第1話 100回お祈りされたおっさん
【夢】とは何だろうか。それは、憧れでもあり、目標でもあり、妄想の産物でもある。
人は、自分の知らないうちに自らの理想を心の中に持っているものだ。
幼い頃は誰しもが夢を持っていた。弁護士になりたい。スポーツ選手になりたい。お医者さんになりたい。ほとんどの人が自らに自信を持ち、その夢はきっと叶うはずと、信じていたはず。
しかし、いつからだろう。ふとした拍子に夢は自分の手のひらから転がり落ちる。思いのほか大きなサイズだったのか、案外小さかったのか、はたまた重すぎたのか。その理由は様々だろうが、気がつくと無くなっているものだ。
それは、あんなに鮮明だったのに、朝になると泡沫に消える、夜に見る夢と、とても似ている。
それ故に、人の夢と書いて儚いと読むのかもしれない。
全ての人間の願いが叶うような素晴らしい世界なら、俺は、こんな苦労をしなくても済んだのかもしれないな…。
机を挟んで正面に座る少女と、俺のお腹が全く同じタイミングで鳴る。
幼い少女はお腹を抑えて言う。
「旦那様。もう私お腹がキュルキュルなってるの…。そろそろエネルギーが欲しいわ。」
「ああ、そうだな…。俺もだ。」
俺と少女は腹を抑える。
全く、食べ物で腹が膨れなくなるってのは、難儀な悩みだ…。
「休憩はここまでだ。
…そろそろ次の客でも探すか…。
じゃあ、行ってくるよ。家のことは頼んだ。」
「ええ。私の旦那様。」
少女は可愛らしく言った。
俺は彼女からシルクハットとステッキを受け取ると、颯爽と家から出た。
全く。世の中、何が起こるかわからないもんだ。
まさか、俺の馬鹿みたいな夢が叶う日がくるなんて…。
_________________________________今より数日前。
俺は公園のベンチにスーツ姿で座っていた。
スマホが振動する。どうやらメールが届いたようだ。俺は、特に緊張感もなく、いつも通りスマホのメールアプリを開いた。何となく結果は分かっていた。
短い文章をスクロールしていく。
届いていたメールには「貴方の今後の活躍をお祈りします。」との記載があった。
今回も落ちてしまったか…。まぁ、スキルのない仕事だったしな…。
毎回毎回簡単に俺のことお祈りしやがって。
でっかい教会で巨乳で美人なシスターが俺だけのためにお祈りしてくれるなら大歓迎なんだけど。
そんな夢みたいな事でもあったら俺はいくらでも頑張れそうなのになぁ。…ってそんなバカな事を考えてる場合か。
雲ひとつない空が憎たらしい。俺は薄い頭に落ちてきた桜の花びらを払い落とした。
「しかしこれで遂に100社目か。大台に乗ったな。」
俺はため息をついた。
俺は春が嫌いだ。
そう。あの春。女性の名前などではなく、四季の中の春。
春とは始まりの季節。多くの人々が期待と希望を胸に新たな場所へと飛び出して行く季節。
昔は俺もそうだったのかも知れないが、今となってはその光は眩し過ぎるだけだ。
初めて働く新入社員。
一人暮らしを始めた大学生。
多くは希望を持った表情で歩いている。
美しい桜もまるで彼らを祝福しているように感じる。
しかし、そんな中、俺は公園のベンチの桜の木の下で、その幸せそうな光景を眺めているだけだ。
幸せという輪の中から、自分だけが取り残されている様な気がしていた。
焦燥感と虚無感で胸が一杯になる。…何やら後ろからどんどん追い詰められている様な感覚。
そんな感覚を覚えるのだ。
どうして、こうなったのだろう。
俺は、高校も、大学も卒業し、就職もしていた。
ひとまず働いてはいた。
でも、今の状況は42歳無職だ。
アラフォー無職。
この言葉に俺の全てが詰まっている。
アラフォー無職。
太っていて髪の毛も薄い。
うん。なんか死にたくなってきた。
公園の前を通り過ぎる、期待に胸ふくらませた高校生達を恨めしく思いつつ、このおっさんが将来の君の姿かも知れないぜ。よく見ておくんだなとか、そんな自虐的な事を思いながらニヤリと飲み干したコーヒーをベンチに置く。
缶は自立することなく、虚しい音を立ててベンチから滑り落ちた。
歳をとった今だからわかる。
人生は漫然と過ごしてはダメだったと言うことが。
何にしてもやった事は無駄にはならない。
考えて行動した事はかならず身になるのだと。
俺は、元々販売の仕事をしていた。
理由は何となく。
ただ、受けたら受かったから入った。それだけ。
別に人の笑顔が嬉しくて…。とか。
販売の業績が伸びるのが楽しくて…。とか。
売り場を作るのが楽しくて…。とか。
そんな高尚な理由は一切ない。
俺が働いていた理由は金がなくちゃ生きていけないからだ。
何もしないで生活できるなら、そりゃあ何もしないわな。
そんなん好きなことして生きていくわ。
そんなわけで今俺は就職活動中である。
え?どうしてクビになったのかって?
『40過ぎのおっさんが売り場にいちゃ後続が育たないから。』だそうだ。
俺よりも年下の店長はハゲ散らかして場所も取る俺を疎ましく思っていたようだ。売り場に似つかわしく無いとクレームが入ったのが決め手だったらしい。
まぁ、気持ちはわからんでもない。
実際友達になるなら若くてカッコいいイケメンと年老いてハゲてデブなおっさんならどっちがいいか…。
そりゃあ殆どがフレッシュなイケメンを選ぶわな。
もしかしたらB専でデブなおじさんが好きな人もいるかも知れないが確実に少数派だろう。
俺が解雇された理由はそう言うこった。
実際俺があまりに使えなかったってのもあるだろうけどな。
ギャンブルや趣味ばかりに時間を費やし、ろくに自分自身を磨いてこなかったツケがどうやら今頃回ってきたらしい。
まぁ、でもなるようにしてなった。そんな気がするな。
俺はこの生き方しかできないのだろう。
仮に何度人生をやり直しても俺の根本は変わらない気がする。
変える気がないのか。変えることが出来ないのか。それはわからない。
変えようとしたことがないからな。
しかし、行動するには力がいる。始めるための一歩。これがとても重たく。その後の扉を開くためには歩き続けるほか無い。
永遠に頑張るのは無理だが、永遠にだらける事ならいくらでもできる。人間ってのはそう言う生き物だ。
かく言う俺も、その中の下らない一人…。
「そんなこと考えても、仕方ないか。」
俺は立ち上がり、尻をはたいた。
「まぁ、生きる為にはやるしかないんだ。頑張るか…。」
俺は沈んだ気持ちを無理矢理奮い立たせて、職安所へと足を進めた。