第4話 契約
楽しそうに話すノアちゃんを見て、なんだか俺は娘でもできた様な気分になっていた。父性を刺激する子とでも言うのだろうか。実際子供だとしてもおかしくない歳だしな…。
しかし俺は42歳独身。まぁ、それは置いといて。
ノアちゃんは歳の割にはしっかりしていてとてもいい子だと思う。
クッキーを頬張り嬉しそうにしている姿は妙にほっこりする。
今思えばこの時点で彼女の術中にはまっていたのだろう。
「それじゃあ!タカシさん。お友達にも慣れたことだし。お仕事の話に移りましょう!」
「お仕事?ああ。夢を売るって言うアレのことか?」
「ええ!そうよ。」
ノアちゃんは少し間をおいて話し始めた。
「タカシさん。夢を売るってどう言うことがわかるかしら?」
「ん?さっぱりだよ。まず、夢って何を指してるんだ?」
「ふふ。おかしなことを言うのね。夢は夢よ。それ以外に何があるの?」
彼女は蠱惑的な笑みを浮かべ、俺の後ろ側にある出入り口を指差し、何かを唱えた。
ガチャンと鍵が閉まる様な音が聞こえた。
え?もしかして閉じ込められた?
唐突に彼女の雰囲気が変わる。
青かったはずの目が赤く染まる。
目を見開き、彼女は言った。
「そうだ!忘れてた。せっかくお友達になったのだから、嘘はいけないわよね!
私の本当の姿。見せてあげる。」
そういうと、彼女の座っている足元に巨大な魔法陣が現れた。
少しずつ彼女の容姿が変わっていく。
深淵の様に深く赤い瞳。小さな体に不相当なほど大きな禍々しい角。まるでコウモリの様な翼。真っ黒な鋭い爪。そして、矢印の様なしなやかな尻尾。
「どうかしら?貴方もどこかでこんな姿の生き物を見たことあるんじゃない?ねえ。タ カ シ さ ん?」
フリフリと尻尾が動く。
「まさか、あ…、悪魔?」
「せいかーい!さすがだわ!私が見込んだことはあるわね!」
目の前の悪魔はニッコリと笑った。
◆
【悪魔】
人の心を糧に生きている存在。その悪魔ごとに望む感情や心は異なる。基本的には人の欲を操って、堕落させる魔物。人類にとって有害な存在であると認知されている。
実は。俺は以前悪魔に取り憑かれた人間を見たことがあった。
骨さえ見えるほどに痩せこけた体に、擦り切れた精神。
もはや元の人格すら無くなってしまったほどに変わり果ててしまったかつての友人を。
彼は命の終わりに掠れた声でこう言った。
【悪魔とは契約するな。】と。
◆
ノアと名乗った悪魔は空中にフワフワと浮いている。
…これは本物だろうな。俺は今まで42年生きてきて、悪魔なんて見たことがない。しかし、その空気、雰囲気から何となくそう感じた。
これまで、悪魔という存在がいることは知っていたが、まさか自分の目の前に現れるとは夢にも思っていなかった。
色っぽく誘う様に微笑む悪魔。
俺は、無意識的にそちら側に吸い込まれていく様な気がした。
「お、俺を閉じ込めてどうするつもりだ!」
「タカシさんには、お仕事のお手伝いをして欲しいの!見ての通り、私はまだ幼いから、私に出来ない仕事を手伝って欲しいのよ。」
先ほどの笑みとは打って変わって、ノアは無邪気な笑みを見せた。しかし、この状況だ。信用なんて出来るはずもない。俺は警戒しながら彼女に言葉を投げかけた。
「手伝い?一体何をさせる気なんだ?
それに、お前は何を糧にしている、悪魔なんだ!」
悪魔とは人間の感情を糧としている、害悪な存在である。負の感情を司る者が多く、例えば悲しみ。例えば怒り。例えば嫉妬。人がそういう感情に支配された時に満腹感を感じるそうだ。
つまり、悪魔たちの食事は相手の感情をエネルギー源としていると言って差し支えない。
「おまえなんて呼ばないで。私にはノアと言う名前があるのだから。」
少し怒気を強めて言うノア。小柄な割に妙なプレッシャーを感じる。
「わ、わかったよノア。」
「あー!呼び捨てにした!
…でも、それも悪くないわね。」
ノアはなんだかくすぐったそうな顔をして口元を手で隠した。何故だかノアは妙に嬉しそうだ。
「話を逸らさないでくれ。ノアは一体何を司る悪魔なんだ?そして、俺に何をさせようとしている?」
「ふふっ!もう。せっかちなんだから。そんなんじゃ女性にモテないわよ。」
そう言って空中に浮いたまま、いたずらな笑みを浮かべた悪魔は俺の鼻先をツンと指でつついた。
「よ、余計なお世話だ。」
◆
「それじゃあ、本当の姿のお披露目も済んだことだし。改めてご挨拶を。」
そう言ってノアは地面に立った。
スカートの裾を持って丁寧にお辞儀をする。
「私は夢と喜びを司る悪魔。ノア・クルス。
どうぞ、お見知り置きを。」
「え?喜び?」
悪魔が悪魔たる所以。それは、人間に害を及ぼすからに他ならない。
しかし、彼女が司る感情は喜びだと言う。
喜びは正の感情である。果たして彼女は悪魔と呼べるのだろうか。
「そう。喜びよ!さっきタカシさんが私のクッキーで喜んでくれたから私もお腹が膨れて嬉しかったわ。タカシさんの感情。とっても美味しかったわ。ありがとう。」
ノアは嬉しそうにお腹を撫でた。
「そ、そうか。それは良かった。」
「じゃあ!契約の話に移るわね!
まず、私との契約なのだけれど…」
「ちょっ!ちょっと待った!何話を進めてるんだよ!」
「え?契約してくれないの…?お友達なのに。」
ノアは少し驚いた様な様子で、泣きそうな顔になった。
「その顔は反則だろ…。ってか、喜びを司る悪魔ってなんだよ…。初めて聞いたよ。」
「悪魔にも色々いるのよ。確かに私は特別だけど。」
「そ、そうか…。」
なんだか急展開すぎて頭が回らない。
「でも、安心していいわ。悪魔は嘘をつかないから。」
悪魔とは自ら糧となる感情をうまく手に入れる為に人間に肩入れする場合がある。その為に彼らは契約に重きを置くのだという。その契約は確実に守らなければいけないものだ。それを怠ると、例え悪魔だとしても死んでしまうこともあるのだとか。
「そうは言ってもなぁ。」
「とりあえず話だけでも聞いて頂戴。タカシさんの悪い様にはならないから。」
「じゃあ話してみなよ。」
「やったぁ!ありがとうタカシさん!」
やたらと嬉しそうなノア。なんだか調子が狂うな。しかし、相変わらず後ろのドアは閉まったままだ。
警戒はしておいて損はない。
「まず。私との契約は私のお仕事を手伝うこと。具体的には、夢を欲しがっている人達を見つけて、その欲を私に教えて欲しいの。」
「へ?それだけなの?」
「ええ。それだけよ。その人たちの欲を叶えてあげると、私はご飯が食べられるの。まぁ、あんまり大きな欲だと代償をもらわないと叶えられないかもしれないけど。
どう?悪い関係じゃないでしょ?」
「まぁ、確かにそれだけ聞くとそんなに悪い話じゃない気もするな。」
目の前の悪魔は可愛らしくニッコリと笑った。
うーん。この子は本当に悪魔なのだろうか。話の内容どおりならむしろ天使といってもいいのでは…。
「もちろん手伝ってもらうのだからお給金は出すわ!1人の願いを叶える度に100万円でどうかしら?」
「ゔぇ?ひゃ、100万円!?」
なんかすごい声が出た。
「ご、ごめんなさい。もしかして、少なかったかしら?」
ノアは申し訳なさそうな顔で言った。
「いやいやいや!十分!十分すぎる!」
「そう。それなら契約成立ね!じゃあ、この念書をよく読んで、問題無ければ名前を書いて、その上に血判を押してね。」
俺は内容をざっと読むとすぐに契約書にサインをした。渡されたナイフで左手の親指の腹を切ると、拇印を押す。
どうせ俺は就職できないんだ。それならここで契約してしまった方がいい。
しかも100万も一度でもらえるんだしな。先程までの警戒心とは何ぞやら。そんな簡単な考えで俺はノアと契約した。
「これでいいか?」
「うん。大丈夫よ!これで契約成立ね。」
ノアは丁寧に契約書を仕舞うと、奥の部屋に戻っていった。書類を置きに行ったのだろう。
しばらく経って戻ってきたノアは、人間の姿に戻っていた。
「お待たせしてごめんなさい。ちょっと探し物をしてたの。」
そう言って俺に見せてきたのは赤い宝石の埋め込まれた金色の指輪だった。高そうな小箱に入っている。
「タカシさん。受け取ってくれる?」
そう言ってノアは不安そうな表情を浮かべた。
悪魔とは言え、こういう顔には弱いな。
「これをつければいいんだな。」そう言って俺は指輪を受け取ろうと左手を差し出した。
すると…。
ノアが唐突に俺の薬指に指輪をはめた。
「え?なんでそこなの?」
「ふふっ。これであなたと私は文字通り一心同体ね。」
そう言ってノアは自分の左手の薬指にはめた指輪を見せてきた。
俺の指に付いているものと同じ指輪だ。
なんだか自分の姿に犯罪臭を感じたので、すぐに外そうとする。
しかし、外れない。まるで元々指にくっついていたのではないかと思うほどひっついている。思いっきり引っ張ると指がの方が抜けそうだ。
「なんだこれ!外れないぞ!」
「そうよ。だってこれは私とあなたの契約の証。タカシさんは私を養ってくれるのでしょう?」
そう言ってノアは満面の笑みで契約書を裏返した。
そこにはかなり小さな文字でびっしりと文章が箇条書きされていた。
【その1 夢と喜びの悪魔 ノアを、妻とし永遠に養うこと。
その2 妻を大切に扱うこと。
その3… 】
などと合計100項目にわたる契約がびっしりと記載されている。多すぎてもはや読む気がしない。
…騙された。この子、悪魔か…。
…いや、悪魔だったわ。しかも妻ってなんだよ。
この子11歳なんだろ…。
例え悪魔とは言え完全に犯罪だよ。もう完全にロリコンのレッテルを貼られまくるよ…。
「じゃあ、これからよろしくね。私の旦那様。」
そう言ってノアはニッコリと満面の笑みを浮かべると、俺の腕に抱きついてきた。
これから俺はどうなってしまうのだろう。
職は見つかったが、同時に幼すぎる妻を娶ってしまった俺の運命やいかに…。