第45話 1月-5
そんな事をぼんやり考えていたら、一の顔が間近にあり、心配そうにオレの表情を窺っていた。
「何でもないよっ。……一。義理の母親がここに来たらどうするんだ?」
気になっていたことを口にする。こんな話し本当はしたくないかもしれない。だけど、オレ達にとってとても大事なことだ。
「きちんと向き合うよ。一生怯えて生きて行くわけにはいかないからね。俺にはつばさがいてくれるから、立ち向かえる気がするよ」
一の中に大きな恐れがあるようだ。それでも、向き合うと一が決めたのであれば、オレは一を支えてあげたいと思った。一は深く傷つくかもしれない。今までにないほどの傷を負うかもしれない。だけど、これはきっと避けては通れないいばらの道なんだって思える。オレがどこまで一を支え切れるか定かではない。でも、オレは決めたんだ。どんなことになろうと一の傍を離れないと。一人には絶対にさせないと。世界中を敵に回しても、オレだけは一の見方であろうと。
「大丈夫だ、一。一緒にいるから」
一がオレを胸に抱いた。一の中には不安と希望があって、その二つの間をゆらゆらと揺れているようだ。
一の義母がどんな人なのかは知らない。だけど、一をその人には渡せない。どんなつもりでその人が一を犯したのかは解らない。もしかしたらそこには、歪んだ愛があったのかもしれない。その人は一を愛していたのかもしれない。それでも、どんな理由があったとしても、一に忘れられない傷を残したその人をオレは許す事は出来ない。そんな愛オレは認めない。認められない。
その夜、一はオレのベッドで寝た。ただ、お互いの温もりを確認する様に絡み合って。まるで、母親のお腹の中にいる双子の赤ん坊のように。一の胸はとても温かくて、本当はこれからもしかしたらあるであろう戦いのようなものが、実際にはそんなもの存在しないんじゃないかと思わせる位に安心させてくれた。オレと同じように一もそう思ってくれているといいのだが。一の顔を覗き込むとスースーと規則正しいいつもと変わらぬ一の寝息にオレは再び安心して、瞳を閉じた。夢は見なかった。一に守られて、不安な夢を見ることはなかった。
翌朝、目覚めると幸一の姿はなかった。
居間のテーブルの上に置き手紙がその存在をアピールするかのようにちょこんと置いてあった。
『二人仲良く寄り添って寝ていたので、俺はこっそりと帰ることにします。つばさちゃん、一をよろしく頼みます。君が未来のお嫁さんであることを俺は強く望みます。
P.S 二人で仲良く寝ていたってことはつばさちゃんのお父さんには黙っておくから安心してね』
見られていた。完全に幸一に見られていた。恥かしい。とにかく、恥かしい。オレは頬を赤らめ、一の表情を窺った。一の頬も心なしか色づいて見える。
「見られてたみたいだな。それに嫁ってどんだけ気が早いんだよっ。な?」
嫁って、うちの親父が聞いたら卒倒しそうだ。娘を持つ父親は娘を嫁に出すのが、本当にイヤみたいだけど。うちの親父も結婚とかなったら、オレの結婚相手を目の敵にしたり、無意味に結婚に反対したりするのかな。いや、思いっきりいやがらせとかしそうで、それが容易に想像できる自分に苦笑を洩らした。
「そうみたいだね。でも、つばさは覚えていないというか、気付いてなかったのかもしれないけど、一度プロポーズまがいなことを言ったことがあるんだけどな……」
「ええっ? いつ?」
オレの中にそんな記憶は全くなかった。いつも好きだ好きだとふざけて言っていたから、何か重大なことを言われたのに軽く流していたのかもしれない。でも、それは一の日頃の行いが悪いんだから仕方のないことだ。あんなにおふざけで(おふざけと感じさせる軽さで)何度も好きだと言っていたら、誰だって信じないだろうよ。うん、そうだ。オレは悪くない。一の愛情表現は一見解りやすそうで(傍から見たら丸わかりなんだろうが)、当事者にしてみれば全く理解出来ない。
「やっぱり覚えてない。まあ、いずれまたするからいいんだけど」
んん? 今、さらっと凄いことを言われた気がするのはオレの気のせいか。
「するのか? オレにプロポーズを?」
「するよ、勿論。俺はつばさを愛しているんだから。つばさはイヤなの?」
そんなに真剣に先のこと前考えていたなんて知らなかった。オレはまだ自分の恋心にやっと気付いたばかりで、二人の恋がやっと始動したばかりで、自分達の未来に想いを馳せるほどの余裕は全くなかった。現実のことで精一杯で。だけど……。
「イヤとかじゃなくて、急でびっくりした。ってそうじゃなくて……、嬉しい」
そう、ただ一がオレのことを真剣に考えてくれて、真剣に未来を描いてくれていたことが嬉しかった。
「でも、その前にあの人のこと、けじめをつけたい。けじめつけて過去を清算したいんだ。もう、あの人から逃げ回りたくない。そうじゃないと、俺はこの先本当に幸せにはなれないと思うから」
オレは無意識に一の手を強く握っていた。必ずあの人はここに来る。そんな予感がした。