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第39話 12月-2

 その日の夕方、オレは考え事をしながら歩いていた。細い道なのだが、裏道なのか案外車が頻繁に通って行く。

 オレはぼんやりと物思いに耽っていて、周りの音さえも聞こえていなかった。前を見て歩いているように見えるかもしれないが、実際には何も見ていなかったし、見えていなかったように思う。

 オレが考えていたのは、一と夏希の事。そして、自分の気持ち。

 猛スピードで迫り来る暴走車、ふらふらと亡霊のように歩くオレ。

 一瞬の出来事だった。車が腕に僅かにぶつかり、オレはその反動で民家の壁に叩きつけられ、頭を打って意識を失った。これは、目撃者からの情報で(後で刑事さんに教えて貰った)、実際オレには何が起こったのか皆目見当もつかなかった。

 ああ、オレ死ぬのかも……とその時思った。その時、一番に浮かんだのは、名前を呼ぼうと口を開いたのは……。


「……一」

 気付いたらオレの目の前には一のどアップがあった。一の向うの白い天井、それから薬品の匂い。横になっていても感じる後頭部のほんの少しの鈍痛。

「ここは、病院?」

 一がこくこくと二回頷いた。

 何でオレ、病院にいるんだっけ?

 すぐには状況が飲み込めなかった。一の下がった眉毛を見て、オレは怪我をしているんだろうかと考えてみた。

「つばさ。先生呼んで来るからな」

 立ち上がった一の手を咄嗟に掴んだ。

「つばさ? 大丈夫。すぐに戻って来るよ」

 何でオレは一の手を取ってしまったんだろう。解らない。でも、遠くに行ってしまうんじゃないかって、もう戻って来ないんじゃないかって心配になった。

 一はオレに笑顔を見せて、オレを落ち着かせてから病室を出た。

 やがて、一が白衣を着た年配の医師を連れて戻って来た。簡単な質問を受けて、オレはそれに答えた。

「軽い脳震盪だから心配ないでしょう。念のため、脳に異常がないか検査してみましょう」

 オレは頷いた。

 検査自体もすぐ終わった。検査の結果に不審な点はなく、頭痛も大したほどでもないのですぐに帰って良いということになった。

 刑事さんとも少し話したが、相手はそのまま逃げ去ったようだ。実際、轢いたわけではなく僅かにぶつかっただけなので、相手は全く気付いていないとも考えられた。オレの方もそんな大層な怪我をしたわけでもなく、自分もふらふら歩いていたこともあるので、相手を探したりする必要はないと申し出た。刑事さんの方もそれで異論はないようだった。


 帰り道、一と手を繋いで歩いた。一がオレを心配して手を放そうとはしなかった。

 あの時の感情だけは、今も覚えている。あの時、死ぬかもと思ったあの時、その刹那、浮かんで来たのは紛れもなく、オレの手を取って気遣わしげに覗き込む一、その人だった。

 会いたくて会いたくて、このまま会えなくなるなんてイヤだって本気で思った。心の中で一の名を何度も読んだ。苦しくて息が出来ないほどの熱情。オレの中で燻っていた激情。あの時初めて、姿を現した。オレがどんなに一を好きなのかを気付かせた。こんなに簡単なことがこんな事がなければ気付き得なかったなんて、自分を情けなく思った。

 この感情は、友達のそれとも、家族のそれとも全く違う。全く異質なもの。それは恋情。オレは、一に恋をしていたのだ。

 考えていたものとは違う。もっと楽しいものだと思っていた。その人といれば嬉しくて、楽しくて、その人を思い出せば口元が勝手に緩んでしまう。毎日がバラ色のようで、何をするのも楽しくなってしまう。そんなものを想像していた。だが、現実は違う。そんな生半可なものじゃなかった。好きって気持ちがこんなに激しい感情だとは思わなかった。オレは恋愛ってものを嘗めてかかっていたのかもしれない。確かに一といるのは毎日楽しかった。でも、今感じている気持ちは楽しいだけではなくて、考えただけで胸が締め付けられるような切なさをも持っていた。いてもたってもいられなかった。

 一緒にいたい。話したい。見つめ合いたい。触れたい。抱き締めたい。抱き締めて欲しい。キスしたい。自分だけを見て欲しい。全部が知りたい。離れたくない。

 オレは自分の感情に戸惑っていた。オレの心の結界が壊れたように雪崩のように感情が外へ外へと出て行こうとする。止めたくても止められない。止める術を知らない。怖かった。こんなに強い気持ちを自分が持っていたことが。自分にもどうすることも出来ない暴れ出した感情が。

「つばさ? 頭痛いのか?」

 自分の感情に中てられたのか、オレはぼんやりとしていた。別に具合が悪かったわけではなくて、呆気にとられていたと表現した方が解り易いかもしれない。

 自分の気持ちが解ったのなら、次はどうすればいい? 

 オレは首を傾げた。そんなオレを不思議に思ったのか、一の顔がにゅっと目の前に現れたので、オレは驚きおののいた。

「うわっ」

 と叫んで後ずさったオレを見てケタケタと一が笑う。

「つばさ。やっぱり頭強く打った? 大丈夫?」

 このままではいけない。もっと今まで通りに自然に振舞わなければ。一を心配させてしまう。

 オレっていつもどんな感じだったんだろう? ああ、落ち着け。落ち着け、オレ。

「何でもない。元気だよ、オレは。心配ない。ごめんな、迷惑かけて」

 オレがそう言うと、心配そうに歪んでいた顔を緩めて一は笑った。

「つばさのことで迷惑だなんて思ったこと、一度もないよ」

 そうか、とオレは恥かしくなって鼻の頭をぼりぼり掻きながらぼそりと言った。

 自分の気持ちに気付いたら、その想いを一に伝えるべき……だよな? だけど、どうやって? オレはどうやって想いを告げればいいのだ。

 オレは隣りに一がいることも忘れて自らの頭をわしゃわしゃとかきむしった。

「何してんだよ、つばさ。やっぱり変だぞ。もう一度病院行くか?」

 オレは慌てて首を横に振った。一が疑わしげな表情でオレの顔を覗き込む。オレは一を安心させる為に笑顔を作った。だが、不自然な笑顔であったように思う。

 駄目だ。こんなんじゃ、なんか違う話しでもしよう。

「一はクリスマスの予定とかあるのか?」

「クリスマスはつばさと一緒にいたいと思っていましたが、駄目でしたか?」

 わざと丁寧に一は言った。でも、目は悪戯っぽく笑っていた。

 オレと? いや、驚くべき事じゃないんだろう。一はオレの事を好きと言ってくれているんだし。普通、好きな人と過ごしたいって思うだろう。けど、なんだろうこの感じ。心の奥深くがくすぐったいようなそんな感じ。

「いいよ。じゃあ、楽しいクリスマスにしような?」

 オレがそう言うと、一はオレと自らのおでこに手を添えう〜んと唸った。

「なっ、何だよ?」

急におでこを触られ、一の大きくて冷たい手を感じ、間近に一の端正な顔があることに動揺して、上擦った声を上げた。

「何かいつになくつばさが優しい」

 オレの態度を訝しげに思いつつも、それでも、嬉しそうに一は言う。

「別にいつもと変わらないだろ。そんな事言うんだったら一緒にいてやらないぞっ」

 え〜、と大袈裟に騒ぎ立てる一を無視して足早に歩を進める。オレは一に解らないようにこっそり微笑んだ。いつになくクリスマスを楽しみだと思っていた。

 好きな人が初めて出来た喜びとほんの少しの不安、好きな人と初めて過ごすクリスマス。期待と不安が入り乱れたオレの心は大きな波を打っていた。


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