第41話 1月-1
早いもので新年を何の騒動もなく迎えた1月。
既に冬休みを終え、新学期が始まっていた。高校3年生の3学期。オレ達が学校ですべきことはそう多くない。オレは11月に専門学校を合格しているので、あとは卒業を待つばかりだ。一も推薦入試を既に合格しているので気楽なものだ。
一般入試を控えている、若しくはセンター試験を控えている者たちにとっては正念場なのだ。絵里が今まさにその渦中にいる。絵里は女子短大を受験するつもりでいる。うちの学園もエスカレーター式で女子大、女子短大に進むことが出来るが、絵里が望む学部がないという理由で敢えて他の短大を受験するのだ。夏希は一同様推薦で進学先をあっさりと決めていた。緑川は一情報によれば、センター試験を受ける為、いつになく真剣に勉強に励んでいるそうな。絵里と緑川は当分ゆっくりデートも出来ないのだ。嘆いている暇さえもない、と絵里は逞しく語っていた。
ある夜、居間で一と並んで寛いでいると、突然大音量のメロディが鳴りだし、オレはびっくりしてぴょんっと飛び上がった。一の携帯の着信メロディだった。一も驚いていたようだが、眉毛がぴくりと上がった程度だった。
「もしもし、ああ、うん。……二人とも元気でやってる。えっ? 俺はいいけど、父さん一人? あの人は? ……そっか、ならいい。……ああ、解った今代わる」
一がオレの前に携帯を差し出した。オレが首を傾げるとこう言った。
「うちの父さん。つばさと話したいって」
オレは頷いて携帯を受け取った。
「もしもし、代わりました、つばさです」
『もしもし。久しぶりだね、つばさちゃん。と言っても会ったのはうんと小さい時だったから君は覚えていないだろうけどね。一がお世話になっているようでありがとう』
一に似た声が携帯ごしから聞こえてくる。一の声にとても似ているが、その声に大人の落ち着いた雰囲気が感じられる。そして、懐かしいような声。
「お久しぶりです、おじさん。うちの両親の話でよく出ていたので、そんなに会っていない感じはしないです。一には、いつもこちらの方が助けられてます。オレの方がお世話になってます」
『おじさんって言われるのは抵抗があるね。一応これでもまだまだ若いつもりでいるのでね。是非とも幸一と呼んでくれないかな。それにしても、君達が仲良くなってくれて本当に良かったよ。去年の夏だったかな、つばさが危ないって血相変えて一が俺の所に来た時には本当にびっくりしたよ』
その場面を思い出したのか、くくくっと可笑しそうに笑いながらそう言った。
「えっっと、じゃあ、幸一さんって呼びます。その節は、有難うございました。お陰で助かりました」
『いやいや俺は何もしなかったんだよ。一にほんのちょっとヒントを与えただけだからね』
「それでも、助かりました」
幸一さんは、嬉しそうに笑っていた。その笑い方もどことなく一に似ていた。隣りに一がいなかったらその声がどちらの声なのか間違えてしまうかもしれない。
『実はね、遅ればせながら冬休みを取ることになってね。今月末にそちらに行こうと思っているんだが、そこに泊まらせて貰ってもいいかな?』
「オレの方はお構いなく。お待ちしてます」
『そうか、良かった。それじゃよろしくね』
そう言うと通話は突然切れてしまった。オレが何かを言うのも待たずに。
「幸一さん。来るんだな。今頃、休みだなんて警官も大変だな?」
「幸一さん? 父さんがそう呼べって言ったんだろ? なんかムカつくな」
ぼそりと一が言った。もしかして、一……自分の父親にやきもち妬いているんじゃ? そんな一が可愛くてつい笑ってしまった。
「警官ってさ、年末年始は忙しいんだ。みんな忘年会だ、新年会だって酒飲んで破目外すからな。事件事故が多いんだ。だから、一般的に皆が休みに入る時期に休みは取れないんだよ」
そういえばよくテレビで『警察24時』みたいなドキュメンタリー番組をやっていたりする。
そして、1月の終わり、一の親父幸一はアパートを訪れたのである。
幸一は一がそのまんま歳を重ねた感じで、いい感じに色気がある恰好良い男の人だった。きっと、何年も経ったら一もこんな感じになるに違いない。電話だとそっくりに感じた声だったが、生の声を聞くと、幸一の方が幾分低いようだ。一の隣に立つと、一の方が少しだけ背が低い。それだって一が185cmを超えているんだから二人に見下ろされると威圧感がある。
「俺はまだ成長期なんだからな。父さんの背なんかすぐに抜くよ」
「か〜、複雑。親ってのは子供に自分を追い抜いて行って欲しいって気持ちと、子供にはまだ負けたくないって気持ちの両方を持ってるんだよ。一に抜かされたいって気持ちもあるけど、まだ見下ろされたくはないな」
その言葉のとおり嬉しそうに笑っているのだが、ほんの少し寂しそうでもあった。幸一はオレに気付くと、すたすたと歩いて来たと思ったら突然きつく抱き締められた。それを見た一が血相を変えて飛んで来た。
「何やってんだ、糞親父っ!!! オレのつばさに触んなっ」
幸一の腕をオレから無理矢理引き剥がしながら怒鳴った。
「あれれ、いつからつばさちゃんが一の物になったのかな? そうかそうか、一はつばさちゃんが大好きなんだな。やきもち妬くなんて可愛らしい」
「煩いっ。大好きで何が悪いんだよっ。子ども扱いするなよ」
可愛い可愛いと頭を撫でられ一は煩そうにそれを手で払いのけようとしている。
幸一が一の耳元で何屋を囁いていいる。一がそれを聞いて耳まで待ったにして、幸一に怒鳴り散らした。
「馬鹿かっ。そんな事やるわけないだろうっ」
一は幸一の前だと途端に余裕がなくなり、幸一に振り回される一を見るのは何だか新鮮で可愛かった。オレはそんな一が可笑しくて笑いだしてしまった。
「ほら、つばさに笑われただろう。父さんのせいだぞ」
「ええ? 父さん何もしてないよ」
一は幸一をぎろっと睨みつけていたが、幸一はそんな事痛くも痒くもないと言った感じだった。そりゃ、そうだ。幸一は刑事なのだ。強面の犯人なんかに睨みつけられるなんて日常茶飯事なんだ。一の睨みなんて蚊がとまったような些細なものなのかもしれない。
取り敢えず居間に落ち着いて、オレは人数分のお茶を出した。ありがとう、と一も幸一もそれを受け取りずずずっと啜った。
「ああ、女の子が淹れてくれたお茶は特別美味いな」
幸一はたまに途端にオヤジ臭くなる。親父ギャグっぽいことを口ずさんだりもする。勿論、立派な親父なんだけど、うちの親父と同じで若く見えるのだ。もう40代の筈なのに、30代に見える。人によっては20代に見えると言う人もいるだろう。
「ところで、一。母さんが姿を消した。こっちに来たり、電話は来ていないか?」
今までのおちゃらけた雰囲気がふっと消えて、厳しい表情となった。これが刑事の顔。職場での顔なのだろう。でも、何故自分の妻の話をするのにそんな厳しい顔をする必要があるのかが解らなかった。
一も途端に眉間に皺が寄り、苦しそうな表情を浮かべた。隣に座っていたオレの手を強く握った。オレは一の顔をちらりと窺ったが、何かに緊張しているようだった。
普通じゃない。そう思った。
自分の妻、自分の母親の話をする空気じゃない。例えばそれは凶悪犯が逃げ出した時のようなピリッとした妙な緊張感があった。