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第20話 8月-1

 8月の茹だるような暑さのある一日。

 高級ホテルの前に車を横付され、車から降り立つと、そのホテルの大きさに唖然と見上げているオレがいた。そして、その隣には、夏希が立っていた。


 遡ることひと月前、夏希がオレのアパートを訪ねた時に戻るとしよう。

「つばさ。お願いがあるの」

 そう切り出した夏希の表情は必死さが滲み出ていた。

「とにかく、上がれば?」

「いいえ、出来れば外で話がしたいのだけれど……」

 一には聞かれたくない話なんだろうとオレは察して、外に出た。

 いつもの公園の日陰の特等席に案内した。

「暑くないか?」

「ええ。大丈夫よ。ごめんなさいね、突然来てしまって」

 別にいいよ、とオレはそう言って夏希が話しだすのを待っていた。夏希は何かを迷っているのか、それとも話す内容を頭の中で整理しているのか、中々話し出そうとはしなかった。その日は前日よりも雲が多く、今にも雨が降りそうではあったが、梅雨のじめじめとした蒸し暑さがあった。

「昨日、会社のパーティーがあったのよ。だけど、父の本当の目的は私のお見合いだった」

「お見合い? だって、夏希まだ17だろ?」

 そんな話だとは正直思わなかったので、驚いた。

「それで、結婚するのか?」

「するわけないわよ。私にそのつもりはないもの。だけど、今、父の会社はとても厳しい状況なの。その男の会社に資金援助して貰いたいと父は考えているようなの」

「それって……、政略結婚か?」

 この時代にそんな事が本当に存在するのか? ひと昔もふた昔も前の話を聞いているようでオレは胸がムカムカした。

「その男は夏希が嫌いなタイプなのか?」

「好きにならないわ、あんな男。イヤらしい目で私を見るし、お父さんの会社なのにまるで自分があそこまで大きくしたんだなんて自慢していたわ。顔はね、いいのよ。だけど、それで相当チャラチャラしているのね。女遊びも激しいんでしょう。手慣れてる感じが嫌だわ。それに、馬鹿なのよ。話してたらこっちまで馬鹿が移るんじゃないかと思ってしまったわ」

 夏希は昨日その男に嫌な気分をさせられたようだ。政略結婚であっても、相手を好きになれるんだったらそれもありなのかと思ったが、そうは問屋が降ろさないって感じのようだった。

「それで、つばさにお願いしたいってことなんだけど……」

 夏希は少し言い淀んでいるように見えた。

 一体何をお願いしたいっていうんだ?

 ここまで、言い淀んでいる風を見ると、とんでもないことなのかもしれない。

「つばさに男装して、私の彼氏のふりをして貰いたいの。気分を害したらごめんなさい」

 ああ、そうか。夏希は、女のオレに男のふりをさせたら気分を害すると思ったんだな。でも、実際には、オレは思いっきりふりふりレースのついた女の子って感じのドレスを着てくれ、と頼まれた方が断然嫌なのだ。普段のままでいい分、男装の方がよっぽどいい。

「男のふりをするのは構わないけど、オレにどうしろってんだ?」

「ただ、仲の良い恋人のふりをしてくれればいいのよ。あの男が諦めてさえくれればそれで。うちの父も昨日あの男を見て、あまりに酷いんで私が嫌なら結婚をしなくてもいいと言ってくれているの。だけど、こちらから断るってことは立場上出来ないのよ」

 夏希の親父さんが心の通った人で良かったと思った。非常にも娘を政略結婚させる親父でなくて……。やっぱり娘が可愛いんだな。ほんの少しだけ安心した。

 それにしてもだ、オレが彼氏のふりをしてだ、そんな簡単にその男が諦めてくれるんだろうか?

 何となく夏希の話を聞いている分には、その男は無駄にプライドが高そうだ。自分がないがしろにされたと思ったら逆恨みをしやしないだろうか。

 厄介なことに巻き込まれそうな言い知れぬ、いや〜な予感がしていた。

 だが、夏希の頼みを断れるわけもなく、オレはその男に会うことになったのだ。


 そして、8月の今日、オレはその男と会うのだ。

 ランチをご一緒するということになっていた。一には心配かけたくなかったので、何も話していない。アパートからは、普段着で出て、途中夏希の用意してくれた服に袖を通した。

 夏希ん家の黒塗りの大きな高級車に乗り込み、大きすぎるその車の中で着替えを済ました。シックなダークグレーのスーツだった。勿論、オレのサイズにピッタリに拵えてあった。

「惚れ惚れするほど似合っているわ、つばさ。あんな男よりも全然男前だわ」

「ああ、ありがとう」

 やがて車は、ここいらで最も高級と言われているTホテルの前で止まった。

 オレはいまだかつて高級ホテルに足を踏み入れたこともなく、その並々ならぬ雰囲気に圧倒され、夏希に促されるまで、口をぱかりと開けてロビーを見回していた。オレ一人が場違いな気がした。恐らくこんな高級ホテルに出入りするのは、今日が最初で最後になるだろう。

 オレは夏希の後に従いホテルのレストランへと入って行った。

「これは黒田様、いらっしゃいませ。桃井様が御待ちでございます」

 ウェイターが仰々しく頭を下げながらそう言うと、二人を案内する。

 奥にある窓際の席にその男は座っていた。

 確かに男前なんだろう。だが、オレの好みのタイプの部類ではない。本音を言ってしまえば、いけすかないタイプだった。イヤらしい目と言った夏希の気持ちがよく解る。その不快な目がオレを舐めるように全身を眺めている。その目にオレは早くも引き返したくなる。一のいる安全な場所へ。

 それにしても、夏希は今日、彼氏を紹介すると伝えてある筈なのに、この目は一体何なんだろう?

 こいつは男にでも色目を使うのか?

「こんにちは。本日は時間を割いて頂いて有難うございます。こちらが、先日お話させて頂いた私の彼です。赤川つばさ君です」

 オレは頭を下げて「赤川つばさです」とだけ述べた。

 今日は必要以上は、言葉を発しないようにと夏希から言われている。

「私は桃井大輝と申します。まあ、座ったら如何ですか?」

 桃井の喋り方一つに高圧的な印象を受けた。自分は偉いのだと信じて疑わないといった感じの。

 促され、オレは夏希の椅子を少し引いてやった。

「ありがとう」

 と、笑顔を向け、夏希が席に着いた。

 その後、オレも腰を下し、桃井を見た。見たくもなかったが、目の前にいるのだから嫌でも目に入って来る。

 桃井は妖しい目でオレを、オレだけを熱心に見ていた。オレも夏希も怯むほどの強い目力だった。

「つばさ君は、まだ高校生かな?」

「はい、そうです」

 オレは顔に笑顔の仮面を張り付けてわざとらしくそう言った。

「さぞやモテるんだろうね?」

「いいえ、そんなことはありません」

 桃井の夏希を無視してオレだけに話し掛けてくる態度が鼻にかかる。それを隠してオレは桃井の相手を務めた。

 そんな脈絡があるのかないのか見当がつかない当たり障りのない話を食事中、永遠と続けられた。デザートの後のコーヒーが出る前に夏希が席を立った。夏希の携帯が鳴ったからだ。

 桃井は夏希が完全に見えなくなると、オレを見てくすっと笑った。

「お友達を助けたい? つばさちゃん」

 くっくっくっと心底可笑しそうに笑っているが、目だけが妖しげに光っていた。

 つばさ……ちゃん? もしかして、こいつは……オレが女であると、知っているのか?

 オレは息を呑んで目の前にいる得体のしれない男と見ていた。可笑しそうに声を殺して肩を震わせているこの男が一瞬恐ろしく見えた。


今日から8月に入ります。8月の話は少し長めになっております。

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