第7話 4月-7
何とか一をせっついて、二人でアパートを出た。
アパートから学校まで約10分くらいの距離。いくつか道を曲がり最後の道を真っすぐ行くと丁度二人の高校の真ん中くらいに出る。横に通っている道を渡り、右に行けばオレが行っている女子高、左に行けば一の行っている男子高の正門がある。
隣に建てる位ならいっそ共学にすれば良かったのにと素朴に思うが、隣同志の学校行事等での交流は皆無に等しい。勿論、学校を一歩出れば、そこはそれ男と女がこんなに近くにいるのだから、ロマンスがあちこちで生まれているのは言うまでもない。うちの女子高の彼氏持ちの約8割が隣の男子校の生徒なのだ。
校門の近くで一が来るのを待っていたのか、タケルがパタパタと笑顔を振りまいて走って来る。タケルは朝から可愛い。見ているこっちまでほんわかした気持ちになって来る。
昨日、一つ気付いた事。それは、一がタケルの前だとかなり恰好付けていること。オレの前では、犬コロみたいな一だが、タケルの前だと頼りがいのありそうな男に見える。タケルが昨日オレにこっそり教えてくれたのだが、学校ではクールで秀才、そして生徒会長をも務め、その容姿から学校の憧れの的になっているそうだ。タケルはまるで自分のことのように自慢げにそう言っていた。とてもオレにはそうは見えないのだが―――というより全く信じられない―――、タケルの前でのあの態度を見ているとあながち嘘でもないようなのだ。
一とタケルと別れ、背を向けると女子高の方に歩いて行った。
ああ、朝から疲労困憊だぁ、などと考えていると、肩を掴まれた。振り向こうとすると、顔の横に一の顔が現れた。
「つばさ。言い忘れてた。スカートも似合ってる、可愛いよ」
オレが殴るよりも早く、一はじゃあねと言って去って行った。
あんな歯の浮くような科白を平然と言いやがってっ。
「なんなんだよ、全く」
誰にでもなく独りごちた。そしてオレは再び歩き始めた。
教室に入ると、オレは親友の黒田夏希の尋問を早速受けた。
「あなた私に黙っていたようだけど、同居人とはどんな方なの?」
「いや……それが」
歯切れの悪いオレに夏希の奇麗な瞳がきらっと光った気がした。
「私に秘密など作れると思っているのかしら? つばさ」
その笑顔が威圧的な光を帯びていて、正直恐怖した。
夏希は本当にオレとは逆で女の子って感じの美少女であるのだが、少し性格が辛口なのだ。彼女には逆らえないそんな空気が漂っていた。
「……男なんだ」
「何ですって? あなたその男に何かされていないでしょうね? あなたに何かあったらただじゃおかないわよ!!!」
「いやいやいやいや、何にもされてない。うん、大丈夫だよ。だから、ちょっと落ちつけよ、夏希。そいつゲイなんだよ。女に興味無いんだ。オレが襲われることはないから」
実際には、キスはされたんだけど、そんな事言ったらこの後何が起こるか恐ろしくて堪らない。
夏希はオレのことをそれはそれはとても大切に思ってくれるんだけど、それがちょっと過激と言うか、尋常じゃない。以前、オレがしつこい奴に付き纏われていると話したら、夏希がそいつらを探し出し、制裁を下したらしい。夏希の家は金持ちで、親父さんがちょっと怖い感じの人とも繋がりがあるらしい。その人たちに制裁をされたらしいのだが、どんな事をしたかは恐ろしくて聞けなかった。それ以来、オレは不容易に夏希の前でそんな話をすることを控えた。流石に、相手が可哀想だ。
一がオレにキスをしただとか、抱き付いて来ただとか、そんなことが知れたら夏希が何をするか解ったもんじゃない。
「じゃあ、今日、お宅に伺うわね。その方にお会いしてみないと。いいわよね?」
なんて言うか、そう有無を言わさず感じ? ああ、どうすればいい? とにかく一に電話だけでもしとかないと。夏希の前で、一がオレに抱き付いてきたりなんかしたら……。ぶるっ。うおっ、武者震い。
だが、すぐに始業のチャイムが鳴り、律儀な先生はチャイムと同時に教室に入って来てしまい、電話するチャンスを逃した。先生の目を盗んで、メールだけは送っておいた。メールだと文字数が限られているし、きちんと状況が伝わったか怪しいところなのだが、きっと大丈夫だと思う。うん、そう思いたい。
一時限目が終わった後、選択科目の為、教室を移動する。
夏希は音楽を選択しており、オレは美術を選択している。もう一人の親友である筑紫絵里も美術を選択している。
絵里はいつも朝ぎりぎりなので、オレと夏希の話は聞いていない。美術室への道すがらその話を聞かせた。絵里は小柄で少しぽっちゃりしているが、それがプーさんを連想させてとっても可愛い。絵里には一についてのことをすべて話した。絵里なら一に危害を加えることはないし、口が堅いので夏希にも言わないだろう。安心して話す事が出来た。そして、予想通り絵里もまた放課後アパートに行くと言った。正直、夏希と一と三人では、とても怖いが、絵里がいてくれることでその空気も中和してくれそうで助かる。
そして、問題の放課後。オレ達はアパートへ向かっていた。
帰路を辿りながら、今日という日が無事に過ぎてくれることを願った。早く明日になればいいのに……。そんな風に本気で願ったのは初めてだった。
「ああ、楽しみね。早くその同居人とやらにお会いしたいわ」
ふふふっとお上品に笑ってはいるが、目は少しも笑っていなかった。今日ほど、家に帰りたくないと思ったことはない。
「ただいま。友達連れて来たぞ」
玄関に一の靴があったので、居間に向かって声を掛けた。一が笑顔で姿を現した。
「つばさ。お帰りっ」
そう、まるで犬がご主人様を玄関先まで迎えに来たみたいに。
そして、オレを勢い良く抱き締めた。
「お友達もこんにちは。どうぞ上がって」
オレをしっかりと抱き締めたままのバリバリの営業スマイルに、夏希は固まっている。絵里は、まあっ、と嬉しそうに驚いている。
オレも抱き付かれたまま固まっていたのだが、すぐに正気を取り戻し、一に膝蹴りを入れた。
「いつまで抱き付いてんだよ、ボケっ」
蹴りを避ける為にやっとオレを解放した。
恐る恐る夏希を見るとわなわなと怒りにうち震えていた。
「つばさ。こんな野蛮な方が同居人なの?」
怒りと興奮を抑えようとする夏希の震えた声が酷く恐ろしい。
一はそんなことと知ってか知らずかへらへらと笑ってる。
「とにかくここで話もなんだから、中に入ろうぜ。な? 夏希」
「そうね、そうさせて貰うわ」
すたすたと夏希は中に入って行った。
居間に集まった4人。それぞれの表情は異なっていた。オレはこんな状況をどうにかしてくれという気持ちが表情に出ていたんだろうと思う。夏希は、不機嫌に一を睨みつけている。一はそんな視線をもろともせず澄まし顔。絵里はこれから何が起こるのかワクワクしてるって表情。
「あなた、男の方が好きって伺ったんだけど?」
「そうだけど、それが何か?」
一は自分がゲイだということを全く隠さない。それを、そんな己を全く恥じてもいない。それよりも、女の体が嫌いだということの方を隠したがっているように思う。
「それならば何故、つばさにあんなことをなさるのかしら?」
「あんなこと? ああ、さっきの。そりゃ、好きだからに決まってるでしょ」
にこやかに受け答えをする一に対して、夏希は口元が引き攣っている。
「馬鹿っ。お前、誤解招くようなこと言うなよ」
一を肘で小突いてそう言ったが、そんなオレに一は微笑みかけた。大丈夫だから、その笑顔はそう言っているようだった。
「あなた勘違いなさってるのかしら? つばさは、女の子なのよ。その好きというのは一体どういう好きなのかしら?」
「勿論、つばさが女であることは承知してるよ。俺の好きは君がつばさを好きなのと同じ好きだよ、黒田さん」
夏希は絶句していた。口を金魚みたいにぱくぱくさせて、恐ろしいものでも見るような目で一を見ていた。オレには一がそんな大層なことを口にしたとは思えないのに、何で夏希はあんなにうろたえているんだろう。
それにしても、夏希が誰かの言葉にこんなに動揺しているのを今までで一度だって見たことがなかった。