第10話 5月-2
夏希はオレの要望通り制服を用意してくれた。サイズも俺にピッタリなところが抜け目ない。何でオレのサイズを知っているのかが引っ掛かるが。
放課後、学校を一先ず出て、近くの公園で着替えをすます。
「つばさ……。驚くほど似合ってるわね」
「つばさ、凄い。恰好良いよ。どっからどう見ても男子だね」
二人に絶賛され、喜んでいいのか悲しむべきなんだか正直複雑な思いを抱えていた。
ここからは、二人と別れて一人で行かなければならない。夏希がやっぱり私も行くわ、と言ったが、オレはその申し出を強く拒否した。
オレは軽く右手を上げ、二人と別れると、緊張をひた隠しにして男子校の正門を潜った。
「それにしても、緑川の青柳に対する嫌がらせは酷いよなぁ」
「なっ。どうせ恋人取られたとかそういうのの逆恨みだろ。緑川の奴、本当厭味だよな」
「でも、まぁ、青柳があんなんで怯むとは思えないけどな。あいついつも涼しい顔して動じてないもんな。そこがクールで恰好良いんだよな」
擦れ違った二人の生徒が一のことを話題にしていた。
緑川から嫌がらせ? 緑川って一体何者なんだ?
「その緑川って誰なんですか?」
オレは思わず衝動的にその男子生徒に話し掛けてしまった。
「あ? お前新入生か? 青柳のファンとかだったりするのか?」
「ええ、まあそんなとこです。あの人、恰好良いですよね。憧れちゃいます」
あまりにも本心とはかけ離れた言葉を口にしているもんだから、笑顔がどうしても引き攣ってしまう。あんな奴憧れでも何でもない。すぐに抱き付いて来るし、隙を見せるとキスをして来る。あいつに何度唇を許してしまったんだろう……。、あいつは俺をからかって楽しんでるんだ。つくづくオレって隙だらけなんだなってつくづく思うと自分が情けなくなってくる。
「そうだろうな。俺達同級生でもあいつには一目置いてるもんな」
「それで、その緑川って人は……?」
「緑川も3年なんだけどよ、何が気にくわないのか青柳に突っかかって来るんだ」
緑川……か。
「その緑川先輩って何組なんですか?」
「C組だよ。青柳と同じクラスだ」
「そうなんですか。すいません、突然呼び止めて色々聞いちゃって。有難うございました」
「いいってことよ」
そう言って手を振りながら去っていく二人に頭を軽く下げて見送った。
取り敢えずは、緑川だな。そいつの筆跡を確認してみる必要がありそうだ。
それにしても、家での一と学校での一がどうしても一致しない。
あいつ、学校で相当猫被ってんだな。
くくくっとオレはその場で笑った。
オレは足早に歩を進める。
先ほどの生徒には、オレが女だとはバレなかったが、次にバレないとは言い切れないのだ。
見知らぬ生徒達が正門に向かう中、オレだけが昇降口へと入って行った。
一と緑川がいる3年C組は外から見て、どこにあるのかは確認済みだ。目指すは3階の左端の教室である。
教室に誰も残っていないことを願う。ましてや一には絶対に見つかりたくないものだ。
階段で3階まで上がり、C組の教室内をドアの小窓から覗きこむ。幸い誰もいないようだった。前を通って確認した感じでは、他の教室にも誰も残ってはいないようだった。ふぅっと小さく息を吐いて、ドアをあまり音が出ないように慎重に開け、教室内へと侵入した。
女子校と男子校では随分と雰囲気が違うもんなんだな。
男子校は一言で言ってしまえば、男臭い。って、当り前か。さらに言えば、机が乱れ、汚い。机の中の教科書類が半分机から覗き出ているし、黒板もちゃんと消し切れていないのか白い粉が残っている。後ろにあるロッカーの扉も所々半開き、机自体も汚くて殆どの机に派手な落書きがしてある。机と机の間にティッシュやゴムの包み紙何かが落ちている。教壇の近くにあるごみ箱にはごみが山盛りで何個かその横に落っこちてしまっている。一番後ろの席とロッカーの間の床に何故か土間ぼうきが落っこちている。
その男子校特有の汚さを目の当たりにして呆然と見ていたオレだったが、気を取り直して緑川の机を探す事にする。
椅子の背の部分に名前のシールが貼ってあった。勿論既に剥がれてしまっているようなものもあるようだが、全ての机の中を覗いて確認するよりかはマシだろう。シールの中には、あまりの字の汚さに全く判別出来ないものもあった。後ろから腰を屈めて見て歩き、丁度真ん中あたりに漸く緑川の席を発見した。
緑川の机の中を申し訳ないと思いながらも覗きこむ。一番上にエロ本が出て来た。
おいおい、ここに何しに来てんだ緑川。
その下に教科書なんかがあり、ノートも見つけることが出来た。国語と書かれたノートを取り出し、持参していた例の手紙と比較する。
ん? 緑川は……違う。この手紙は緑川が出したもんじゃない。
この手紙の字は可愛らしい丸字なんだ。だから、当初オレ達はこれを書いたのは女だと思ったんだ。緑川は、こんな可愛い字じゃない。蛇みたいなひょろひょろっとした字だった。
ガラッ。
突然、後ろのドアが開いた。
驚いたオレは咄嗟に立ち上がった。
あっ、馬鹿。隠れるべきだったのに……。
持っていたノートが無残にもバサバサっと大きな音を立てて落ちた。
「誰だ? そこで何をしている? このクラスの人間じゃないだろ」
この声は……一だ。
かつかつかつと一が近づいて来て、肩を強く引かれた。
ああっ、もうどうしようもない。
肩を引かれて振り向いたオレは一と対峙した。
「つばさ? 何でこんな所に……」
オレは言葉に窮し、にへらと笑った。一はオレの足元に落ちた果たし状と緑川のノートを取り上げた。
「犯人捜しかな? つばさ君」
一が怒っているのがその口調で解る。一は何もしなくていいと言っていたのだ。オレがそれを無視して行動していたことを怒っているのだ。
「ごめん」
俯いて呟いた。
「俺は、何もしなくていいって言ったよね。忘れた?」
「だから、ごめん」
オレはさらに委縮した。
「ここが男子校だって解ってる?」
「だからごめんって……」
一はオレが顔を上げた途端にチュッと軽くキスをした。
「なっ何すんだ、ボケっ」
オレはいつもするように口を袖で拭いた。
「つばさみたいな可愛い子はね、こんな所で一人で歩いていたら危ないんだよ。相手が俺じゃなかったらやられててもおかしくないんだ」
一の本気で怒る表情も、ほんの少し震えたその声もオレが初めて目にするものだった。
「ごめん」
それしか言えなかった。
再び俯くと、ふわりと一に抱き締められた。
「誰にも触られてないよな?」
こくりと頷いた。一の体が幾分震えているようだった。オレのことをこんなに心配してくれてるんだ。自分の軽はずみな行動を深く反省した。
「ごめん、もうしない」
「当たり前だ。……つばさ、帰ろう」
帰ろうと言った一の声があまりにも優しかったので、不覚にも涙が出そうになった。こんなにも優しい声で囁かれた声を聞くのは久しぶりのような気がした。いつもは自分勝手なバカ親父だったが、どこかに連れて行った帰りなんかにとても優しい笑顔で優しく言う言葉は、今一が言った言葉と全く同じようなものだった。
「うん」
かろうじてそれだけ口にすると、一はオレを解放した。オレは緑川のノートを拾い、机の中に戻した。果たし状の方は一に没収された。
ガラっという音と共に教室の前の扉が開いて、誰かが入って来た。
「緑川……」