第44話 1月-4
一が女嫌いになる理由を作った義母が幸一の元を去った。やっとさっきの一と幸一の話の内容が理解出来た。幸一は義母が一の元に来ると思っている。そして、一はそれを恐れているんだ。
「嫌いにならないでっ、つばさ。俺を嫌いにならないでっ」
一の目には涙が、その一粒がぽとりと落ちた。
「何で? 何でそんな風に思うんだよ」
悲しみと怒りが同時に湧き上がって来た。
「今の話の何処に一を嫌う要素があるんだよ? 馬鹿にすんなよ、そんなことで嫌いになったりしない。悪いのは一じゃないだろ。もう、これ以上傷つくなよ。もう充分だ。充分だよ」
悔しくて涙が出て来た。一は驚いてオレを見ている。
「一、好きだよ。話を聞く前も聞いた後も何も変わらない。オレは一が好きだ」
涙が止まらなかった。こんな風に自分の気持ちを告白するつもりはなかった。もっと落ち着いた気持ちで、伝えたかったのに。だけど、今、一に伝えたいとそう思ってしまったんだ。
「つばさ、それって。その好きは男として? 俺の彼女になってくれるって事?」
「だあっ、聞くなよ。そこは、察しろよ」
毒づいて、恥かしくなって下を向いた。オレにとっては初めての告白だった。もっと上手く伝えられれば良かったんだけど。それに、言った後がこんなに決まり悪いものだなんて知らなかった。
ふわっと温かいものに包まれた。一に抱き締められたのだ。
「つばさは、本当に俺のこと嫌いにならない? 俺の彼女になってくれるの?」
「嫌いにならない。もう、一のこと好きになっちゃったんだ。今更、嫌いになんかなれない。一の彼女になるよ」
「そっかぁ」
そう呟かれた一の声は、とても嬉しそうで、オレも嬉しくなってきた。
「俺もつばさが好きだよ」
嬉しかった。お互いに同じ気持であるってことがこんなに心躍る事だったなんて夢にも思わなかった。一の胸に耳を押し当てると、一の心臓が凄まじい速さで脈打っていた。
「一、ドキドキしてるのか?」
「してるよ。つばさといる時はいつもしてる。つばさは?」
「オレもしてる。自分の気持ちに気付いてからは、ずっとドキドキしっぱなしだった。心臓が壊れるんじゃないかって思うくらい」
一は自分の耳をオレの胸に押し当てた。びっくりしたけど、その行為にイヤらしさは全く感じられなかった。
「本当だ。つばさもドキドキしてる。嬉しいな」
「嬉しい?」
「ああ、好きな子が自分の為にドキドキしてくれるのは心底嬉しいよ」
一が顔を上げたら、凄く間近にその端正な顔を感じた。一は大きな笑顔をしていて、それがあまりに美しくて――まるで神の使いのような美しさを感じて――、オレは見惚れた。瞬きも忘れて。ぼおっとしているオレを見て一が目を細めた。そして、小さなキスをした。今までで一番短いキスだったかもしれない。だけど、今までで一番熱かった。頭の芯に電気が走ったように痺れた。このキスで一がオレの中に何かを刻み込んだように感じた。それは、一のオレへの気持ちのようなものだったかもしれない。それは、間違いなく生涯忘れる事の出来ない宝物のキスだった。ほんの小さなキスなのにとても大きい。オレは一の瞳の中を見ていた。そして、とても自然に、お互いに引き付け合うように唇を重ねた。そうすることが、今の二人には一番自然だった。
軽いキスと深く熱いキスとを何度も飽きることなく繰り返した。キスをすればするだけ、満たされた気持ちになった。
「つばさ。俺のことが好きだっていつ気付いたの?」
キスの合間に一がオレに問う。唇が一瞬放れたその隙に。
「んんっ、オレが……、んっ」
答えようとするのに、口を開こうとすると一の唇がすぐさまそれを塞いで、思うように言葉を出せない。
「教えて、つばさ」
「だから……んんっ、オレっんっ……がっ…」
どうしても喋らせようとはしないようだ。一の瞳を見れば、悪戯している子供のように輝いていた。わざとやってるんだ。オレを困らせようとして。なら、教えてやらない。
「一には……んっ、教えない……んんっん」
そう言うと、一はチュッと大きな音を残してオレの唇を解放した。
「教えて、つばさ。聞きたい」
オレの瞳を覗き込んでそう言った。今更、そんな事言ったって教えてやらない。そう思って顔を背けた。すると、一はオレの耳元に唇を当てて、こう言った。
「ねぇ、つばさ。教えて、お願い」
間近に感じる一の声。言葉を発するたびに微かな息がオレの耳を擽る。膨れたオレを宥める為に一がわざとしかけたことだと解っていても、そのくすぐったさに負けてオレは笑いだしてしまう。
「ずるいぞっ」
「つばさが教えてくれるまで、悪戯するよ。だから、教えて」
また何か仕掛けて来ようとする一の気配にオレは降参する。
「解ったってば。去年の12月だったかな、オレが頭を打った事があっただろ? あの時、オレこのまま死ぬのかもしれないって本気で思ったんだ。その時、死ぬかもって思って、意識がなくなる寸前に思ったのは一だった。あの時オレは一の名前をずっと呼んでた。離れたくないって思ったんだ。死ぬって思った直前に気付いたんだ自分の気持ちに。この好きって気持ちは、友達や家族のものと違うんだって。そんな生半可なものじゃなかった。自分でも驚くほどに強い想いだった」
「そんなに前に気付いてくれてたなら、すぐに言ってくれたら良かったのに」
一が唇を尖らせていじけた子供みたいな表情をしてそう言った。
「言おうと思ったんだ。イブの日に、プレゼントを渡した後にオレ言うつもりだった。だけど、緑川と絵里が来たから言えなくなった。一度チャンスを逃しちゃうと、今度はいつ言えばいいのか解らなくなっちゃったんだ。ごめん、遅くなっちゃってごめん」
本当に、もっと早くに伝えられれば良かったと思う。一はずっと待っていてくれていたのだから。
「本当はね。何となく気付いてたんだ。あの事故のあたりから、何となくつばさの雰囲気が違うなってね。俺のこと少しは好きになってくれたのかなって、期待してたりした。でも、自信はなかったし、自分から聞くのは怖かったから、だから、待ってたんだ。俺の過去のことを聞いたら、嫌いになってしまうかもってそんな怯えもあった」
「嫌いにならない。自分でも驚くくらいに強い気持ちが、オレの中に隠れてたんだ。その気持を知ってしまった後にどんな一を見せられても、嫌いになんかなったりしない。例えば、一が過去に人を殺してしまったって聞かされたとしても、その気持が変わることはないよ。もしかしたら、一よりオレの方が好きって気持ち強いかもしれない」
自分の気持ちが呆気ないほどするりと口をついて出てくる。どうやって自分の気持ちを伝えたらいいのか解らなかったのが嘘のようだ。
「絶対に俺の方がつばさを好きだよ。それは、負けないよ。ずっっっと好きだったんだから」
「そんなの時間は関係ないだろう? オレの方が負けないよっ」
オレは一を睨みつけて、そして、吹き出した。こんなことで、争って馬鹿みたいだって思った。どちらがより強い気持ちをもっているなんて、どんなに言葉にしても目に見えないんだ。気持ちってよく考えたら、凄く不思議だ。好きって気持ちが確かにオレの心の中にあるのに、それはどう頑張っても見ることが出来ない。自分の気持ちの大きさや重さは自分ですら解らないんだ。自分の気持ちがもし見えていたら、どうだっただろう。確かに解り易いかもしれない、だけど、何かそれはつまらない気がする。オレは、自分の気持ちが解らなくって、一への気持ちが解らなくって大分悩んだ。その仮定がなくなるのは、つまらないことだと思う。悩んで、考えて、答えを導き出して、その結果がどうであれ、それによって人は学習するんだ。そして、成長する。