10.外(と)つ者は災いの兆し 壱
旅路は順調に進んだ。
初日こそ道なき道を休みなくポッチを駆り続けて遠くへ行くことに必死だったものの、それからは適度に休憩を挟みつつ確実に国境を目指して進んでいる。
途中途中で街や村に立ち寄る際にラグナが情報収集をしてくれたが、今のところ大っぴらにアーヤを捕らえようとする動きは出ていないようだ。そのため、野宿を挟んだ強行軍をそこまで無理に進める必要もなく、しばらくは宿屋に泊まる余裕のある旅程が続いている。
一昨日泊まった宿屋にはなんとも嬉しいことに広い共同浴場が併設されていて、久々の湯船にアーヤは喜んで疲れを癒したものだ。
……が、馬上の彼女は現在、少し浮かない顔をしていた。
といっても、代わり映えしない旅に飽き飽きして……という訳ではない。
(そりゃあさ?情報収集してもらってるのは感謝してますよ?)
ぷぅ、と頬が膨らんだのを慌ててため息で誤魔化した。
自分の不機嫌が単なるワガママであることを自覚している彼女は、ラグナに気付かれないうちに気持ちを切り替えようと周囲の景色に目をやる。しかし、脳内で不満を漏らす自分の声は止まらない。
(でもさぁ……その情報源の八割がキレイなお姐さんってのはどうなのよ?そりゃぁイケメンだけど……お姐さんの方がお酒奢ってあげちゃうくらいのイケメンだけど……ラグナもラグナでデレデレしちゃってもう……)
面白くない、と内心の声は憤るが、アーヤはそこまで自己中心的な性格ではない。自身の不満がどれだけ勝手で的外れなものかは、己が一番よく理解していた。
(何なの、私……助けてもらった恩人に一方的な独占欲なんか持っちゃって……)
しかも、その行動はアーヤのためのものなのだ。文句を言う筋合いなどどこにもない。
ふぅ、と改めてため息が漏れた。
「どーしました?少し疲れましたかね、」
連続するため息をさすがに心配して、後ろからラグナが声を掛けた。
「あ、大丈夫です!ごめんなさい!」
慌てて首を振って、元気な声で答える。
――見せかけの護衛役とその雇い主。
そう振る舞う必要のない外ですら、ラグナはある程度の丁寧な言葉遣いを崩すことはなかった。というか、それが彼の素の口調のようだ。
まぁつまり必要以上に親しくするつもりはないって意思表示なんだろうな、とアーヤは理解している。
アーヤの方も命の恩人に一方的にタメ語で話すのは非常に心苦しく、丁寧な言葉遣いを崩せないでいる。そのため、旅路を共にしていても二人の距離はそこまで近付いてはいなかった。
だからこそ、そんなくだらない不満を持っているだなんて、口にする訳にはいかない。
ただでさえ、自分はお荷物なのだ。これ以上厄介な印象を与えたくはなかった。
実際、アーヤも恩人であるラグナにそれ以上の感情を抱いているつもりはない。
この身勝手な執着は「彼に見捨てられたら困る」という打算と、危ないところを助けてもらったという吊り橋効果の合わせ技によるものだろう、というのが彼女の見立てだった。
――女子高生にしては随分とドライな結論。
しかしそれは理性的な分析……というよりは、実際のところ彼女の恋愛経験値の低さが起因している。
元の世界でも実のところ彼女は「恋バナに少しズレた反応をする恋愛オンチ」という評価がなされていたのだが……まぁアーヤがそれを知る由もない。
恋バナをする相手もいないこの環境では、彼女のそんなズレを矯正できる存在など望むべくもなかった。
「あ、村がある!寄っていきます?」
景色に変化が出たことに気付き、ズレた結論と共に思考の沼から脱却したアーヤは明るい声で問う。
そんなアーヤの反応に、にこやかにラグナは頷いた。
「はいはい、一旦休憩としましょーか。」
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
壁の中の村の大きさは、それほど大きくない。
何日か旅をして気が付いたのだが、どうやら壁に囲われた村の大きさは、そのまま村の豊かさに直結しているらしい。
壁の囲いは、魔物を近寄り難くする結界だ。できる限り大きく構えたいというのが、当然の発想だろう。
しかし、それには金が掛かる。結果、何処までを結界の範囲にするかはその地域の財力次第となるのだ。
豊かな村なら畑まで結界に含めることができるし、逆に貧しければ村人の中のごく一部だけしか壁の中で暮らせないということもある。
「それでも壁があるだけ、マシな方ですよ。」
とラグナはあっさりと嘯く。
「罪人の流刑地にも使われる開拓地や、村を追われた者たちが身を寄せ合うようになんとか作った村なんてのはその壁自体ありませんからね。」
そういった意味では今日訪れたこの村は、典型的な「貧しい壁のある村」だった。
村の囲いの内側には、数軒の大きな家や教会が胸を張るように堂々と建っている。一方囲いのすぐ外側に見えるのは、少しでも結界の恩恵に与ろうと、ひしめきながら密集している小さな家々。
それより外周には畑が広がり、今まさに農作業中の人たちがちらほらと見える。
村人たちが畑でのんびり農作業をしている姿は、実際は大変なのだろうが傍から見る分には牧歌的で、呑気な光景だった。
余所者が珍しいのだろうか。アーヤたちが通り過ぎる際には、村人はあからさまに胡乱な視線を向けてくるが、誰も声をかけてはこない。
結局誰とも口を聞かないまま、二人は村の中までたどり着く。
夜になれば堅く門を閉ざす村の入り口も、日の高い今の時間は開け放たれていて特に彼らを阻むものではなかった。
村に足を踏み入れたアーヤは、ポッチから飛び降りてきょろきょろと周囲を見回した。
農作業が忙しいのか、村の中に大人の姿はほとんどない。がらんとした気配はどことなく寂しさを纏って辺りを漂っている。
そんな中、静寂に身を潜めた複数の視線が異邦者の二人にじっと注がれる。
「旅の人かい。」
突然、扉が開いて、初老の男性が二人の前に立った。
じろりと値踏みするような目で二人を睨め付け、ぶっきらぼうに男は尋ねる。
村の中に位置するそれなりに立派な家から出てきたその男は、農作業中の村人に比べれば比較的上等な服に身を包んでいる。
おそらく、村では上位の立場にある人間だろう。
ラグナがにこやかに頷いた。
「どーも、ご主人。お察しの通り、俺は旅戦士。商家のお嬢さんを護衛している道中です。そちらでは、何か困りごとはありませんかね?魔物退治に野党退治、届け物も何でもござれ。何か力になれることがあれば、手伝いますぜ?」
「ふん、便利屋か。」
吐き捨てるような口調と共に、男は蔑みの視線を向けた。
「ヒトの弱みに漬け込むような連中に用などない。さっさと出ていってくれ。」
しっし、と犬を追うように手を振る。
あまりにひどい態度に、アーヤがむっとして言い返そうとしたところで、ラグナに制された。
「それならそれで良かったです、と。」
そんな態度をされても、ラグナは気分を害した様子を見せない。相変わらず穏やかな物腰のままだ。
「水の補給だけさせてもらいたいんで、井戸を使っても?」
「勝手にしろ。」
「どーもありが……」
礼を言いかけた声が突然途切れ、ラグナはバッと空を見上げた。
そのあまりに唐突な言葉の断絶に、アーヤだけでなく不審そうな表情の男すらその視線を追って頭上を見上げる。
と同時に、空を覆うような大きな影が太陽を遮った。
アーヤの目に映ったのは、自分の左右の腕を広げた幅よりも大きな両翼を持つ黒い鳥。教会の尖塔の上から飛び立ったその鳥は悠々と翼を羽ばたかせ、ゆっくりと村の上空を旋回し始める。
「あれは……一体いつから……」
「三日くらい前からだな。……アイツを討伐するから金を寄越せ、とか馬鹿げたことを口にするなよ?アレが人間に手出ししないのは、もう村のモンは把握済みだ。結界が働かないってことは敵意もない。
見たことない生き物だが、ヒトを襲わないから魔物じゃない。詐欺を働く気なら、他所でやれ。」
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
「いや、違う……あれは……」
目の前の男への反駁というよりは、独白に近いラグナの呟き。
と、悠然と空を飛んでいた怪鳥が村の中央でかぱりと口を開いた。
その大きなクチバシの間から、鳥にはあるまじき大きな牙が覗くのがアーヤの目に飛び込む。
(……え、こっちだと牙がある鳥も居るものなのかな……?)
そんな呑気な考えがよぎった瞬間。
「@*%:#キ)ェB*$!?」
怪鳥の口から、声ならぬ叫びが放たれた。
思わずしゃがみ込んで耳を塞ぐ。一帯に鳴り響く、衝撃すら感じられる強烈な叫び。
高くつんざくその啼き声はまるで自分の存在を誇示するように周囲に響き渡り、遠くの山々へ木霊し重なり合って行く。
「……ヤバイ!」
傍らのラグナが慌てたように走り出した。
ぽかん、とアーヤはその背中を見送ることしかできない。
駆け出したラグナはぽん、と屋敷の塀に飛び乗った。
体重を感じさせぬ軽やかな足取りで、次に彼は塀から屋敷の屋根へと跳躍し、そのまま真っ直ぐに屋根の上を駆け抜けていく。
その勢いを殺さずに、彼はそれより更に高くに位置する教会の尖塔へとふわりと飛び移った。
そして。
「……っ!」
思わずアーヤは息を呑む。
ラグナは何の躊躇いもなく、高くそびえる教会の尖塔から跳んだ。
喉の奥で悲鳴が凍りつく。
目の前の光景が、妙に緩慢なコマ送りとなってアーヤの目に飛び込んでくる。
足に翼が生えたかのように、空へと飛び込んだラグナの身体はぐんと高度を上げた。
足元を強く蹴って彼が飛び込んだ先にいるのは、再び口を開け啼き声をあげようとしている例の怪鳥。
空中に居ながら、ラグナは最小限の動きで剣を抜く。
そして二度目の叫びを挙げようとする怪鳥の首をあやまたずバッサリと切り離すと、追撃とばかりに剣の腹でその胴を叩き落とした。
首を刎ねられた鳥の身体は途端にぐにゃりと力を無くし、重力に従って下へと落下を始める。
その口から放たれた二度目の咆哮は、刹那の悲鳴と共に沈黙へと消えていった。
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
ドサリと怪鳥の死骸が大地へと落ちる。
それは本当に息をつく間もないほどの一瞬の出来事で、その後を追って静かにラグナが着地を決めたところで、ようやく息をすることを思い出したアーヤはほっと安堵のため息をついた。
恐る恐る地面に落ちた骸に目をやる。
……それは、上空にいた時よりも巨大で凶暴な姿だった。
大きさは、動物園で見たことのあるコンドルよりも一回り大きいくらい。
太い足についた鈍く光る爪は一本一本が大人の拳よりも大きく、人の腹を簡単に裂いてしまいそうな獰猛な鋭さを持っていた。
くびれた首の部分にはびっしりと鎖帷子状の鱗が付いている。見るからに硬そうなそれは首回りを隙間なく覆っていて、本当ならこの首を切り落とすのは恐ろしく大変なことなのではないか、とアーヤはうっすら察した。
「村のヒトを、至急壁の中へ避難させてくれ。」
怪鳥を討ったにも関わらず相変わらず厳しい表情のまま、ラグナは男に詰め寄る。
その異様な気迫に、男は思わず後退った。
「な……何を言って……」
「コイツは結界が反応しないほど弱い魔物だが、その特性を活かして上位の魔物を呼び寄せる斥候役になるんだ。……すぐに、」
一瞬間を置いて、ラグナは告げる。
「――蝕が来る。」