第2話 4月-2
奴はあろうことか、オレの手を強引に引き寄せると、オレの唇を奪った。
いや、こんなのはキスとは言えない。オレは喰われたんだ。奴にパクリと口ごと喰われた。そう表現するのが望ましい。
オレが我に返ったのは、奴の唇から解放された後だった。一気に怒りが込み上げてきたオレは、奴に掴まれていた手を力ずくで振り払うと思い切り頬を張った。
「てめえ、何すんだ!!! オレは女だぞ。お前が好きなのは男なんだろ」
一度だけでは、どうにも気がおさまらないオレは、もう一度右手を振り上げた。今度は奴に腕を掴まれてしまった。
「キスしたんですけど? キス知らないの? それに俺はお前じゃなくて、青柳一って名前があるんだよね。俺は確かに男が好きだけど、それがなんなわけ?」
こいつの物言いには、一々ムカっとさせられる。
「オレが言いたいのは、男が好きだって言っているお前が、何で女のオレにキスしたのかってことだよ」
奴と話しているだけで、頭が痛くなってくる。さっきから頭の奥の方がガンガンと鈍器で殴られた様な痛みを感じている。
「だから、俺の名前は一だって。キスなんて挨拶でしょ? 男も女も関係ないんじゃないかな」
キスが挨拶って何なんだよ。アメリカ育ちなのかこの馬鹿は。
「ああ、もうどうでもいいや。二度とオレにはキスすんな。そんな挨拶オレにはいらん。解ったな」
再度、奴の手を振り解き、立ち上がろうとした。が、奴にしっかりと腕を掴まれる。
「一って呼ばなきゃキスするぞ」
「うるせえっ」
吐き捨てて振り解こうとしたが、ビクともしない。それどころか、奴の顔がどんどん近付いて来る。
「ああっ、もう解ったよ。一、一! これでいいんだろう? 放せ、ボケっ」
奴は顔が近づいて焦っているオレをくくくっと可笑しそうに笑った。
オレはこんな碌でもない奴の相手はいつまでもしていられないと、自分の部屋に避難しようとした。
ところが、自分の部屋がどっちだか解らない。
「オレの部屋どっちだよ?」
つっけんどんにそう聞いた。
奴はニヤニヤと笑いながら、無言で指をさした。玄関から見て右側の部屋。勢い良くドアを開けると、力任せにそれを閉めた。
シングルベッドが置いてあって、壁際に机。その横に本棚。本棚には、オレの読みそうにない分厚い難しそうな本がびっしりと詰まっていた。壁にはジャケットが数枚掛けられていた。
オレの部屋じゃない……だろ、ここ。
「人の部屋覗くなんて、エッチ。きゃっ」
「妙な言い方は止せ、きしょいんじゃ、ボケっ」
騙された。あのアホにまんまと騙された。オレの部屋は反対側じゃないか。
オレは不機嫌丸出しで、奴の部屋から立ち去ろうとした。
ドアノブに手をかけると、奴の手がその上に乗せられた。振り向いて睨みつけようとしたその瞬間、奴の唇がチュッと音を立てて、オレの唇に軽く触れた。
何なんだよもう。こいつはゲイなんだろ? 何で俺にキスすんだよ!
オレは汚いものを取り除くように唇を袖で強くこすった。オレは何も言わず奴を睨みつけ、奴の部屋を出た。
最悪だ……。
あんな碌でもない奴と一緒に住んでいけるわけがない。言っとくけどな、あれはオレのファーストキスなんだぞ。しかも好きでもない奴と。相手はゲイときたもんだ。
今度こそ自分の部屋に入ると、その場に崩折れた。泣きたくもないのに、止め処なく涙が出て来た。
悔しい……。奴に負けた気がした。
キスされたくらいで泣いたとは思われたくない。
急いで涙を拭い去ると、部屋の中に無造作に積んであった段ボール箱の一つに手をつけた。こんな時は無心で作業に没頭するに限る。一秒だって奴のことを考えるのは耐えられない。
あとで母さんに電話しよう。あんな奴と一年間も一緒に過ごすのなんて願い下げだ。
がむしゃらに作業をしていたのが功を奏したのか、夕方には全ての荷を解くことが出来た。
喉の渇きを感じ部屋を出ようとした。何か喉を潤せるものはここにはあるのか。
だが、喉が最高に渇いてはいるのだが、ドアノブを回すのに躊躇した。奴が居間にいるんじゃないかと考える。ドアに耳をくっ付けて、今の気配に聞き耳を立てる。何の気配も感じられない。よし、大丈夫だろうとドアを開けたが恐ろしいものを目にして、自分でも驚くほどの速さで再びドアを閉めた。
……いた。
今、ドアの横の壁にへばりついている奴をこの目で確かに見た。
どうしたらいいんだ? ここにいられたんじゃこの部屋から出るわけにもいかない。オレは部屋の中をぐるりと見回し、どうしたものかと考えた。
あっ、ベランダかぁ。
オレの部屋、奴の部屋、居間はベランダで繋がっている。居間の窓の鍵が開いているは解らないが、奴の様子を見ることくらいは出来るだろう。
ったく、何でオレがこんな目に遭わなきゃならないんだ。と、心の中で毒づいた。
奴にバレないように、物音をたてないように、慎重に移動する。時折キシッと軋む音にオレはぎくりとする。窓を開けるのも一苦労だ。少しずつ少しずつ窓をスライドさせ、オレ一人通れるぎりぎりまで開けると、オレは慎重に体を外に出した。
やっとベランダに辿り着いたオレはあまりに集中していたので、一気に解放的な気分になり、う〜んと思い切り背伸びをした。ハアと大きく深呼吸をした後、目に入った物に俺は息を止めた。
「うわっ、出たっ」
ベランダに寄り掛かり奴がオレを見ていた。
「本当失礼だね、つばさは。俺は幽霊じゃないんだからさ」
奴がケタケタと腹を抱えて笑った。
「お前のせいだろうが!!!」
「だって、つばさ面白いんだもん。でも、俺も悪ノリしすぎたかなあって反省してんの。ごめんな、つばさ」
こんなに素直に謝って来るとは思っても見なかったので、肩透かしを喰らった気分だ。
「別に。もうオレにあんなことすんなよ」
「え? あんなことって?」
わざと解らないって顔で聞いてきやがる。
「キスだよっ!!!」
苛々して刺々しい声音でそう言った。
「ああ、考えとく」
はあ? 考えるって何なんだよ。今、ごめんって謝ったよな。だから、もうしないって意味じゃないのかよ? ああ、本当腹立つ。
「考えんな。止めりゃいいだけだろが」
「もう、つばさうるさい。耳痛い。あんまりうるさいとその口塞いじゃうけど、いい?」
オレは咄嗟に、自分の口を両手で塞いだ。
奴はそんなオレをくつくつと笑って眺めていた。
「それよりさ、つばさも来たことだし、歓迎会でもしますか」
「歓迎会?」
「そ。腹も減ってきたし美味しいもんでも食って親睦を深めようぜ。つばさが、そんなに苛々してんのも腹減ってるからだろう?」
この苛々は明らかにお前のせいだ。でも、確かに腹は減っていたし、反論するのも面倒になって何も言わずにおいた。
「なあ、つばさ。どっかに食いに行く? それとも、出前が良いかな?」
オレがいくら無言を通していても、奴はそんなことお構いなしで話を進めていく。なんか奴を見ていると、いつまでも怒っているのが馬鹿らしくなってくる。
「出前。オレ、疲れたからこれから飯作る気にもなんないし、この辺の店とかよく解んないし」
「よし、じゃあ出前にしよう。つばさももう中入ろうぜ。何頼むかチラシ見よう。こんな日の為に俺ちゃんと取っておいたんだ」
空腹だったオレは、渋々ながら奴の後に続いて部屋の中に入った。
「なあ、つばさ。何食いたい?」
奴は、チラシを広げてああでもないこうでもないと真剣に悩んでいるようだ。
飯一つ決めんのにどんだけ悩んでんだと、怒鳴り散らしたくもなるが、無駄な労力は使いたくないので、自らを鎮めることに集中した。
奴は、最終的に寿司にするか、ピザにするかで悩んでいるようだ。
「お前、どんだけ悩めば気が済むんだよ。もう、埒が明かないからオレが決める。今日はピザだ」
「つばさ。お前じゃないだろ? 俺は一だ」
「あ〜、一」
オレが呼びなおすと満足そうに頷いた。
「よし、ピザね。じゃあ、どれにする?」
宅配ピザのチラシは何枚かあるが、奴に決めさせていたら、いつまでたっても飯にあり付けない。オレは独断で注文する品物を適当に決めてしまった。奴が反論するかと思ったが、何も言わない所を見ると、奴も同じものを考えていたといっていいのだろう。
基本的に、つばさは「オレ」、一は「俺」となっております。
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私、実はコメディ書くの苦手みたいです、気軽に感想&評価して下さい。作品の参考になりますので。