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dis-communication

作者: 神宮寺飛鳥

長期連載の合間に書くんだぜ!

 目を閉じれば、直ぐに思い出す事が出来る。夏の日差し、土のにおい、風の爽やかさ、空の青さ……。

 手にしたスコップ。泥だらけになった両手。一生懸命に穴を掘って、ただ涙を流した夏の昼下がり。

 何もかも消し去れないまま、ぼくは旅に出た。何もかも残されて居ないから、旅に出た。

 ぼくはずっと一人ぼっちだった。自分で一人になってしまった。自分で望んで、だから当たり前のように、一人ぼっちになった。

 地面に突き刺したスコップを前にぼくは膝をついて目を閉じた。祈る事に意味があるのかどうかはわからない。それでも、別に構わなかった。

 誰でもいいから、心を通わせたい。誰でもいいから、信じたい……。そう、だから。


 ぼくは、旅に出た――。




dis-communication




 気がつけば、ぼくは森に囲まれた丘にある古ぼけた洋館で暮らしていた。いつからか、とか。どうして……とか。そういった事は、何もわからなかった。

 ただ意識して、自分という物の存在を感じながら呼吸を始めた時、見上げた空は青くて、日差しは眩しくて……ただ、自分がそこに居た。

 別に何をするでもない毎日。子供の頃からしていた事と言えば、本を読む事と草原や森を歩く事。何も無くて、でも世界は毎日色を変えて、本は本当に一生をかけても読みきれないくらい、埃を被って地下に眠っていた。

 自分の年齢もわからなかったけれど、ぼくが自分の存在を意識してから何度目かの夏を迎えたある日。普段は二階の奥の部屋に引っ込んでしまったまま滅多に出てこない博士がぼくに告げた。

「今日から、お前は彼女と一緒に暮らすんだ」

 そう言って博士が背をそっと押して前へと歩ませたのは、見た事の無い人だった。洋館に住んでいるのは、博士とぼくの二人だけで、何となく、この世界にはぼくと博士しか存在しないんじゃないかなんて、そんな事を考えていた。

 だから、その出会いは衝撃的だった。その人は女の人で、きらきら光る、不思議な目をゆっくりと細めてそっと微笑みかけてくれた。

 博士はそれっきり、また部屋の奥に引っ込んでしまった。博士の研究室へと続く両開きの扉はぼくにはまるで石の壁みたいに見える。博士はそう、一度だって、ぼくに笑いかけてくれた事なんてなかった。

 扉の向こうに消えてしまった博士の代わりに、ぼく一人では広すぎて使いきれなかった洋館の中に新しい住人の姿が増えた。彼女は不思議な人だった。彼女と一緒に居て直ぐに気づいた。彼女はそう、一言も口を利く事が出来なかったのだ。

 それでも、ぼくがぼくを認識してから何度かの季節を巡らせたばかりのぼくは、彼女の事なんてどうでもよかった。何故ならぼくにとっての世界はこの森と草原と、それからその両方を繋いでいる川と、地下に詰まれた大量の本だけ……。それ以外の事なんてどうでもよかった。

 毎日毎日変わらない日々が続く。そんなある日、ぼくの中に疑問が現れた。博士はどうして、ぼくと彼女を一緒にしたのだろう? そんな、とても単純な疑問。

 ふと振り返ると、窓際で日の光を浴びて本を読むぼくの背後、彼女は正面で手を組んでぼくの読む本を覗き込んでいた。それはきっとずっとずっとそうだったはずなのに、急にそれに気づいてしまったぼくは気恥ずかしくなって慌てて本を閉じた。

「……ずっと、見ていたの?」

 言葉を持たない彼女は微笑みながら頷いた。ぼくよりも身体も大きくて、ぼくよりもきっと大人の女の子。そのあったかくてふわふわした笑顔を見ていると何だか急にとても恥ずかしくなって、ぼくは何とも言えない気持ちになった。

 別に、興味なんてなかった。ぼくは本を読んで、毎日お日様の光を浴びて、ご飯を食べて。それだけでよくて、だからもう他の事なんてどうでもよかった。でも、その子はずっとぼくを見ていた。ぼくの傍に居た。

 それはとても不思議な事だった。どうしてこの館の中に、ぼくと博士と、それ以外の人が居るんだろう? じっとその目を見つめると、彼女は不思議そうに小首を傾げた。

 ふわりを前髪が揺れて、綺麗な瞳がぼくを映し込む。どんな言葉をかければいいのかもわからなかった。だってこの人は、言葉を交わせないのだから。

 ぼくは本を開き、それからもう一度その文字を見つめる。本の中にはいつでも様々な物語があった。だからぼくは、なんとなく……。意味があるわけではなかった。窓辺に座ったまま、ぼくを見つめる彼女に内容を読んで聞かせるようになった。

 朗読会は毎日の日課になった。ぼくは毎晩、ランプを片手に地下の書庫に潜り込み、埃まみれになって本を探した。彼女がどんな本を喜ぶのか判らなかったから、一生懸命に考えた。ぼくは生まれて初めて、自分以外の存在について想いを巡らせた。

 博士はずうっと部屋にこもったまま、滅多に部屋から出てこない。出てきたとしても、ぼくと言葉を交わす事はなかった。だからそれはきっと彼の世界とぼくの世界は交わらないもので、どうしようもない、その心の間にある大きくて見えない壁の存在を思い知らせる。

 でも、彼女は違った。ぼくが楽しい話を読むと、彼女も笑ってくれた。ぼくが悲しい話を読むと、彼女は泣き出しそうな顔をした。それはとてもとても不思議なことで、とてもとても新鮮な事だった。

「ねえきみ、名前は? 名前、あるんでしょ?」

 問い掛けに彼女は答えなかった。当然の事だ。だって彼女は口を利けないから。ぼくは少し考えて、それから紙とペンを手に、彼女の手を引いてテーブルに移動した。

 相向かいの席について、ぼくは少しずつ彼女に言葉を教えた。文字を教えた。彼女の書く文字はとても綺麗で、丁寧で、一つ一つに気持ちを込めて、まるで祈るように描かれた。そんな彼女の姿を見ているだけでぼくは不思議と幸せな気持ちになった。

 彼女の名前は、わからなかった。名前は、なかったのかもしれない。ただぼくは、そもそも名前なんて物に興味はなかった。その必要性も、感じなかった。ぼく自身にも名前なんてなくて、だから別にどうでもよかった。

 でも、本の登場人物には大抵名前があった。名前というのは自分たちを区別するもので、たくさんたくさん人間の居る本の中の世界で、それは必需品だった。自分自身というものを認識するのに、それはどうしても必要だったから。

 しかし現実、この世界にはぼくと彼女と博士しかいないのだから、名前を得る必要性はなかった。ぼくはぼくで、博士は博士で、彼女は彼女で。だからぼくはもう、名前を知りたがる事を止めた。

 それでも時々思う事がある。どうしてぼくは名前を知りたがったんだろう、って。その名前を知りたいという気持ちの意味を、ぼくは計りかねていた。

 毎日の生活の半分以上は、本を読む事。残りの半分の殆どは……畑仕事をする事。館の前を耕してぼくは畑を作った。それはもう随分と前の事で、博士に言われたからだった。

 ぼくがぼくを認識したばかりだったころ、何もわからないぼくに博士は色々な事を教えてくれた。畑を耕す方法。食べられる草木とそうでないもの。魚を取る方法……。博士と言葉を交わした思い出の殆どは、初めの頃だけ。いつの間にか博士はぼくの前に現れなくなって、代わりにぼくは本から様々なものを学ぶようになっていた。

 本はぼくになにも語りかけてはこないし話しかけても答えてはくれない。でも必要な知識はなんでも教えてくれる。探すのは少し手間だけれども、地下にはこの世界の全てがあるんじゃないか……ぼくはそう思っていた。

 実際、本はぼくにあらゆる物を教えてくれる。それでも彼女との日々は新鮮で、どうしようもないくらい、楽しくて……。幸せという言葉の意味は知っていたけれど、それを感じるのは初めての事だった。

 一緒に畑仕事をして、川原で洗濯物を洗って……。お日様を浴びながら、花壇に水を撒き、バケツに汲んだ水の中に冷やした野菜を一緒に齧って、一緒に笑って……。

 それがとっても楽しかった。毎日毎日笑って、一緒に居た。そんなある日、ぼくは突然その人に触れてみたくなった。編み物をするその手にそっと指を伸ばし、恐る恐る触れてみた。

 夜の闇の中、ランプの明かりだけがテーブルの周りを照らし出していた。暗闇の中に浮かぶ白い手は触れると冷たくて、でも柔らかかった。じっとその感触を確かめていると、彼女はぼくの手を両手で包み込むように握り締め、そうしていつものように笑ってくれた。

 手と手が触れあって、指先を絡めあって、身体と身体と触れ合わせる事、ただその一つ一つの行動がぼくらの間にある壁を少しずつ崩して行くような、そんな気がしていた。それはとても奇妙な気持ちだった。苦しいような、悲しいような、寂しいような。でも、抱きしめあうだけで何かが得られるような……注がれていくような、そんな気がしていた。

 でもその気持ちは長くは続かなかった。どんなに心を注いでも、ぼくの身体はまるで穴の開いたグラスみたいに、どんどん零してしまう。零れて零れて、足りなくなって。

 最初はそう、ぼくの読む本を一緒に読んで、ぼくと同じように笑って泣いてくれればそれだけでよかった。なのに、いつでも一緒に居たくなって。いつでもどんなことでも一緒にしたくなって。触れ合って抱きしめあって、それでもどんどん心は寂しくなった。

「ねえ、どうしてきみは、言葉を話せないのかな?」

 問い掛ける。問い掛ける。答えは勿論返ってこない。そう思うと、何故だかとても寂しくなった。

 どうしてなのだろう? こんなにも傍に居るのに、こんなにも気持ちを感じ合えるのに、こんなにも……こんなにも、遠い。

「……きみの話が聞きたいよ。ぼくの話を聞いてもらうのは、もういいんだ。きみの考えてる事が知りたいんだ。心を聞かせて欲しい……」

 そんな時、彼女は決まって……困ったように笑顔を浮かべ、目を閉じて小さく首を横に振った。

 声が聞きたい。声が聞きたい。ただ毎日そのことだけが頭の中を支配するようになった。ぼくは彼女に必死で言葉を教えた。でも彼女は口をぱくぱく開け閉めするだけで、どんなにどんなに練習を重ねても言葉を発する事はなかった。

 それでも諦めず、ぼくらは毎日毎日、毎日毎日、言葉を交わせるように努力した。それが失敗する度にぼくはもっと寂しくなって、彼女は悲しそうな表情を浮かべた……。


「何か用か?」

 ある日ぼくは一人で博士の部屋の扉を叩いた。重く閉ざされていた石みたいな扉はあっけなく開かれて、研究室にぼくは初めて足を踏み入れた。

 不思議なにおいと、不思議な道具に囲まれた博士の机の前にたち、ぼくは言った。どうしてなの? どうしてあの子は言葉を話せないの? どうしてぼくに話しかけてくれないの? 心の中に溜まっていた寂しさを吐き出すように、何度も何度も。

 博士の声を聞いてぼくはとてもとても嬉しかったんだ。一人じゃないって思えたんだ。だけどもっと寂しくなって、生まれて初めて……涙が溢れた。

 それはずっとずっと溜まっていたものが溢れ出すように止め処なく、ただひたすらに零れ落ちた。博士は何も答えてくれなかった。何も、答えてはくれなかった。

 部屋から出ると、彼女が心配そうな顔を浮かべて立っていた。ぼくはその手を振り解き、ひたすらに走った。屋敷の階段を下りて、外に出て、畑を抜けて草原を抜けて森を抜けて川原に飛び込み、それでも走り続けた。

 この世界のどこかにはぼくと博士とあの子以外の人間がいるのだと信じたかった。声を交わしたい。もっと心を聞かせて欲しい。どうしてここには誰もいないの? 溢れる気持ちを叫び声に変えて、ぼくはひたすらに誰も居ない、森だけが続く世界に解き放った。

 彼女とも博士とも、ぼくはもう話したく無くなっていた。言葉を交わせないと、心を交わせない……。そんな気がし始めていた。どんなにどんなに気持ちを通わせても、触れ合っても、どんなにそうやって時を過ごしても、彼女はぼくに語りかけてはくれない。

 声が聞きたい。声が聞きたい。声が聞きたい……。それだけなのにどうしてこんなにも難しいのだろう。どうしてこんなにも……胸が締め付けられるのだろう。

 彼女はぼくを心配して毎日毎日料理を作ってくれた。毎日毎日、傍に居ようとしてくれた。でもそれが無意味なんだって思い知らされる事が怖くて、ぼくはその気持ちを突き放し続けた。

 そんなある日、世界に四番目の登場人物が現れた。その人は見た事もないような服を着ていて、聞いた事もない言葉を話す人だった。突然館の扉を叩き、出たのはぼくだった。言葉が一つも通じないその異様な格好の人を前に戸惑っていると、何を察してか博士が階段を下りてきた。

 博士はその人を自分の研究室に招きいれると、何やら長話を馴染めた。ぼくはそれが気になって、扉の前に張り付いて少しだけ開いたその隙間を覗き込んだ。

 二人はぼくの知らない言葉で、ぼくの知らない姿で言葉を交わしていた。それにぼくはとても大きな衝撃を受けた。博士が、ぼくの知らない言葉を話している。博士は……ぼくの知らない言葉を話す人だったんだ。

 言葉が交わせないだけじゃない。博士は、ぼくの知らない人のようになっていた。それが恐ろしくて背後に一歩下がると、そこには何故か彼女が立っていた。

 そっとぼくの両肩に手を乗せ、彼女は悲しげに微笑んでいた。ぼくは咄嗟にその身体を突き飛ばし、叫び声を上げながら暴れまわった。

 そんなぼくの事を押さえ込もうと彼女は力も無いくせにぼくを抱きしめた。でもそれがいけなかった。ぼくらはそのままもみくちゃになって、階段から転がり落ちる事になってしまったから。

 前が見えなかったんだ。そんなつもりじゃなかった。でもそんなことを言っても仕方が無い。彼女はぼくを庇うようにぎゅっと抱きしめて、そのまま階段を落ちる間、体中のあちこちをぶつけて行った。

 一番下まで転がり落ちた時、彼女はぴくりとも動かなかった。騒々しさを聞きつけて博士が部屋から降りてくる。ぼくはただ、動かなくなった彼女を前に立ち尽くしていた。


「この子は、ロボットというものでな」

 彼女は死んでしまったの? そう問い掛けるぼくに、博士はそう告げた。その言葉の意味は判らなかったけれど、彼は悲しげな瞳でぼくを見つめる。

「私は、これから館を出る。迎えが、来てしまったのだ。これから私は、人を殺す道具を、たくさんたくさん、作らなければならない」

「人を殺す……道具?」

 博士は頷いて、それから屈んでぼくと視線の高さを合わせると、その両手でぼくの手を握り締めた。

「ロボットは、人を殺すための道具になってしまった。だから私はこれから街へ行く。いいか、良く聞くんだ。お前はこれから、一人きりで生きていかなければならない。もしそれでもどうしてもこの館の中に居るのが寂しくなったのならば……その時は、街を探しなさい」

 博士はそう告げて、迎えに来たという何人かの知らない人と一緒に去って行った。ぼくはそれから暫くの間ただ呆然と立ち尽くした。博士は居なくなってしまった。残されたのは……動かなくなってしまった彼女だけ。

 ぼくは彼女を白いベッドの上に横たわらせて、目が覚めるのを待った。今までずっと眠れば目覚めたのだから、それが当然だと思った。

 毎日毎日、彼女の寝顔を見つめて時を過ごした。どうしてこうなってしまったのだろうと、そんな事を考えた。でも思い返されるのは全て楽しかった日々の事で、彼女との時間は全てが愛しかった。

 声なんて交わせなくてもよかった。傍に居て同じ物を見て……それで世界を一緒に生きていられれば良かった。触れ合う事が出来て暖かかくて柔らかくて……。それだけで、繋がっていたんだ。

 言葉なんて求めなくてもよかった。それでもっとぼくは寂しくなってしまった。どうしてあの時、あんなにも取り乱してしまったのだろう? 時間だけは有り余っていて、だからぼくはその理由を考えた。

 毎日毎日、考えた。そのうち時間が流れて、季節が巡って、そうしてぼくは……僕は、自分の弱さと不確かさに気づいた。

 言葉を交わせないだけで不安になり、自分とは違う言葉を話す存在を恐怖した。そういうものが在ることを知った時、その途方も無く、自分とは違いすぎる存在に心が折れそうになった。

 一人きりだから僕は恐怖を知らずに居られた。最初から一人で、最後まで一人のはずだったから。でも何かを求め、誰かと言葉を交わしたいと祈り、願い、そしてそれが叶わない事を知った時、初めて失意を覚えた。

 心を重ねても、時を重ねても、自分のその不完全さを変える事は出来なかった。そんなある日僕は彼女の寝顔を眺めるのを止めて立ち上がった。目指した場所は、博士の部屋だった。

 研究室で僕はもう戻らない博士の代わりにその部屋の中にある物を片っ端から調べて周った。文字が読めるという事実と世界中の本を読んだ膨大な時間がその時始めて僕に勇気を与えてくれた。

 彼女を目覚めさせたい。その一心で僕は博士の研究を引き継ぐ事を決めた。そうしているうちにロボットという存在も、彼女がなんなのかも、徐々に理解出来るようになった。

 この世界には異なる言葉が沢山あり、異なる人々が沢山生き、そんな異なるものが様々な理由で敵対し、憎み合い、傷付けあう。ロボットは人の形をかたどった機械で、それに生死という概念は無かった。

 ロボットは、人間の代わりに人間を殺すために作られたものだった。どこかの国の、どこかの偉い研究者だった博士は、この人里は慣れた山奥でロボットを開発した。それが、彼女。

 兵器としてではなく、一人の人間として彼女を作ったのだ。その事実に僕は胸を締め付けられた。彼は一体どんな気持ちで彼女を作ったのだろう? それを考えるだけで涙が溢れそうになった。

 僕は一生懸命に研究を続けた。それからまたしばらくの時が過ぎ去り、僕は彼女を修理する事を決めた。

 死んでしまったのならば生き返らせればいい。言葉を話せないのならば、話せるようにすればいい。まるで僕は神様のような気持ちで彼女の身体に手を加え続けた。その時僕は考えもしなかったのだ。彼女という存在を、言葉も話せない不完全なものに作り上げた彼の気持ちなど。

 彼女はある日目を覚ました。僕が入力した情報を認識し、言葉も話せるようになった。長年の努力が報われ、僕はその晩……たった一晩だけ、歓喜に打ち震えた。

 でも、直ぐに気づいてしまったのだ。それはもう、彼女ではなくなっていた。ただの機械の、人形……。僕が入力する、『愛している』という言葉も。入力したモーションで微笑む彼女の全てが、突然嘘のように感じられたのだ。

 僕がまだ幼かった頃、僕は彼女の全てを生身の人間と同じように感じていた。いや、それ以上だった。僕にとって彼女はたった一人のこの世界を共に生きる人だった。

 その美しかった横顔は、こんなものではなかった。それとも月日が経ち、僕が変わったように……。彼女に対する思いもまた、姿を変えてしまったのだろうか? 僕はずっとその人形のような顔を眺め続けた。僕に微笑みかけ、僕の教えた言葉を話し、僕の望むがままに動く彼女と生活を共にしたのは、たった三週間の事だった。

 ある朝僕は眠る彼女の首に手をかけた。僕は何も言わずに彼女の首を絞めた。それでは彼女は死ななかった。僕に首を絞められて彼女は笑っていた。僕は泣きながら、彼女の電源を落とした。


 もっと早くに気づくべきだったのだ。彼女はもうとっくに死んでしまっていた。私は彼女の全てを知ったつもりで、結局は全てを壊してしまった。

 幼少の日々を共に過ごしたあの頃のときめきはもう胸のどこにも残っては居なかった。あの日々全てが偽りだったのではないか……そんな気さえしてくる。

 私はそうしてある日の昼下がり、畑の前に大きな大きな穴を掘った。シャベルを握り締め、穴を掘った。そこに彼女の身体を埋めて、その日から館には明かりが点らなくなった。

 鞄を一つだけ背負って、私は旅に出た。丘を超え、森を抜け、川を渡り、何日も何日も歩き、私が目にしたのは……廃墟と化した街の姿だった。

 世界は憎しみに満ち溢れていた。あらゆる場所が人そのものの手で破壊され、戦争は止まる事もなく、戦場には彼女に似たロボットの残骸がうんざりするほど転がっていた。

 悲しくなった。私は博士を探す事にした。それは決して容易な目的などではなかった。私は結局、博士たちの言葉を話すことは出来なかったから。街で人に出会っても、私は言葉を口にする事は無かった。

 そうして気づかされた事実。この世界で、私の言葉が通じる人は……一人も、居なかった。全員誰もが私の知らない、それでもたった一つで繋がった言葉で結ばれていた。少数派は私のほうだったのだ。

 言葉が通じたのは、たった一人。ただ、私と共に居た博士だけ。思えば言葉を教えてくれたのは博士だっただろうか。今となってはその理由さえ定かではないが、私はただ、この世界の中で誰にも届かない言葉を授かったのだ。

 どこへ行っても寂しさは消えたりはしなかった。それでも少しずつ、その世界の人々の言葉を覚える事にした。やがて私は遠い旅路の果てに、博士がいるという場所に辿り着いた。それはまるであの洋館を模したような、大きな建物だった。

 病院――その中で博士はベッドの上で眠っていた。もうすっかりと年老いた彼の前に立ち、私は直ぐに問い掛けた。

「何故、貴方は私と彼女から、言葉を取り上げたのですか?」

 すると、博士はこう答えた。

「言葉などなくとも、通じるものがあるのだと証明したかったからだ」

 博士とは、あまり多くの言葉を交わさなかった。博士は少しだけ、過去の事を教えてくれた。

 博士が私に教えたのは、彼が自分で作った言語だったということ。私はそう、最初から誰とも言葉を交わす事など出来はしなかったのだ。

 そうして彼女もまた言葉を奪われたのは、博士の腕が未熟だったからではない。彼女も私と同じように、誰かと触れ合う事でしか想いを伝える事の出来ない存在だったのだ。

 過去の日々は、嘘だったのだろうか? もう色あせてしまった想いは定かではない。それでも彼女は、言葉さえ発せないその身体で、懸命に私に愛を伝えようとしていたのだと想う。それはプログラムされた動作などではない。私には決して再現できなかった、彼女という一つの心が確かにあったという証。

「博士、やはり貴方は天才だ。私は貴方を……貴方を、超える事は出来ませんでした」

 私の言葉に博士は微笑んでいた。そうして彼の元を去り、暫くして風の噂で遠い街で一人の偉大な博士が死んだ事を聞いた。

 世界から戦争は消えてなくならなかった。私はそれでも世界中を旅した。この世界のどこかには、私の『言葉』を理解してくれる人が居るのではないか? そんな淡い希望を抱いて。

 しかし本音を言えば、そんなことは最早どうでもよかった。私には帰る場所も待ってくれている人も居ない。全ては最早手遅れ……。何もかも、終わってしまった事なのだから。


 ある日、私は戦争中のある街に足を踏み入れた。銃弾が飛び交い、人が簡単に命を落として行く中で、私はぼんやりとその景色を眺めていた。

 背後に何者かの気配を感じて振り返ると、そこには二つ、夫婦らしき死体が転がっていた。無残なその姿の間に挟まれて、一人の少女が銃を私に向けていた。

 私は勿論彼女の敵などではない。だが、言葉は通じなかった。むしろ意味不明な言語を話す私を警戒したのだろう。私がポケットに手を入れた瞬間、彼女は引き金を引いた。

 銃弾は私の喉を貫き、あまりの痛みにむせながら私は膝を突いた。それでも必死でポケットから取り出したのは、小さな飴玉だった。

 食べ物を手に入れることさえ困難なこの人が人を殺す事が当然の世界の中で、私が彼女たちに渡したかったもの、それは銃弾などではなく……。

 言葉はもう、何一つ私から発せられる事は無かった。それでも私は血に染まった手で彼女にそっと飴玉を差し出す。にっこりと微笑み、出来る限りの心を込めて。

 少女は私に恐る恐る歩み寄り、それから掌から飴玉を手にし、それから震え、涙を流しながら『ありがとう』と言った。私はその時言葉の存在に果てしなく感謝し、そして同時に悟った。

 あの日、幼い日々。私に語りかけてくれた、触れてくれた彼女の存在は嘘などではなかったのだと。言葉が無くとも伝わる思いがある。言葉があるからこそ、伝えられる気持ちがある。

 それはどちらかが必須なのではなく、ただ……そう。人が誰かと触れ合う為にする努力の一つ一つだからこそ、尊く、愛しく、そして寂しいものなのだと。

 倒れかけ、少女の頭をそっと撫でた瞬間、その背後に戦車が迫っているのが見えた。私は咄嗟に彼女を強く抱きしめて、そうして放たれた砲弾の盾となった。

 爆音で途切れた意識。そうして気づいた事実。自分の身体の中から飛び出す無数の機械の破片、歯車……。そう、私も彼女と同じだった。博士が作りたかった、彼の願いをかなえるための存在。

 上半身と下半身が千切られた状態で、私は手を伸ばす。奇跡的に無傷だった少女を見つめ、私は……あの日の彼女のように、微笑む事が出来ただろうか。

 手を伸ばす。目が、見えなくなってしまう前に。たった一つ、ここまで運んできた鞄を手繰り寄せ、そこから取り出したのは、彼女の首だった。

 切断面から無残に伸びたコード。血も涙も流れない、鋼鉄の身体。それでも良かった。私は彼女の首を抱いて、そっと目を閉じた。

 嘘なんかじゃなかった。私がこうして心から彼女を愛しているように、僕は一生懸命彼女を愛そうとしたように、ぼくがずっとその愛を受けていたように。

 嘘なんかじゃない。信じられる。ぼくはそう、僕はそう、私はそう――。言葉など無くとも、伝わるものはあるのだと。

 遠ざかる世界の音が聞こえる。全てが見えなくなったのならば、私はどこへ行くのだろう? 死という概念を理解する事は出来ても、体感する事は出来ない機械の身体で想う事。


「死にたく……ない、な。なあ……ディ……ス……?」



 最期、私は遠き日の夢を見た。幸せな夢だった。

 世界は悲惨で、どうしようもなく、擦れ違う。それでも私は信じられる。あの子と私が触れ合えたように。彼女と私が愛し合えたように。

 どうか、言葉でも触れる事でもなく、ただ愛するように……。誰かと誰かがわかりあうことが、出来るのだと――。

 目を閉じれば、直ぐに思い出す事が出来る。夏の日差し、土のにおい、風の爽やかさ、空の青さ……。

 手にしたスコップ。泥だらけになった両手。一生懸命に穴を掘って、ただ涙を流した夏の昼下がり。

 何もかも消し去れないまま、ぼくは旅に出た。何もかも残されて居ないから、旅に出た。

 ぼくはずっと一人ぼっちだった。自分で一人になってしまった。自分で望んで、だから当たり前のように、一人ぼっちになった。

 地面に突き刺したスコップを前にぼくは膝をついて目を閉じた。祈る事に意味があるのかどうかはわからない。それでも、別に構わなかった。

 誰でもいいから、心を通わせたい。誰でもいいから、信じたい……。そう、だから。


 ぼくは、旅に出た――。

 その終着点で彼女を愛する事が出来た。

 だからぼくは、それで……ただそれだけで良かった。

 世界が終わってしまっても。


 それでも、ぼくは……。

 それを、信じられるから――。

というわけで、何がしたかったのかわからない作品をお届けしました。

よくわかんないところはご想像にお任せします……。


うーん、短編難しい。

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― 新着の感想 ―
[一言] 本当はレーヴァテインを評価したかったのですが、今の私にはあれほど長い文書を読む気力がないので断念しました。 そこで誰も評価してなかったこの作品の感想を述べたいと思います。 神宮寺先生として…
2009/08/19 17:38 クソメガネ
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