ダイエットしたいんです!
マリサ・レイガット。15歳。
殺人の罪で、牢屋に囚われる。
数週間後の裁判でおそらく死刑になるだろう。
「ふむ。覚えてるわ」
頭をぶつけたショックで、前世の記憶を取り戻してしまったマリサだったが、悲惨な状況にもやけに冷静であった。
それもそのはずだ。
マリサの前世はトラックにひかれそうになった子供を助け、21歳で不運にも亡くなってしまったのだから、転生している状況にも驚きはしなかった。
「また私ってば死にそうなの? まだ若そうなのに……」
はぁ、とため息をついて、これからどうしようかなとぶつぶつと嘆きながら考えた。
「ところで……」
このふよふよと私の周りをうろうろしている小さいリス?みたいな生物はなんなんだろう……。
ちなみに、今マリサは、自分で打ってしまった頭を看守に手当をしてもらっている最中である。
「あの……この子は一体……?」
「お嬢ちゃん、この子が見えるのかい?」
「はぁ……」
「顕現させてないっていうのに、珍しいな。こいつはカーバンクルの『コウ』。俺のパートナーだ」
「パートナー、ですか?」
コウと呼ばれたカーバンクルは、魔獣だという。
「ま、魔獣と暮らしてるんですか?」
「何を言う。みんな一人一匹の契約獣をもってるじゃねーか」
「私は、持ってないですけど……」
「そうなのか? 契約者本人じゃないと、普段は契約獣の姿は見えないんだが、確かに嬢ちゃんは加護印がないみたいだな」
「加護印……?」
「契約した証が、手の甲に浮き出るのさ。嬢ちゃんはまっさらだな」
そういってマリサの手を指さす看守に、マリサはまじまじを印を探すが、確かに何も見当たらなかった。
「それより……痛くないのかい?」
「はえっ? そうですね、ちょっと痛いくらいです……。手当していただいてありがとうございます。かたじけない」
「は、はぁ……」
看守は、先ほどの恐ろしい形相のマリサとは、別人のような様子に、少し戸惑っているようだった。
結構な勢いで頭をぶつけたと思ったが、額に乗った肉の厚みでそれほど大きな怪我にはならなかったらしい。
派手に血が出たが、少し皮膚を切っただけだった。
ピーピーと、カーバンクルが心配そうにマリサの頬にすり寄ってくる。
暖かくて、くすぐったかった。
「看守さん。私って、死刑になりますか?」
「えっ? ああ、そうだなぁ……殺人だからな……」
「そうですよねぇ」
はぁ、とマリサはため息をついた。
前世を取り戻したマリサだったが、自分のことがまるでよくわからない。
マリサとして生きてきた記憶はもちろんある。
しかし、マリサは自分が不遇であったと自身に対して同情心が募るだけで、殺人を犯すほどの悪人であるとは思えなかったからだ。
――マリサ・レイガット。
記憶を取り戻す前のマリサは、家の中に閉じ込められるように世間とは一線を引いた生活をしていた。
それがいつからだったのか、幼い頃からとしか思い出せないが、レイガット家のマリサの扱いは特殊としか言いようがなかった。
上級貴族であれば、教育を受けるために他の貴族と同じように公国が管理する学院へ通うことが一般的だ。
しかし、マリサは学院に通ったことがない。
友達もいなければ、同じ年頃の知り合いといえば昔一度だけ参加した社交パーティーで出会った婚約者のエイヴァンしか思いつかなかった。
更には、外出する際には両親の許可を得なければならず、たまのお出かけにも必ず家の者が付き添った。
これは、異常としか言いようがない。
マリサが外出する度に悪評が立ってしまう行動に出てしまったのは、彼女なりのSOSだったのかもしれない――。
(皮肉なものね。家の監視がない初めての自由が、牢獄だなんて)
マリサの膝の上でドングリをかじっているコウを見つめながら、マリサは自分自身を憐れんだ。
(せっかく転生したんだし、もっとこの世界のこと知りたいな。契約獣のことやこの世界のこと、きっと私、知らないことがたくさんある――!)
「とりあえず、まだ数週間は生きれるってことだし! ラッキーじゃん! この世界を楽しもう!」
マリサはガバリと伏せていた顔を上げると、手当を終えてばかりの看守に声をかけた。
「看守さん! 私、最後にやりたいことがあるの!!」
「お、おおう。な、なんだい?」
キラキラと目を輝かせるマリサに、看守は後ずさりながら、思わず聞き直してしまった。
「私、契約獣がほしい!!」
「ええぇっ」
突然のマリサの要望に、看守は困ったような顔をした。
「そいつは、無茶だぜ……契約獣の召喚は教会でしかできないんだ」
「そ、そうなの……」
なんだ、とがっかりしたマリサに、申し訳なさそうな顔をする看守だったが、突然くすりと笑みをこぼした。
「……なんだか、嬢ちゃんは思ってたよりずっと普通の子だな」
「そう、ですか??」
「俺も含めた看守はみんな、嬢ちゃんのことを極悪な殺人者だと思っていたからな。だから、なんというか、ギャップがすごくってな」
「いやぁ、それほどでも……?」
照れたように破顔するマリサに、看守はさらに笑みを深くして腹を抱えて笑った。
「こんなご時世だろう。公国に仕えるちゃんとした騎士様はこの国にいないし、俺はただの街の警備団員だ。極悪人を見張るなんて俺に務まるのかと、緊張してたんだよ」
確かに、看守の男はただの平民にしか見えなかった。
マリサも見たことはないが、公国の騎士といえば貴族にしか成れない名誉職だというし、この牢獄にその人物らしき姿が見えないのも不自然だった。
「あの、こんなご時世って……」
「嬢ちゃんにはまだ早いお話だったかな? 騎士様が出払っている理由といえば、一つしかない。魔族との開戦が近いんだよ」
『魔族』
それは、母がよく寝る前に読み聞かせてくれた絵本に出てきた。
灰色の肌をもち、強大な力を使い、人間を脅かす者たちのことだ。
「本当にいるんですね、魔族って……」
「ああ。いるとも。俺も見たことはないが、100年前にはよく村を襲っていたらしい。その魔族が戦争をしかけてくると、公国の使える大国の偉い人たちが言っているんだよ」
「そうなんだ……」
貴族世界に浸ってばかりだったマリサは、目からうろこだった。
この世界は美しく、平和だとばかり思っていた。
魔族との開戦だとか、そんな大事なときにマリサは平民を虐げワガママし放題だったのだから、婚約者が呆れて浮気したって仕方ないのかもしれない。
(最後に少しでも、エイヴァンにいい女だったって思ってもらいたいな……)
マリサは、エイヴァンのことを思い出した。
浮気だとか以前に、マリサはほとんどエイヴァンとまともに会話をしたことがないし、好かれる努力をしたことがなかった。
所詮、親に頼んで無理やり決めた婚約だ。
好かれる努力は、マリサ自身がしなければならなかったのだ。
「私、ダイエットしたい!」
「え!?」
「契約獣は無理でも、ダイエットなら、牢屋でもできますよね!」
「そ、そりゃそうかもしれんが……」
「正直、私って見た目が見苦しいじゃないですか」
「えっ? いや、同意求められても……」
「顔だって、肉の厚みで目や鼻が埋まっちゃってて、なんか怖いし」
「う、うーん」
「いかにも悪役って感じですよね?」
「可愛くはないかもね……」
「そうなの!! 年頃の女の子が、もったいないと思うんです!!」
「もったいない……?」
「だって見てください。肌だって若々しいし、色だって白くて綺麗になれるかも。瞳もブルーでお姫様みたいだし、十分素質ありそうじゃないですか」
「お、おじちゃんよくわかんな……」
「そうですよね!! 申し訳ない!」
おじさんに女の子の素質がどうたらって話、興味あるわけがなかった。
つまらない話に突き合わせて申し訳ないと思ったが、マリサは話し相手がほしかったのだ。
突然死ぬといわれて、怖くないわけがなかった。
「看守さん。私、最後はせめて綺麗に死んでいきたいんです……」
「お嬢ちゃん……」
こうして、マリサの初めてのダイエットが開始されたのだった。
それからというもの、マリサは必死に牢屋の中でトレーニングを欠かさず行った。
朝から、夜まで。
一日に約10時間は、腹筋、背筋、腕立て伏せ、顔のマッサージと足のマッサージも怠らない。
前世のダイエット知識で、自身を磨き続けた。