2.前向きな暇つぶしは現状打破
――世界は、いつまで自分を許容してくれるのだろう。
――己は、いつまで己のままでいられるだろう。
その不安から逃れられた日など、一日としてなかった。
夜に沈む度に恐ろしくなる。
今宵こそ、自分はこの闇に塗り潰されるのではないかと。
そして、朝が来るたび確かめる。
大丈夫、己はまだヒトを保っている。まだ、正気でいられると。
――いつか訪れる終焉。
その確信に常に怯えながらも、それでも自ら死を選ぶことはできない。
それこそが、己を手放すことに他ならないのだと誰よりもよく理解しているから。
――それでも、選択の余地のないその生に意味はなく。
乗り越えねばならない終わりなき繰り返しに、ただただ絶望が胸を浸していた。
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
「なーんか、イヤな夢を見たような……」
朝。ベッドの中で大きな伸びをしながら、アーヤは呟いた。
胸が締め付けられるほど寂しい……圧倒的な孤独を感じる夢だった気がする。
(やっぱりヒトとの会話に飢えてるからかなー)
元の自分の部屋くらいありそうな大きなベッド。無気力に寝返りを打ってみたが、広大なベッドの上では動いた感覚がまるでない。
異世界に来て、今日ではや四日目。
ベッドの上でいくらゴロゴロしていても怒られない環境も、最初は嬉しかったがもう飽き飽きだ。枕を抱きしめてもう一度、今度は反対側に大きく寝返りを打つ。
四日も経てば、もう元の世界の事が恋しくなってくる。
何しろ時間だけは余るほどあり、娯楽は驚くほど少ない。
最初の数日は城内探検や庭園の散歩など精力的に楽しんでいたが、もう飽きた。
それでは本でも読むかと思ったら、なんと文字が読めないといった始末。言葉が通じるから油断していたが、ここは異世界なのだ。
お城の人は親切ではあるが、どこか余所余所しいし、そもそもあまり言葉を交わすなと言われている。
――結果。余りある時間はただ持て余すだけのものとなってしまっている。
(皆、どうしてるのかなー)
そういえば今度食べに行こうと約束してたタピオカのお店、結局行けなかった。勉強しろと口うるさかったお父さん、厳しいけど時々こっそりお菓子を差し入れてくれた部活の先輩……戻れないと思うと、そんなつまらない思い出すら愛おしい。
スマホの電源を点けようと試みても、こちらに来てから一度も電源が入った試しがない。今や、元の世界を思い出させるモノは衣装棚に吊るされた制服だけだ。
(せめてその救世の能力がもう少し早く手に入ればなぁー……)
百日間も何をすれば良いのやら。大きな溜め息をつく。
――と、そこでやっと。
ぐじぐじ思い悩んでいる自分を自覚した。
どうしようもない事を嘆いても、何も進まない。こんなのは、前向きな自分に似合わない。
ぶるぶると頭を振り、勢いよくベッドから飛び出す。
せっかく求められてココに来たのだ。うじうじしている暇なんてないハズ。
軽く自分の頬を叩き、よし、と呟いた。
眠たげでぼんやりとしていたアーヤの瞳が、本来の明るさ、溌剌さを取り戻していく。
――さあ、今の自分にも出来ることは、何だろう。
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
「ウマの乗り方、ですか……?」
ハルト近衛団長は、突然のアーヤの要望に戸惑ったように柳眉を寄せた。
――ここは、近衛兵訓練宿舎。
事前のアポイントもなく突撃訪問してきたアーヤを、ハルトは快く迎え入れてくれた。
しかし、そこで頼まれた予期せぬリクエストには、流石の近衛団長も戸惑いを隠せない。彼女の真意は何だろうと、不審そうな鋭い目つきをアーヤに向ける。
……それは、救世主様に向けるには些か厳しすぎるほどの視線。
はい、とアーヤは大きく頷いた。自分で導き出した結論に夢中になっている彼女は、相手の戸惑いにもお構い無しでキラキラした目で語る。
「多分、救世の能力って冥王とか魔物とかをどうにかする能力ですよね?」
「まぁ……」
「だとしたら、きっと活動拠点はお城だけじゃなくなると思うんです。旅に出ることもあるかもしれない……そんな時に皆さんの足を引っ張らないように馬くらい乗れたほうが便利かなーって。」
「なる、ほど……?」
我ながら良い考えだ、とアーヤは得意満面の表情を浮かべる。異世界譚に詳しくはないが、それくらいのことは予想できる。
「次の儀式まではゆっくりしてらっしゃれば良いのに……」
呆れたようなハルトの苦笑にも、アーヤはメゲない。
「じっとしているのは性に合わないんです。それに、」
自分の決意を知ってもらおうと、アーヤはひしと彼の瞳を見据える。
「どういう理由かは分からないですけど、皆さんは私に世界を救ってほしいという想いを託しました。なんの取り柄もない、私に。
だからそれを叶えられるように、今から少しでも頑張りたいんです!」
強い意志を握りしめた右手に籠めて、アーヤは堂々と宣言する。
驚いたようにハルトの目が見開かれた。翡翠の宝石のような透き通った瞳が、まじまじとアーヤを見つめる。
整った顔立ちの彼に近くでじっと見つめられ、知らず知らずのうちにアーヤは赤面してしまう。
「……アーヤ様は、お優しい方ですね。」
それは、今まで丁寧だが私情を挟まずにいた彼が、初めて発した本心からの言葉。
優しい声に、アーヤは照れながら首を傾げる。
「優しいっていうか、前向きなんです、私。元の世界に未練がないって言ったらウソになるし、本音を言ったら自分にチカラがあるってことも信じられない。
……でもだからといって、自分にできるコトがあるかもしれないのに背を向けて逃げ出すなんてしたくない。それよりも、できることを精一杯やりたいんです!」
暫し考え込んでいたハルトだったが、やがて決心がついたように頷いた。
「わかりました、ウマの乗り方ですね。私も職務があるので終日は無理ですが、午前中だけなら明日からお時間をお取りしましょう。」
「本当ですか!」
嬉しさから感極まったアーヤはぴょんと飛び跳ね、思わずハルトの右手を握りしめる。
「ありがとうございます、私頑張ります!」
一瞬驚いた顔をした顔をしたハルトだったが、ふわりと優しく微笑むとアーヤの手を握り返してくれた。
「そうですね、頑張ってください。」
「あの……後は、剣の使い方とかも教えて欲しいんですけど……」
「乗りかかった船です。構いませんよ。」
そこまで言ってから、ああでも……、と彼は悪戯っぽく笑む。
「私の教え方は厳しいですよ?」
表情はにこやかだが、目の奥は笑っていない。彼は本気で言っている。
ひく、とアーヤは思わず後ずさった。
「が、頑張ります……」
先程の勢いは何処へやら。
その気迫に当てられたアーヤは、人選を誤ったかもしれない、と少しだけ後悔したのだった。
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
「これが馬、ですか……?」
――翌日。厩舎に連れてこられたアーヤは思わず戸惑いの声を上げた。
「はい、ウマです。……アーヤ様はウマをご覧になったことがありませんか?」
「いや、馬は知ってるんだけど……私の知ってる馬とは随分ちがうというか……」
大人しくハルトに引かれてやって来た「ウマ」という動物……それを元の世界のモノに無理に例えるなら、「石の鎧をかぶった恐竜」だった(恐竜なんて見たことないけど)。
恐竜……っていうか、もはや翼のないドラゴン?ドラゴンも見たことないけど。
「この馬って……翼生えてるタイプも居たりします?」
「ああ、テンマのことですか。とても珍しい生き物なのですが、よくご存知ですね。」
「天、馬……」
自分は異世界にいるのだ、という今更になって自覚した事実に、アーヤは打ちひしがれる。
言葉は通じるのに、こんなにも文化が違うとは。もしかして、通じていると思っている言葉も自動的に翻訳されていたりするのかもしれない。使っている文字も違うし。
「このウマ……噛んだりしませんか?」
思ってたのとだいぶ違う生き物と対面したアーヤは、恐る恐る尋ねる。
「基本的に温和な生き物なので、大丈夫ですよ。ただ、安易に手を出すと噛まれます。気を付けてくださいね。」
普通の馬と同じような答えが帰ってくるのが、なんだかシュールだ。
勇気を出して、アーヤはそっとウマに近寄る。ウマは怯えずに、そんなアーヤをじっと見つめた。
なんだか、知性をたたえてそうなキレイな赤い眼だ。しばらく見つめ合った後、ウマは興味をなくしたようにふいっとアーヤから目をそらす。
「受け入れられたようですね、触ってみても大丈夫ですよ。」
隣でそっとハルトが言う。戸惑いながらも手を伸ばした。
「……温かい。」
ほっと息を洩らした。岩のような鱗のような硬い皮膚は、意外なことに柔らかな体温をアーヤの手に伝えてくる。
ああ、生きてるんだ、とアーヤは当たり前のことに感動を覚える。
嬉しくなって、ついついウマのあちこちを撫で回す。その度に身体を擦り付けて応えてくれるのが愛おしい。
調子に乗って喉の下を撫でてやろうとすると――
「危ない!」
ハルトの声と同時に、今まで機嫌良く寄り添ってきたウマが突然アーヤを勢いよく振り払った。
「そこは逆鱗です!」
大きく吹っ飛ばされながらも、アーヤは脳内で冷静に突っ込んでいた。
(――逆鱗って……やっぱり、これ、龍じゃん!!)
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
「ふぅ……疲れたぁ……」
――夜。全身重くなった身体を引きずるように、アーヤは自室のベッドに倒れ込んだ。
心地よい疲労感が、毛布のようにアーヤの全身を包み込む。
「イタタタタ……」気の早い筋肉痛に顔を顰めながらも、アーヤの胸には充実感が広がった。
――それは、ここに来てからの数日の中で一番気持ち良い感覚。
凝り固まった筋肉をほぐすように大きく伸びをする。パキパキと骨がほぐれる音が耳元で響く。
「部活で鍛えてるつもりだったんだけどなー……」
今日一日の運動は、思ったよりも身体に堪えている。ここ数日間の運動不足も祟っているのだろうか。
(でも、これは良い考えだったな、)
枕に顎を乗せ、アーヤは目を閉じた。
今日の成果が微々たるモノだという事は、自分が一番分かっている。できるようになったのは、ウマを曳いて歩けるようになったこと程度だ。
剣術に関しては立ち姿の時点で論外だと言われ、姿勢を直されているだけで終わってしまっていた。
――それでも。
(昨日の自分よりも、確実に成長してる。)
レベルやステータスなど目に見えるパラメータはないが、その実感に自分で頷く。
アーヤはこの「昨日より一歩進んだ自分」を味わうことが、昔から好きだった。
結果にはあまり結びつかなかったものの、部活もそれを励みに努力を重ねてきたところがある。
彼女の頑張りは、部活のメンバーも皆一目おいていたほどだ。彼女の前向きさの根源はここにある。
そんな彼女だからこそ、ハルトの指導が終わった後も一日中一人で練習に打ち込むことができたのだ。
(やっぱり、本当は能力ってこうやって育っていくものだよね。)
明日の訓練について思いを巡らせていたアーヤは、そこでふとそんな考えに囚われた。
才能の程度に違いはあれど、ヒトは練習を続けて自身の能力を伸ばしていく。そうして、技術を自分のものにしていくものだ。
(……でも、私は違う。)
最終的にどうなるのかは分からないが、百数日後、彼女は能力を手に入れる。今までの自分が持ち合わせては居ない救世の能力を、突然に。
別に、そのことについては既に納得している。怖いわけではない。ただ、純粋に不思議に思うのだ。
今までなかったチカラを突然手に入れるというのは、一体どういう気持なのだろう。
今の自分では到達し得ない水準の能力を手に入れた時、自分は果たして昨日までの自分と同じで居られるのだろうか。
――そこまで考えた彼女は、ふいに数日前に見た夢のことを思い出した。己の変容が怖い、生きるのが辛いと絶望に嘆く夢を。
内容なんてほとんど覚えていないというのに、何故だろう。
あの時の夢の人物に。寂しさと不安にずっと怯えていたあの人に、寄り添ってあげたい。そんな気がした。