第18話 7月-1
7月に入った。
じめじめとした蒸し暑さの中、いまだ梅雨は明けず雨が毎日のように降っていてさらに憂鬱にさせる。それに加え、期末試験が控えており、より憂鬱さを増幅させていた。
「なあ、一。勉強教えてくれよ」
一は生徒会長であり、更に秀才としても有名だった。
これまで、何度か宿題を見て貰ったことがあるのだが、一の説明は解り易かった。そして、オレが理解するまで辛抱強く何度も繰り返し教えてくれるのだ。
「勉強? いいよ」
優しく微笑んで、一がそう答えた。
「それでさ、夏希と絵里も呼んで勉強会みたいなの開きたいんだけどいいかな?」
一瞬一の右眉がぴくっと上がったが、すぐに元に戻った。一は女が嫌いだ。だが、この二人とは面識があるし、大丈夫じゃないかと思ったのだ。今の右眉の動きは、女が嫌だって言うよりも、夏希が嫌だったのかもしれない。一と夏希は犬猿の仲といった感じで、そりが合わないようだ。
「つばさがキスしてくれたらいいよぉ」
「はあ? 何でだよ! 勉強と全く関係ねえじゃんかっ」
またか、とほとほと呆れかえる。一は毎日のように、しかも一日に何度もキスをせがんでくる。暇さえあればって感じで。
何でオレなんだろう? オレ、女なのに……。
何度も同じ疑問が浮かび上がる。一に問いただした事だってある。返事はいつも、特別だから、とか、解らない。そうしてこういうのだ。
「理由なんてないよ。ただ、つばさとキスしたいだけ」
意味不明な言葉を小動物のような大きな瞳をきらんきらんと輝かせて真っ直ぐオレの目を射抜いて言うのだ。そして、オレはこのおねだりする様に輝き潤む瞳に滅法弱いのである。さらに、オレは一と唇を重ねるのが嫌いじゃないものだから、結局そのおねだりに応えてしまうのだ。
この日もそうだった。
オレは一の瞳に根負けして、キスを許した。
こんな奇妙な関係っていいんだろうか? お互い好きじゃないのに。いや、少し違うな。お互い好きなんだ。恋愛とは違うところで。例えば親が子供にちゅってするのと同じなのかな。と言ってもオレは親父にも母さんにもキスをされた覚えはない。うんと小さな時にはされていたのかもしれない。
オレや一に今恋人がいるのなら気が引けるが、二人とも誰とも付き合っていない。だから大丈夫ってことはないんだろうけど……、少しは気楽だ。
もし、一に恋人が出来ればこの関係性は無くなるんだろうか?
そんな事を考えていると、何でだろう、胸んとこがモヤモヤするんだ……。
最近たまに起こる症状、オレって病気なのかなってほんのちょっと心配になる時もある。
土曜日の午後。
オレ達のアパートには、絵里と緑川が来ていた。夏希はお家の事情とやらで来られなかった。
「つばさちゃ〜ん、久しぶりっ」
緑川はオレに抱きつこうとして、一に殴られていた。
気の毒にと思う気持ち半分、自業自得だと思う気持ちがもう半分。絵里は緑川と一の小競り合いをいとも楽しそうに眺めていた。
「ああ、緑川。そろそろいいかな、紹介しておきたいんだけど」
「ああっ、勿論」
一の腕をようやく振り払いながら、少し乱れた呼吸でそう言った。
「こちらオレの友達で、筑紫絵里。絵里、このお調子者の馬鹿が緑川……何だっけ?」
「ちょっとつばさちゃん、忘れちゃうんなんて酷いじゃないのぉ。卓でしょ。忘れないでね」
ちょっとおねえ風に気持ち悪くのたまう緑川を完全に無視して絵里にこう続けた。
「だって。一の幼馴染なんだ。嫌なら、無理して相手しなくていいからな」
酷いっ、と嘆いていた緑川だが、絵里のプーさんスマイルを向けられ、つられて笑顔になっていた。
簡単な自己紹介も済んだってことで、勉強は開始された。
オレは、一に教えて貰い、絵里は緑川に教えていた。
「なあ、一。なんかあの二人いい感じなんじゃないか?」
絵里と緑川はたまに談笑を交えながら、仲良く勉強をしていた。その二人の姿は、外野が見ていてもなんだかいい感じだった。
「あっ、オレも思った。二人きりにしてみようか?」
オレは楽しくなって勢い良く頷いた。
「ちょっとオレ達、買い出し行って来るわ。二人は勉強しててくれ」
オレが二人にそう告げると、特に気にした風もなく、生返事を返した。もしかしたら、オレが言ったことが耳に入って来てないのかもしれない。絵里は、説明に一生懸命だったし、緑川はその説明を聞くのに必死だった。
聞いてなきゃ聞いてないでまあいいかと、オレは一と連れ立って外に出た。
今日は久しぶりの晴れで外は酷く暑かった。梅雨もあと少しの辛抱であけるだろう。もしかしてオレが知らないだけで、既に梅雨明けしたのかもしれない。そう疑いたくなるほどに暑かった。
オレ達はアパートを出て、スーパーへと向かったのだが、途中でふらりと方向転換して公園の中の日陰になっているベンチに腰掛けた。
「あの二人、上手くいくといいな?」
「そうだな。いい感じだったよな」
緑川みたいなお調子者でちょっとお馬鹿っぽいキャラには、ああやって優しく微笑んで全てを受け止めてくれる感じの女の子が合うと思うんだ。そう考えると、絵里なんてもうぴったりなんだ。
「元気だよな、子供って」
ぼそりと一が呟いた。一の視線の先には公園内でサッカーしている小学4年生くらいの男の子達がサッカーボールを追いかけ回していた。一人だけ女の子も混じっていたが。その子達のボールが一の足元に転がって来た。坊主頭で、キャップを被った、どことなくサザエさんに出てくるカツオを彷彿とさせる男の子がこちらに駆けて来た。
一はボールを掴むと、その少年を見上げた。
「なあ、オレもまぜてくれないか?」
「兄ちゃんもサッカーやりたいの?」
ああ、と笑顔を浮かべて頷いた。少年は、ちょっと待ってて、と言って他の子達の所に戻って行った。そして、その子達に事の次第を説明しているようで、こちらを指さしている。なんだか多数決を取っているようで、みんなが一斉に手を上げた。少年はそれを見て、再びこちらに戻って来た。
「いいよ。入れてやるよ」
ちょっと得意げにカツオくん(ここではそう呼んでおこう)は言った。どうやら、少年達の全員一致で入れてくれることになったらしい。
一はオレに、ちょっと行って来る、と言うと彼らの中に入って行った。少年たちと一緒に走り回る一はとても楽しそうだった。体はずば抜けて大きいのに、一の表情は少年たちのそれと全く同じものだった。
オレは知らずに頬が緩んでいた。だが、それと同時にずるいと思ってしまった。どうやらオレも仲間に入れて欲しいと知らずに思っていたみたいだ。入りたきゃ入れて貰えばいいんだ。一がしたみたいに。オレは立ち上がると彼らの元に駆け寄った。
「オレも入れてよ」
少年達はお互いに顔を見合ったがすぐに、いいよ、と口々に返事をした。
「兄ちゃんもサッカー出来んのか?」
カツオくんに兄ちゃんと言われたが、別に気にならなかった。特に女だと否定するつもりもない。そういう事にしておけばいい。
「勿論、得意だ」
そんなオレを一はニヤニヤと笑って見ていた。オレは一とは違うチームに入れて貰い、久しぶりに無邪気にサッカーで遊んだ。こんな風に皆でサッカーをして遊んだのは、小学生の時以来かもしれない。ちょうどこの子たちのように、オレも一人男の子たちにまじってサッカーをしたものだった。
こんにちは。いつも読んで頂き有難うございます。
『向日葵』という短編小説を投稿しましたので、興味のある方は、読んでみて下さい。
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