【短編】乙女ゲームの恋愛フラグを避けて避けて走り切れ!【続きは長編へ】
「や…やったぁ…」
パソコンの画面を、私は歓喜をもって見つめていた。
画面に映るのはゲーム画面。
ここ最近ずっとかじりついてやっていた乙女ゲームである。
でも、ただの乙女ゲームじゃない。
このゲームは主人公育成を行うことで、攻略対象キャラとのフラグを立て、イベントを発生させていくタイプのゲームなのだ。
ぬるい小説ゲーとは違うのだよ。
とは言うものの、小説ゲーも普通にやる私ではあるが。
何はともあれ、私はこのゲームにはまってここ数か月やりこんでいたのだ。
なぜなら、このゲーム。周回プレイボーナスがあり、更には、エンディング時に値がマックスだったステータスは、次の周回の時におまけイベントが発生するようになっている。それをクリアすると、マックス値が1.5倍に上がり、イベントクリア後のマックス値まで上げると、次の周回時、最初からそのステータスは、初期のマックス値で始められるのだ。
そのシステムを知った私は、どうしても見てみたかった。
ゲームスタートから初期マックス値状態に全ステータスが振り切れている、光景を。
「長かったぁ…」
何度挫折しかけたことだろう。
おまけイベント発生条件のステータスは、前回のステータス値が参照されるのだと気付くまでに無駄に周回してしまったりして、おかしいなぁと、何度も首をかしげることになった。つまり、1回は全ステータス初期マックス値にしないといけないって事じゃーんって気が付いた時には、頭を掻きむしった覚えがある。
仕事をしながらこんな頭が悪くなりそうな作業を、よくも頑張ったものだと自分を褒めてあげたい。
そんな、苦労の甲斐あって、見事なまでに全ステータスマックスのきらめき。
ゲームの日付は、まだストーリーが始まる前だ。
「最高かよ…っと、スクショ撮らねばスクショ。」
私はいそいそとキーを叩き、画像を保存する。
嬉しいなぁ。
楽しかったなぁ。
苦労した甲斐があって、達成感がすごい。
「これで心置きなく次のゲームができるってものだわ。」
このゲームがここまで私をのめりこませるとは思わずに、次にやるゲームもすでに積んでしまってあるのだ。
けれど、ここまでくれば大丈夫。
積まれたゲームを崩してあげることができる。
るんるんとゲームのブラウザを消そうとするも、なぜかパソコンが反応しない。
「え?あれ??」
カチカチと、何度もばってんの上でマウスを叩くも無反応。
えぇい、ならば。と、スタートメニューにある終了ボタンを押そうと、メニューを出すも、終了ボタンだけが灰色だ。
「ゲーム初日って、ゲームとじれない設定になってたんだっけ。」
可能性として考えられるのはそれだけだけど、そもそも、ゲームを何周もしていて、初日の所で保存して終了する流れは一度もしたことがないのでわからない。
「それともバグ?」
もう一つの可能性はそれだけど、これまで何度も見に行った関連記事の中にそんなバグの報告は見たことがなかった。
「仕方ない。ちょっと進めたら保存してウィンドウを消すか。できれば初日でとっておきたかったんだけどなぁ。」
と、ゲームを進める事に決めて、私はメニューを消したのだが、何かがおかしい。
何かというか、パソコンの画面が全面的におかしい。
なんでこんな、水の表面みたいに波打ってるの?
どういう事?
怖くなって、座っていた椅子をガタリと後ろに移動させ、距離をとるが、そんな行動まるで意味がなかった。
『ほかのばしょにいくなんてゆるさない』
どこかから、声がした気がした。
それも、ここ最近よく聞いてた声の内の一つと同じ声が。
意味が分からなくて私はぎゅっと自分の腕を抱きしめる。
そして、唐突に、画面から二本の腕が伸び、筋張った手が私をつかんであっという間に引きずり込んでいった。
そして、何が起きてるのか全然全く分からない状態で、気が付けば私は、神殿の祈りの間にたくさんの花と一緒に床に転がっていた。
まって…
これ…
私の記憶違いでなければなんだけどね…
さっきまでやっていた「贖いの聖女」の冒頭をスキップした場合のスタート場所な気がするんですけど。
気づくや否や、私は急いで起きる。
花に囲まれて寝てる場合じゃない。
ここで少しでも間違えば、何が起きるかわからない。
そう、このゲームは、冒頭から、攻略のためのフラグ分岐が始まる恐るべきゲームなのだから!
そして、この冒頭で真っ先にフラグが来るキャラは、周回しないと絶対に落とせないキャラであり、私が生身であったなら、絶対に絶対に絶対にかかわりあいたくないキャラなのだ。
ゲームだから彼とのイベントは楽しいんだよ。
それはさておき、再度周りを見渡して確信する。知っているゲームスチルの神殿だ。
足元にめっちゃたくさん敷き詰められているどこから来たのかマジで謎の花も、主人公の一枚目のスチルで描かれていたぽってり大きなお花である。花の種類など知らぬ。
とにかく今後の流れを考えよう。
何が起きてるかとかそういうことはこの際後回しだ。
あのキャラとかかわるのだけは勘弁なのだから。
そしたらもう、見つかる前に逃げるのが先ではなかろうか!
だって、知ってるゲームに入っちゃったっぽいとか、もしかしたら自分ってばヒロイン?とか、そんなことにこだわる必要なんてないじゃない。ストーリーに忠実に進めるよりも、私は、こんなところで死にたくないよ!
とにかくここは、逃げ出そう。
と、急ぎ、神殿の扉をぐっと開ける。
確か祈りの間は、入り口がここしかなくて、そしてこのまま外に出れる作りのはず。神殿の敷地全体は広い作りになっているけれど、祈りの間は単独の建物になっていて、目の前の石畳を道なり左にたどると噴水のある場所に出て、そこから左が神殿のでっかい建物で、右が正面の門で神殿の出口だ。よし、覚えてる。
べらぼうに背が高い入口の扉は重くて、私は変な声を出しながら何とか自分の通れる通路を確保して、やたぁ!と、外へ出ようとしたが…
「ひゃ!?」
出ようとした扉から見えていた外の風景に、男性の姿が突然飛び込んできたのだ。
なんで?どうして?こんな至近距離に人が!?飛び上がる心臓が、更に私を混乱に落とす。
その人は、さっきまで私が悪戦苦闘していた扉を、苦も無く大きく開け放ち、私の前にその全身をさらした。
「何者だ!?」
はっきりとしたよく通る声が、厳しい色を乗せて誰何する。
赤い髪。短いその髪は癖があり波を作る。
オレンジの瞳。大きな釣り目が今は怖い。
暗い赤色を基調とした騎士の制服を着こなすその人は、私のよく知る人物だ。ただし、画面越しにだけど。
名前はアッシュ。見た通りこの国の騎士様で、騎士団長をされている有能な人。
腕がたち、気性は荒めだが、情に厚く、市井にも気軽に出かける人。
という立ち絵での前情報。
今ここでこの人に会うもの痛すぎる!と、私は恐慌状態に陥りかける。
そもそも冒頭で、この人に会うはずがないのになぜ!?
このアッシュ団長。情報通り気安い人ではあるが、一度警戒するとそれを解くまでが果てしなく大変な人なのだ。
つまり、今、ここで、既に怪しい者認定が入ってしまったかもしれない私は、それが解けない限り、どんな話も疑ってかかられ、下手すると何もかも聞き流され、投獄の末、獄死…なんてことも考えられる。
な、なんて恐ろしい。
ゲームストーリーになくても、可能性として考えられるくらい、そのくらい苛烈なのだ。この人は。
そんな団長様の後ろから、新たな声が聞こえ、更に追いつめられる私。
「何かありましたか!?」
と、目の前には暗い赤を基調とした制服の騎士様が数名詰めかけ、誰もが私をにらみつけている。
こわい。視線だけで死んでしまう。
2歩3歩と、私は後ろへ下がり、彼から距離をとるが、きっと無駄なんだろう。
だって私は運動不足の現代OL。
対する相手は、騎士様だ。
ぎゅっと胸の前で手を握り、更に後ろへと下がるが、入り口は完全に包囲されている。
万事休すか…と、思ったところに、新しい声が飛び込む。
「第2騎士団、何をしている。」
落ち着きと威厳が同居する声が、この場の空気を塗り替える。
今にも騎士がなだれ込み、私を包囲しそうだったのに、声が強く彼らを止める。
そして、祈りの間の前にある5段の段差を数人の足音がのぼってくる。
た、助かったかもしれない…。と、私は思いつつもまた数歩後ろに下がる。
本当に助かるまでは、少しでも距離を持っておきたい。
だって、どう転ぶかなんてわからない。
既にこの場はゲームとは違う流れになっているんだから。
赤い制服をかき分けて、白に近い水色の制服の人がやってくる。
金の髪を高い位置で一つに束ねた、これまた騎士団の団長様であり、攻略対象キャラであるお方。名前はエルネスト。
厳しいお顔だが、公平、公正を何よりも尊ばれる方だ。
この人なら、もし捕まっても獄死ルートは避けられるはず!ただし、頭がおかしい病人扱いの可能性はある。
この際病人でもいい。私は無事に家に帰りたい!
「何をって、警備していた祈りの間から、突然人が出てきたのでまずはその身柄を預かろうかと。」
今、私という怪しい人物に警戒しているために、アッシュの口調は好戦的だ。
怖いよ。帰りたいよ。
「いったん冷静になりなさい。今、このタイミングで祈りの間から出てくる等、一度王宮魔導士長に話をする必要があります。」
「では、先に見つけた我々が、その任を請け負いましょう。」
「一度頭に血の上ったあなたに、それを預けるとお思いですか?」
にらみ合う団長二人。
こんな冷たい言葉をぶつけあっているが、この二人、無二の親友である。
ただ、とことん性質が違いすぎるだけで…。こんな空気だが、普段は仲が良く、お互いに長所と短所を認め合い、自分にないものを持っていると語るイベントなんかもしっかり入っている二人である。
うぅ…こんな怖いもの見せてても、この二人は親友。
そして、冷静な仕事ぶりから、こういう時は、確実にエルネストが勝っている。
今日もその流れでお願いします。頼みます。
私は振るえる自身の肩を抱きしめ、祈ることしかできない。私の幸運ステータスよお願いだ。私を無事に帰らせて。
あぁもう、家に帰りたい。帰りたいよ。
帰るためには多分、ゲームをクリアしないといけないのだと思う。このゲームのヒロインの事を考えると、自動的に私もそういう事なんだと思うのだ。
なんたってこのゲーム、ヒロイン自身が異世界からやってきた設定なのだから。
ヒロインが異世界から呼ばれた理由はただ一つ。数百年に一度目覚める魔王を倒すため。世界で一番聖女としての資質の高いものが選ばれ、ここに呼ばれるのだ。
だから、その目的を果たせば、この世界の神様が、ご褒美としてなんでも一つ願いを叶えてくれるのだ。
そこで帰ることを望めば、ヒロインは自分の世界へ帰るが、もしも、攻略対象キャラとの恋愛エンドを望んでしまえば、彼女はこの世界に残ってしまう。
それはごめんだ。
家に帰りたい。
だから私は、誰にも絶対ほだされずに、そして、誰にも絶対殺されずに、魔王を倒しに行かなければならない。
一番大事なことは、誰にも絶対殺されない。これである。
変にフラグを立てると、殺されるルートに入る可能性があるのだ。このゲーム。
フラグさえ立てなければ、それはない。
だから、だから…私は絶対、フラグを立てたらダメなんだ!
「第2騎士団、あの女を確保しろ!」
団長二人はその後もまだ言い合っていたが頭に血が上ったアッシュは止まることを知らず、カッとなって部下に命令を下す。
だが、その声が全てを言い終わる前に、ひらりと水色の布が踊り、いち早く私の元へ駆けつける。
私の肩をぐっと抱き寄せ、振り返るエルネスト。
その後ろには部下たちが続いており、私の周囲を固め、赤い制服とにらみ会う。
ナニコレ怖いと、思うも、ふと、何かが頭をよぎる。
あれ?これって、どこかで見たような光景ではなかろうか?
もっと俯瞰から見ていたはずだが、知っている。
そう、これは…アッシュイベントの一部では?
まってまって。私の脳みそ。
これってもしかして、警戒心の強いアッシュの信頼または信仰心イベントではないの?
ゲームの流れを思い出す。
確か、この世界に聖女降臨が告げられて、ヒロインはパラメーターを上げながら前半は一緒に戦う相棒探しをするのよね。それで、フラグを立て、イベントスチルを見、後半で一緒に魔法や剣の練度を上げることで相手のステータスも上げ、魔王へ挑むのだ。
その流れの中で、聖女などと信じられない!と、アッシュがヒロインの元へこんな感じで部下を連れてやってきて、その動きを察知したエルネストが駆けつけ、こうやってヒロインをかばい、にらみ合っていた。
…い、いやいやいやいや?さすがに、さすがに考え過ぎだよね。そうだよね。
だってその話、前半の仲間探しでアッシュを追って存在をアピールして、何回かアッシュの噂も取得した上で、他の攻略キャラから第3騎士団の団長は腕の立つ人物だから、候補に入れてはどうかな?みたいな会話が発生してからイベント発生だよ?
どう考えても一足飛びじゃない?
ぐっとつかまれた肩がちょっと痛い。
見上げれば厳しい顔のエルネスト…さん。さすがに生身で目の前にいるから敬称を付けておこう。なんだか心苦しい。
そして、目の前には怖い顔のアッシュさん。
訳が分からずぐるぐるする。
ぐるぐるしながら考える。
あのイベントはどうやって切り抜けるんだっけ。なんだっけ。なんだっけ。
生きて帰りたい。私は、生きていたい。
頼むよ神様。きっと魔王を倒すから。
こんなところに連れてきたなら、ちゃんと私を生かしてよ。
お願いですから。ねえ!こたえてよ!
「…ヴェーグ ラーテム」
「…え…」
カラカラに干上がった喉から、何とかかさかさの声を絞り出して、ゲームに出てくる祈りを口にする。
祈りの言葉であり、神の名前である。それを知るのは、神から名前を授かった者だけだと言われている。
無理やり絞り出した小さい声は、どうやら至近距離にいたエルネストさんに届いたらしく、驚きに満ちた瞳で私を見下ろしている。
だが、私もそれどころではない。
なぜなら、見上げたエルネストさんの更に後ろ、祈りの間の高い天井のほうにあるステンドグラスが煌々と光を放っているんだから。
やだやだどうしよう。これも知っている。
これは伝説の乙女イベントじゃん。ステータスの中で、祈りをマックスにするとできるやつだよ。なんでどうして。私、なんで祈りのステータスマックスなの?これじゃあ、聖女じゃなくて、伝説の乙女として最初から話が進むことになっちゃうよ。
伝説の乙女イベントって序盤じゃないでしょ?
何もかも意味がわからないけど、周囲を見渡せば、全員ステンドグラスを凝視するか、私を見ている。
謎の緊張状態の現地は膠着したまま誰も身じろぎできずにいる。
誰かどうにかして欲しい。
全力で丸投げの私の願いを、一番聞きたくない声が叶えたもうた。
「あぁ、やはり神はわれらに乙女を遣わしてくださったのですね。」
響き渡る声。
高らかに歌うような優しい音。
そして、強すぎる信仰心。
こんにちは、生身では一番会いたくなかった攻略対象キャラ。名前はブニファシオ。
信仰により、髪は長く伸ばし、規律により決められた複雑で美しい髪型をされているこの神殿の最高責任者である神官長様。身長より長い錫杖を持っている立ち絵は綺麗ですが、実際に見ると、錫杖重くない?って聞きたくなるようなやつです。
身長より長くて、一番上に太陽と月をモチーフにしたような円形の飾りがでかでかとあるのでどうしても気になる一品。
「聖なる乙女。我らが願いの元、降り立ちたもうたお方よ、どうぞ我らに神の御力をお示しください。」
まっすぐに歩いてくる神官長様の目には、私以外誰一人映ってないのが私にもわかる。
怖い。怖すぎる。さっきまでとは違う意味で怖い。
あまりにも怖すぎて、私は傍らにいるエルネストさんの服をぎゅっとつかんでしまった。
すると、エルネストさんがそれに応えるように肩に置いてる手をぐっと自分に引き寄せてくれた。
これは、助けてくれるという事なのだろうか。
「神官長様申し訳ございません。この方は、我ら第3騎士団及び、王宮魔導士長様の元、保護いたします。」
「なんと、神のお力を携えし乙女を留め置くというのに、神殿以外の場所がありましょうか。」
理解に苦しむという顔と、高らかな口上。
だが、どうか負けないでくださいエルネストさん。
ブニファシオさんの所にだけは居たくない。絶対に。
このゲーム、冒頭の選択肢によって自分の拠点が変わるのも醍醐味の一つで、拠点によっては攻略できないキャラもいるし、見れないイベントもあるのだ。
ここで神殿を選んでしまえば、ブニファシオさんが攻略対象になる可能性が爆上がりだよ。絶対嫌だ。
「お言葉は最もでございます。では、どうでしょう?この方ご自身に、どちらに行かれるか決めていただいては?」
私はポカンとエルネストさんを見上げてしまった。
まさか、自分に話題を振られると思っていなかった。
こんな時に、目の前に選択肢が現れないなんて困る。
どんな口調でしゃべったら正解!?
下手なことして殺されたら、神様絶対恨むからね!
「わ、私は、私を保護すると言ってくれた言葉を、信じます。」
ぎゅっと、エルネストさんの服をつかむ。
こんな言葉でよかったのか?言った先から後悔と反省がすごい。
「と、いう事ですので、このまま王宮へ下がらせていただきます。神官長様、失礼いたします。」
目礼すると、エルネストさんは私を連れて歩き出す。
アッシュさんの横をすれ違う時、アッシュさんは何か言いたげにしたけれど、エルネストさんは話はあとだ。と、小声で言って、通り過ぎたのだった。
そうして神殿の敷地を出ると、馬に乗せられあれよあれよという間に運ばれる私。
アッシュさん、ブニファシオさんとフラグを回避できたのだろうか。できたと思いたい。神様頼んだ。
馬とか初めてで、途中でグロッキーになるのではと思ったが、意外や意外、そんな事もなくたどり着く王宮。
真っ白い壁に、美しいコバルトブルーのラインが走る王宮は、生で見ても荘厳で美しい。映像が出る時、キラキラエフェクトがかかるのも納得のお城だ。
無駄な口は叩かず、私が連れていかれたのは王宮の一室。
そこはお客さんが来たら留め置くための部屋だったと思う。スチルと合致する背景がうまく探し出せないけれど。
ここでおとなしく待ってれば、多分王宮魔導士長様が来て、魔王を倒してくれという話になるのだ。
一緒に魔王討伐に向かう相手を決めて、ステータスを上げ、この世界の闇を払う。その目標を定めてくれる役割の魔導士長様。
もう何でもいい。その話を早くして。
そして、私を家に帰らせて。
ソファーにいるのも落ち着かないので、私は窓際でお庭を眺めることにした。
さすがの王宮は、お庭もきれいですごいなぁ。確かこの王宮、不思議なつくりをしていて、二階部分が広く庭というか、林レベルになっている箇所があって、その一角に温室があるんだよね。この庭も、そこに続いていたりするんだろうか。
きょろりと周りを見渡して、誰もいないなと確認して、私は出窓を開けてみた。
温室には、王宮魔導士長の弟子がいる。
ちょっと暗くておどおどしたところがあるけど、毒舌できついところもある子だ。人の顔を見れないから、前髪を少し長くしている。
まぁ、攻略対象キャラだから、近づかないようにするんですけどね。
ただちょっと、彼の透き通る歌声が好きで、あれだけは一度生で聞けたらいいのにとは思う。
聞くとしても、こっそりとだけど。
それにしても、遅いなぁ。いつ来るんだろうか。そして私は帰れるんだろうか。
はぁぁ…
長い長い溜息だって出る。
柔らかな風に吹かれて、私はへなへなと出窓に突っ伏した。
「家に、帰りたい」
ぽつりと吐き出した言葉は、心の底からのもので、とたん、不安に見舞われる。
さっきまでの怒涛の状況変化から一変し、こんな静かなところで一人にされたら、不安が胸に忍び寄るのも当然で、私は肺にぐっと力を入れて泣かないように堪えた。
ここからがイベントなんだから、泣いてたら話が進まないじゃない。と、それだけを考える。
早く家に帰りたいのだから。と
「大丈夫?」
そこに、予想だにしない優しくも甘やかな声が突然かけられた。
私は驚いて勢いよく顔を上げる。と、庭から出窓を覗き込むとてもきれいな人。
白いかんばせに、美しいストロベリーブロンド、やはりピンクがかった瞳の王子様。攻略対象キャラです。
「よかった、泣いていたわけじゃないんだね。」
王子様然とした声音はさすがなんだけど、なんでまたイベントが起きているのか、私には全然わからない。
王子様も、ある程度ステータスが上がらないと出会えないお方だから、まず序盤でこのイベントが起きる事なんて絶対ないのに。そう、この、王子様との出会いイベントは!
心配そうな顔と、優しい声に騙されてはいけない。
この王子さまはしっかり計算したうえで、国の事とヒロインの事を見据えている人なのだから。
気を抜いたらダメだった。後悔してもし足りないとはこの事か。
出会うとしても、もっと後が良かったよ。
私はここからどうしたらいいのかわからなくて、その人をじっと見つめた。
「どうかしたの?やっぱりどこか痛い?」
きれいな瞳が私を見る。私はとりあえず質問に答えるために首を振った。
「そう、良かった。ねえ、君は、何をするためにここに来たのか、君自身わかっているのかな?」
楽しそうに聞いてくる王子様の台詞に、私は目を見開いた。
え、なに、その会話。そんなシナリオ聞いたことないんだけど。
またしてもだ。またしても、こんな風に聞かれることになるなんて思ってなくて、選択ウィンドウが欲しい!と、心底思う。思っても現れないから、言葉を考えるしかない。
考えるといっても、ただ設定を思い出すことしか私にはできないけど。
だから、パッケージの裏面にある文字を思い出しながら私はそれを言葉にした。
「黒の森に行き、魔王を倒して、自分の生活に帰る。」
言葉にすればそれはとても簡単な事。だけど、言うは易く行うは難しというもので、口にしたものの、気が遠くなる話だった。
けれども、目の前の王子様は満足そうにうなづいている。
「そうかそうか。君は自分の事を知っているんだね。なら、大丈夫だ。しっかりと果たして来ると良いよ。」
晴れやかな笑顔は、スチルで見たような気がしないでもない。
確かあれは、聖女を試すイベントだった気がするが…まさか、今、私は自分の命が危なかったりしたのだろうか!?え、うそ。怖いんだけど。
なんでこんなにイベント頻発しているの?やめて欲しい。まだこの世界に降り立って、ゲームの目的も定まっていない所なのに。
唖然とする私をよそに、王子様は、じゃあ僕は行かないと。と、言ってひらりと庭の立木へ消えていった。
もうこれ以上やめて欲しい!
お願いだから、フラグは立てずに家に帰して!!
【お知らせ】
こちらのお話しの続きを長編にてアップしました。
長編変更に伴い、タイトルを「こんなバグった乙女ゲーじゃあ恋も実りません!」に変更しました。
よろしければこちらもお楽しみいただければ幸いです。