5 4年越しのラブレター
なつめ君の最初の印象は、かっこいいよりも綺麗な顔の男の子。いつも無表情で愛想がなくて、少し怖いと思っていた。
それが変わったのが、なつめ君がコンビニに通い始めて数ヶ月が経った頃。
その日は運悪く、私はクレーマーに当たっていた。
常連ではない年配の女性。きっかけは確か、袋詰めが気に食わないということからだった。
「最近の子は、お化粧にも品がない」
ひとつ言い始めると、その女性は何から何まで文句をつけ始めた。
特に華美なメイクをしていたわけではない。
バイト先の規約に反せず、接客業をする上で人前に立っても失礼にならない程度。
それでも、その女性には悪く見えたようだった。
「すみません……」
そう言うしかない。
もう一人のバイト、同い年の男の子は別レジで必死にお客さんを捌いていた。
チラチラとこちらを見て、代わるよ、と何度も合図してくれたけれど、私は首を横に振った。
ここでクレーマーを投げつけてしまうのは、申し訳なかった。
「あなた、すみませんしか言えないの?」
「すみません」
「どういう教育されてるのかしら。店長出して」
「不在です……」
「はぁ?」と大げさに声を上げた女性は、さらにイラつきが増したようだった。
チラチラと他のお客さんからの視線が刺さる。誰もが冷やかしの目を向けて、私は怖さと恥ずかしさでどんどん声が小さくなった。
「……あの」
そんな中で、私とその女性の間に割って入ってくるお客さんがいた。
綺麗な顔の男の子。身長もあり、不機嫌そうな声に迫力を感じた。
それが、なつめ君だった。
「もういいっすか。みんな待ってるんですけど」
「……は?」
なつめ君が女性に言うと、今度は怒りの矛先がそちらに向いたようだった。
「あのね、私は今このバイト店員に注意を……」
「あんたがこの人を捕まえてるから、レジが進まないんすよ。俺急いでるんで、どいてもらえませんか」
「あんたって、なんて口のきき方! 最近の子は言葉遣いも……」
「いい加減いいすか。急いでるんですよ。俺も、他の人達も」
なつめ君の声が低くなった。
ただでさえ不機嫌そうなのに、その綺麗な顔で凄まれるとさすがに女性もたじろいだ。
「も、もういいわ。あなた、気をつけなさいよ!」
買い物袋を乱雑に待つと、女性は急ぎ足で店を出て行った。
ぽかん、と見送る私。安堵から、深く息を吐き出した。
レジに、トン、と商品が置かれた。
「あっ、失礼しました! お急ぎなんですよね。すみませんでした」
ピッとバーコードを読み取る。
お買い上げは、いちごミルクのパックジュースのみ。
すでに出されていたぴったりの金額を預かり、レシートが出てくる前に袋を用意する。
「いらないっす」
「袋いりませんか? ストローは?」
「いらない。それも」
それ、と指さされたパックジュース。
お買い上げ済みなので、私は困惑した。
「えっ、と。返品されますか?」
「あげます。どんまいでした」
そう言って、なつめ君は店を出て行ってしまった。
パックジュース以外には何も買わず、手ぶらで。まるで私を助けてくれるためだけにレジに来たように。
(お礼、言いそびれちゃった……)
いつも無表情で愛想のない、ちょっと怖いと思っていた男の子。
綺麗な顔でより近寄りがたいけれど、本当はそうではないのかもしれない。
イメージとは違ういちごミルクのパックジュースが、そう思わせてくれた。
❇︎
「……——結局、その次の日から試験前のお休みもらってて、試験明けに改めてお礼をしたら忘れられてました」
「へー。付き合う前はそんなだったんだ、溺愛君」
仕事終わり、遅い時間にも関わらずアルコールを置いているカフェに付き合ってくれるのは、高校からの友達。
大学は離れ、就職も違う道だったけれど、こうして今も付き合いがある。
「溺愛君って……」
「立夏に聞く限りでは溺愛君でしょ」
「そうかなぁ」
たしかに、すごく大事にはしてもらっていた。
最初のなつめ君の印象から、付き合った後の態度の変化を考えると、溺愛は間違いないのかもしれないけれど。
「綺麗な顔してるのに、変わった子だったよね。いや、写真しか見てないから知らないけど」
「適当だなぁ」
「てきとーよ、てきとー。あんたのノロケ話はいつも胸焼けもんだったもの」
「ご、ごめんなさい……」
肩を縮こめて謝罪する。
なんだか、途端に恥ずかしくなってきた。
そんな自分に——まだ、そんな感情を持っていた自分に、小さく笑う。
「なつめ君、すごかったもん。ギャップが」
「あんたよく振り回されてたよね。年下相手に……って思ってたけど、萌えはある」
「萌え……?」
「ギャップ萌え」
それかぁ、と笑いが込み上げた。
ギャップ萌え。私は恋愛感情だったからそこには至らなかったけれど、なつめ君のギャップはたしかにそれだ。
たぶん、クーデレってやつ。
自然と思い出して、頰が緩んだ。
結局、あのギャップには最後まで慣れることはなかった。
「…………まだ、好きだなぁ……」
テーブルに、こつん、と頭を落とした。
首から重力に従って垂れてくるネックレスを指先で撫でれば、ハートの形が頭に思い浮かぶ。
「当たり前じゃん。1年くらいだっけ?」
友達の手のひらが私の頭に乗せらた。
ぽんぽんと、リズミカルに私を慰める。
「もうちょっとで1年半……」
伝わる優しさに目を閉じる。
少ししか飲んでいないはずのアルコールが、一気に回ってきた。
なつめ君がいなくなってからの年月。
付き合った期間の半分を、とっくに越えてしまった。
彼は、2年目のあの日に、事故で亡くなった。
「……なんかあった? まだ立ち直ったわけじゃないんでしょ」
「んー……」
「言いたくないならいいけど」
「……手紙をね、読んだ」
「手紙?」と首を傾げたらしい友達の手が止まる。少し思案して、また手が動き出した。
「そのネックレスと一緒に渡されたやつか。読めたの?」
「うん。……結構きつかった」
それを渡されたのは、なつめ君の葬儀後。
事故当時に手に持っていたらしい紙袋はすっかりひしゃげ、錆色に染まった残酷なものだった。
箱に入れられたネックレスはかろうじて傷ひとつなく。けれど、手紙は。
紙袋同様に、ところどころが錆色だった。
「私と付き合う前に書いてくれたものでね。部屋で見つけて、一度だけ読んだことがあったの。ちょうだいって言っても、その時はくれなくて」
「それを2年の記念日に渡そうとしたのね」
「これと一緒にね……」
ネックレスを手のひらで包み込む。
形のある物は残したくないと頑なだった、なつめ君からの贈り物。
なつめ君が私のために選んで、贈りたいと思ってくれた初めてのもの。
そして、最期になってしまったもの。
「辛くない? それ持ってるの、逆にさ」
「辛くはないかな……。これしかないから」
「本当に何もくれなかったんだ」
「今、思うと。なつめ君はこうなるのがわかってたのかな、なんて」
形のある物は残したくない。
その他にも、気になる言動はあった気がする。私との時間を大事にしたいと言ったのも、そういうことだったのかも、と。
「……手紙もね、私が前に読んだものとちょっと違ってた。最後に付け加えられてたの」
「それが、きつかった?」
「きつい。きついよ。私は、前を向かなきゃいけないから」
友達の手が優しい。
その優しさに甘えるように、私の瞳から涙が落ちていく。
幾度となく流した涙は、これだけ時間が経ってもまだまだ溢れてくる。
「……なんて書いてあった?」
気遣う友達は、それでも遠慮なく踏み込んでくる。でなければ、私が抱え込んでしまうのを知っているから。
止まらない涙にだんだんと苦しくなって、声が出せなくなった。
頰が熱を持つのは、アルコールのせいだけではない。
私のしゃくりあげる声だけが、その場に響く。
「ゆっくりでいいよ。何事も」
「………………うん……」
友達は手を止めない。
握りしめたネックレスの小さなハートが指に食い込む。その形を、確かにある存在に安堵して。
手紙の最後に加えられた言葉を思い出す。
『好きでした。
過去も、これからも。
俺は立夏を想い続けます。
歩んでいく未来に、もしその隣に俺がいなくなっていたとしても。
俺は、立夏の幸せを願い続けます。
出会えて、よかった』
私は前を向かなければいけない。
なつめ君が残してくれた言葉を胸に刻んで。
なつめ君が望んでくれた、私の幸せを掴むために。
たとえ隣にいなくても、私の中に残ったなつめ君と共に。
やっと手元に届けられた手紙は、私の背中を緩やかに押し出した。