、イレミアの蝶探しに同行しなかったため、事の顛末を知らなかった。
「ありがとう、サルデラ」
「イレミア様、ようやく見つけられたんですね、その蝶……」
「……」
「どうかなさいましたか、イレミア様?」
「この蝶を捕まえたのは、末の弟のアステルだよ」
イレミアは微笑む。サルデラはハッとした。
「末の弟は、噂どおり、化け物みたいだった。4歳なのに、おどろくほど魔法が上手なんだ。
魔術の国コルネオーリの歴代の王は、魔術が得意な王が多い。アステルが王位を継いだら良いんじゃないのかな」
「ご冗談を、イレミア様。側室の子のアステル様に王位継承権はありませんよ」
「そんなルール、撤廃しても良いのではないかな。このままではコルネオーリの王は、代々、魔術の下手な者がなることになるよ」
イレミアは自嘲気味に笑う。
「僕は、他のことは何でもこなせるけれど、魔術はからきしだ。皆それを知っているが、国民には隠している。
エルミスは魔術の成績が良いから、あまり魔術ができることをひけらかさないようにしている。僕はエルミスが王になれば良いのではないかと何度思ったかわからない。コルネオーリは魔術の国だというのに」
イレミアは暗い顔をしている。
赤子の頃からそばにいるサルデラにだからこそ、できる話だ。
「ですがイレミア様は、まわりの者を惹きつける力を持っています。エルミス様がご自分の能力をひけらかさないのは、イレミア様を想ってのことだと思われます」
「そして王位に興味がないと、周りにアピールするためでもあるね」
イレミアはため息をつく。エルミスは王太子を代わってくれなさそうだ、と思って。生まれた順番は、代われるものではないのだが。
「エルミスも魔術に優れているけれど……末の弟は、天才だ。僕は、ゆくゆくは彼の協力も得れると良いだろうね。今日、蝶を捕まえたところをみただけで、彼は偉大な魔術師になるだろうと思ったよ。少々、天才肌ゆえか、変わった子どもだったけれどもね」
イレミアは、作成途中の蝶の標本を眺める。
「とにかく、この蝶の標本を見るたびに、僕はアステルの素晴らしい魔術を思い出すことだろう。僕がずっと欲しかった逃げるのが上手な蝶を、小さなアステルは、いとも簡単に採ってしまった」
「お言葉ながら、イレミア様……お捨てになって、良いのでは?」
「え?」
「イレミア様がその標本を見るたびに、苦しくなるのであれば、ずっと欲しかった蝶といえども、お捨てになり、自分でその蝶を採ることを目指されるのが良いのでは?」
サルデラはイレミアに、そう助言をする。
「……でも、もしかしたらアステルが見に来たいと言うかもしれない。彼の信頼を得るためにも、この標本はとっておかなければならないよ」
「イレミア様は、お優しいですね」
「優しい? 僕のこれは優しさではない」
イレミアは目を伏せる。
「王様に何が必要か、僕はよくわかっている。それだけのことだよ。一人では王はできないからね」
イレミアはすこし寂しそうに微笑むと、蝶の標本づくりを再開する。




