魔族との出会い
「だ、誰よ、あんた……」
「ああ? 関係ねーだろ、そんなん」
ルナの反応を見る限り、知り合いというわけではないらしい。
「ひぃいい、ま、魔族……っ!!」
静まり返った法廷内で誰かが叫ぶと、ワァっとあふれ出したようにあちこちで悲鳴が飛び交う。
「あれが、魔族……?」
『グルルルル……ッ』
フェンリルは警戒を強めるように、毛を逆立てている。
母は魔族を見た恐ろしさでその場で倒れてしまい、父が介抱するように母を抱きかかえた。
「奥方をこちらへ!」
「は、はい」
ツェリフォード公爵の誘導で、父は母を抱えて法廷の外へとかけていった。
後ろ髪を引かれるように父がマリサを振り返ったが、オルガが「行って」と父に話すと、オルガだけが残り、父と母はその場から去って行く。
父と母が安全な場所へと移動するのを見て、マリサはほっと息をついた。
「姉貴。下がってて」
「お、オルガ?」
弟のオルガは、マリサを後ろに隠すようにして男との間に立った。
「ふん。その制服……十字団の者か?」
「そういうお前は、ただの魔族ではなさそうだな」
魔族の男は、オルガを見て『十字団』と言った。
『十字団』とは、大国ヴァシュレイン国の王宮騎士団の名称である。
オルガが身に着けている白衣の制服は、その十字団の団員の証であった。
「どん臭い姉のために帰国したら、まさか魔族に出会えるとはね」
「噂で聞く十字団の実力、いかほどか試させてもらおうか」
二人はしばらく互いを睨みあった後、同時に声を上げた。
『召喚!!』
「来いッ、俺の契約獣!! "ナイトメア"!!」
「来たれ。古の契約の元、血の鎖て汝を制す! "シーサーペント"!!」
オルガの召喚呪文に答えるように、オルガの影からヌッと黒馬の姿をしたナイトメアが現れた。
『ヒヒヒィーン』と、馬の鳴き声が法廷中に響き渡る。
「なかなかいいもん、持ってるじゃねーのッ!」
灰色の肌の男の元に光の中から大蛇が現れたと思ったら、すごい勢いでオルガの元へとその鋭い牙で襲い掛かる。
「くっ、ナイトメア!」
『ヒヒィイン』
ナイトメアはオルガを守るようにして防御の体勢を取るが、咄嗟のことで防御が間に合わず、ナイトメアの首にシーサーペントの牙が立てられてしまう。
「オルガ!」
苦闘するオルガの姿に、マリサは心配そうに声を上げた。
(私は、私も何かできないの!?)
『我が主、命令を』
「え!?」
『主の命がなければ、我は動けない』
「そ、そんな、でもどうやって……」
ぐるぐると、初めて見る契約獣同士の戦いに、マリサは戸惑いながらフェンリルを見た。
「おい、女」
「へっ?」
突然、灰色の肌の男に話しかけられ、びくりと身体を震わせるマリサ。
「その幻獣、お前のだろ?」
「あ、え、と……」
「姉貴に手を出すな!」
コツコツと靴音を立てながら近づいてくる男に、オルガは再びマリサを後ろ背にした。
「俺が来た理由は、一つだけだ。――その幻獣、俺が貰い受ける」
「え……」
「そんなの許すわけないだろ!!」
オルガは腰に身に着けていたレイピアを抜刀すると、牽制するように一振りして構えた。
「おっと」と難なく剣をかわした男は、一歩下がってから体勢を整え直し、ギュンッと素早い動きでオルガの懐へと入りこんだ。
「なっ!」
キーン、とオルガのレイピアが男の爪で跳ね返される。
男の爪は、鋭く尖り、刃物のような妖しい光を放っていた。
「仕上げだ」
パチン、と男がもう片方の手で指を鳴らすと、シーサーペントが抑えていたナイトメアを食いちぎった。
「うああああああ!!!」
「オルガ!?」
シュウウ、とナイトメアの原型が霧のように消えると共に、オルガは苦しそうに吐血して膝を折った。
なぜオルガが、と不思議に思いながらも、マリサは倒れそうになるオルガの背に手を回して抱きかかえる。
「ふん。フェンリルか。思わぬところで良いものに遭遇したな」
男は腕を組みながら、『グルル……』と唸るフェンリルを見つめた。
「茶番はここまでにして、そろそろいただこうか」
「ひ……っ」
『主に触れるでない!!』
マリサの前に立って一吠えし、男を近づけさせまいとするフェンリルに、男は面倒くさそうに「シーサーペント」と名前を呼んだ。
すると、先ほどまで後ろで控えていたナイトメアが、一瞬でフェンリルの元へと転移し、フェンリルへと襲い掛かる。
「きゃあああ!!」
オルガを必死に抱えて守りながら、マリサはフェンリル、フェンリル、と名前を呼んだ。
そして、激しいフェンリルとシーサーペントの争いに建物が崩れ始め、天井の一部の装飾が、マリサの頭上をめがけて落ちてきた。
「え……」
『主ッッ!!』
フェンリルはシーサーペントと応戦中で間に合わない。
(ぶつかる――ッッ!!)
ぎゅっと目を閉じ、衝撃を覚悟したマリサ。
しかし、いつまで経ってもその衝撃は起こらなかった。
そっと目を開けば、目の前には、敵であるはずの男。
「あ……」
「ふん。殺したいわけじゃねーからな」
軽々と重そうな壁の装飾を片手でブロックし、ズシン、とマリサの横にゆっくりと避けさせた。
「……なんだ」
「え?」
男が一気に距離が近づいたかと思うと、突然クイッと顎を男にとられ、顔を上を向けさせられる。
「まだ本契約じゃないんだな」
「ほん、けいやく……?」
何のことを言っているのかわからない、とマリサは頭上にハテナを浮かべながら、男の行動に戸惑いが隠せない。
「それに――」
「きゃっ」
今度は腰に手を回され、強引に身体を男の方へと抱き寄せられた。
「あんた、綺麗だな」
「ふぇ!?」
かあああっと、マリサの顔中に熱が集中するのがわかった。
男は灰色の肌以外は人間と同じような姿で――いや、人間よりも魅力的な顔立ちの美男で、力強い男性の腕に抱き寄せられるという初めての体験にドキリと胸が弾むのを感じた。
「つ、つ、吊り橋効果ぁあああああ!!」
「!?」
パァン、と男の頬を殴ったのは、マリサだった。
男も不意を突かれたマリサの行動に、モロに平手打ちを食らってしまった。
恥ずかしさのあまり思わず殴ってしまったマリサは、サアっと青い顔をして「ご、ごめんなさ…」と声を震わせ謝った。
「いってぇ……はぁ。興ざめだな。仮契約だと色々面倒だし。また、改めて奪いに来る」
「まっ……」
男はそう言って、踵を返して歩き出すと、シーサーペントと共に姿を消してしまった。
「……一体、なんだったの……」
先ほどまでの激しい争いが嘘のように、清閑な空間となった法廷内で、ポツンと一人でマリサは嘆いた。
「ぅぎゃあっ!」
誰かの短い悲鳴がして、マリサは身体をびくりと緊張させ、後ろを振り返る。
『主』
「フェンリル……?」
そこにはフェンリルの足元で伸びているルナの姿があった。
『この女、こそこそと隠れて主を狙っていた』
「そう……」
はぁ、とマリサはため息をつくと、ルナの手からナイフを奪い取り、遠くへと投げやった。
シン、と静まり返った法廷内で、マリサは辺りを見渡す。
無差別に放たれた銃弾に倒れた人。
突然現れた魔族による襲撃に巻き込まれた人。
――これは、自分が招いてしまった悲劇なのだと痛切に感じた。
『我が主は、この後どうされたい』
「え……?」
『我は、ずっと主を見ていた。幼い頃からずっとだ。そして、契約を切りたくて仕方がなかった。醜い人間のしもべになってしまった自分を恥じていたのだ』
「…………」
『だが、今の主は違う。幼い頃に出会ったときのように、主の心は澄んでいる』
「……色々、あったの…」
『そのようだな』
ふっと笑みをこぼすと、フェンリルはマリサの足元に、かしずくように頭を垂たれた。
『我が主。命名をもって、再契約をさせていただきたい』
「再契約……?」
『今まで主を守れなかった。だから、忠誠の証を主に贈りたい』
「わかった……」
マリサは、手のひらをフェンリルの額へと掲げた。
「契約に従い、我が命に答えよ。貴方の名は――"フェリ"」
暖かく柔らかな光が、その場を明るく照らした。
マリサの手の甲の契約印は、三日月の形から、3つの三日月がクロスしたような形へと変化した。
『我が主のお与えくださった名、確かに受け取った。――本当に、良いのか?』
「うん……。フェリ、お願い」
――この日。
マリサとその契約獣によって、法廷での事件は改変された。
レイガット家は、侯爵から伯爵へと位を落とすだけに留まったが、マリサは死刑と判決された。
その場にいた人々は、やはり、と天使のように美しい少女の死を嘆いた。
そして、エイヴァンとルナは婚約し、1年後に結婚した……。
人々の記憶には、マリサ・レイガットは、極悪非道の悪役令嬢として処刑されたと残ったのである――。
安心してください、数話後にザマァ展開があります。