11.外(と)つ者は災いの兆し 弐
ラグナの言葉に顔から血の気が引いていくが、男は強気な態度を崩さない。
「ば、バカなことを……」
「アンタの判断が遅れれば、彼らが死ぬんだぞ!……あれが、見えないのか⁉︎」
普段穏やかなラグナがまるで人が変わったかのような勢いで男に詰め寄り、空の彼方を指さす。
彼が何を恐れているのかわからないままに、アーヤはつられて目をやった。
最初に目に入ったのは、空の遠くに見える小さな黒い点だった。
その小さな黒点は遠くの山の上で徐々に大きくなり、黒い雲へとなっていく。
やがて、じわじわと拡大しながらこちらに向かってくるその暗雲の正体に気付いたアーヤは、途端に恐怖に凍りつくのを感じられた。
――あれは、雲じゃない。
少しずつ近付いて来ている、山の上で拡大を続ける黒い影。
あれは、群れだ。
村の上空をとんでいたアレと同じ鳥型の魔物が、空を覆い隠すほどの数集まり始めているのだ。
ざわざわと不穏な空気が騒ぎ始める。
耳障りな怪鳥の啼き声が、音としては聞こえなくても風と共に辺りを満たして行く。
――空が、にわかに暗くなった。
「ヒィ……っ!」
アーヤと同じ物を目にした男がようやく状況を把握できたのか、情けない悲鳴をあげた。
「嘘だ……嘘だ……」
へなへなと腰を抜かして座り込んだ男は、頭を抱えてブツブツと繰り言を呟く。
このままでは埒があかないと目の前の男を捨て置いて、ラグナは厳しい表情でアーヤに向き直った。
「アーヤ、悪いけどあの教会の塔の一番上にある鐘を鳴らして、非常事態を知らせてもらえますか。俺は、今から村の外に避難を呼びかけに行くんで。」
「は……はい!」
ラグナの張りつめた気迫に圧倒されて、アーヤは慌てて駆け出す。
足元で置物と化した男を気にかける余裕など、微塵もあるはずがなかった。
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
真っ直ぐに教会へと走ったアーヤは重い扉を半ば体当たりで開き、中へと飛び込んだ。立派な外観とは裏腹に教会の中はがらんとしていて、人の気配がまったく感じられない。
外とは隔絶したひんやりとした気配に包まれるが、焦りと不安でちりちりと熱くなっているアーヤの身体はまったく冷めない。
彼女の思考はただ早く、早くと自身を追い立てる声で溢れそうだった。
追い詰められたような目で辺りを見渡し、上へと続く階段を見つける。それを一段飛ばしで駆け上がって、ただひたすら上へと目指した。
そうして曲がりくねった狭い階段を抜け、その先へと続く外の光へと飛び出すと……すぐ塔に吊るされた鐘が目に飛び込んできた。
考える暇もなかった。
飛びつくように鐘を手にして打ち鳴らし始める。
カン、カン、カァン……
鳴らし方が悪いのかそれとも元々がこういう音なのか。耳障りなひび割れた金属音が鳴り響いた。
この異常事態を知らせるに相応しい、不吉な音。
鐘を鳴らす手は休めないままに、そこでアーヤは村の外へ飛び出していったラグナの背中を探す。
村を飛び出していったラグナが、迫る危機を村人たちに伝える姿が遠くに見えた。……だというのに、村人たちに動きは見られない。
そうこうしている間にも、魔物の群れは雪崩れるように大地に拡がり続けていく。
教会の尖塔からは豆粒のようにしか見えない村人たちの鈍い反応を、アーヤは歯痒い思いで見つめることしかできない。
……しかし、やがてアーヤ同様に彼らも魔物の群れを認識したらしい。
突然悲鳴が上がると同時に、村人たちは畑仕事を放っぽりだして一直線に村の中、結界の働く場所に逃げ込もうと走り始めた。
ーー急いで、早く!
彼らを見下ろすアーヤにできることは何もない。ただ祈るような想いで、その光景を見つめ続ける。
徐々に大地に広がり始める雲霞の如き魔物の群れと、必死に村を目指して足を動かす村人たち。
……両者の距離は離れているようで、意外に近い。
最後尾を走る村人を守るように、殿にラグナがいるのが目に入った。
黒い魔物たちの大本とはまだ距離があるものの、群れから飛び出した素早い魔物は既にその最後尾を攻撃圏内に見定めている。
いつ彼らの無防備な背中が魔物の爪に切り裂かれても、おかしくない状況。
絶望的な光景に、アーヤの胸は恐怖で潰れそうになる。
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
と、そこでラグナがひょいと振り返った。
駆ける脚を止めずに彼は空中に円を描き、無造作にそれを投げつける仕草をする。
ぼん、という軽い爆発音とともに、襲い掛かろうとしていた追跡者たちの身体が弾け飛んだ。
ラグナの手から放たれた衝撃波が、空中の魔物を容赦なく吹き飛ばす。
その威力は凄まじく……一撃をまともに喰らった魔物たちは数メートル吹き飛ばされてから、地面へ叩きつけられた。
それでもしばらくは起きあがろうと地上でもがいていたものの……、やがて諦めたようにその身体はぴくりとも動かなかくなる。
――すごい、私を助けてくれたときと同じ技だ!
緊迫した状況に変わりはないのだが、一瞬アーヤの気持ちが沸きたった。
……まぁそれも無理はない。今まで16年間平凡な現代日本で暮らしてきたのだ。魔法なんて存在とは縁遠い。
旅の道中、ラグナが何もないところから魔法で(ラグナからは「術」だと訂正されたが、違いはよくわからない)火を点ける場面なら何度か目にしていたものの、やはり攻撃魔法のロマンは比べ物にならなかった。
――カ〜ッコ良いー!!
思わず状況も忘れてのんきな感想が浮かぶ。
その素直で気楽な感嘆が、彼女に楽観的な展望をもたらした。
すなわち、「ラグナならこの状況であってもなんとかしてくれる」という無責任な期待。
なんとも他人任せな考えだが、その発想が彼女にひとときの安らぎを与える。
ほっと肩の力が抜けたアーヤの耳に、階下のざわめきが届いた。
少しずつ村人たちが結界の中へと避難を完了し、教会へ集まり始めたのだ。
ほどなくして、ラグナを含む最後の集団が村の門をくぐり抜けたのが目に入った。ここまで来れば、ひとまず安心だろう。
アーヤはほっとひと息ついて階段を降りる。
先ほどとは打って変わって、礼拝堂は大勢の人でごった返していた。
皆一様に不安そうな顔をしながらも、結界の中に来たという安心からか。そこまで取り乱した様子はない。
家族や仲間と身を寄せ合って、お互いの無事を確認しながら励ましの声を掛け合っている。
その少し弛緩した空気が心地好く、アーヤは何気なくその集団へと歩みを進めた。
……そこで。
「どういうことなの!」
中年の女性の金切り声が辺り一帯に響いた。
その切羽詰まった声に、思わず周囲がしん、と静まり返る。
周囲の視線を追えば、その声の主らしき女性が男性に羽交い締めにされながらもまだ幼い少年に掴み掛かろうとしている光景が目に入った。
目をつり上げ、髪を振り乱した女性の表情には鬼気迫る恐ろしさがある。男性に拘束されてもなお、彼女は今にも噛み付かんばかりに、目の前の少年へと詰め寄っていく。
「どうして……どうして、キースが居ないの⁉︎あんた達、一緒に居たんでしょう⁉︎あのコは何処に居るの!」
その迫力に気圧されていた少年が、おずおずと口を開いた。
「たしかに朝は一緒に遊んでたけど……あいつ、頭が痛いから帰るって居なくなったから、それからどうしてるか知らないよ。家に戻ったんだと思うけど。」
「そんな、なんてこと……!」
少年のその答えに、掠れた悲鳴と共に女性の身体ががくりと崩れ落ちた。
彼女を羽交い締めにしていた男性が、慌ててその身体を支える。
泣き崩れた女性は、その男性に縋り付くようにして悲鳴をあげた。
「ああ、アナタ!アナタ、お願いだからキースを迎えに行ってちょうだい。きっと怖くて震えているに違いないわ……!」
「馬鹿なことを言うんじゃない、こんな状況で外に出られる訳ないだろう!」
女性の旦那と思しきその男性は叱りつけるように言うが、彼女はいやいやと首を振って彼に縋りついたまま懇願を続ける。
「だってあのコが……、キースが取り残されているのよ!助けに行かなくちゃ……」
男性に抱えられたまま、彼女はぐるりと周囲を見渡して悲痛な叫びをあげる。
「誰か……誰か、居ないの⁉︎キースを迎えに行ってくれる人は!ねぇ!」
――その悲鳴に、気まずい沈黙が辺り一帯を支配した。
行ける訳がない、と無言の返事が沈黙から滲み出る。
せっかく命からがらここまで逃げ込んできたのだ。他人のためにむざむざ命を捨てにいく馬鹿など、居るはずもなかった。
石造の礼拝堂には高い天井付近の明かり取り用の窓しかなく、外の様子を窺い知ることはできない。
それでも怪鳥たちの羽ばたきが、啼き声が、敵意が。すべてが肌を刺すような気配となって、奴らがすぐ近くに迫っていることを伝えてくる。死の足音が迫ってきているのが、聞こえる。
しばらくの間、誰も、一言も口を聞く者はいなかった。
沈黙の答えを読み取った女性が、突然、意を決したようにすっくと立ち上がった。
「おい……、何処に行くんだ。」
その迫力に気圧されながらも、旦那が制止の声を上げる。
遠くを見据えたまま、女性は答えた。
「決まってるでしょ、あのコを迎えに行くのよ。」
「おい、正気か!やめろ!」
慌てた男がぐいとその肩を掴む。
振り返った彼女の双眸は、怒りと焦りで燃え上がっていた。
「離して!」
「おい、とにかく落ち着け。下手に今動くよりも、家で隠れていた方が助かるかもしれないし……」
「よくもそんな無責任なことを言えたものね!あんな大きな蝕が迫っている状況で、家で隠れていれば助かるかもって⁉︎本気で言っているの⁉︎」
「いや、でも……」
「もう良い、そこをどいて。私があのコを助けに行くから。他の誰もキースを助けてくれないなら、私が行くしか……」
「俺が、行きますよ。」
――女性の声を遮る涼やかな声が、礼拝堂に堂々と響いた。
書き溜めていた分が終わってしまいました……これからは週イチ更新になると思います。
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