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第13話 5月-5

 オレは隣に座る一を抱き締めた。それは衝動的なものだった。オレでさえ驚いてしまったほどに。

「キスは、無理だから……」

 オレはそう小さな声を洩らす。

 一は、大人しくオレの腕に包まれていた。いつもなら立場が逆だ。オレがいつも一に抱き締められている。不思議な気がした。いつもよりほんの少しだけ一が小さく見える。弱々しく背中を丸める一。こんな時は、言葉なんていらないんじゃないだろうか、ただ人の温もりさえあれば。その温もりは冷えた心を徐々に温めてくれる。今、オレは一にとって湯たんぽやホッカイロみたいな存在になり得ているだろうか。一がそう感じてくれていることを願った。オレには、言葉で人を温かくさせるだけの知恵も腕もないから……。

「なあ、一。オレ、お前の事結構好きだよ。お前の事いつもボケカスに言ってるけど、本当は結構信用もしてるしな。お前が苦しそうにしてるのは、オレには辛い……」

 オレは腕の下に蹲っている一にそう囁いた。

 一が突然ガバッと起き上がり、危うくオレはひっくり返りそうになった。

「俺もつばさが好きだよ。俺達両想いだな?」

 がっしりと両肩を掴まれそう言われた。一の表情は、嬉々としたものだった。

 あれ? 今の今まであんなにへこんでたのに。

「両想い? 友情にそんな言い方すんのかは知らないけど、まあ、そういやそうかもな?」

 友情で両想いなんて言い回しを聞いた事もないけど、お互いそう想ってるならそう言ってもいいのかな?

「じゃあさ、つばさ。キスしよっ!」

 そんな当たり前みたいに笑って言われても正直こっちは困るんですけど。どの流れで、その結論に達したんだ? ていうか、さっきの項垂れた姿は全部演技だったのか?

「いや、だから、オレの好きってのは、友情なんだぞ。何でここでお前とキスしなきゃなんねぇんだよっ。お前は友達となら誰とでもするのか? 緑川とでも?」

「つばさのその気持が友情なのは知ってるよ。誰とでもキスするわけでもない。緑川となんて死んでもお断りだ。でも、つばさは特別なんだ」

 一の表情は真剣そのもので、嘘を言っているようでも冗談を言っているようにも思えない。

「何でオレは特別なんだよ?」

 その瞳の奥に微かに燻ぶる炎のようなものを目の当たりにして、オレは戸惑いながら問う。一は、ふっと頬を急に緩めてこう言った。

「さあ、俺にも解らない。ただ、つばさを抱き締めたくなるし、キスしたくなる。なんて言うかとっても感覚的なもんで、とにかくそう思うんだ」

 そう告げる一の笑顔は、とても清々しいものだった。

「いいよ。しても……」

「はぇ?」

 キツネに抓まれた様な一の顔にオレは目を細める。

「キス。してもいいよ」

 何でオレはこんな事言っちゃってんだろうな。でも、この時、オレも一とキスしたいって思っちゃったんだ。

 我に返った一の顔が近くに迫って、オレの心臓が鳴った。煩いくらいに大きな音にオレは戸惑っていた。

 何だ、これ? こんなの…変だ。

 そう思って混乱しているオレの唇に一の唇がそっと触れた。軽く触れただけで一はすぐに離れた。一に顔を覗き込まれて、オレは頬が熱くなるのが解った。

 変……だ、変だよ、オレ。

 オレは一を見上げた。一は照れ臭そうに笑った。オレはその笑顔につられるように笑顔を返した。笑ったら、少しだけ気持ちが解れた。

「変……だよな、オレ達って……。友達でキスする奴なんていないよな。いいのかな、こんなんで」

「変だろうな、普通はないよ。つばさは嫌? 俺とキスするの。普通じゃないと駄目なのかな、変じゃいけないのかな」

 嫌じゃないから困ってんだ。こんな関係普通じゃ考えられないと思うから戸惑ってるんだ。

「お前はオレが止めろって言ったってキスするだろ。最初からオレ達は普通じゃないんだ。でも、嫌じゃないんだ。不思議だけど、嫌じゃないんだ」

 なんか負けた気がして悔しかった。何に、誰に負けたのかさえよく解らないのに悔しかった。

 オレには解っていたのかもしれない。オレが変だと言えば、一が嫌かと聞くことを、そしてそれを嫌じゃないと答える自分がいることを。変だと思いながらも、その変な関係を続けたいと願っている自分がいることを。そして、一もそう思っているだろう事も。

 普通じゃなくても、当人同士がいいのなら、いいのだろうか。

 オレは土手に寝転がった。

 青く澄んだ空に薄い雲が浮かんでいる。その雲が青いキャンパスにすっと筆書きしたように斜めに浮かんでいた。空はどこまでも続いていて、どこまでも深くて、どこまでも穏やかだった。そんな偉大すぎる空を見ていたら、何もかもどうでもいいように思えて来た。自分の悩んでいること、気にしていることが限りなく小さなことに過ぎないのだと。

「ああ、なんかもういいかぁ。別に普通じゃなくても……。考えたって解んない時は解んないんだし。オレ達が良ければそれでいいのかもなぁ」

 大きな空を見上げていると、オレが空に浮かんでいる雲になったようで、まるで浮かんでいるような感覚を味わった。

「一、お前も横になってみろよ。何か自分が悩んでいることが馬鹿馬鹿しくなってくるぞ」

 一もオレの隣で横になった。

「何か凄いな……。空が迫ってくるみたいだ。俺、さっきタケルと別れたんだよな。本当、へこんでいる時間すら馬鹿馬鹿しく思えてくるな。俺には、つばさがいるもんな、寂しくないよな」

「今はな。卒業したら別々だろうけど……」

 卒業したらこうやって一と並んで空を見ることも、一緒に飯を食うこともなくなるんだろうなと思ったら、言い知れぬ寂しさに襲われた。

「え〜、一緒にいようよ。俺、つばさにずっと傍にいて欲しいよ」

「何だそれ、プロポーズみたいだな」

 オレは苦笑いを浮かべ一を見た。

「いいねぇ、結婚しよっか。つばさ」

 真剣に言ってんのか、おふざけで言ってんのか読み取れなかった。言葉は本当に軽かった、だが、その言い方には真剣さが見え隠れしていた。

「ば〜か。女嫌いがよく言うよ」

 そう言ってオレは体をヒョイッと起こした。

 オレは今、プロポーズをされたんだろうか?

 こんなんだってオレだって一応女なんだ。プロポーズにだって一応憧れめいたもんがあるんだ。それを適当にいいやがって。

 オレは正直そんな一に腹を立てた。だが、そんなことで一々怒りたくもないので、冗談にして終わらせてしまったのだ。

「オレ、そろそろ帰るよ」

 立ちあがって歩きだした。すぐに一が追いかけて来て、オレの顔を覗き込んだ。

「つばさ、怒ったのか?」

「何で?」

「俺がプロポーズなんかしたから……」

 オレの顔色を窺いながら一はそう言った。

「怒ってない。だけど、これでも一応女だからな。プロポーズはオレを本気で想ってくれてる人からされたいよな。間違っても面白半分で言われたくはない」

「俺だって……」

 一が小さい声で何か言ったようだった。ん? とオレは問い返すが、何でもない、と一は言った。

「……いつか、するよ」

「は? 何を?」

 一がなんのことを話しているのか皆目見当もつかなかった。オレが首を傾げていると、一は苦笑した。

「いいよ、今は解らなくて。待ってろよ」

「何だよ、さっきから。意味解んないんだって」

 オレはイラッとして、一に蹴りを入れた。一はそれをヒョイッと軽々と避ける。どんなもんだいって顔をオレに向ける。

 んあっ、憎たらしい。

 再度蹴りを入れるが、結果は同じ。

「一、お前今日飯抜きな」

「えぇぇぇっっ、そんな酷いっ。つばさの作る料理を食べるのがオレの二番目の楽しみなのに……」

「二番目って、一番目は何なんだよ」

 歩きながらそっけなくそう言ったら、一に腕を掴まれて強引に引かれた。あっという間に一の両腕に包まれて、唇を奪われる。そして、唇を放し、顔を近付けたままオレの目を見てこう言ったのだ。

「勿論一番は、つばさとのキスだよ」

 オレは一を思いっきり突き飛ばすと、ギロッときつく睨みつけた。

「あっそ、じゃあお前とは二度とキスしねぇよ、このドスケべキス魔変態野郎っ!!!」

 オレはそう言い捨てると走り始めた。

「あっ、ちょっと、つばさそれ酷くない?」

 後ろから一も追いかけてきている。一はどうやら足が速いらしい。すぐに追い着かれてしまった。オレも足には自信があって、負けるのは悔しかったものだから、そのうち趣旨も忘れてかけっこみたいになっていた。土手の上を二人は全速力で走っていた。やがて走りながら笑いが込み上げて来る。

 一といるのは楽しい。こんな関係が今は居心地がいい。それでいいような気がして来た。

 オレも一も青空の下で笑いながら走っていた。


5月のお話は今日でおしまいです。

明日からは6月に入ります。

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