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5.流れる雨に塗りつぶされて


こっそりと食堂の裏手の扉を開けると、途端に大粒の雨がアーヤの頬を濡らした。気付かぬ内に、結構な大雨になっていたらしい。ごうっという音と共に強い風が吹き抜け、アーヤの髪を乱していく。

なるべく身体を濡らさぬよう外套を抱きしめるようにして羽織り、アーヤは厩舎まで脚を急がせる。


「せっかく休んでたところごめんね、ポッチ。もう一度、背中に乗せてもらえるかな……」

小さくそう話しかけながら、のんびり草を食んでいるポッチに慣れた手付きで手綱を掛けていく。もう何度も練習した手順。迷いはない。


最後に額の二本の角に手綱を結びつけると、ポッチは面倒くさそうな緩慢な動きながらもアーヤに寄り添った。

「よしよし、」ポッチが喜ぶ角の根元の辺りを撫でながら、アーヤは厩舎の扉を開ける。少し考えて、隣に掛けてあったハルトの手綱も回収していくことにした。多少は時間稼ぎになるかもしれない。




ポッチを伴って、外に出る。吹き付ける雨粒に当たると、ポッチの歩みはあからさまに遅くなった。

「どうしたの?ほら、行くよ。」いつもと違う様子に不安を覚えるが、今更引き返すことはできない。ポッチに跨り、先を促す。渋々といった様子で、それでもなんとかポッチはゆっくりと走り始める。

いつハルトが追ってくるかと心配なアーヤは、その緩慢な動作に気が気ではない。早く、早く、と逸る気持ちを必死で抑えて手綱を操り、村の扉を一直線に目指していく。


しかし、扉をくぐり郊外に出たところで、ポッチの歩みは突然、ぴたりと止まった。

ここまでは嫌がりながらもアーヤの騎乗に従っていたというのに、そこからはもういくら鞭を振るってもポッチは頑として動こうとしない。


嫌な汗が背中に流れた。押し込めていた不安がどんどん膨れ上がっていく。こうしている間にも時間が刻一刻と流れていくのを肌で感じる。

「ねぇ、お願いだから……!」

泣きそうになりながら、アーヤはポッチの背中から降り手綱を引っ張る。引きずられてポッチは少しだけ歩き始めた。しかし、今度は大きな水たまりの前まで来ると完全に座り込んでしまう。




――逃げなくてはならない。捕まる訳にはいかない。

捕まったら殺されてしまう。生贄にされて、魔王が蘇ってしまう。魔王が蘇れば、自分だけではなくこの世界の多くの人が不幸になるだろう。


――だから。

――ここで留まる訳にはいかないのだ。


「だから、ねぇ……!」

途方に暮れて、半泣きでポッチに縋り付く。いくら引っ張っても、力の差は歴然だ。もう一歩も動くまいと決めたように、ポッチは岩のように静かにただそこに座している。


「何で……?何で、進んでくれないの……?早く、早く走ってよ……!」

嗚咽の混じる哀願は、ポッチには届かない。その声はただ、無慈悲に雨音に塗り込められていく。


雨は一層強く降り始める。

無意識の内に、頬をぬぐう。気付けば、自分の頬はぐっしょりと濡れていた。この雫は、雨だろうか。それとも……




○   ○   ○   ○   ○   ○   ○




「ウマは穏やかで力が強く騎乗に適した生き物ですが、一つ欠点があります。」

背後から見知った声がした。ぎくりと身体が強張る。

――振り向きたくない。そんな想いとは裏腹に、操られたかのようにアーヤの身体はギクシャクと後ろを向く。


「そう。その欠点とは、ぬかるんだ地面を歩くのを嫌がること。ですので、雨に降られた際には専用の雨具を着けなければなりません。……今回は、良い機会なのでその装着方法についてお話ししようと思ったのですが。」

落ち着き払った様子でつかつかと歩み寄るハルト近衛団長。

その瞳には何の感情も浮かんでいない。しかし前髪から滴り落ちる雨の雫を拭うこともせずひたとアーヤを見つめる彼には、計り知れない凄みがあった。

ヘビに睨まれたカエルのように、アーヤはその場から一歩も動けずに立ち尽くす。


「さあ、戻りましょうか。」

――ああ、()()()()()()()()。へたり込みそうなほどの絶望。


「……はい。」

もはや抗う気力もなく、アーヤはのろのろと促されるがままに村へと足を踏み出した。




……と、その時。


「危ない!」

切羽詰まったハルトの声とともにどん、という衝撃がぶつかった。


強く突き飛ばされたアーヤの身体は巨大なポッチの胴体に受け止められ、なんとか転倒を免れる。全身を強く打ち付けられ、まぶたの裏で火花が散った。


「痛ったぁ……」「お怪我はありませんか、アーヤ様。」

何が起きたか把握できていないアーヤを、腰の剣を抜いたハルトが半身だけ振り返って気遣う。その手が無造作に投げ捨てたものを目にしたアーヤは、思わず息を呑んだ。


――もしかして、あれって矢……?

彼が投げ捨てたのは、握り潰された三本の矢。


――まさか、飛んでくる矢を受け止めたの……?嘘でしょ、三本同時に……!?

ハルトは張り詰めた表情で身構え、周囲を注意深く窺っている。彼の邪魔をしてはいけないと、アーヤは慌てて息を殺した。


思いがけない出来事に、アーヤは事態を把握しようとしながらも最も重要な事から目を背けていた。

――否、それは寧ろ彼女が冷静さを保つために必要な逃避だったのかもしれない。


……即ち、その矢は()()()()()()()ということ。



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