姉妹格差の伯爵令嬢は教会で祈りを捧げる。
「神に祈りを捧げてきますわ」
「……は?」
「お医者様にカリスを診て貰っても、まだ治らないのでしょう?
ならば神に祈らねばなりませんわ。私の部屋にある物は、可能な限り換金して……。
働いてくれるのですから、貴方たちにも幾らかそれで得た金銭を差し上げます」
伯爵家の長女ケーネは侍女たちにそう告げた。
ケーネには妹が居る。
カリスという名の妹だ。
一つ下の彼女は、幼い内に病になった。
両親はカリスの治療に奔走し、彼女に掛かりきりだ。
幸い、優秀な家令も居るため、屋敷や領地はきちんと運営されている。
ケーネが教会へ向かうと告げたのは理由がある。
先日、両親がケーネを叱ったのだ。
『病で寝たきりのカリスに悪いと思わないのか?』と。
外で遊ぶことや、出掛けていくことをケーネは叱られた。
ケーネが何をしようともカリスの病には影響がないはずだが……。
叱られたケーネは表情をなくし、ただ無言で両親を見返した。
その後でしばらく部屋に篭り、無言のまま……何事かを考えていたケーネが出した答えは、神に祈りを捧げることだった。
「私に出来ることをしたいの。カリスのためにね。
お父様やお母様は今、カリスのことで精一杯でしょう?
流石に伯爵家の資金を勝手に使うわけにはいかないけれど……。
今、私の持ち物としてある物ならば、お金に換えてしまっても、この家には問題ないはずよ。
それにお父様やお母様の方針なら今後、私が外の……社交などをこなすことはなくなるはず。
ならドレスや装飾品も不要になるわ。
それらもすべて換金してしまって。
教会に寄付をしに行きましょう」
少し強めに、決意も固そうに侍女に指示を出すケーネ。
「あ、できれば市井で着られる程度の、平凡で地味な私用の服と下着も数枚、揃えてくれる?
今着ているドレスも売ってしまいたいから。
騎士にも手を貸して貰って、早く教会へ行きたいわ。
いい? じゃあ、すぐに動いて!」
ケーネとてまだ幼いが、それでも伯爵令嬢の迫力を出して使用人たちを動かした。
当人のケーネは屋敷に残り、部屋にある物を端から捨てるように用意された箱に分別していく。
「装飾品は……どうかしら? 子供の私のサイズだから微妙? 欲しいなら貰ってくれて構わないのよ」
「え、ですが」
「いいの。早く色々と片付けてしまいましょう。
頑張ってくれる貴方たちへの私からの精一杯の報酬だもの」
侍女たちからしても悪い話ではない。
貴族の装飾品を譲って貰えるのだから。
それから半日も経たない内に、ケーネの部屋の物のほとんどすべてが箱に入れられた。
「え、あの。ケーネお嬢様? これらをすべて換金されるおつもりですか……?」
「そうだけど?」
「しかし、これでは普段の生活はどのように……」
「平民用の衣類を一緒に揃えて貰っているから、それを着て過ごすわ。
外に出ないのは、伯爵であるお父様の方針だから。家にしか居ないなら、これらはすべて不要よね?」
「それは……」
納得のいかなさを感じつつ、報酬を懐に入れた使用人たちはケーネに従った。
やがてケーネの部屋にあった、あらゆる物品が換金され、手元にはそれなりの金額が残ることになった。
ケーネ自身も今は平民用の衣服に着替えており、手入れされた髪などでまだ貴族令嬢と分かるが、その内に平民に溶け込んでしまいそうな見た目になっている。
「ドレスと宝飾品。そして家具や、とにかく細かい物品の処理は済んだわね。
では、今回の働きに対して貴方たちにも報酬をお支払いして……」
ケーネの指示で動いた使用人たちにケーネは、お金を握らせていく。
「ありがとう。皆さん。
素早い対応で本当に助かりましたわ。
では、少し時間は遅いですが……。
私も早く祈りを捧げたく思います。
教会へ寄付をしに参りますわ。
そして、そのままカリスの快復を神にお祈りします。
ああ、それから貴方たち。
お願いがあるのだけれど、この後からはカリス付きに……」
こうして。
ケーネは教会へと向かった。
そして。
帰って来なかった。
◇◆◇
「ケーネお姉様が羨ましい……」
「ああ、カリス。そんな」
病に伏せるカリスは、またそう口にした。
自分と同じ娘、姉妹なのに自由に動ける姉への嫉妬心もあった。
両親は構ってくれるけれど、それでも。
(私ばかり辛い、こんな目に……お姉様だって)
幼心にそう思う。
それは外を飛び回る鳥を見るような気持ちで。
その羽をむしり取って、地に落としてしまえば、と。
そんな気持ちだった。
「……ケーネは何をしている?」
それから1週間ほど経ってから。
ようやく伯爵は、夫人にケーネについて尋ねた。
それまでずっとカリスに掛かりきりで、姿を全く見せない長女のことをすっかり忘れていた。
「そう言えば姿を見ませんね。
先日、叱ってから……反省して部屋に引き篭もっているの?」
夫人から侍女へ視線が向けられる。
夫人専属の侍女はケーネのことを把握していなかった。
「食事にも出てきていないな。今夜は食堂で共に食べるように。ケーネを呼び出しておきなさい」
「はい。旦那様」
だが、1週間ぶりに夫妻から関心を向けられたケーネの部屋を確認しに行くも、そこはもぬけの殻。
「な、なんですか? これは……? ケーネお嬢様はどこに?」
夫人付きの侍女は、ケーネの侍女を探すも部屋の近くには誰もいなかった。
探して、ようやく見つけた場所はカリスの近く。
かつてケーネのそばで働いていた者の多くがカリス付きになっていた。
「あ、貴方たちは何をしているの?」
「はい?」
「貴方たち、ケーネお嬢様の侍女でしょう?」
「私たちはケーネお嬢様の指示で、カリスお嬢様のために働くようにと。
旦那様や執事長もお認めになられていますが……」
「は?」
伯爵家の屋敷は、その日、混乱を極めた。
屋敷のどこにもケーネの姿が見えないのだ。
挙句、彼女の部屋からは物がほとんど無くなっている。
事情を聞いていく内に判明したこと、それは。
「ドレスも宝飾品も何もかも処分し、その金を教会へ寄付しに向かった、だと……?」
「はい。カリスお嬢様の快復を教会へ祈りに行くのだと、おっしゃったそうで。
それがケーネお嬢様の最後の足取りです。
その後、侍女たちはカリスお嬢様付きとして働くように指示されていたらしく……。
またその事は執事長、旦那様、共に認めていただいていると」
「なん……」
(そう言えば。この1週間で多くの使用人がカリスのために働きたいとカリス付きを希望していた……!)
侍女たちの申し出を伯爵は喜び、当然のように受け入れていた。
彼女らが元々、屋敷のどこで働いていたかなど確認しもせず。
「で、ではケーネは? 今どこにいる?」
「……屋敷のどこにもいらっしゃらないようです」
「な、では、なんだ? 教会から戻っていないと? 教会へ向かったのはいつの話なんだ!」
「……1週間前のこと、だと」
「1週間!」
それほどの期間、伯爵夫妻は長女のケーネに関心を持たなかった。
カリスが心配で彼女のことばかり考えていた。
「すぐに教会へ人を送れ! ケーネがどこに行ったか調べさせろ!」
「かしこまりました」
心配、というよりも勝手なことをした長女への怒りが勝っていた。
そして心配など杞憂とばかりに、あっさりとケーネの居場所は判明する。
彼女は、1週間前のそのまま屋敷へ帰らず、教会に身を寄せていたらしい。
「すぐに連れ戻せ!」
「そ、それが……。旦那様。その」
「なんだ?」
「ケーネお嬢様は、その。神籍に入られていると」
「……は?」
「既に自らの意思で、貴族籍を放棄し、神籍に入られている、と返されました。
故に帰ることは出来ないと。
これから修道院へ入る予定だと……」
その報告を聞いた者たちすべてが言葉を失った。
「何を言っているんだ!?」
「あ、貴方……」
「くそ! すぐに教会へ向かう!!」
伯爵夫妻は、すぐに馬車を出した。
そしてケーネの居る教会へ向かい、現れたケーネの姿にまた言葉を失った。
神籍に入ったことを証明するように修道服に身を包んだ長女の姿がそこにある。
「ケーネ……!」
「お久しぶりでございます。伯爵様。伯爵夫人」
まるで他人のように頭を下げ、対応する娘。
夫妻は怒りを通り越して混乱するばかりだった。
そんな2人を見ても、ケーネは穏やかに微笑む。
「きっと驚かれたことでしょう。私もこのようなことになるとは思っておりませんでした。
しかし、すべてはカリスのためなのです。
そして伯爵家のためです」
「な、なに? 何を言って」
「私は1週間前。この教会へカリスお嬢様の快復を祈りにやって来ました。
そこで……神より託宣を賜ったのです」
「は……?」
「た、託宣?」
夫妻の驚愕を見て、コクリと頷いて見せるケーネ。
「はい。あのまま私が屋敷で過ごせば、カリスお嬢様は、そして伯爵様がたは、破滅の道を辿ってしまうのだ、と」
「は、破滅!?」
「ええ。私は、神にそのような未来を覆すためにはどうすれば良いのかと尋ねました。
そうしましたら、神は私に仕え、祈りを捧げ続けるように、と返された。
その日から伯爵家へ帰ることも禁じられたのです。
伯爵令嬢であることを捨て、神に祈りを捧げる者へと私がなれば、カリスお嬢様や伯爵夫妻に一筋の光が差す、と。
ただ……それでもこれはキッカケの一つに過ぎないとも言われました。
それより先は私ではどうにもならず、カリスお嬢様と伯爵夫妻に運命は委ねられると。
……私が託宣を受けたことは、大司教猊下がお認めになられました」
視線を教会に所属している司教へ移す。
そうすると彼はコクリと無言で頷き、肯定した。
「大司教!?」
「その日、教会へお見えになられていたのです。
ですので、伯爵様。
そういった理由にて、勝手ながら私は、伯爵令嬢ケーネ・カルティスであることを捨て、ただのケーネとなりました。
籍を抜ける手続きも既に進めております。
ちょうど明日にでも、その結果の報せが伯爵家へ届くものかと……。
申し訳ございません。
託宣を受けての、カリスお嬢様の命に関わること。
私も手早く神の望むままにせねばならぬと……伯爵様への連絡が後になってしまいました」
「…………」
伯爵夫妻は、もう絶句するしかなかった。
既にあらゆることが手遅れなほどに進んでしまっている。
大司教が認めた、神よりの託宣に基づいた行動。
それを今更、否定しては動けない。
まして、それをして万が一、伯爵家やカリスが破滅するとしたら。
「今日まで本当にお世話になりました。
カルティス伯爵様、伯爵夫人。
明日より私は修道院へ入り、見習いとして3年は俗世と縁を断つことになります。
どうか伯爵一家が健やかに、幸せに暮らしていけますよう。
遠くよりお祈り申し上げます」
「け、ケーネ……」
「それでは。私はこれにて」
何の未練もないように。
ケーネは伯爵夫妻に、目も向けずに立ち去っていった。
残った司教が伯爵の肩に手を置くと、彼は力無く膝から崩れ落ちたのだった。
◇◆◇
教会の隅、離れた場所から。
ケーネは屋敷へ帰る伯爵夫妻を見送る。
明日から待っているのは、これまでの生活とは全く異なる修道院生活だ。
だがきっとケーネはやっていけるだろう。
そうしてケーネは呟いた。
「……姉妹格差のドアマットヒロイン。何もかも押し付けられる『姉』が、その楽さに溺れる前にすぐに居なくなっていれば……『妹』も、少しはまともな人間に育つかしらね?」
きっと、それは神のみが知る未来。
続き(?)、別サイドのお話もシリーズに投稿しました。