1.それはよくある異世界召喚
――××町で発生した大規模な爆発ですが、引火性のガスを廃棄処理していたことが原因と見られており……
ニュースを読み上げるアナウンサーの平坦な声。
(××町って、ウチの近所だ……)
まだ意識のはっきりとしないままに、彩は聞くともなしにぼんやりとそれを聞いていた。
ダメだ、まだ考えがまとまらない。吹っ飛ばされた衝撃で、頭がクラクラする。
(……吹っ飛ばされた?)
ふと、自分の思考に立ち止まる。いつ、何に吹っ飛ばされたのか。自分の記憶をまさぐるが、答えは出てこない。
ゆらゆら漂うような心地の中、意識はともすればすぐに滑り落ちてしまいそうだ。
周囲のざわめきが、すぅっと遠ざかっていく。
空へ、空へとゆっくり彩の身体は浮き上がっていく。気が付けば、足元の大陸を見下ろせるほど高くまで上り詰めていた。
夜の帳が下り始めた頃合い。黄昏時の空はやや薄暗くも、眼下の大地の形を浮かび上がらせる。夕闇の空は刻一刻とその色を変え、大地はその影に徐々に溶けていく。
(どこだろう、ここ……)
中空を漂ったまま、特にすることもなくぼんやりとその景色を眺めた。
大きな大陸だ。でも、その形にはまるで見覚えがない。
(ああ、コレ、夢かぁ……)
しばらく景色に見惚れている内に、当然の帰結に辿り着く。
(え?)
やがて、ふと強い視線が自分に向けられているのを感じた。まるでそれ自体が熱を持つかのような、熱く射貫くような視線。
焦がれたような、突き刺すような。
肌を溶かすほど熱情的で、それでいて憎しみの籠もった痛みすら覚える視線。
――信じがたいことに、それは何千Ⅿも離れた地上から彩に向けて注がれていた。
それを知覚した瞬間、思わず目が惹きつけられる。
(あ、目が合った。)
見えるはずもないのに、それを唐突に確信した。
バチン、と頭の奥で火花が散ったような感覚がする。
それと同時に、吸い寄せられるかのように彩の身体は一気に急降下を始めた。
落下の速度はみるみるうちに上がっていき、その風圧は夢とは思えないほど息苦しい。
思わず悲鳴を上げるが、その声すら風にかき消されて自分の耳には届かない。
狂ったように吹き付ける風に、強制的に意識が引き剥がされていく。
それでも彩は向けられた視線から目を逸らすことができず、一点を見つめたままただ墜ちていく。
風に削られ弄ばれながらも、彩はたしかにその声を聞いた。
(――待っていた。ずっと、ずっと、お前を――)
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
落下していくあまりの勢いに、彩は夢と知りつつ思わず身を竦ませる。しかし、落下の衝撃はいつまで経っても訪れなかった。
地面に叩きつけられる少し手前、ふわん、と温かな風が一瞬彩の身体を包み込む。そして、柔らかな光が彼女を中空で優しく抱き止めたのだ。
しかし、腰の抜けていた彩はそれでも受け身を取ることができず、よろよろと尻餅をつく。
(……あれ。)
そのあまりにリアルな感覚。
彩は身体を起こすことも忘れ、思わず自分の頬をつねった。
(……痛い。)
と、いうことは、もしかして……夢ではない?
きょろきょろと辺りを見回す。ひんやりと硬い石畳の上。暗くてよく見えないが、風の反響からここが広いホールのようなところではないかと推測する。
足元には彩の居るところを丁度中心にして、淡く光を放つ円状の模様があった。まるでゲームに出てくる魔方陣そのもののようなカタチ。なんだかあまりにもありがちで、思わず笑いが込み上げる。
と、前方で大きな咳払いが聞こえた。
「あー、遠い異界の地よりよくぞ参られた、客人よ。」
それが自分に向けられた言葉だと気付き、彩は声の発生源をきょろきょろと探す。
すると、それを待っていたかのように部屋に一斉に灯りがともった。
目の前に大きな広間が広がった。
一見して立派な建物であることがわかる重厚な作り。細かな彫刻がされた太い立派な柱が、その広間をしっかりと支えている。
声の聞こえた方角を見ると、三人の男性が佇んでいるのが目に入る。
中央にヒゲと脂肪を蓄えた一番偉そうなオジサン。それを守るように両脇に控えた従者らしき人影。三人とも真剣な表情で、彩に向けてじっと視線を注いでいる。
三人の視線を一斉に集め少し気圧されながらも、埃を払いながら彩は立ち上がった。
「えぇと……こんにちは?」
相手の出方を伺いながら取り敢えず挨拶。どうやら言葉は通じるみたいだ。
それを見て、偉そうなオジサンは鷹揚に頷く。
「まだ状況も分からず、混乱しているところであろう。説明をさせてもらいたいと思うが……よろしいかね?」
物腰は丁寧だが、有無を言わせぬ自信に満ちた声。この人は、喋り方さえも随分と偉そうだ。
「あっ、はい、お願いします。」
その口調に気圧され、彩はただただ頷くしかない。
途端、予想外のことが起きた。
その偉そうなオジサンが直立不動でガバリと勢いよく頭を下げたのだ。
――お手本のような綺麗なお辞儀。その姿勢になってもオールバックに固められた銀髪に一片の崩れもないのが、また隙がない。
「陛下、何を……!」「王よ、貴方が頭を下げる必要など……」
両脇の取り巻き達が、泡を食って慌てふためく。
……よくわからないが、この人が頭を下げるのはトンでもないことらしいというのは何となく理解できた。
頭をきっちりと下げたまま、オジサンは言葉を続ける。
「私は、ここグランツ国の王ダンダル。異界より貴方を呼び寄せたのが、私だ。勝手な都合で申し訳ないとは思っている。この召喚の責は全て私にある。
しかし、お願いだ。どうか我が国、我らが未来を救ってはくれないだろうか……!」
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
オジサン、ないしダンダル国王が語るところをまとめるとこうだ。
どうやらこの世界には、古くから伝えられている「滅びの預言」というものがあるらしい。
曰く、いずれ来たる滅びの時には冥王が世界を君臨し、魔物がところかしこを徘徊し、人間の覇権は奪われる、と。
終末思想ってどこにでもあるよね、現代だってノストラダムスの預言を多くの人が信じてたらしいし……とそれを聞いても彩は冷めた感想しか抱けない。
しかし、ナントカの湖が血に染まっただとか、お告げの鏡が突然割れたとか、神々の星が堕ちたとか預言とまったく同じ事象に見舞われた彼らはそうは思わなかったらしい。
いよいよ滅びのときが訪れた、このままでは終わりだ、なんとかしないと――
――そして、彩が召喚されたのだ。世界を救う救世主として。
「あのぅ……人違いじゃないですか?私、タダの女子高生なんですけど……」
そこまで話が及んだところで、彩はおずおずと口を挟んだ。
ショートカットの黒髪、部活で日焼けした肌、健康的な脚を長く見せる短いスカート。どこにでも居る、ごく普通の女子高生。それが彩だ。
焦げ茶色のくりっとした瞳と天真爛漫な笑顔には、人を惹きつける眩しい魅力がある。でも、絶世の美女とは言い難く、ごく平均的なレベル。ついでに言えば、成績も良くて中の上程度。
元気さが一番の取り柄だが、だからといって身体能力もすこぶる高い訳でもない。所属しているバドミントン部のレギュラーの座だって、二年になった今年の夏にようやく獲得したほど。
もちろん、傷ついた人を癒し導く「慈しみ溢れる聖女さま」、みたいなタイプでもない。
王様の話は、ファンタジーとして聞いてる分には面白い。が、それに自分が関わるとなると別の話だ。周囲の視線に屈しそうになるが、誤解は早めに解いておかないと。
「ジョシコーセー?」
耳慣れない単語を反芻するようにダンダル国王は聞き返し、そして首を振る。
「ジョシコーセー、大いに結構。召喚に誤りはない。貴方こそが、我が国……ひいては世界の救世主となるべきお方だ。」
――力強い断言。
雰囲気に呑まれ、気付けば、彩は両の拳を力を込めてグーパーしていた。
もしかして、異世界に来たことで隠された能力が目覚めたのではないか……と、普段の自分なら赤面するような期待を込めて。
でも悲しいかな、自分の身体能力が突然向上したような感覚はない。
(それじゃ、魔法の才能とか?)
異世界ならそういうこともあるかも、とも考えるが、使ったことのない魔法の感覚なんてわかるはずもない。
「私……別に、全然特別な能力とかないんです。本当に私なんですか?」
ついつい情けない顔をしてしまう。
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
ダンダル国王が何か言いかけたのを、隣のオジサン……というには少し若めの男が制した。
「ワタクシ、王の相談役兼宮廷呪術師のローリックと申しマス。以後お見知りおきを。」
その細身の男性……ローリックは芝居がかった仕草で彩に向けて一礼し、微笑を浮かべた。
いつも笑っているように見えるキツネのような目は更に細められ、口元にも上品な笑みが浮かべられる。しかし、その笑みを見て彩はぞくりとした寒気を感じた。
一見温厚な笑みを形作っている細い目……だが、彼はその目の奥にある彩を値踏みする鋭い視線を隠そうともしていない。その眼に映り込んだ彩は、睨まれたカエルのようにその場に立ち竦んでしまう。
柔和な笑みに蛇のような視線を潜ませたまま、言葉だけは丁寧に彼は言葉を続ける。
「アナタ様が不安に思うのも無理はありまセン。実は、この召喚の儀はまだ完了してはいないのデス。
召喚には、二つの段階ありマス。即ち、身体を呼び寄せる今回の儀と、救世の能力を呼び寄せる次の儀式。
今回成功したのは、1つ目の儀式だけ。だから、まだアナタ様には能力が宿っていまセン。不安に思うのも無理はありまセンが、どうかご安心くだサイ。」
「はぁ……」
「ちなみに今回の召喚、手掛けたのは私デス。初めての試みでしたが、成果は十分のようデスね。」
ローリックは喜色満面といった表情で、自身の成果物である彩を見やる。陽の光を浴びてないかのような彼の青白い顔に、にやりと浮かべた唇の中からちろりと桃色の舌が除く。
(なんだかこのヒト怖い……)
思わず彩は後退りする。ダンダル国王のように期待の籠もった熱い視線を向けられるのも困るが、ローリックの視線はそれ以上に不気味で、本能的に身の危険を感じる。
彩が引き気味なのに気付いてか、ダンダル国王がローリックを下がらせて再び口を開く。
「こちらの事情ばかり長々と申し訳ない。状況は、ご理解いただいただろうか、ええと……」
「彩です。」
「アーヤ殿。ほぅ、良い名前だ。恵みの女神と同じ名前とは……」
ふわりとダンダル国王は笑むが、その顔には疲労が色濃く出ていた。彩を見る目も心からの申し訳無さが滲んでいて、王様としては不向きな、彼の人の良さがにじみ出ていた。
それでも、国王を務めるからには決断せねばならない時というものがある。実のところ、――彩は知る由もないが――アーヤの召喚は王としても苦渋の決断であった。
ダンダル国王の誠実な態度に、真摯に返事をせねばなるまいと彩も心を決める。
「その……私なんかがホントに救世主が務まるのかは分からないですけど……」
それでも自分が求められている以上、困っているヒトを見捨てることはできない。
――彩は持ち前の性格からそんな結論に達していた。
「でも、がんばります!救世主の役割、引き受けました!」
そう言い切った途端、彩は場の空気が一気に弛緩したのを肌で感じた。
ダンダル国王が背中の重荷を降ろしたようなほっとした顔を浮かべ、それを誤魔化すように自分の顎の下をしきりに撫でる。……なんとも分かりやすい反応。
一方的に連れて来られた身であるが、彩はこの王様がなんとなく嫌いになれない。
「それで……その後私は……家には帰れるんですか?」
ぎくりとダンダル国王の肩が強張る。咄嗟の嘘をつけないその性格、好感は持てるけれど王を務める身としてはいかがなものか。
返事はすぐに返って来なくても、その反応で彩はうっすらと答えを察する。
「それは……世界が救われてからの課題にさせてもらいたい。」
「もちろん私もその際にはお手伝いいたしマス。なぁに、呼び寄せることが出来たのだから、お帰りもお任せくだサイ。」
即座にローリックが口添えを入れる。
「そう……ですよね。」
聞いた時点で薄々予想していた答えだったとはいえ、やはりショックなことに変わりはない。
家族や友人、学校生活……あまりに唐突な別れ過ぎて、それらから自分が切り離されてしまったことにすぐには実感が持てない。それでも、確かに静かな喪失感が彩の胸をよぎる。
「アーヤ殿もお疲れであろう、今日はもうここまでにして、一度休まれたらいかがか。」
沈んだ彩の表情を見て、ダンダル国王が優しく声をかける。
「もちろん、アーヤ殿のことは国賓としてもてなそう。次の儀式までは百日あまり。その間ゆっくり過ごしていただいて、こちら側に慣れてもらえば良い。」
「……そうさせてもらいます。」
実際のところ、右も左もわからぬ異世界だ。その言葉に従うよりほかないだろう。
「近衛団長のハルトに案内させよう。ハルト、頼んだぞ。」
「畏まりました。」
今までずっと沈黙を保っていたもう一人の従者が歩み寄る。
なるほど、近衛団長というだけあって見るからにがっしりしていて、いかにも武官といった体躯の男。
上背もかなりあり、目の前に立たれただけでかなりの圧迫感がある。
「では、アーヤ様。ご案内致します。」
そういうと彼は迷わず彩の足元に跪き、その手の甲に軽く口付ける。
(……わぁ、まさしく物語に出てくる騎士みたい。)
よく見れば短く刈り込まれた金髪も、鋭いが温かみのある翠の瞳もハリウッド映画の俳優のように端正で、彩は思わず目が惹きつけられる。
現金なもので、彩はそれだけで少し気持ちが明るくなっていた。
「……ああ、それと、」
促されるがままに歩き出そうとすると、ダンダル国王が思い出したように声を掛けた。
「儀式が完全に成功するまで、まだ貴殿のことは機密扱いにしたいのだ。やはり完璧な状態で救世の存在のことは知らせたいものでな。
いまアーヤ殿のことを知っているのは、ここの三人だけ。城内の者には他国からの賓客ということで通しておくが、あまり親しく言葉を交わすことは無いようにしてほしい。
身の回りのことは使用人をつけるが、何かあったらローリックかハルトに相談するように。」
「わかりました。」
特に深く考えず、彩は頷いた。次の儀式までの間、気軽にお喋りを楽しめないなんて暇だなぁと思いながらも。
「では、これで失礼する。アーヤ殿に良き夢のあらんことを。」
「ありがとうございます。おやすみなさい。」
――こうして、彩……否、アーヤは救世主として異世界に迎え入れられたのだった。