第53話 3月-4
翌朝、目覚めると、オレの視線の先には素っ裸で眠る一の姿。勿論、自分も同じ格好でいるのだが、昨今やっと暖かくなって来たと言ってもまだ3月で、オレの体の上にはちゃんと毛布も布団も掛けてあるのに、一の体の半分は布団から出てしまっていた。
どうしよう、一、風邪引いちゃわないかな。
急いで、一の上に布団を掛け直す。すると、寝ているとばかり思っていた一に腕を取られ、抱き寄せられた。
「起きてたの……か?」
返事の代わりに微笑みを寄越した。
「おはよう、つばさ」
頬に優しいくちづけをされ、擽ったさに目を細めた。
「ずっとこうしていられたらいいのにな。早くつばさをお嫁さんに貰いたいよ」
寝ぼけ眼なのに、言うことはしっかりしていた。オレが一と結婚するとしたら、早くて4年後。まだまだ先の話だ。その前に色んな事が待ちわびているんだ。うちの親父を認めさせなきゃならないし、それは結構骨の折れる作業なんじゃないかって気がする。
「オレも一緒にいたいよ」
片時も離れたくないっていうのがオレの本音。信じられないけど、オレはこんなにも一のことが好きなんだ。出逢った頃は、何だこいつ、って思っていた。最初ははっきり言って一の事なんて嫌いだったのにな。こんな奴と同居なんて出来るか、何て本気でそう思っていた。出逢った頃のオレ達を思い出して、小さく笑った。
「何で笑ってるの?」
「初めて会った頃は一が嫌いだったなって思って。不思議だよな。オレ達がこんな風になるなんて考えてもみなかったよ」
「俺は、つばさと会った瞬間、運命感じたけどなぁ。つばさは感じなかったの?」
「うん、全然」
ちぇっと、一がいじけたように頬を膨らませた。
「ごめん。だけど、今は好きなんだからいいだろ?」
オレが膨れた一の顔を覗き込んでそう言うと、一に激しく唇を奪われた。朝っぱらからの激しいキスに横になっているのにも拘らず眩暈がした。
「んんっ、一、苦しいよ」
自然に出た甘えたような自分の声に、恥かしくなってしまった。
「このまま行くとやばい。止められなくなりそうだ。俺、今日は行かなきゃならない所があるんだ」
一が突然キスを止めて名残惜しそうにそう言った。
「行くところ?」
一は頷いたが、行き先を口にしようとは思わないようだった。
「そっか。じゃあ、オレは久しぶりに薫さん所に行って来ようかな」
薫さん。某ブランド店に勤めるオカマ店員さん。桃井の一件の時に、オレに防犯ブザーを持たせてくれた人だ。
その日の午前中に、一はどこかに行ってしまった。
オレは薫さんに会いに、昼近くにお店に行った。そのくらいに行けば、昼休みに薫さんも外に出れるんじゃないかと思ったのだ。久しぶりにゆっくり薫さんとお喋りがしたかったのだ。
その思惑通り、薫さんはオレの存在を確認すると、
「私、先にお昼行って来るからお願いね」
と、店の女の子に声をかけた。
薫さんに連れられ、入った喫茶店は小ぢんまりとはしているが、お洒落な雰囲気のいい店だった。そして、お昼時にも拘らず空いていた。
「ここね、私のオススメのお店なの。結構奥まった所に店があるから、あまり知られてないから空いているんだけど、味は本当に美味しいのよ」
薫さんが一押しだという煮込みハンバーグをオレは頼んだ。
「それにしても久しぶりね」
メールとかでは、時々連絡はとっていたのだが、会うのは本当に久しぶりだった。
「あの可愛い男の子と上手くいってるのね?」
一のことは同居人であるってことしか話していなかった筈。
「いやあね、解るわよ。言われなくても。そういった勘は外したことないのよ、私。だけど、少し寂しそうな顔してるわね。何かあるの?」
薫さんには隠し事が出来ないんだなって瞬時に思った。
「薫さんには隠し事出来そうにないですね。一とは……、一っていうのが彼の名前なんですけど、恋人……になりました」
恋人って言葉が妙に生々しく、恥かしくて頬を赤らめた。
まあ、可愛い、とニコニコして薫さんが言うものだから、さらに顔を真っ赤にしてしまった。
「親に決められてて、同居は一年間だけなんです。だから……」
「もうすぐ彼とは一緒に暮らせなくなってしまうのね」
オレは頷いた。
「一は引っ越しても、そんな遠くには行かないし、会いたくなれば会えるんです。だけど、なんか寂しくて。一がいない日々がどうしても想像できなくて」
「それだけ、一君はつばさちゃんの一部になっているわけだ。そうね、それは今のつばさちゃんには辛いのかもしれない。だけど、普通の恋人同士ってものを満喫するのも悪くないわよ。メールや電話で話してみたり、デートの待ち合わせをしてみたり、会えない時間が恋人同士の絆を強くするものなのよ。携帯に電話をしても繋がらない。メールの返事もない。忙しいのかな、それとも事故に遭ったんじゃあないのかな、もしかして浮気じゃないでしょうね。なんてやきもきしたりするのよ。あれくらいの良い男だもの女は放っておかないだろうし、やきもちだって妬いちゃうわよ。だけど、そんな事を一つ一つ乗り越える毎に愛は深まるのよ。あなた達の場合、普通の恋人たちの逆で同棲を先に経験してしまっているから、離れるのは辛いかもしれないけど、割り切って考えればいいのよ。離れているからこそ、楽しめる何かがある。それを探すのも楽しいじゃない? 楽しまなきゃ。寂しいってばかり考えないで、離れた時にどんな楽しいことをしようかって考えた方が、気持ちも楽になるんじゃない? ねぇ、つばさちゃんは一君と何がしたい?」
「デートかな。やっぱり。待ち合わせなんてしたことないし。いつも同じ家から、それじゃ行こうかって感じだったから。そういうの新鮮かもしれない」
薫さんの導きで少し楽しみに思えて来た自分がいた。
「そうよ。久しぶりに会った二人、ひしっと抱きしめ合う二人。楽しいひと時を過ごした後、別々の道を行かなければならない。『また連絡するよ』『うん、離れたくないな』そして、重なり合うシルエット。って私はドラマの見過ぎかしらね?」
オレは芝居がかった薫さんの熱弁に思わず吹き出した。寂しさが吹き飛んで行ってしまうくらいに可笑しかった。
「ありがとう、薫さん。なんか元気出た。また、こうやって会いに来てもいいですか?」
笑い過ぎて、目尻に溜まった涙を指で拭いながら、そう言った。
「勿論、いつでもいらっしゃい。悩んだ時でも、勿論、そうじゃない時でも。私はあなたがとても気に入っているんだもの。会いに来てくれなきゃ寂しいわよ」
薫さんの笑顔にオレも笑顔で応えた。
薫さんの言葉につきものが落ちたようにすっきりした気分になった。勿論、寂しいけど、全てが上手くいくような、そんな明るい予感がした。そんな予感を感じさせてくれたのは、間違いなく薫さんだった。
薫さんの連れて行ってくれた喫茶店は薫さんの言う通り、味の方も抜群で、その後は薫さんの楽しい話を沢山聞きながら、美味しい料理を堪能した。
楽しい気分で薫さんと別れた後、オレは一人、その辺をぶらぶらしてから一のいるアパートへと戻って行った。
いつも読んで下さって有難うございます。
次回(来週の月曜日)、最終話になります。ぜひ、最後まで読んで頂ければ、嬉しいです。
ふと、気付いたら、小説を書き始めてから1年が過ぎていました。うわぁ、もう1年たったんですよ。でも、あまり成長をしていないような気がします。しくしく……。
只今、次回作を作成中です。