第5話 4月-5
奴はオレとタケルという少年を間違えてあんなことをした。ってことは、タケルという少年が奴の彼氏なんだろう。
オレのせいで二人が別れることになったら胸糞悪いじゃないか。
オレが誤解を解くしかない。今の奴じゃ役に立ちそうにもないし。
オレはアパートを出ると、闇雲に走った。タケルが行きそうなところなんて皆目見当もつかない。
もう既に夕方で、肌寒くなって来ていた。昼間は温かいのだが、夕方以降はまだまだ冷える。
タケルは薄着だったように思うので、早いとこ連れ帰りたかった。
昼間のんびりとした公園の前を通りかかった時、ベンチに座っているタケルを見つけた。ふぅっと大きく息を吐いてゆっくりと公園の中に足を踏み入れた。
オレがタケルの前に立つとパッと顔を上げ、奴でなかった事に落胆の表情になる。そのあと、オレがさっき奴とキスしていた人物と解ったのか、鋭い目で睨みつけて来た。
「僕の一を取るな、一は僕の恋人なんだ」
「あの、ちょっと待て、誤解なんだ。あいつはオレとあんたを間違えたんだ。あんたタケルっていうんだろ? あいつがキスしている時にタケルって呼んでたんだ。決してオレにキスしようとしたんじゃないんだよ」
「君は誰なの? どうして一の部屋にいたの?」
タケルは今にも泣き出しそうな苦しそうな声でそう言った。
「オレは昨日からあそこに越して来たあいつの同居人だよ」
「同居人と浮気…」
「だ〜か〜ら、誤解なんだって。ほら、あいつ女嫌いなんだろ?」
「そうだけど……」
それが今何の関係があるのさ、と言いたげな顔でオレを見上げる。
「オレは女だ。あいつがオレを好きになるわけがない」
タケルはオレを見て絶句していた。きっとオレがとても女に見えないと思っているに違いない。
「何なら脱いでやろうか? ついてないぞ。オレ、こんなんだけど、正真正銘女だ」
まだ、タケルは半信半疑といったところだった。こんな時には自分のこんな見なりも、こんな話し方も恨めしく思うものだ。
髪でも伸ばしてみるかな……。そうすれば少しは女に見られるようになんのかな。
「タケル!!!」
奴の声が聞こえて振り返った。
やっと正気を取り戻したらしい奴がそこに立っていた。
「本当に俺の間違いなんだ。タケルと間違えてしたことなんだ。この間話しただろう? 女の子の同居人が来るって。それが彼女なんだよ。タケル、ごめんな。間違えとはいえ、お前に不愉快な思いさせちゃったな。どうしたら許してくれる?」
「本当に間違えただけ?」
ああ、と奴は答える。
「じゃあ、僕だけが好きなの?」
「ああ、タケルだけだよ」
「ふふっ、なら許す」
タケルは奴に笑顔を向けた。どうやら一件落着なようだ。ホッと胸を撫で下ろした。
「んじゃ、オレ買い物寄って帰るから」
あとは若いもんでじゃないけど、やはりここいらで邪魔者は退散するに限る。
「何言ってんだ。俺も行くよ」
必然的にタケルもその後をついて来る。
先に帰ってりゃいいのにと、奴に避難の目を向ける。
「別に先に帰ってればいいだろ?」
「一人じゃ危ない。それでも一応女なんだからな」
一応とはなんだ、一応とは。本当に失礼な奴だ。しかも、たった5分や10分で着く距離に危ないもないもんだ。人通りが極端に少ないところでもないんだし。こいつの考えていることはよく解らない。
「今日は何作ってくれんの?」
「いや、まだ決めてない」
「じゃあさ、俺肉食いたい。肉!」
奴の頭に犬の耳が、そして尻尾さえ見えた気がした。
大型犬に懐かれた? もしや、オレはこの野良犬を餌付けしてしまったのだろうか?
「君も食ってくんだろ? 肉は好き?」
少し後ろを歩いていたタケルに声をかけた。ちょこちょこと後をついて来るひよこを連想させた。
「はい。大好きです!」
うわぁ、この子本当に可愛いな。余程肉が好きなのかタケルの目はキラキラと輝いている。オレなんかよりよっぽど小さくて、可愛らしくて、女の子みたいだ。オレの中で男っていったら、でかくて、力強くてってイメージがあったけど、こんな女みたいな男も世の中にはいるんだな、とオレは妙に感心してしまった。オレとタケルが性別を入れ替えればいい感じなのになって思ってしまった。
オレ達は、買い物が終わるとアパートに戻った。
結局、今日は生姜焼きになった。男共二人はしきりにステーキと騒いでいたが、そんな金はオレ達にはない。
親から生活費は毎月振り込まれてはいるが、最低限の額しかもらえないので、そんなに贅沢はしていられないのだ。昨日は、奮発してピザを頼んでしまったのだし、自重するべきなのだ。奴はそんなことなどお構いなしで我が儘なんぞを言って来る。酒が飲みたいだとか。高校生のくせに……。オレは強引に酒は土曜日だけと約束させた。
オレが台所で調理している間、居間では怪しげな雰囲気。
頼むからイチャイチャするのは余所でやってくれ。
しかしながら、そうは思うものの、男同志のラブというものには興味深いものがある。下衆な男のラブシーンなど頼まれても見たくはないが、ここにいるのはイケメントと、男とは思えないほど可愛らしい子なのだ。見たくないけど、見たい。複雑な心境だ。
そんな邪まな気持ちを抱きつつも、調理をする手だけはてきぱきと動いていた。
「つばさ、何か手伝おうか?」
「うわっ」
居間でいちゃついているとばかり思っていたので、急に奴に声を掛けられて、フライパンをひっくり返しそうなほどに驚いた。
「んだよ、びっくりさすなよ」
「また人をお化けみたいに。びっくりなんてさせてないよこっちは。つばさが勝手にびっくりしただけでしょうよ」
「だってお前居間でいちゃついてるんだとばかり思ってたから……」
驚きで心臓がドキドキしていたが、それが徐々におさまり、返事をしながら肉を焼く事に専念する。
「ま〜た、お前って言う。いつになったら一って呼んでくれんのかな」
「ああ? そのうち気が向いたらな。それよりこっちは一人で平気だから、彼の相手してろよ」
オレはフライパンを見ながら奴の相手をするのが面倒になり、投げやりにそう答えた。
「ちぇっ、つばさが一人で寂しいかと思って来たのに」
「ああ、お気遣い感謝する。でも、全く寂しくないから」
いい加減向こうへ行けと、右手をしっしっと振ってみせた。
つれないなぁ、と文句を言いながら奴は居間に戻って行った。
料理も出来、三人で談笑を交えながら夕飯を食べた。
二人は同じ高校の同級生で、付き合って一年くらいになるそうだ。高校はオレが通う女子高の隣にある男子高だそうだ。この事実は、タケルに教えて貰って初めて知ることとなった。思えばオレと奴は自分自身のことをあまり話していなかった。知っているのはお互いの名前ばかり。
タケルは適度にお喋りが好きで、適度に気が利いて、適度に優しかった。男にしては少し頼りない感じがするが、女の子だったなら完璧だったのにってうっかり思ってしまった。きっとタケルは可愛いとか女の子みたいって言われるのが嫌なんだろう。タケルは、男子校の中で恐らくオレと同じ位置づけにあるんだと思う。オレが女子高の中の唯一の男的な存在であるように、タケルは男子校の中の唯一の女的存在なんだろう。
タケルは凄く素直だった。奴が大好きだって気持ちを体全体で表現しようとする。見ているこちらが気持ち良くなるくらいにそれはストレートでなおかつ力強いものだった。こんなに純粋な子を今時見つけるほうが困難だと思う。
オレはタケルを好きだと思うと同時にそんなタケルを酷く羨ましく思った。オレは産まれた時から男になろうとしてきた。心では自分が女だと理解していたが、それを無理に見ないように。そんな風にしていたから自分を表現する方法を忘れてしまったのだ。
本当のオレは一体どれなんだろう?
そんな疑問が常に存在していて、タケルを見ていると焦りのようなものを感じてしまう。好きだけど、疎ましい。タケルを見ると心が急いてくる。きっとオレが自分自身を見つけられないからそう思うんだろう。
オレは女だ。肉体的には。じゃあ、精神的にはオレは男なのか? 女なのか?