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第49話 2月-4

「おやすみ」

 そう言ってオレは目を閉じた。

 目を閉じると、久美の怒声や恐ろしい顔がまざまざと浮かんでくる。直接関わりを持っていなかったオレですらこんな嫌な気分ならば、横で目を閉じている二人はもっと苦しみが深いに違いない。

 オレは堪らず目を開いて、顔を一の方へ向けた。一もこちらを向いて目を開いていた。暗闇で目が合ってオレは驚いた。

「一、眠れないのか?」

 幸一を起こさないように小さな声で言った。

 幸一のスースーという小さな寝息が聞こえてきていた。以前に幸一に聞いた事があった。刑事柄、どんな辛い時でも寝る時間には眠るように体がそうなっている。だから、今、幸一がすんなりと眠りに入っていたとしても、幸一が傷付いていないとは言えない。

 一は僅かに頷いた。

「つばさ。抱き締めてもいい?」

 殆ど聞こえないような声だった。だが、オレには一が言いたい事がよく解った。

 コクっと今度はオレが頷いた。それを見ると一は口元を少しだけ上げた。

 一が片方の腕をオレの首の下に回し、もう片方を背中に回した。そして、ぐいっと引き寄せた。オレは一の胸に頭を埋めた。一の手はとても冷たかったが、体は驚くほどに温かかった。

「あったかい」

 オレはぼそりと呟いた。うん、と一が頷く。一の心音が心地良くオレの耳に届いた。一の温もりがついさっきの恐ろしい記憶を一時的に柔らかく溶かしてくれる。

 一も同じように感じてくれていればいい。

 オレは顔を上げて一の顔を覗き込んだ。一もオレを見ていたみたいで、ドクンと心臓が震えた。

「落ち着く。つばさとこうしていると凄く落ち着くんだ。絶対今夜は眠れないって思ってたけど、なんだか眠れそうだ」

 一の微笑みにオレは息をするのを忘れた。その時の一の表情がとても神々しく、輝いて見えて、オレはそれに目を奪われたのだ。呆けているオレの額にチュッと口づけをした。それは、神からの口づけのようだった。若しくは天使からの口づけだっただろうか。それはとにかく神聖なもので、心地よく、何よりも優しかった。オレは神だか天使だか解らない者に抱かれて深い眠りについた。勿論、それは一だったのだけれど、感覚的にはそうだったのだ。


 翌朝、目が覚めると、目の前には一の寝顔があって、あまりの近さに驚いたが、その寝顔があまりに可愛らしかったので、ずっと見ていたいほどだった。ふと、昨夜は二人だけではなかった事に気付く。

 あれ、幸一は? こんな二人でぴったりと抱き合っている所を目撃されてしまったのだろうか? 

 起き上がろうとするが、一の腕がしっかりオレを捕らえ、どうにも動けない。

「一。こら、放せってば」

 腕を解こうにもびくともしない。

「う〜ん、つばさぁ」

 寝ぼけてより一層俺を抱き寄せ、オレの唇を舐める。寝ぼけてるくせにその行為はいつものように優しく、少し強引だった。そのままずるずる引き摺られそうになる理性を律し、一の頬を思い切り抓った。

「いてててててっ」

 痛みに驚いた一がやっとオレを解放した。体を起こすと、一の向こう側に寝ていた筈の幸一の姿は既になかった。

 朝一番で出ると言っていたから、もう行ってしまったんだろうか?

 布団を敷く為に端に寄せてあったテーブルの上にまたしても置き手紙が置いてあった。

 その置き手紙を読むのはちょっと嫌だなと思った。きっと二人が寄り添って寝ているのを見ているだろうから、なんて書いてあるか見るのが少々怖い。

「一、幸一さん。もう帰ったみたいだ。また置き手紙置いてあるぞ」

 一は眠そうな目を擦りながら起き上るとそれを開いた。

 そこには長い文が記されていた。


『一、俺は仕事があるので帰ります。お前には苦労をかけて本当にすまなかったと思っている。

 久美は本当にお前の産みの母である恵にそっくりだった。俺は恵を心から愛していた。彼女が亡くなった後、俺は心に穴が開いたような気がしたよ。その穴に気付くのが怖くて仕事に没頭することしか出来なかった。お前には寂しい想いをさせてしまったね。それも解ってはいたんだ。だが、その当時の俺には悲しみが深すぎてどうしてやることも出来なかった。そんな時に久美に出逢ったんだ。あまりに恵にそっくりで幽霊かと思うくらいだった。当時久美は性質の悪い男と付き合っていて、その男は道端を歩いていた酔っ払いのサラリーマンを殴り殺してしまった。その男は重度の薬物中毒だった。そして、当時久美もまた薬物に依存していた。俺は恵と同じ顔の女性が薬物に依存し、死んで行くのを黙って見過ごすことはどうしても出来なかった。薬物専門の病院に久美を入れ、俺は何度も面会に行った。そのうちに俺は久美を放ってはおけなくなってしまった。それが恋なのか愛なのか、それすら解らなかった。ただ、久美を傍に置いておきたかった。俺は久美が退院することが決まった時、プロポーズをした。あの時、久美がどんな気持ちでいたのかは解らないが、久美は笑顔に涙を流しながらプロポーズを受けてくれた。幸せになれると思っていた。三人で幸せに。初めて一が久美に襲われたあの当時、久美は薬物をやっていた。薬物を再び始めた久美は一を傷つけるようになった。俺はそれに気付かなかった。久美が再び薬物に手を出したんじゃないかと疑ってはいた。だが、一にしていたことにまで注意が行かなかった。無力な自分に嫌気がさしたよ。刑事なんてやっていたくせに自分の家庭のことにはてんで気付けなかったんだから。この償いは一生かけてするつもりだ。

 長い文をだらだらと書いてしまってすまない。

 P.S つばさちゃんと想いが通じて良かったな。一が好きになった女の子がつばさちゃんで良かった』

 

 オレが知らなかったのは言うまでもないが、一も知らなかった事実がそこにはあったようだ。

「あの人が俺を襲う時、いつも真っ赤な目を大きく見開いて、尋常じゃないように見えた。あれは薬物のせいだったんだ。俺も一度何か薬のようなものを呑まされたことがある。それを呑んで激しく吐いたんだ。今思えばあれは薬物だったんだ。あの時、あんなに俺の体が薬物を拒絶しなければ俺は今頃薬漬けにされていたかもしれない。あまりの俺の反応に怖くなったんだろうと思う。何しろ死にそうなほどだったから。薬物を飲ませたなんて下手に病院にも連れて行けないしね。俺はそう考えればラッキーだったんだ。俺には父さんがいるし、つばさもいる。つばさと出会えたことが俺の人生で一番のラッキーだよ」

「一は自分の人生、恨んでないのか?」

「恨んだ時もあったよ。少年時代は寂しかったし、辛かった。義理の母親には酷いことされるし、それがトラウマみたいになって女嫌いになっちゃったしね。自分がこの世の中で一番不幸なんじゃないかって本気で思ったよ。でも、父さんもいたし、伯父さんもいい人だったし、何よりつばさに会ってからの俺は幸せだよ。今までの分を全て取り戻してるみたいに今が幸せなんだ」

 オレは一のパジャマの袖をギュッと掴み、そっと顔を上げ、一の目を見た。

「一のこれからの人生は、ずっと幸せだよ」

 オレはありったけの想いを込めて、断言した。

「つばさ。いつか、俺が学校の先生になれたら、俺と結婚して下さい」

 一の緊張が伝わって来る。一の真剣なプロポーズだった。一瞬にして部屋の中が緊張感に満たされる。

 小さい頃に描いていたロマンチックなプロポーズではないかもしれない、ムードたっぷりな雰囲気ではないかもしれない。だけど、そこが海辺のカフェでなくても、オレは心底嬉しかった。この部屋はオレ達二人がずっと一緒にいた場所だから、オレが一を好きになった場所だから、オレ達にはここが最も相応しいような気がした。

「はい」

 短いけれど、心の籠った一言だった。一に勢い良く抱き締められる。

「つばさ、好きだ。大好きだよ」

「オレも」

 一の胸に隠れて顔が見えなかったから何なく言えた一言。なのに一はオレから体を少し放して、顔を覗き込んで来た。真っ赤な顔を見られたくなくて、オレは顔を背けた。だが、一はそれを許してはくれなかった。強引に顔を両手で挟まれて、正面に顔を向かせる。一の顔が目の前にあった。今すぐ逃げ出してしまいたと思うほどに心臓が高鳴っていた。体全体が真っ赤に染め上げられているように感じてならなかった。

「つばさの口から好きって聞かせて欲しい」

 そんな無理難題を……。そうじゃなくても恥ずかしいのに。

 だけど、オレを見つめるその瞳はその言葉を切望し、悲しそうな色が浮かんでいた。大切な言葉なんだ。伝えなきゃならない時だってある。恥かしいからって言葉にしなければ、一は不安になるかもしれないんだ。

「大……好きだよ」

 恥かしくて消えてしまいたかったけど、その言葉を聞いた時の一の嬉しそうな顔を見たら、恥しくても言ったかいがあったってもんだ。

 見つめ合い、恥かしげに笑い合った。くすぐったい、変な感じだった。でも、凄く幸せな気分だった。

 額をくっつけ合って、一の目を覗きこんだら、あまりに近くて目がくっ付いて見えた。それが可笑しくてまた笑った。そして、唇を重ねることで確かめ合った。お互いの気持ちを。好きで好きで仕方なくって、愛しくて愛しくて仕方なくって、幸せで幸せでどこか怖くって、そんな感情が溢れて来て、なぜか涙が出て来た。それは、楽しかったり嬉しかったりした時の気持ちの高ぶりで溢れて来たものだった。一を好きすぎていてもたってもいられなくて。自分の気持ちをどうしたらもっとちゃんと伝えられるのかが解らなくて癇癪を起しそうだった。「好き」だけじゃ足りない。だけど、その術をオレは知らない。

「人に気持ちを伝えるのって難しい。好きだって言っても、そんな言葉だけじゃ足りない。大好きよりももっと強い気持ち。この気持ち、どうしたら伝えられるのかな? オレ、いつの間に、こんなに一を好きになっていたんだろう」

 一の首に巻き付いてそう言った。

「俺はずっと好きだった。つばさがどんな男に近づくのも嫌だった。つばさは、鈍いから俺の気持ちに全然気付いてくれなかった。いつも言っていた好きって言葉は全部本気だったのに。中々伝わらなくて、つばさには変な虫がつくし、結構焦ってたんだ」

 ごめん、とオレは小さな声で謝った。

 オレと一、どっちの気持ちが強いかなんて解らないけど、もしオレと一緒だったら、沢山ヤキモキしていたんだろうと思う。自分もその気持に気づいてからは一のそんな気持ちもよく解る。

「これからは一だけだから。一しか見ない。他の人が入る隙なんてない。だから、オレを信じて」

「つばさのことはいつだって信じてるよ」

 その日オレ達は一日中くっついていた。色んな話をして、沢山笑って、沢山キスをした。楽しくて、時間が止まってくれたらいいのにとそう思っていた。


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