第6話 4月-6
9時を少し回った頃、奴はタケルを送って行った。
一人になったオレは、テレビを見るのにも飽きてしまったので、ベランダに出ることにした。
まだ、4月の夜は肌寒い。だが、そんなものは全く気にならなかった。夜空を見上げると星が幾つか瞬いているのが見えた。東京の夜空には、星が少ない。夜でも地上の光が明るいので、完全な闇にならない。そこにある筈の星が東京では見れないのだ。
オレは夜景が嫌いだ。あの人工的な明るさが好きじゃない。
親父の田舎の星空はそれは凄かった。
オレがまだ小学生の頃、丘に寝転がって見たものだ。丁度何とか流星群が見れる時期だったので、上手いこと見ることが出来た。星が幾つも幾つも、次から次へと落ちて来て、星に刺されるんじゃないかと思って怖かった。怖いほどに美しかった。オレが流星群を見たのはそれ一度きりだ。
今夜の月は、半月よりも少し太っていた。たまに雲が掠めて月が見え隠れする。
背後で窓が開く音がして、振り返ると奴がベランダに出て来たところだった。
「さっき下から声掛けたのに」
「ああ、全然気付かなかった。……タケル、いい奴だな」
オレの隣に立った奴にそう言った。
「いい奴だよ。でも、つばさはタケルが嫌い?」
オレは驚いて奴の顔を見た。タケルといて感じる焦りのようなものを表情には出さないように気を付けていたつもりでいたのにな。見透かされたようで、気恥ずかしくなった。
「嫌いじゃない……寧ろ好きだな。だけど、オレとは違い過ぎて、羨ましく思う。あんな風になりたいって思うよ」
オレは月を見上げていた。
タケルを羨ましいと思うのは、月に憧れを持つのに似ているように思う。オレには届かない、なりたくてもなれない美しいもの。
「俺も思うよ。タケルを羨ましいと」
「お前も?」
またオレにお前と言われたと奴は苦笑した。
「俺もあんな風に素直に生きられたらって思うよ」
奴の横顔がほんの少し寂しげに映った。一瞬の表情で、すぐにそれは消え、奴の笑顔が現れた。
「あっ、忘れるとこだった。お前、オレに間違えてキスしたんだから、謝れ」
「あれぇ、謝ってなかった? ごめんね、つばさ」
「可愛く言ってもキモいんじゃ、ボケっ」
オレが蹴りを入れると、奴はそれをヒョイッといとも簡単に避けた。
「許してやるから一発蹴り入れさせろ。逃げんな!」
「え〜、痛いからやだよ。つばさの蹴り痛いもん。何か格闘技やってたでしょ?」
「空手」
オレは何発目かの蹴りを入れながら短くそう言った。
「お前は? お前もやってんだろ?」
奴はひょいひょいとオレの蹴りを軽々と身をひるがえし、全て避ける。
「俺は、空手とテコンドーと柔道でしょ、それから剣道も少々」
ああ、やっぱりと妙に納得してしまった。奴の動きには無駄がなく、そして、へらへらしているのに隙というものをまるで感じなかった。
「一発だけ入れさせろ!」
そう言うと、奴は自分の動きを止めた。オレの蹴りは奴の右腕に一発入った。奴の腕は硬く、オレの足の方にもかなりの痛みを感じた。奴は表情一つ変えなかった。
「いい蹴りだな」
奴がニヤリと笑ってそう言った。
そのあとオレ達は、部屋の中に戻った。
部屋に戻ったオレは、先に風呂に入ることにした。
オレが風呂を上がったのと入れ替えに、奴が風呂に入る。
風呂上がりに水を飲みながら、テレビを見ていたら、強烈な眠気に襲われた。部屋に戻るのも面倒になって、オレは居間にごろりと横になり、そのまま寝てしまった。
途中、奴に起こされた気がした。寝ぼけたオレは「おやすみ〜」と言ったように思う。それが夢か現実か分らぬまま、オレは深い眠りに落ちていった。
温かくて心地がいいな……。
まるで花畑に抱かれているように凄く安心する。ずっとここにいれたらいいのに……。
オレはゆっくりと夢の世界から這い出した。
目を覚ましたのに、目の前に広がる物は真っ白な世界?
少し離れてそれを見ると、それはTシャツだった。
嫌な予感がしてオレが恐る恐る顔を上に向けると、そこには案の定奴の幸せそうな寝顔があった。そして、オレは奴の腕の中で守られるように包まれていた。
不快なんだけど、心地好い。
今すぐこの状況から逃れなきゃと思っているのに、このままずっとこうしていたいと思っている自分もいた。
それでももう起きないとならなかった。今日から新学期が始まるのだ。
「おい、一! 起きろよ。お前んとこも今日から新学期だろ? ってかいい加減この腕放せ!!!」
オレはもぞもぞと動きながら一に呼び掛けた。その瞬間、一がギュっと強く抱き締めた。オレはあまりに苦しくて、うっ、という低い唸り声を上げた。それを聞いて、一はやっと起きたようだ。
「あっ、ごめん。おはよ、つばさ」
ニコッと半分寝ぼけた笑顔に、不覚にも可愛いと思ってしまった。
一はもう一度オレを改めて抱き締めると、おでこにチュッと大きな音を立ててキスをした。
オレは思いっきり一を突き飛ばすと急いで起き上がり、洗面所へと逃げ込んだ。
何で、一はいつもああなんだよ……。
鏡に映ったほんのり頬を赤く染めた自分の顔を見て、オレは大きく首を振った。昨日のキスを想い出してしまったのだ。いくら間違いだったとはいえ、あんなに濃厚なキスは経験がなかった。そうでなくとも一昨日の一とのキスがオレのファーストキスだったんだ。
好きでもない奴と、しかも間違えられて……。
何とも言えない後味の悪さが残った。
一はタケルとあんなキスをするんだな…。
オレは慌てて首を振ると、豪快にバシャバシャと顔を洗った。髪の毛をブラシで梳かし、鏡でチェック。そんなに乱れていないので、このままでよし。
制服に着替えると、朝食を作る。時間がないので大したものは作れない。
チーズ入りのオムレツ、コンソメスープ、サラダ、トースト。
全て並べ終わって一は何してんだと居間を覗くと、まだ寝ていた。
「一! 早く起きろよ!!! 遅刻すんぞ」
オレが一を激しく揺すると、う〜んとうなって薄目を開けた。
「ああっ、つばさ。おはよぉ」
挨拶はもうさっき聞いたっつうの。
一は再び眠りにつこうと目を閉じた。
「馬鹿っ。寝んなよ。起きろってば」
こいつ……、寝起き超悪いんだな……。
半ば呆れて一の寝顔を見た。
寝てる時は、天使みたいだな。
くくっと小さな笑いが漏れた。
「何で笑ってんのぉ?」
「いや、寝顔だけは可愛いんだなって思って」
自然に笑みが零れてしまうほど、一の寝顔は可愛かった。起きている時の一は、へらへらしていて、オレを苛つかせる正直嫌な奴だと思うけど。
「つばさ。オレを笑った罰ぅ。起して」
寝起きで少し鼻にかかった声でそう言われて、最初はふざけんなって思ったが、両手を上げてオレが起こすのを今か今かと待っている姿が滑稽で、不平を言うのも忘れてその手を取った。力を入れて引っ張るが、中々起き上がらない。一は身長が185cm以上はある上に、力を抜いている状態なのでかなりの重さがある。
ふぬぬっと一の正面に跨り力一杯引っ張りどうにか持ち上がったと思った瞬間、気が抜けてしまい、一共々倒れてしまった。
「うぎゃっ」
オレは一の上に勢い込んで倒れ込んだ。倒れた拍子に顔面を一の胸に強打した。
「いったぁ」
顔を撫でた。鼻が赤くなってしまったかもしれない。
「俺も痛いんですけど。しかも、重い……」
「うわっ、ごめん」
一は、慌てて起き上がろうとするオレの腕を掴んで引っ張った。引っ張られてオレは再び倒れ込み、あろうことか一にキスをされる。
「モーニングキス、頂き。毎朝、キスで起こしてくれたら、きっとすぐに起きると思うよ」
ニカッと笑う一の頬を思い切りビンタした。
「キスすなって言ってんだろうが! お前のことはもう知らない。先、飯食う。明日からお前なんか起こさないからな。勝手に遅刻しやがれ!!!」
フンっと鼻息荒く、トーストに齧り付いた。一が何度も謝っているが、オレはそれを完全に無視した。
「なあ、ごめんって。機嫌直してよ」
オレはちらっと一を覗き見た。一は大袈裟にしょげ返り下を向いていた。全くそんなになるくらいなら最初からやらなきゃいいんだ。呆れて苦笑を浮かべた。
「もう、鬱陶しいな。早く食べろよ。オレ、本当に先に行くぞ」
「つばさ、待って。俺も一緒に行くよ。もうちょっとだけ待って」
オレが声を掛けたことで、急に元気を取り戻した一は、物凄い速さで食べ物を口に入れた。
「つばさ。俺の事、一って呼んでくれてたよね」
あっ、不覚……。
昨日、子供が熱を出して更新出来ませんでした。待っていらしたが方が仮にいらしたら、お詫び申し上げます。すみませんでした。