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第30話 9月-2

 すぐに加速され自分でも気持ちが良くなるほど足がよく動く。

 今日なら、いけるかもしれない……。

 すぐ目の前に青のたすきを掛けた背中が見え、オレは外側から抜いた。おっーという歓声がまるで、遠くから聞こえて来るようだ。

 周りの歓声が酷く遠くに感じ、オレのどくんどくんという心音とざっざっざっという靴音だけが、やけにはっきりと聞こえている。そのリズムがちょうどいい調子で、オレは落ち着いて走ることが出来た。

 青を抜けば赤もすぐそこにいて、こちらも難なく抜くことが出来た。

 あとは白だけだ……。

 興奮している自分と、どこか上の方で客観的にことの成行きを分析している自分がいた。

 走り続けるとその背中がじわじわと近付いてくる。

 不思議なことに、疲労というものを全く感じられなかった。風がオレの頬を撫でる感じが心地よく、このままどこまでも走っていけるような気さえした。

 白い襷の背中が目前に迫り、そしてついにオレはその前へ躍り出た。もう目の前には誰の背中もない。背後の気配が徐々に遠ざかって行くのが解る。

 耳を素早く横切る風の音が耳を掠め、どんどんと気持が昂ぶって行く。

 走っていてこんなに気分がいいのは初めてだ。世界の全てのものを味方につけてしまったようなそんな無敵な感じがした。

 視線の先に細長い白い線が見えて来た。あのテープを切ればこの感覚も終わってしまう。若干それが物惜しいような気がした。

 そして、オレはテープを切った。

 その瞬間、今まで殆ど耳に入って来なかった周りの音が、ぶわっと聞こえて来た。歓声が地鳴りのように足元からせり上がって来るように感じた。それらの声に交じって一の声をオレの耳は確実に拾った。

「つばさっ!」

 いつもの一の声だが、両手をメガホンのように添えて、精一杯声を出していた。

 直ぐにオレは一の存在を確認した。だが、一の存在に気付いたのはオレだけじゃなかった。一は一瞬にして女生徒達にもみくちゃにされ、オレの前から姿を消した。

 オレの位置からでは一が遠く、緑川の一の名を叫ぶ声がすぐ近くに聞こえるほど大きかった。その声はあまりに切羽詰まっていて、ただごとじゃないのだと感じさせた。オレはその場をパッと走り出すと一の元に急いだ。恐らくリレーの時よりも速かったんじゃないかと思う。

「一! 一!!! お前ら離れろっ! 今すぐ一から離れろっ!!!」

 もみくちゃにされた一は意識を失っていた。女生徒をかきわけ一を支える。オレは一を運ぼうとするのだが、重くて動かない。

「つばさちゃん、オレが運ぶよ」

 オレは一を緑川に託すと、うちの学園の保健室に案内した。オレ達の後について来ようとする女生徒達にオレは、来るな、と鋭く言い捨てた。誰もがそこに固まったように佇み、オレと緑川が立ち去る後姿を見送っていた。

 保健室に運ぶと一をベッドに横たえた。

 顔は顔面蒼白になっており、腕にはぼつぼつと発疹のようなものが無数に出ている。

「緑川。一、発疹が出てる。なんかやばいのかな?」

「大丈夫だよ、つばさちゃん。一は女に触れられると気を失い発疹が出る。一時的なものだ。暫く横になって落ち着けばじきにそれも治る。心配はいらないよ」

 オレは一の表情を窺いながら緑川の話を聞いていた。

「今までにもこんな事があったのか?」

 緑川は黙って頷いた。

 保健の先生が見に来たが、寝たら治ることをつげ、オレと緑川が責任を持って送り届けると言った。保健の先生はそれを聞いて、校庭の方へ戻って行った。

 オレは一の枕元に椅子を持って来て座ると、緑川に訊ねた。

「オレが傍にいても大丈夫なのか? 目が覚めた時にオレを見てまた気を失うなんてことにならないか?」

「つばさちゃんは大丈夫だよ。いつも一の方からくっつきたがるんだろ?」

 オレは頷いた。

 一がこんな事になるなんて思いもしなかった。女が嫌いだって聞いていたけど、気を失うほどだとは思ってもみなかったのだ。

 オレは一の手をそっと握った。手を握ることにもほんの少し躊躇した。オレが手を握っていて本当に大丈夫なのかと。

「何で一はこんな無理してまでこっちに来たんだ。あんなに来るなって言ったのに」

 心配が少しだけ怒りに変わった。一がオレの言うことをきちんと聞き入れてくれていたら。

 オレの一の手を握る力が気持ち強くなる。

「自分がどんな風になろうと、つばさちゃんの勇姿が見たかったんだよ。俺も止めたんだけどね、駄目だった。一は誰になんと言われようと、ここに来てつばさちゃんの走りを見たと思うよ」

「馬鹿だ。一は馬鹿だよ……」

 オレは握っている一の手をおでこに付け、目を閉じてそう言った。

「それは酷いな、つばさ」

 一の声に驚いて目を開け、一の顔を覗き込む。一が苦笑を浮かべていた。

「俺は自分がどうなったとしてもつばさの走りを見たかったんだ。俺の愛をそんな風に言うなんて酷いな」

「一は馬鹿だよ。無茶し過ぎなんだ。オレの身にもなってみろ。生きた心地がしなかったんだぞ」

 オレが涙目でそう訴えると、一は空いている方の手でオレの頭を撫でた。

 その優しい目と大きな手の温もりに涙がぼとりと零れそうになったが、緑川の手前我慢して堪えた。

 一がそんな意固地なオレを見て口元を緩めた。一が体を起こし、オレの体を包み込んだ。

「おいっ、緑川がいるんだぞ」

 オレは恥かしさで慌ててそう言った。

「別に緑川に見られたっていいよ。放っときゃいいさ。それに多分、こうしてるほうがすぐに治ると思うんだ」

 そんな馬鹿な話があるわけない。オレを抱き締めただけで、発疹が消えるわけないんだ。

 オレが一の体を引き剥がして一の腕を見ると、不思議なことに発疹は消えかかっていた。

 ほんの1分前にはたしかにくっきりとあった筈なのに。

「なっ?」

 一が当たり前のようにそう言った。

「偶然だろ。ちょうど治りかけてたんだよ」

「違うよ。これが偶然じゃないって俺は知ってる。俺の発疹はこんなにすぐには治らないんだ。それは、緑川も知ってる。黒田や筑紫さんが初めてアパートに遊びに来た時、俺気付いたんだ。つばさが近くにいれば、ある程度女の近くに行っても大丈夫だって。だから、今日もしこんな事態になったとしても、つばさがいれば大丈夫だろうって思ったんだ。俺もさっきまで半信半疑だったんだ。だから、確かめてみたかったんだ。本当につばさがいることによって症状を快復させることが出来るのか。今、証明出来ただろ?」

「でも、何でオレは女なのに大丈夫なんだろう?」

 何でオレだけ大丈夫なのか不思議でたまらない。一は解らないという風に首を傾げた。

「一、初めてオレに会った時、何で抱きついたりしたんだ?あの時はまだオレに近づいても大丈夫だって知らなかった訳だろ?」

「ああ、だって説明するの面倒だったから、俺が気を失ったら嫌でも解るじゃん。あの時は、俺が驚いたよ。気を失うどころかつばさの体温を感じて安心した気持になれたんだからね。あれは俺にとっては衝撃的なことだった」

 無茶なことを考えるものだ。

 一がオレのことを特別だというのはこれが原因なんだ。何故かは解らないが、少しだけがっかりした。

 以前、緑川は一にとってオレは大事な存在だと言ったけれど、やっぱりそれは違うんだと思う。確かに特別なんだろうけど、大事とは違うんだ。

「一、つばさちゃんに触れても本当に何ともないんだな? こりゃ、驚いた。つばさちゃんだから同居も出来てるんだな。つばさちゃんに一がくっつきたがるって話を聞いた時には、何かの冗談かと思っていたけど、目の前で見せつけられたら納得せざるを得ないな。だが、何度も気を失う一を見て来ている俺には複雑な心境だよ」

 緑川は少し興奮してるのか早口に捲くし立てた。

 きっと何故オレだけが大丈夫なのかなんて考えても解らないんだ。オレにも、一にも、緑川にも。

「一、とにかくもう無茶はするなよ。体がもう大丈夫なら帰ろう。オレ、着替えてくるから待ってろよ」

「つばさちゃん、ここで着替えてもいいんだよぉ」

 緑川の軽口を無視してオレは保健室を出た。


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