那須将来という少年
ゲーセンにナンパ(してもらう)目的で立ち寄った那須明日香。しばらく粘った甲斐があり、一人の男が引っかかる。間延びした口調の凄く軽薄そうな口の臭そうなチャラ男がそこにいた。
「あら、ずっと見てたんですか?ふふ、ちょっとお小遣いが足りなくて…誰か援助してくれると嬉しいんですけど」
しれっとお金がないアピール。そこで援助してくれる人が云々とまで言うのはかなり直接的なアピールだ。ノリがよい相手なら俺が援助してやんよ!くらい言うだろう。
「へえ、ふーん。ゲーセンなんかよりもっと楽しい事で遊ばね?」
だが軽薄な男はそれをあっさり無視。どうも最初からアスカの言う事など半ば聞き流すような体勢である。
「楽しい事、ですか。本当にゲームより楽しいんですか?私、ちょっと欲しいぬいぐるみとかあるんですけどね」
「ぬいぐるみなんかよりもっと気持ちいいって、ホント」
和やかに会話しているようで、微妙な綱引きと駆け引きが始まっている。だが、その進行は順調とは言えないようだ。
~~~~~~
食いついた、のはいいけどあんまりお金持ってなさそう?それとなく売春持ちかけたつもりだけどスルーしたのはわざとかしら……私の言い出す事をいちいち『そんな事よりも』なんて否定してくるのも面白くないのだけど。ヤる事しか頭に無いみたい。いえ、私も人の事言えないけど。
顔も好みでもないし、焦る必要はないわ、断りましょう。3回も失敗したんだし4回失敗しても大して違わないわ。そう、大して違わないのよ!負け惜しみじゃなくてね!ちょっと強めの言い方でハッキリ断って、と。ああもう、しつこいわね、断っても纏わりついてくる。
さっさと立ち上がってさっさと逃げましょ。また出直し―――――
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他の客目線では隅の休憩コーナーでちょっと揉めてる男女がいた、ぐらいの認識である。
「ぬいぐるみなんかよりもっと気持ちいいって、ホント」
「そんな事言って騙すつもりじゃありませんよね?」
「なんでそう疑り深いかなあ、ほら大丈夫だって」
ちょっと強引に少女の腕を掴みだすチャラ男。さすがに少女も顔が引きつり気味だ。しかし、大半の客は気づかず、気づいた客も揉め事に関わりたくない為これをスルー。店員も見の構え……いや、突然事務所に引っ込んだ。逃げたのだ。
「もう、止めて下さい。私、そろそろ帰りますので」
ほどなく、チャラ男を袖にして少女がさっと立ち上がってその場を逃げ出そうとする。だが、それで終わるような大人しい空気ではない事を一握りの人間が感づいていた。
ドグッ
柔らかいものに硬い物をめり込ませたような音。そのままである。柔らかい物とはすなわち少女―アスカの腹部のこと。淀みなく自然な振る舞いでのボディブローは、見てる者も何か異常な事がされたのだと気づくのに時間を要したほどだ。
椅子から立ち上がろうとしていたアスカだが、腹部に鈍い痛みを覚え、目の焦点が合っていない表情で崩れ落ちる。反射的に両手を床について倒れ込む事までは阻止。四つん這いのアスカを中心に一瞬時間が止まったかのようだった。
「おいおいキョウコ、大丈夫かよ、ほら肩に掴まれよ」
「あ…あー…?」
体に力の入っていないアスカを“自分達は彼氏彼女の関係である”という演技をしながら肩を貸して抱き起す。無論キョウコなどでっちあげの名前だ。状況をちょっと怪しんでいた周囲も、恋人同士の下らない痴話喧嘩と思えば下手な介入はしない。状況が理解できていないアスカの耳元で男が脅すように囁いて言う。
「いいからさっさと来いよ。大人しくしてりゃこれ以上痛い目遭わずに済むぞ」
ナンパなどという甘い物ではなかったようだ。ここまで言われてようやく自分が何されたかに理解が及んだアスカ。
「な…ぐ…られ……?」
舌の根が合わない。声を出そうとするとその声が震え、ぼろっと涙が零れ落ちて来る。
「また殴られたいか?もう黙ってろ」
「――ひ!」
~~~~~~
殴られた…なんで、どうして?こんなの知らない…
そ、そうだ……こっちじゃ男が女をレイプするんだった…
こんなに怖いの?気持ちいいのはいいけど痛いのはいや…
肩…凄く強い力で掴んでくる…痛い…
お腹…まだじんじんする…痛い…
いつの間に倒れてたの…?
なんか違う……想像してたのと違う……
この人は、イヤ!
でも声が出ない…出ない…出せない……!!
だれかたすけて……
~~~~~~
ズンッ
「ん?」
だが、アスカを連れて行こうとする男性が何かの力に引き留められたように進めなくなる。アスカを捕まえている方の腕を強く、ガッシリと掴む手があった。
「姉貴、こんなところにいたのかよ、探したぞ」
大声でわざとらしく、周囲に聞こえるような声で言うのは、緑のネクタイを締めたブレザー姿の少年。アスカの一個後輩の少年だ。先ほど、パターン3で手ひどくアスカをフッた少年である、と言い換えてもよい。連れ去られて犯罪被害者になりかけていたアスカを今、寸前のところで食い止めた。
「な、なんだてめぇ、この女は俺の…」
「こいつの名前は?さっきキョウコとか呼んでたけど、人違いだぜ?こいつはキョウコじゃねえ」
「う…え……わた…し?」
おうおうなんだなんだと周りが色めきだち、客達の好奇の視線が3人を取り囲み始める。もっとも堂々として胸を張っているのは後輩少年。軽薄なナンパ男性にも劣らない身長で、むしろそれ以上の身長があるように見える威風堂々っぷりで、男性は気圧され気味であった。
「こいつの名前はアスカで、俺の姉貴だ。疑うってならいくらでも証明できるぞ?姉貴、学生証持ってるよな?」
「へ、へへへ、いででっ、そんな握るなよ。そ、そうか、人違いだったみたいだ、悪いな」
この一触即発空気の中にあって、少年の握力は軽薄男性の腕を握りつぶさんとするほどであった。軽薄男性がアスカから手を離したのを確認した後、後輩少年も軽薄男性の腕を解き放ってやり、呆然としているアスカの手を握る。だが、なんとなく気まずい沈黙。
「んー、と…大丈夫?」
「そ……その……」
軽薄男性はすぐさま逃げるようにその場を後にするが、残された二人は固まったままだ。この少年の言ってる事も本当なの?みたいなちょっと微妙な疑惑の空気の中、突如アスカが顔を上げる。
「か、帰りましょう弟!迎えに来てくれてありがとうね!」
「お、おう、じゃあ帰るぞ姉貴」
残った理性と知性を総動員してなんとか話を合わせようとするアスカ。襲われかけていた当人がそう言うのであればと、ざわざわと客達は解散の流れになり、人込みに紛れてこっそりとゲーセンを出ていくアスカと後輩少年であった。
とぼ…とぼ……と。今はもう手を握っていない。前を歩く後輩少年の足元を見ながら何も言えずアスカがついていっている。
ぴた ビクッ
唐突に立ち止まる後輩少年、ぐるっと振り向いて何事か言葉をかけようとすると、アスカは泣きそうな顔で身構えてしまい、小さく「ひっ」と声を漏らしてしまう。
「そのツラじゃ家に帰りにくいだろ?ほら、こっち」
「え?そっちは…あ、はぁい」
那須家近くの公園。ここまでくれば後はもう付き添いがなくても一人で帰れるだろうという程度には近い距離だ。鏡がないのでアスカは自分では分かっていないが、涙の痕が若干痛ましく、ゾンビのような暗い顔色だ。実際、張りつめた緊張が決壊する一歩寸前である。親が見たらそりゃ何があったか心配する程度には。
じゃばっ じゃばっ
公園の水道水で後輩少年がハンカチを濡らして軽く絞る。それをアスカに渡してじっと様子を見る。
「ほれ」
「あ…ありがと……」
涙の痕も拭い、顔全体をさっぱりと拭って気分を落ち着かせる。自宅近くにまで帰ってきたことを再確認し、安堵したところでアスカの精神を支えてたタガのようなものが外れた。
「ふぐ…うあああっ!うああああんっ!こんなはずじゃ…こんなはずじゃなかったあああ!!!」
「――ああ、そうだな、こんなの望んでないよな」
「そうよ…違うの…貞操逆転世界に来たらきっと楽しくやれるって!私みたいなのでもモテるって…男なんてチョロいって思ってたのに!」
「何が逆……?… うん、うん、ああ、うん、そうだな、そうだな…」
号泣しながら支離滅裂な、まるでどこかの三文小説みたいな設定をぶちまけ、どれだけアスカが頭の茹った妄想をしていたか……錯乱状態に近いアスカは初対面である少年の前で何もかもぶちまける。ぶちまけてしまう。後輩少年は痛いラノベの設定妄想を聞かされてるようなものである。だが、根気よく話を聞いてやり、頷いてやり、アスカが落ち着くまでの長くもない時間だが、ずっとそばにいてやった。
「……うううううう……」
「大丈夫か?」
「うん。今は平気。さっきとは違う理由で大丈夫じゃないけど大丈夫……うーあー…」
ひとしきり泣いて、内心に抱えていたものをぶちまけた後、どよ~ん、そんな顔で青ざめた顔色で俯きっぱなしになるアスカだった。青ざめているとはいっても病的な暗さではなく、落ち込んでる程度のもので先ほどに比べれば随分と回復している顔色である。
~~~~~~
私はっ!何をっ!言っちゃってるのよおおおお!!こことは貞操が逆転した世界から来ましたとか頭おかしいでしょ!私ならひく!逃げる!逃げないでくれているこの子ってばメンタルオリハルコンじゃないかしら!?それでいてすっごい下世話な妄想抱いて実行しようとしてましたっていうのまで言う必要無かった!軽蔑される!馬鹿にされる!
でもこの子初対面の時からバカバカ言ってきた子じゃない。最初からこれ以上下がらないくらい好感度低かったんじゃないかしら?不幸中の幸い……って思える訳ないでしょ!あ、そういえば……とっさに姉弟のフリして助けてくれた事にもお礼言わないと……お礼……お礼か。体でお礼なんて言ってもまたバカって言われるかも。いえ、言われるわ。
でも……吊り橋効果ってやつかしら。どうせ処女を切るならこの子がいいって思ってる私がいるわ。あーやばいやばいどうしよう。意識すればするほど顔が熱くなっちゃう。
~~~~~~
「すーぅ、はーぁ、すぅぅぅ、はぁぁぁ……よっし!」
「あ、なんだ、復活したか?」
「ええ、復活しました。それとさっきの話は忘れて下さい。後生ですからお願いします」
「俺だって好きで覚えていたくなんかねーよ」
「ありがとう。で、肝心な事でまだありがとう言ってなかったけど……助けてくれてありがとう。本当にありがとう。本当に怖かった…怖かったんだから」
調子を取り戻したアスカだが、やはりその時の事を思い出すとなると身がぶるりと震える。この少女の人生において殴られた事など、小学生の頃に近所の悪ガキたちと喧嘩した時以来である。あるいは、子供の喧嘩ではない純粋な悪意と害意を宿した暴力など未経験である。
「あと、それでなんだけど…昼間は凄く変な事言ってごめんなさいね。バカって言われても仕方ないと思う」
「いや、ホントにな」
「でも、あの時は軽い気持ちだったけど……今は真剣に貴方と交際したい……って言ったらどう思う?」
「ゲロ吐きそう」
「容赦ないわねっ…もう、いいけど。予想してた反応だし、それくらいで諦めるなら最初から言わないわ」
「……さっきの話を蒸し返すんだが、お前が別の世界から来たって話の事」
「ちょ……忘れてって言ったでしょ。そんなおとぎ話みたいな事あるわけないでしょ」
「男女の価値観が入れ分かってる他にも違う所色々あるんじゃないのか?」
「多分あると思うけど……今のところ何と何が違うのかはまだ分からないわ。いやだから、さっきの話は冗談で!」
「お前に弟はいなかったのか?あるいは、俺とは顔が違ったりするのか?」
「へ?おと…うと……」
じぃ、と後輩少年の顔を見つめるアスカ。一歩近づき、後輩少年の髪の毛をかきあげて更に顔をよーく見てみる。
「ま…まさ…まさき……貴方将来だったの!?」
「ようやく気付いたか。髪の毛の形がそんなに違うのか?」
「こっちの将来はその……5年位前に交通事故で……小学生までの顔しか分からないから」
「お、おう…」
空気が絶大に重くなる。特に明日香側は心の整理が忙しかろう。そして、何かに気づいたようにハッと顔を上げる。
「ねえ、それじゃ私、実の弟に売春持ちかけてたって事?」
「そうだ。俺がバカだのゲロ吐きそうだの言うのも分かるだろ?」
「分かる!私も恥ずかしくてゲロ吐きそう!助けて!うわっ、顔が熱い!これ絶対真っ赤になってるわ!」
那須 明日香 出路公高校二年生
那須 将来 出路公高校一年生
二人は姉弟だ。朝から普段と何かが違うアスカを訝しんだマサキはこの日はずっとアスカの様子を探り続けていたのだ。昼休みの時はアスカに見つかってしまい、パターン3の通りになってしまったが。
「うわあああ!そういう想像止めなきゃと思えば思う程具体的に想像しちゃう!私とマサキがエッチしてる想像!恥ずかしい!助けて!」
「こっちが恥ずかしいわ。せめて黙れないのか」
「だ…黙る…ひいいい……」
頭を抱えながら顔どころか全身真っ赤になって蹲るアスカ。しばらくは呆れ顔でそれを眺めていたが、フ、とほおを緩めて思わず笑みを零すマサキ。
「さっきお前が言ってたアレ、貞操の逆転した世界ってのはまんざら嘘でも無さそうだな」
「な、何を言い出すのかしら……あんな与太話信じる気なの?」
「普通なら頭の病院に連れて行くところってか?病院に行って昨日までのお前に戻されても困るし、俺と家の平穏の為にも信じる事にするよ」
若干遠い目をしながら、うん、と力強く頷いて、アスカに微笑みかける。
「私…いえ、こっちの世界の私って相当タチが悪かったみたいね」
「まーな。暴れん坊にもほどがある。ちょっと気に食わない事があれば暴力奮って暴れる。物を壊す。大体いつも親父とかーちゃん殴ってるからな」
「本気でヤバい奴じゃないそれ……」
「で、俺が力づくでお前を殴ってでも止めるみたいな関係だよ」
「凄く仲が悪いって言わない?それ」
「言う」
「そんな私を心配して、今日は街についてきてくれて、助けてくれたわけね」
「あ?仲の悪い嫌いな姉を助けに入っちゃおかしいかよ」
「全然。嬉しいわ、ふふ」
「――調子狂う」
下らない馬鹿話をしている内にすっかり日が傾き始めていた。これ以上遅くなっては両親を心配させてしまうだろう。
「帰るぞ。もう大丈夫だよな?」
「ええ、姉弟仲良く帰りましょう」
「だからそういうの止めろよ気持ちわりぃ」
「もうっ…… ねえ、実はまだちょっと大丈夫じゃないの。手を握ってもらっていい?」
甘えた声で我儘を言ってくるアスカに、物凄いしかめっ面を返してやる。対照的にアスカは凄く生き生きとしたイタズラっ子のような笑みで手を差し伸べてくる。相手の嫌な事をして喜ぶいじめっ子の笑い顔というやつだ。
「ほら、これ以上遊んでたら本当に遅くなるからな」
何を言っても無駄だと察して、さっさと我儘を吞んで帰った方がいいと、マサキはアスカの白い細い手をぎゅうっと強めに握りしめて引っ張っていく。
「ちょっと…痛いんだけど、ねえ」
「細いな。細くて柔らかい」
「え?」
「昨日まで殴り合ってたあのクソアネキはもっと手がごつかったからな……」
「ああ……そうね。私、人を殴った事なんてないから」
「ホントに調子狂うな」
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調子狂うのはこっちよおおおっ!
マサキが私の知ってるマサキよりも男前で困る。そりゃ最後に記憶は小学生だったから無理もないけど!意識し過ぎて困る。私ブラコンなんかじゃなかったのに。
手…手が違うって言った?魂だけとかじゃなくて体ごと入れ替わったって事みたいね。今まで意識して無かったけど、逆に私の世界の方にここの乱暴者の私が行ってるって事かしら。お父さんとお母さん大丈夫かしら……そして、こちらでは私が散々家庭内暴力ふるった事になってる両親とはどう接すればいいのか……
貞操が逆転した世界に来たと喜んでいた馬鹿な自分を叩いてやりたい。なんか怖くなったし、マンガでよくある展開みたいに男遊びしまくる考えはもう捨てましょ。マサキは一応私の話を信じてくれる事にしてくれたのは嬉しいわ、錯乱して異世界から来た事をしゃべっちゃったのは結果的にはよかったかも。こんな秘密を一人で抱え続けるの辛いから……
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おまけ話
元の世界の乱暴者な那須明日香があちらの世界に行った後どうなったかについて、きちんと物語の中に入れると結構長くなる上に、作品として蛇足になるのでここで簡潔に述べさせて頂きます。
あちらの世界での出路公高校では女子空手部の活動が盛んであり、元気よく暴れた明日香は目を付けられてしまい、強引に捕まって入部させられます。そして、地獄のトレーニングでボコられながら更生させられている、という裏設定になっております。