第18話 7月-2
「子供って……元気……だよなぁ」
息の上がっているオレは、途切れ途切れにそう言った。
つい今しがたまで少年達とサッカーをして走り回っていたのだが、ギブアップしてベンチに戻って来たのである。
「ああ、いいよな。子供って……」
一が満足そうに、嬉しそうに少年達を見ていた。
「一、子供好きなんだな?」
「ああ、俺さ、小学校の先生になりたいんだよな」
それは初めて語られた一の将来の夢というやつだった。
一が学校の先生に……。
「いいと思うよ。一に合ってる」
たった今一緒にサッカーをしているのを見て解った。少年達はすぐに一を好きになった。一は、子供たちとの接し方に長けている。そして、一種カリスマ性みたいなものがあって、子供たちを惹き付けているようだった。勉強を教えるのも上手いし。これは、オレで実証済みだ。
一の先生になった時の姿が容易に想像できて、つい口が綻んだ。
「あっ、笑ったな」
「違うよ。一が先生になったとこ想像してみたんだ。一が先生だったら学校楽しいだろうなって思ったんだよ」
オレも一が小学校の先生だったら、もっと楽しかったのかな。オレは正直、小学生の時、学校が好きではなかった。女なのに男の恰好や言葉遣いをするオレをよく思っていない先生が大勢いたからだ。いつも「女の子らしくしなさい」と言われて、嫌な思いも何度もした。オレを理解してくれる先生には、一度も会えなかった。一がオレの担任の先生だったなら、きっとオレのことを理解しようとしてくれたんじゃないか。そう思えるのだ。
一は照れながら、サンキュッ、と言った。
「じゃあ、一は教育大に行くんだな?」
「うん、そのつもりだよ」
緑川もそうだったけど、夢を語ってる奴の横顔って希望に満ちていて、羨ましい。自分の夢を語り、少し高揚した頬が可愛らしくも思う。
「いいなぁ、夢があって」
オレの呟きに一がオレを覗き見る。情けない顔をオレは晒してたんだろうと思う。
「つばさは? 卒業後どうするんだ?」
「取り敢えず専門。オレ、そんな頭いい方じゃないし、受験とか面倒くせえし。でも、何が学びたいのか、何になりたいのかまだ解らないんだ」
自分が情けない。
夢がない自分に焦りを感じる。進路調査があるたびに追い詰められた気分になるのだ。担任の先生にも毎度せっつかれて、気持ちだけが急いて、なかなか自分のやりたい事が見つからない。
「大丈夫だよ、つばさ。ゆっくり自分の好きなものを見つければ」
嬉しい言葉には違いないのだが、夢を追いかけている者の一種の余裕のようなものが感じられて、惨めな気分が倍増する。
「あっ、そろそろ帰らないと。緑川が絵里を襲うなんてことないよな?」
「それは流石にないよ。あいつは、あれで女性を大切にする奴だよ」
そっか、とオレは一のその物言いが嬉しかった。
一はオレが言うのもなんだが、緑川の扱いが雑だ。適当にあしらっているように窺えるが、案外あいつのことは解っているみたいだ。そして、信頼さえしているようなのだ。
オレ達は少年達に手を振って別れると、スーパーに寄ってアイスを買って帰った。
緑川と絵里は真面目に勉強をしていた。
オレの危惧していた事など全く不要なものだった。公園で遊んでばかりいたオレ達二人は結局たいして勉強も出来ないまま一日を終えてしまった。
その日、オレは緑川と絵里に夕飯を食べて行くように進めた。
「上手いっ! つばさちゃんって料理上手だったんだ。ちょっと意外……」
ちょっと意外とはなんだと、不平を言おうと思ったのだが、緑川があまりに美味しそうに食べてくれるので、怒る気も失せてしまった。
こんなに賑やかな夕食は久しぶりだった。緑川が騒ぎ、それを一が窘める。それが、漫才の様で、オレも絵里も腹を抱えて笑っていた。
楽しい時っていうのはあっという間に過ぎてしまうもので、やがて絵里は、緑川に送られて帰って行った。緑川に、絵里に変な事したら承知しねえぞ、と念を押したのは言うまでもない。
二人が帰って、一の食器の片付けを手伝った後、居間に戻るとオレは一に声をかけた。
「なあ、一」
うん? とテレビから目を放さずに一は返事を返した。
「オレさ、調理師とかパティシエとか、なれるかな?」
一がテレビから視線を外し、オレをまじまじと見た。その表情は非常に明るかった。
「うん、いいな。つばさ、料理好きだし、美味しいもんな。いいんじゃないのぉ。良かったな、見つかって」
一はまるで自分のことのように喜んでくれた。
オレは難しく考え過ぎていたのかもしれない。単純に考えてみたら、オレは料理を作るようになってから一度だってそれを苦痛だと思ったことはなかった。それに遡って考えてみれば、小さい時のオレの夢はコックさんになることだった。小学校の時の卒業アルバムにもそう書いた筈だった。何で忘れていたんだろう。答えはこんなにも身近にあったというのに。
オレは、緑川や絵里が美味そうにオレの料理を食べてくれることが凄く嬉しかった。オレの料理の腕を褒めてくれるのも、そして、それを自分のことのように自慢している一のことも、そのどれもが酷く嬉しかった。
オレはやっと見つけたんだ……。自分のなりたいものを。好きなものを……。
オレの話を親身に聞いてくれた一にも、オレの料理を美味そうに食べて、オレの気持ちに気付かせてくれた緑川と絵里にも感謝したい気持ちでいっぱいだった。
オレは自分の進路の行く末がやっと開けたことに心底ホッとしていた。
「一。ありがとうな」
「何で? 俺何もしてないよ?」
「話し聞いてくれて嬉しかったんだ。みんな自分の進路を真剣に考えていて、ずっと焦ってた。一にも将来の夢がちゃんとあってさ、今日、やっぱりオレだけなのかって、へこんだけど、話したらさ、少し楽になったんだよ。自分の駄目さ具合をさ、誰かに聞いて貰ったら、少し肩の力が抜けた。そんな状態だったから、今日、気付けたんじゃないかって思うんだ。勿論、あの二人が凄く美味しそうに食べてくれたのもあるけど、そういうの素直に嬉しいって受け止められたのは、一に話したお陰だと思うんだ。だから、ありがとう」
普段では考えられないくらいに素直に気持ちを伝えるオレを見て、一はとても驚いていたが、やがて嬉しそうに目を細めて笑った。
そして、気付けば一の腕の中にいた。
「何だよっ?」
「だってぇ、つばさ、可愛いんだもん。抱き締めたくもなるさっ」
「だからって、本当に抱き締めなくてもいいだろ?」
「嫌だった?」
「嫌じゃないけど……」
「じゃあ、問題なしっ!」
いや、問題なくはないんだけど……。
「女嫌いなくせにっ」
「女は嫌いだよ。だけど、つばさはいいの、特別。何回もそう言ってるでしょ? 俺はつばさが好きなんだから、何の問題もないでしょ?」
「意味解んねぇしっ。勝手にしろっ」
一に言われる「好き」って言葉にほんの少しだけ、心が疼いた。嬉しいような、切ないような、ムカつくような、変な感情の蕾が少しずつ開きかけていたのを、オレは気付いていなかった。ただ、平気で「好き」、「特別」を連呼する一に苛立ちを感じているのだとオレは思っていた。
その新な感情をオレは突き詰めて知ろうとはしなかったのだ。
翌日の日曜日。
それもまだ早い時間帯に、夏希がアパートを訪れた。
「つばさ。お願いがあるの」
これってコメディじゃないですよね? 項目からコメディを消そうかと本気で悩んでいます。
7月はこれでおしまいです。短いですね。その分、8月が長くなってしまいました。来週から8月のお話です。