blue.blue.blue,
『終わりが来たら、海へ行こう』
君がそう言ったから、今日、僕は海に行く。
赤い鳥居をくぐり木々の生い茂る境内は場所柄か夏だというのにひどく涼しい。それだけで別世界に入り込んだように思わせる。こころなしか、うるさい蝉の音もワントーン下がっている気がした。
「やっぱりここは涼しいねぇー」
何度も何度もここにやってきた。幼馴染みの椎菜とともに。小さい頃は探検の場所として、大きくなってからは二人だけの避暑地として。
「そうだね」
思い出が積み重なっては消えていく。特別だけれど、唯一ではない凡庸な世界。
「相変わらずシンとしたところだね、ここは」
「それがいいんじゃないか」
「確かに」
僕にとって。そしておそらく椎菜にとっても、そんな場所だった。
十八年という年月は、たぶん僕が思っているよりも軽い。でも僕にとっての十八年はすべてでありそれ以上も以下もない。つまり僕の人生は他人にとってはさしたる価値もないけれど自分にとってはそれ以上も以下もないただひとつのものだった。
クーラーの禁止された熱風が吹き込むうだるような暑さの中でこんなことを考える僕はたぶん頭がやられている。
人生の価値なんて、きっと死んだって見つけられはしないんだから。
それよりももっと必要かつ効率的なことをするために僕は紙とペンを適当に詰め込んで近場の図書館へ自転車を走らせた。
「あ、圭太」
「おう」
声がした方に顔を向けるとそこには長いウェーブがかった黒髪の美少女。つまり僕の幼馴染みである椎菜が話しかけてきた。
「圭太も涼みに?」
「こいつを片付けないと真の夏休みはこないからね」
「だよねー」
椎菜は僕の向かいの席を引いて座る。白いポロシャツの襟元に汗が一滴、滑るのが見えた。僕はその視線を引き剥がすと何でもないように何も書かれていないページを見つめながら言い訳めいた言葉を口にする。
「あと、熱中症に殺される前に逃げてきた」
「え? “ね、ちゅーしよう?”」
時折いたずらに椎菜は、こんな馬鹿なことを言う。
「……言ってないし。ほら司書さんが胡乱げにこっち見てるから静かにしよ。
………………ちゅーは出てからな」
答える僕もやっぱり馬鹿なもので、椎菜の期待にきらめく瞳の誘惑に抗えた試しがない。
「了解した!」
……結局はそれでいいと思っているのだ。
自動のガラスドアから先には地獄の暑さが待っている。特に温度差があるキンキンに冷えた室内から出てきたものだから、僕は一瞬、自分が溶ける錯覚を抱いた。
それは彼女も同じだったようで。
「ねね、ほらアイス買お。そうしよう」
と決定事項のように告げてきた。もちろん僕に反対する理由もなかったので、すぐ近くの個人商店に入った。ここにはコンビニなんていうハイソなものは手近な場所にないのだ。
顔なじみのオバチャンに二百円を出し何枚かのお釣りをもらって二人で再び歩き出す。目的地はない。ただ、二人で家に帰るだけだ。
「あ、そういえば、ちゅーは?」
「え、今なの」
「だって、出てからって」
「……これ食べたらね」
「えー」
「早く食べないと溶けるよ」
「あっ、あわわわ」
氷菓子の溶けた滴が椎菜の白い腕を伝っていく。椎菜はそれを舌で追いかける。そのままガツガツと二三口、大口を開けて彼女はすっかりそのスカイブルーの物体を取り込んだ。
「うわっ!」
「どうした?」
「頭キーンってした!」
「……馬鹿だなぁ椎菜は」
そりゃあんなふうに一気に食べたら頭も痛くなる。あれってこめかみに冷たいものを当てると治るらしいけど、本当なのかな。
「圭太こそそんなにのんびり食べてたら溶けるよ」
「うん。溶けたら蟻にあげる」
「えーもったいないよ」
「蟻だって生きてるんだしいいんじゃないか」
「圭太ってそういうとこあるよね」
「そういうとこ?」
「んーんー、別に」
蝉の鳴き声ってやつはどれも同じに聞こえるけれど、ひぐらしの声だけは違うように聞こえる。あの寂寞感寂寥感は他のけたたましい蝉たちとは一線を画していると僕は思う。
ひぐらしに背中を押され僕らは炎天下の道のなか、世界にふたりっきりの幻想を見る。
このまま世界が終わるとしたら、それはたぶんこの上ない幸福で。
「明日、海に行こうか」
終わりの始まりに。
「うん、わかった」
そして、彼女もそれを受け入れた。
「じゃあまた明日ね」
そういった僕は椎菜の小さな唇に口を落とす。さっき食べたアイスの甘い香りがした。
「えーここでなんてズルイ!」
椎菜は不満たらたらに言ったけれど顔がにやけているから説得力に掛けている。
「明日は迎えに来るよ」
「……ん、じゃ待ってるね」
彼女の白いポロシャツが紅に染まり僕は夏の終わりをそこに見た。
水平線はどこまでも遠く、寄せては返す波の音は少しうるさいくらいに周りは静かだった。黒土の海岸はとてもロマンチックな代物ではなかったけれど現実なんてそんなもの。
椎菜の白いワンピースが風にはためいてやけに眩しかった。
「何年ぶり?」
「十年かな」
「そっか。早いね」
「そうかな。でもいつか来るのはわかってたよ」
「私だってわかってた」
「……じゃあ、おしまいだね」
「……うん、おしまい」
“期間限定の恋人ごっこ”
僕たちがそんなことを始めたのは当時流行っていたドラマの影響だった。訳あって別れたふたりが再会してすれ違いながら結ばれ、最後にはまた別れてしまうそんな悲恋のドラマ。
思いの芽が出始めた僕らにとってそのストーリーはまるで僕らの未来を描いたように感じたのだ。
この土地で生まれた椎名。僕はこの土地生まれではなく、いずれは元いた場所に帰らなくてはいけなかった。そのリミットが十八。
終わりにするのは海がいいと彼女が言ったから。
「さようなら、椎菜」
「さようなら、圭太」
またね、なんて。嘘でも告げられるほど、十八歳の僕は大人にはなれなかった。
でも君を守るために僕は強くなるよ。遠くから君を思ってる。
例え、明日この身が朽ち果てようとも。
真っ青な空に光の点滅が走る。破損した機体から落下したのだろう。部品は大気圏を通り高熱を帯びて帰ってきた。
昼間の流星群はもはや珍しくともなんともなかった。もう何年も続いている宇宙戦争は、もう何人の若者を散らしたかわからないほど。
そこで政府はある一計を案じた。とても倫理に悖るその計画。
“人工生命体”
人に似せて作られた、人工有機生物。
激化することこそないが、安定することもない戦争のために生み出された人工生命体は、十八まで猶予期間が与えられ、ただ人として暮らすことが出来る。
そしてその猶予期間が終われば明日のない戦場へと向かわされるのだ。
世界の終わりも、ましてや安寧もない、その場所へ。
人を模した人ではない何かが、人のために生まれて、死んでいく。
命、尽きるまで。
end