第12話 5月-4
翌朝、何となく重い気持ちで目が覚めた。着替えだけして自室のドアを開けると、そこには珍しく早起きな一の姿があった。早起きと言っても既に9時を回っていた。普段の一は、金曜日に目一杯夜更かしして、土曜日は昼近くまで寝ている。
「つばさ。おはよう」
いつから起きていたのだろうか、すっかり目が覚めている一の笑顔がそこにはあった。
「おぅ、おはよう」
戸惑いながらもオレはそう言った。
今日の一の決闘は13時。まだまだ時間がある。
こんなに早起きするなんて、かなり緊張してるんだろうか? 見た感じは普段と全く変わらないように思うが。
一は昼ご飯を食べた後、「行って来るよ」と、まるでそこまでちょっと買い物にでも行く時みたいにいつもと変わらない様子で家を出た。
オレは一が出た後、落ち着かず部屋の中を行ったり来たりしていた。一には来るなと言われたけれど、いてもたってもいられなくなってオレは堪らず家を飛び出した。
既に13時を過ぎていた。
一に何かあったらどうしよう。って何でオレはこんなに一のこと心配してんだろ。へらへらしてるし、すぐに抱きついたり、キスしたり、考えたらオレを困らせることばかりする奴だけど、だけど、放ってはおけないんだ。あいつは馬鹿だけど、もうオレには解ってるんだ、あいつがいい奴なんだって事。毎日一緒の釜の飯くってりゃ嫌でも解っちまう。あいつは、オレを大事にしてくれる。オレを一人の人として扱ってくれる。「女らしくしろ」とか「男みたい」なんて言葉は間違ったって言わない。一にとってオレが男でも女でもどちらでもいいみたいなんだ。オレにはそれが嬉しい。一の前では、本当の自分でいていいような気がした。といっても、本当の自分ってのがどんななのかオレにはよく解っていないんだけど。とにかくオレはこんな自分を認めてくれる一を信頼し始めていた。いや、既に信頼しているんだと思う。そう、もう随分前からきっと。
一に限ってやられてるってことはないと思うんだが、それでもオレは現場へ急いだ。川が見えて来て、気付けばオレは必死こいて走っていた。
何でオレこんなに必死なんだろ……。
でも、こんなんもたまにはいいかもしれない。
これは友情なんだろうか。男同士の? 男女間の? 形なんてこの際どうでもいいか……。
オレは走りながら苦笑した。
河川敷が見えて来て、二人の男が対峙しているのが確認できる。雑草が背の高さまで伸びている所に身を隠し、葉音を立てぬように慎重に近づいた。一の後姿は見えるのだが、それに隠れて向こうにいる筈の相手が見えない。だが、これ以上先に進むのは流石に危険だった。
やっぱり男だったんだな……。きっと一は相手が誰だか知っていたんだ。それは、間違いないような気がした。
二人の声が僅かに聞こえてくる。
微かに聞こえる声は一のものだけで、相手の声はごにょごにょと聞こえるだけだった。一の声にしたって断片的なものにすぎなかった。
「つばさは……ない」
「だから……違う」
というような。さっぱり話の内容は解らない。だが、オレのことを何か言っているようだ。その相手もオレの事を知っているんだろうか。
そのうち相手が喧嘩腰になって来ているように感じた。言っていることははっきりとは解らないが、一を激しく罵っているようだ。
一がその人物に頭を下げた。その時、ちらっと相手の顔が見て取れた。
あれは……。
でも、何で頭を下げているんだ? なんであんな手紙を? 何で彼が……?
混乱していた。何一つ理解出来なかった。だが、一から、その二人から目を放すことは出来なかった。
すると、突然一が倒れた。
すぐに、一が殴られたんだと解った。相手が一に怒鳴り散らしてその場を去って行った。
その人物がオレの横を早足で通り過ぎた。
やはり間違いない……タケル。
タケルの姿が完全に見えなくなるとオレは一の元に駆け寄った。
「一! 大丈夫か?」
一はタケルの拳を避けなかった。一なら難なく避けれたのに、それを敢えてしなかった。
「つばさ。来るなって言ったのに……」
「しょうがないだろ! 心配だったんだよ、お前の事」
一の口元には血が滲んでいた。一は、それを手の甲で乱暴に拭い、心配そうに覗き込むオレに微笑みかけた。
「大丈夫だよ」
「……タケルと、何があったんだよ」
これは二人だけの問題なのかもしれない。二人は恋人同士なんだ喧嘩することだってあるだろう。オレが立ち入っていいことじゃないのかもしれない。だが、聞かずにはいれなかった。
「見てたんだな?」
「ごめん。でも、話は聞いてない」
手を貸してくれと言われて手を差し伸べると、一はひょいとオレの手を取って起き上がった。一が歩き出したので、オレもその後に従った。着いて行ってもいいものかと本当は迷った。だが、その背中が着いて来いって言っているような気がしたんだ。
土手の中腹で、一は腰を下ろした。オレもその隣に腰かける。
「俺な、タケルと別れた」
別れたって、あんなに仲良かったのに。オレが一と居候を初めて1か月が経っていたが、その間何度となくタケルは家に遊びに来ていた。遊びに来れば二人は、とても楽しそうにしていたし、喧嘩をしているようすは全くなかった。
「俺が一方的に別れを告げて、話す事も会うことも避けてた。タケルも考えたんだろうな。あの果たし状、すぐにタケルだって解ったよ」
「何で? あんなに仲良かったじゃねぇか」
オレには理解出来なかった。
「前につばさ言ってたじゃないか。タケルはいい奴だけど、羨ましいって。俺もそう思うって言ったの覚えてるか?」
オレは黙って頷いた。
「そういう気持ちがさ、どんどん強くなって、苦しくなっちゃったんだよ。タケルを見てると自分にないものばかりで羨ましくて、妬ましくて。それが辛くなった。一緒にいるのに、タケルに優しい気持ちが持てなくなってった。二人でいても優しい気持ちになれないなんてな。これ以上一緒にいてもタケルを傷つけることしか出来ないんだ」
一の項垂れた背中をオレは摩ってやった。こんなに弱っている一を見るのは初めてで、正直どうしてやればいいのか戸惑った。こんな時は傍にいた方がいいのか、それとも立ち去った方がいいのか、それさえ解らぬまま一の隣に佇んでいた。
「自分の気持ち話して、タケルは納得してくれたのか?」
「タケルは、俺が別れを切り出したのは、つばさを好きになったからだと思ったようなんだ。それを今日は説明した。解ってくれたよ、殴られたけどね」
一は自嘲気味に笑った。そっかぁ、とオレは気の抜けた返事しか出来なかった。
「あ〜あ。オレ何でこんなんなんだろ。隣で同居人が苦しんでんのに気の利いた事一つしてやれねぇ。ごめんな、一。オレじゃ役不足だな。何も出来ねぇ」
「つばさは隣りに座っていてくれればそれでいいんだ。そうだな、俺を元気づけたいならキスしてくれる?」
「てめぇ、毎日毎日馬鹿の一つ覚えみたいに同じこと要求してきやがって! しばくぞ、ボケっ」
オレの怒声を一はいつもよりも少し元気がないようではあるが、笑って見ていた。その笑顔も徐々に力を失くし、やがて消えた。
オレはそんな一を見て、心がぎゅっと締めつけられるように痛んだ。
オレは隣に座る一を抱き締めた。それは衝動的なものだった。オレでさえ驚いてしまったほどに。