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彼女は大学を卒業し、新社会人として邁進する日々。
会える日はめっきりと減り、楽しみは週末だけとなっていたのに、だんだんとそれすらも難しくなってきた頃。
スマホの着信は、期待外れの友人からだった。
『彼女にほっとかれてかわいそうな君に、嬉しいお誘いだよ〜』
「…………何」
冷やかしともとれるその電話に、俺も不機嫌な声を隠さない。
『うわ、機嫌悪っ。今日バイトないよな? これから空いてる?』
「なんで」
『いつものメンツで飲みに行こうって話しててさ〜』
「ふぅん」
『行くだろ?』
「……行こうかな」
『おっし。場所は——……』
スマホを耳と肩に挟みながら、外に出る準備を始める。
と言っても時刻はすでに夕暮れ時。身支度はほとんどなく、羽織るものをクローゼットから選んで取り出した。
そのうちに友人は、なんだかしみじみと語り出し始めていた。
『なつめ、変わったよなぁ。前まで誘っても来なかったのに。とっつきやすくなって友達できたし、バイトも始めちゃって……』
「なんだよ急に」
『いや、親友として。嬉しいなぁと思ったんだよ。そんだけお前を変えた彼女、すげぇわ』
「だろ」
でも、少し寂しいな〜と友人は茶化して言った。
『大事にしろよ』
「当たり前」
薄手の長袖シャツを羽織り、スマホを手に持ち直す。
おちゃらけた友人がなんやかんやと喋り続け、それを聞き流しながら玄関へ向かう。
すると、そのタイミングでインターホンが鳴った。
躊躇なく扉を開けると、あまりの早さに相手は驚いたようで。
「……あれ、今日は用事があるって言ってませんでしたっけ」
俺も驚いた。
今週は会えないはずの彼女が、なぜか息を切らせてそこに立っていたから。
「用事が早く終わったから来たんだけど、おでかけ? ちょうど会えてよかった。じゃあ私、帰るね」
「えっ。ちょっと待って」
彼女の腕を掴み、玄関へ引っ張り込んだ。
彼女ごしに扉を閉めれば、自然と覆い被さる形で。
『……彼女?』
「うん。今日、パスで」
『あいよー。楽しんで』
「え、悪いよ! 行っておいでよ、なつめ君」
「行くわけないでしょ」
スマホを切ろうと耳から離して、あっと思う。
再びスマホを耳に当て、まだ通話が切れていないことを確認した。
「あのさ」
『ん? どした?』
「俺、お前との時間もちゃんと大事だから。他の友達との時間も」
『お、おう……?』
「そんだけ。じゃ」
ぷつり、と電話を切る。
目の前にいる俺より背の低い彼女は、聞いてはいけないものを聞いたような、照れたような顔をしていた。
その彼女が、おずおずと口を開く。
「ごめんね。私がいきなり来ちゃったから……」
「? 別に謝ることなんて」
「だって、友達と約束していたんでしょ?」
「あいつらとはいつでも時間が合います。今は、立夏さんの時間」
そっと腰に手を回し、引き寄せる。
すでに俺の行動を読み取った彼女はぎゅっと目を閉じた。俺は遠慮なく口付ける。
深く、浅くを繰り返して。会えない分の想いを、そこにぶつける。
「……せっかく立夏さんがうちに来たのに、帰すわけないでしょう」
耳元に低くつぶやく。
びくっと肩を震わせた彼女に、薄く笑う。
甘く繋がった口付けで抑えの効かなくなった俺は、固まる彼女の手を引いて部屋へと迎え入れた。
❇︎
形のある物はできるだけプレゼントしないようにしていた。
もしもいつか、俺がいなくなった時。その時に、未来のある彼女の足枷になりたくなかったから。
だが、俺のそんな気持ちは彼女は知る由もないわけで。
付き合って1年が過ぎた頃、ペアのものが欲しい彼女と、そういうものは残したくない俺とで小さなケンカをした。
最終的にはペアのストラップで我慢してもらったのだが、その時の彼女の嬉しそうな顔には俺がやられてしまった。
そんな小さな物で、そんなに幸せそうにされてしまうと。
……彼氏としては、もっと別の何かを贈りたくなってしまうわけだ。
(2年の記念日に。バイトのシフト増やすか)
そんなわけで、どうせ彼女には会えないしとバイト三昧になった俺。
待ち遠しかった休日に彼女が部屋にいるというのに、居眠りをしてしまっていた。
元気なつもりが、疲れは溜まっていたようだ。
「ねぇ、なつめ君」
遠くで彼女の声が聞こえた。
まどろみの中で返事をする。
「……うん」
「私宛の手紙が出てきたんだけど、読んでいい?」
「……うん」
彼女宛の手紙。
なんで俺の部屋に、誰が書いたのだろう、とぼんやり考えて、急激に体温が上がった。
驚くほどの目覚めの良さで飛び起きる。
「手紙って」
思い当たるものはひとつ。
だけど、気づいた時にはもう遅い。
読み終えた彼女は、満面の笑みだった。
「これ、ラブレター?」
「うわ……それ返して」
「やだ。いつ書いたの?」
「付き合う前。ほら、返して」
「いやー」
手紙に手を伸ばす俺に、体をそらしてそれを避ける彼女。
俺は結構本気で取り返したいのだが、彼女はそのじゃれあいを楽しんでいるようだ。
「返して」
「めずらしく必死だね」
一向に返そうとしない彼女は、笑い声を上げ始めている。
仕方ない、と俺はため息をついた。
とん、と彼女の体を押す。
「わっ」
体をそらしていた彼女は簡単にバランスを崩した。
床に転がった彼女に、俺は覆い被さる。
「はい、返して」
手紙を没収し、机の上へ放る。
彼女が不満げな声を漏らした。
「その手紙ちょうだい」
「だめ」
「私に書いたんでしょ?」
「だめ」
「けちー」
頰を膨らませる彼女。
つん、と尖った唇が可愛らしいと思い、顔を近づけた。
けれど、触れる直前に間に手を差し込まれてしまった。
「……そんなに欲しい?」
「だってなつめ君、そういう残るものって全然くれない」
「うん」
「私はもっとそういうのが欲しい。小さい物でも、なつめ君を感じられるから」
「……立夏さん」
邪魔する手をどけて、彼女の顔の横で押さえる。
遮るものがなくなった唇はまだつんと尖っていて、俺はそれに嬉しくなった。
この年上の彼女は、わがままを全然言わないのだ。
「手紙はまた今度。残る物もちゃんと用意するから、待ってて」
唇を、唇で包み込む。
つんと尖って硬くなっていたのに、すぐに柔らかく俺を受け入れた。
体に手をそわせれば、くすぐったそうに体をよじって。
「……——俺はね、立夏さん」
上がる息に、とろけた表情の彼女が俺を見つめる。
ぞくぞくと押し寄せる快感に、はぁ、と息を吐いた。
「物で繋がるよりも、立夏さんに俺を残したい。体にも、心にも」
触れる熱に、彼女を感じて。
散る紅い花びらは、独占欲の証。
頭がくらくらとして、抗いようのない幸福感に包まれる。
求めて、求められて。
彼女に、何度も俺を刻みつけた。
❇︎❇︎❇︎
目的のものをやっと購入できたのは予定の数日前。
ハートか花かさんざん迷った挙句、店員さんのアドバイスもありハートにした。
ピンクゴールドのハートのネックレス。ワンポイントで石が入ったシンプルなもの。
付き合って2年目を前に、ようやく覚悟のできた形の残るプレゼント。
きっと喜んでくれると、それが入った小さな紙袋を持った。
(……あと、あれも)
もう彼女の目に触れさすまいと隠していた手紙。久しぶりに手に取った。
丁寧に封を開け、なんとなく読み返す。
彼女にとっては2年前。俺にとってはもう、4年前の出来事が綴られている。
最後の「好きでした」というひと言に、胸が痛むことはもうなかった。
(結局これは、どういうことなんだろうな)
夢なのか、現実なのか。
いまだにわからない現状は、俺の中では現実として過ぎていく。
過去とは違う、新しい道として。
(……まぁ、今はいいか)
ペンを持つ。
手紙に少し付け加え、封筒に戻した。
それを紙袋に入れると、彼女との約束の時間が迫っていることに気づき急いで部屋を出た。
俺は今を走る。
過去のあの日と違った未来を掴むために。
彼女との幸せを望み、これからも歩んでいくために。
振り切れないあの日に足を掬われようとも。
事故に遭ったあの日を、繰り返すとしても。