秘密の隠れ家
「――って、めっちゃ生きてますけどね。私めっちゃ生きてますけどね!!」
白いローブで頭をすっぽりと隠し、顔が見えないようにと細心の注意を払いながらマキュリウス公国の商店街を歩いていたのは、死んだと思われていたはずのマリサだった。
『これからどうする? 我が主』
ちょこんとマリサの肩に乗っかっている小さな子狼は、フェリである。
フェリは、名前を与えることでマリサの望んだとおりの姿に変化できるようになった。
「そうね……もうこの国にはいれないし、他国に亡命したいところなんだけど、戸籍上死んでることになってるから、関所も通れないのよね……」
『主……』
記憶改変など、考えなしでやってしまったなぁ、と目を潤ませるマリサ。
だけども、後悔などしていない。マリサがきっかけで起こってしまった事件だ。
後始末は、自分でつけることができた。これで満足。次行ってみよう!
『……それで主。次、とは?』
「ううううう……」
じとりとイジワルな視線を送ってくるフェリに、マリサは頭を抱えた。
「とりあえず、衣食住の確保よ!」
マリサは、家からこっそり持ち出した公国の地図を広げた。
「見てよフェリ。ここって森と海が隣り合ってる。食に困らない環境だと思わない?」
『なかなかいい選択だ。ここにはハグレ魔獣が多く生息しているし、人も寄り付かないだろう』
「ひぇっ、ま、魔獣……!?」
『今更何を怯えている。主には、我が、フェリがいるだろう』
えっへん、と胸を張るようにして鼻を鳴らすフェリに、マリサはくすりと微笑んだ。
「威厳も何もないよ。可愛いだけだよ、フェリ」
『な……っ』
真っ赤な顔をして憤るフェリに、あはははは、とマリサは声を上げて笑った。
「フェリが守ってくれるなら、安心だね! ここに行こう!」
『主の御心のままに』
フェリがにやりと口角を上げて笑うと、ふわりとマリサの身体が浮いた。
「わっ」
マリサの身体を、風のヴェールが優しく包み込んでいる。
『この森まで、我が運ぼう』
「きゃあああ!」
ざわりと周囲の人々がマリサを振り返り、マリサは浮いたスカートを両手で押さえながら、フェリの風に身を任せた。
短いスカートの中にはもちろんドロワーズを履いてはいるものの……、やはり令嬢として育ったマリサには下着を他人に見られてしまうのは恥ずかしかった。
『何を怒っているのだ?』
「怒ってない!」
『…………』
理由もわからず怒られてしまい、フェリはキューン、と子犬の鳴き真似をした。
それがかわいすぎて、マリサは「ご、ごめんねっ」とフェリを抱きしめるのだった。
フェリの確信犯だと気づくのは、もうちょっと先のこと――。
マリサは、遠ざかっていく住み慣れた街を、空から見下ろしながら思った。
(お父様、お母様、そしてオルガ――)
大好きな家族。最後まで、マリサを守ろうとしてくれた。
マリサが死んでしまったと思い、さぞ悲しみに嘆くことだろう。
一番の心配は、母だった。法廷で再会した母は、綺麗だった肌がボロボロになっており、ひどく痩せてしまっていた。
ずっとマリサを家に閉じ込めていたことで、自分は愛されていないのではないかと思うこともあった。
しかし、あの事件で改めて家族の愛を一身に感じ取ることができたことは、皮肉だが純粋に嬉しかった。
「ねえ、フェリ」
『……いけない、我はそこまでは叶えられない』
「お願いよ、フェリ」
『…………主が、苦しむだけだぞ?』
「いいの、不安を残したままの方が、私は苦しい」
『……御意』
フェリは、ガオッと街に向かって最後に一吠えした。
幻獣であるフェリの能力の一つ――記憶操作を発動させたのだ。
これで、父や母、オルガは、家族だったマリサのことを酷く嫌いだったと記憶違いを起こす。
今頃、毛嫌いしていた娘がいなくなって清々したと、母は喜んでいるだろう。
「もう、会うことはないんだから」
『――馬鹿だな、主は』
ポテン、と肩に乗っていたフェリが、マリサの方へと身体を寄せてきた。
暖かくて、安心する。
こんなとき、一人でなくてよかったと、心からそう思えた。
『――オマケだが、すこし他の人間にも力を使っておいた』
「へっ??」
『いや。もう会うことはないだろうから、主は気にするな』
ニヤリと悪い笑みを浮かべたフェリに、詳しくは聞けなかったマリサだった。
そしてその頃――。
グランド家の屋敷では、「マイハニーマリサはいずこへ!?」「誰だこの小汚い平民女は!」「マリサ!? マリ――サァアアッッ」と叫ぶエイヴァンの姿があったとかなかったとか。
『主、そろそろ目的地に着くぞ』
「うん!」
フェリの風はふわりと優しく急停止し、森の中へと降り立った。
降り立ったのは、辺りを森に囲まれた綺麗な湖と一軒の古びた家だった。
「なんて綺麗な場所――。だけどフェリ、あそこに家が……」
『大丈夫だ。もうずっと空き家だった場所だ。入ってみると良い』
ギリ、と何年も開けられなかった家の扉が開かれた。
室内はホコリまみれだったが、雨漏れもなさそうなしっかりとした作りだった。
「ベッドもあるし、キッチンもある……」
『着なくなった子供服もあるぞ』
「なんという、なんというヘヴン……! 衣食住すべてが揃ってしまった!!」
『フェリ様すごーいって、って褒めてもいいんだぞ?』
「フェリ様すごーい!!」
『……そ、そんな目で見るなっ。我が悪かった……』
「??」
純粋に目を輝かせるマリサに、フェリは家の隅っこで、自分の心の狭さを痛感し、落ち込んだ。
マリサはというと、張り切って空気の入れ替えをしたり、部屋中のホコリをふき取ったりと、大掃除に勤しんだ。
『全く。あの醜い性悪令嬢は、どこになりを潜めてしまったんだか』
「えっ??」
『戻ってほしいとは思わないが、ここまで別人のようだと本当に別人じゃないかと疑ってしまうな』
「別人、ではないけど。ある意味別人かもね……?」
『……どういうだ?』
すっかり、フェリは前世の記憶が戻ったマリサのことを知っているのだと思い込んでしまっていた。
さすがに記憶の変化までは、幻獣たるフェリでも察知できなかったのかもしれない。
『なるほど。前世での人格と融合して、別人のようになってしまったということか』
「うん……」
『では、主が他人に対して悪逆非道の限りを尽くしていたことは、認識しているのか?』
「も、もちろんだよ……」
『そのことに対して、どう思った?』
「う~~ん……。そのときは何とも思ってなかったんだけど、前世の記憶が戻って、視野が広がった感じがして。今まで見えていなかったものが見えるようになって、ズキズキ胸が痛んだよ……」
『見えていなかったもの?』
「あの頃の私は、自分のことしか考えてなかった。私が他人を攻撃することで、その人がどう感じるのかとか周囲がどう思うのかとか、全部考えちゃって。
そしたら――、すごく、恥ずかしくなっちゃった……って、フェリ? どうして泣いてるの!?」
しんみりと、自分の記憶を辿りながら話したマリサに、フェリは小さな体のどころからそんな水が、と思うくらい大量の涙を瞳から零れさせていた。
『ううっ、主、それは、大人になったということだッ! 他人の痛みがわかるお優しくも強い主、そんなあなたに我は使えたい!!』
「ああ、もう、鼻水でてるよフェリ……」
ハンカチでフェリの顔を拭ってあげると、チーンと鼻をかみながらも、まだえぐえぐと泣いているフェリ。
そうだ、ずーっとフェリは、マリサのことを見守ってきてくれたのだ。
あんなに醜いマリサを、もうちょっとだけ、もうちょっとだけと、見捨てずに思っていてくれたのだ。
「ありがとう。フェリ。大好きよ」
そういって、マリサはなでなで、と小さなフェリの頭を撫でた。