第27話 8月-8
「一は家を出ている間どこで何をしていたんだ?」
そうそうこれが真っ先に聞きたかったことなんだよ。それなのに、一にはぐらかされたというか話を逸らされたというか。
「親父んとこ行ってたんだ。と言っても親父の仕事場に顔出して話聞いたらすぐにこっちに戻って来てたんだけど。こっちに戻ってからはずっと歩き回ってた」
「親父さん?」
オレの親父の親友だという一の親父さん。オレは一度会ったことがあるらしいのだが、何しろ幼い頃のこと、会ったことすら記憶にないのだ。うちの親父がたまに話題にするので、何となくよく知っている人って感じなんだけど、面識はない。
「そう、親父。うちの親父、刑事なんだ。今は地方の小さな交番の警官。今年の3月まではこっちでばりばり捜査してたんだけど、結構無理な捜査をやるもんだから、飛ばされたんだ。全く事件のない本当に小さな交番勤務に。実際親父は問題ばっかり起こしてたから、上司も部下も周りにいた人たちは大変だったと思うよ。息子の俺が言うのもなんだけど、人は好いんだ。みんなに好かれてる。ただ、捜査になると、被害者の為に突っ走っちゃう。熱血刑事だったんだ」
苦笑いを浮かべながら、それでも一は親父さんが大好きなんだなって、その表情を見れば一目瞭然だった。
「あっと、親父の話はいいとして」
一の頬はほんのりと桜色に色づいていた。親父さんのことを話して少し照れくさかったのかもしれない。
「桃井のこと、親父が何か知ってるんじゃないかって思ってさ。最初は、そんなことむやみやたらに教えられるわけないだろう、って言われたんだけど、つばさが桃井に狙われてるって話したら、顔色が変わったよ。親父の話では、桃井は話し巧みに女に近づいて、いかにも自分は会社で重要な存在かって事を話して、女をものにするんだ。君にマンションを買ってあげるよとか、結婚しようとか甘い言葉を吐いて、一回やったらポイっと捨てるんだ。所謂詐欺紛いのことを平気でして来たんだ。そして、桃井社長はそれを全て金で示談にさせて来た。だから、つばさが桃井にやられてたとしても黒田への業務提携も資金援助もなかったろうと思う。俺はこっちに戻って来て、桃井に騙された女たちに接触して、話とその証拠を集めてたんだ。途中、黒田から電話があって、つばさのこと心配してたからどういう状況にあるのか話した。あいつも桃井の身辺を洗うことに協力してくれたんだ。自分のせいでつばさを桃井のいいようにはさせないって必死こいてやってたよ。最後に桃井社長にも会った。あんな風に息子がなってしまったのはあなたのせいでもあるんじゃないですかって言ってやった。社長も息子をどうにかしなきゃって思ってたんだろうな。あの時、桃井に追い返されて、何とかフロントでキーを入手出来ないかって考えていたら、社長がキーを俺に手渡してくれたんだ。社長はホテルの上客だからな、それに息子の部屋だったし、すぐにフロントでキーを渡して貰えたんだろうと思う。本当なら、あんな奴一度刑務所にぶち込んだ方が良かったんだ。つばさが止めなかったらそうしてたさっ」
一はオレの為に、走り回っていたんだ。探偵紛いのことをずっと。オレを助ける為に。
「一。助けてくれてありがとう。……怖かった、本当に怖かった……」
あの時の恐怖がよみがえり、オレは一にしがみ付いて泣いた。
オレは安心できる一の胸で涙が枯れるまで泣き続けた。一はオレの頭をずっと撫でていてくれた。オレの涙が止まるまでずっと……。
オレの涙が止まり、漸く落ち着くと一は言った。
「ところで、つばさ。そろそろ着替えたら?」
「へっ?」
「ドレス。つばさに似合っていてすごく奇麗だけど、もう脱いだ方がいいんじゃない?」
なんとっ! 色んなことが一度に起こったものだから、オレは自分が未だにドレスを身に纏っていたことなどすっかり忘れていた。こんな恥ずかしくて、誰にも見られたくないと思っていたのに……。
オレのあたふたする姿を一はけたけた笑いながら見ていた。
「ああ、もうっ。そういうのは先に言えよ、ボケっ」
オレは顔を真っ赤にしてがなり立てると自室に逃げ込んだ。
解っていて、今まで黙っていたなんて、なんて奴なんだ。
オレは黒いドレスを脱ぎすて、Tシャツとハーフパンツに着替えると、黒いドレスを手に考え込んでしまった。
このドレス、どうすりゃいいんだ? 桃井に返した方がいいんだよな? だけど、桃井とまた会うとなるとまた心配性の誰かさんが会うなとか、駄目だとかって怒るんだろうな。
オレは居間に戻り、一の隣にちょこんと座ると一を見上げた。
ん? と首を傾げる一が可愛らしくてクスッと笑った。
「あのな、あのドレス桃井に返した方がいいのかな?」
一は腕を組んで唸って見せた。
「もうつばさに変なことはしないだろうと思うけど、俺が桃井には会わせたくない。俺が返しに行こうか?」
「う〜ん、オレも一緒に行くよ。一が一緒なら大丈夫だろうし。一が桃井に何かするんじゃないかって心配だしな。あっ、あともう一か所行きたい所があるんだ。付き合ってくんない?」
まあ、一が桃井と会っても大丈夫だろうとは思うんだけど、一が桃井にまた殴りかかったりするのはよろしくない。
「別にいいけど、どこ?」
「今日一さ、オレの事呼んでくれただろ? つばさ、どこにいるんだって、あの時声が聞こえたから防犯ブザー押せたんだ。あの防犯ブザー、あのドレスを買った店の人がオレに持たせてくれたんだ。あれがなかったらオレがどこにいるのか、一は解らなかっただろう? その人に、御礼が言いたいんだ。その人、桃井には気をつけろって心配してくれてたから」
薫さんに御礼を言って、オレは大丈夫だったよって伝えたかった。本当に薫さんはオレを心配してくれていたから。それがたとえオレと妹さんを重ねて考えていたのだとしても。そのおかげで、オレの貞操を守ることが出来たのだから。
「解った。いいよ、そうしよう」
今日は一日色んな事が目白押しで、ここに無事に戻って来れたことが無償に嬉しかった。この家でただ一と話しているだけのことがこんなに幸せなことだなんて思いもしなかった。
夏希にも心配かけたのに、碌に話も出来なかった。きっと自分のせいでオレをあんな目に遭わせてしまったと今も自分を責めてるんじゃないかと思う。早いうちに夏希とも話して安心させてあげたい。
あの怒涛の日から2日後。
オレと一は桃井に会いに行くことにした。桃井は会社にいると言っていたので、オレ達が会社に出向いた。
桃井が会社にいるってことは、真面目に仕事をする気になったってことなんだろうな。そう思ったら嬉しかった。
ドレスを持って、桃井の会社のビルの前に立った。ばかデカい高層ビルで、見上げてもビルのてっぺんが見えないくらいだった。
受付で桃井に会いたいことを告げた。
一瞬、何なのこの子たちはって表情で受付嬢さんはオレ達を見ていたが、そこはプロ、すぐに営業スマイルを顔面に貼り付ける。その作られた笑顔の巧みさにオレは脱帽する思いだった。
受付嬢さんが内線で連絡を取り、再びオレ達に顔を向けて、
「最上階の社長室でお待ちとのことです。そちら一番右手のエレベーターより最上階までお上がり下さい。最上階にお着きになりましたら、秘書に声をおかけください」
と言った。
オレ達は軽く頭を下げると、言われたとおり右手のエレベーターに乗り込んだ。そのエレベーターは最上階に直行の様で、オレ達以外に乗る人はいなかった。
動いているんだか、止まっているんだか解らないくらい振動がない高機能なエレベーターで最上階に降り立つと、すぐに秘書室と思われるフロアがあって、オレ達が来るのが解っていた為か、丁寧に出迎えてくれた。オレ達が名乗り出る必要もないといった感じで、お待ちください、と言った。その人が社長室に声をかけると中から、入って貰ってくれ、と声がかかり、秘書に促され社長室へと足を踏み入れた。