第37話 11月-2
「誕生日プレゼントに……、つばさが欲しい」
え? とオレは小さく叫んだ。
今、オレが欲しいって……、オレが欲しいって?
「つばさに触れたい。キスしたい。一緒に気持ち良くなりたい」
それってつまり……?
「つばさとHしたいんだ」
「ちょっ、冗談?」
オレは驚いた。表面上は。でも、どこかでいつかこんな展開が訪れるんじゃないかと冷静に予測していた自分がいた。そして、それを少なからず望んでいる自分を。
多分、一は試したいんだ。オレとならセックス出来るんじゃないかと。オレだけが触れても大丈夫ならば、恐らくその先の行きつくところまで大丈夫なんじゃないか。オレも何度もそう考えた。
「冗談でこんなこと言わないよ」
暗闇であることがせめてもの救いだった。さぞや真っ赤な顔をしていることだろう。
「いいよ」
一の望むことを叶えてあげよう。
一なら……、一が初めての相手なら何も怖くはない。
オレはゆっくりとキスをされ、その場に丁寧に押し倒された。
そんな壊れ物を扱うみたいに大事にしてくれなくてもいいのに。これはただの実験。そこに愛はない。
それでもオレは構わないと思った。
一に激しく唇を塞がれ、苦しくなってきた。チュッという音を立てて唇が離れると、一の唇がオレの首筋を舐めた。右手はオレの服の上から胸を優しく撫でている。
くすぐったいような痺れるような不思議な感覚。
こんなに優しくオレに触れてくれるのに、ここには愛がない。オレはただの実験台。
セーターの裾から一の手が進入して来て、直接肌に触れる。滑らかな指の先がお腹をなぞり、上へ上へと上がって来る。一の冷たく滑らかな手がオレをぞくぞくとさせる。上がって来た手が小さな乳房を包み、刺激を与える。
「あっ」
恥かしい声が出て、慌てて口を塞ぐ。一の左手がそれを除けて一の唇で塞がれる。一の左手がオレの頬をなぞり、そこでぴたりと動きが止まった。
一の右手がセーターから出て行き、一に抱き締められ体が起こされた。
一の体が離れ、急に部屋に灯りが点った。
「一?」
「ごめん。つばさが涙を流すほどイヤだなんて気付かなくて……」
オレは驚いて自分の頬に触れた。頬は濡れていた。自分でも自覚がなかった。
「一、違う。イヤだなんて思ってない。オレ、別に実験台になるから。大丈夫だから」
「実験台?」
「一はオレとだったらHが出来るかもしれないって思ったんだろ? だから、オレ協力するよ?」
オレがそう言うと、一はオレの顔を覗き込み、そして、きつく抱き締めた。一瞬見た一の表情はとても傷ついた顔をしていた。
「つばさは、俺がつばさを実験台にしようとしていたから泣いたの? 俺はつばさを実験台にしたつもりはないよ」
オレは一を見上げた。実験台じゃない? それは予想もしなかった答えだった。
「俺はつばさが好きだ。多分会ったあの日からずっと。友達や家族としてではなく、一人の女性として。だから、つばさの全部が欲しいと思った。ごめん、こんなやり方は間違ってた。心が繋がってなければこんなことしても意味がない。俺がしたことは桃井がしたことと大差ない。軽蔑しただろ?」
苦笑する一にオレは激しく頭を振った。
「なあつばさ、俺はもう知ってるんだ。つばさとならセックスが出来るって。だから、決して実験台ではないよ」
実験台だと思っていた。たまたまオレが触れても、キスしても大丈夫な女だったから、試してみようと思っているのだとそう思っていた。
全てオレの思い違い? 一がオレのことを好き?
突然の告白にオレの頭が付いて行かない。
「実験台じゃない? 一がオレを好き?」
呟くように口をついて出る言葉に一は一つずつ頷く。
「オレが唯一触れられる女だからか?」
触れられれば誰でも好きになったんだろうか。それが、オレじゃなかったとしても。例えばそれが、夏希だったら……、それが、絵里だったら。
「勿論それもある。最初はそれが大きかったと思う。だけど、それだけじゃないよ。もし、つばさに触れられなかったとしても、惹きつけられていたと思う。つばさの気の強いところも、案外隙だらけなところも、お人好しなところも、友達思いなところも、挙げたらきりがないけど、つばさの全てが好きだ。そこにつばさがいれば触れたくなるし、キスしたくなる。つばさの全部が欲しくて、つばさの全てを俺が曝け出して、めちゃくちゃにしてしまいたいって思う時だってある。俺の中の欲望がつばさの前だということを聞いてくれない。大事に大事にしたいと思うのに、その一方で俺の為に泣いて欲しいとも思ってる。見ているだけで、愛おしい気持ちになるのも、切ない気持になるのも、ほんの少し苛めてしまいたくなるのも、こんなに強く誰かを欲しいと思ったのは初めてなんだ」
強い強い一の想い。圧倒されるような強い気持ち。嬉しいと思う反面、戸惑いも隠しきれない。一の恐らく一世一代の本気の告白。きちんとオレの本気の気持ちで受け止めたい。
「ありがとう。嬉しいよ。そんな風に思っていてくれたなんて全然知らなかった。一は、いつもオレをからかうように好きだって言ってたから、本気に受け取ってなかった。でも、今日は一の本気をちゃんと受け取った。だから、一には嘘つきたくないから、今のオレの本当の気持ちを聞いて欲しい」
一が頷く。オレはそれを確認してから語り始めた。
「オレも一が好きだ。でも、その好きが友達としてのものなのか、一と同じものなのかオレにはまだ判断できないんだ。緑川や桃井に抱き締められたりキスされるのは堪らなくイヤなんだ。だけど、一は違う。抱き締められれば安心するし、キスをされればドキドキする。多分、一とならHもイヤじゃない。さっきオレが涙を流した時、考えていたことは、ここに愛はない。一にとってはオレは実験台なんだって。一にそう思われていることが悲しいと思ったんだ」
「少なからず俺はつばさに好意を持って貰ってるって事だよね?」
オレは一を見上げ、大きく頷いた。
「つばさが本当の自分の気持ちに気付くまで考えて欲しい。俺のことをもっと知って欲しいと思っている。だけど、つばさが本当の俺を知ったら、俺のことを嫌いになるかもしれない。それも覚悟は出来ているつもりでいる。でも、まだ怖い……」
「オレが一を嫌いになる? そんなこと有り得ないよ。オレが一を嫌いになることはない」
一の不安げな表情にオレは首を傾げるしかなかった。
有り得ない。どんな一だとしてもオレが嫌いになる事なんてないのに。本当の一って何だろう? 一の中に人には言えない秘密があるんだろうか? 例えばそれは、一が女嫌いになった理由に起因しているのだろうか?
きっと今は、それが何かは聞かない方がいいような気がする。悲しそうな一の目がオレをも悲しい気分にさせる。
一をこんな顔にさせるほどの大きな闇が一の中にあるんだろうか。オレは堪らなくなって一の頬を両手で包んだ。
「一、泣くなよ」
「泣いてないよ」
一が苦笑してそう言った。
「泣いてるよ。心が泣いてる。オレが傍にいるから。だから、泣くなよ」
そう言ってオレは唇を一のそれに優しく重ねた。酷く愛おしい気持ちになった。泣き出してしまいそうに切ない気持になった。
この気持ちは何だろう。今まで感じたものとは違う。不可解で強い感情。
一のことが好きで好きで堪らないような、だけど、それが恋というものなのかオレには解らなくて、そんな自分が歯痒くて仕方なかった。
ただ、一の傍にいようと思った。一の傍にいたいと思った。一の隣りにいるのはオレであって欲しいと思った。