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「そのくらいにしておいたらどうかな」

 ぱさりと音がして、御処野の肩に降りかかったのは、御幣だった。神主が使っている紙がジグザグになっているあれだ。だがその声の主は御幣よりもっと上にいる。

「あ? てめえは……」

「枸橘皐月……!」

「どうも」

 地上から一メートルほどの空間に、浮かび上がっている枸橘がいた。彼は御幣を上げて場違いな挨拶をするが、その顔はいつも通りの何を考えているか分からない無表情である。

 同じジャージを着ているのに一人だけ性別が反転していない人物。学校指定のジャージ姿で御幣を持っているというのがおかしいけれど、間違いなくこいつの魔法が現状を引き起こしている。

「からたちぃ、てめえぇ……!」

 ふにゃふにゃの口調で文句を言おうとしているらしい西園寺は、まだ桜花の手によって弄ばれているようだった。俺のおっぱいも未だ御処野の手の中でむにむに形を変えている。問題の枸橘が現れたというのに、お前ら。

「御処野さん、桜花さん。だからその辺にしておこうよ」

「ええー」

「いいじゃん、もうちょっと」

「誰かの願い事として強制的に終わらせてもいいけど」

 不満そうだったが、二人とも諦めたように手を放した。ようやく解放されて戻ってきた胸を、俺は壊れ物を扱うかのように抱きしめる。見ると西園寺も同じポーズをとっていた。加えて涙目で顔を真っ赤にしている。確かにヤンキー形無しだ。

 誰かと誰かがくっついた状態が解消されると、ようやく枸橘は地上スレスレにまで下りてきた。その時に御幣を振ったのを見逃さなかった俺は、すかさず問うた。

「枸橘。それ、何?」

「魔法のステッキ的な。普段はいらないんだけど、今日は力が必要だったから」

 その言い方で、やっぱり枸橘は魔法少女より魔女っ子のようだと確信する。後ろで翔威が「すてきなステッキ的な」などと呟いているが、聞き流す。

「力が必要って、この性別反転のことか?」

「そうだよ」

「てめえ、なんでこんなことした! 今すぐ戻せ!」

 西園寺が甲高い声で怒鳴った。どうやら自分を取り戻したらしいが、胸を押さえたままの幼女姿では普段の二割も凄味を出せていなかった。もっとも十割出せていたとしても、鉄面皮の枸橘を狼狽えさせることなどできないだろうが。

「そうだ、戻せよ。それともクラス全員、先生まで巻き込んで性別反転させるのが願い事なのか?」

「あーしは別にこのまんまでもいいけどお?」

 便乗して枸橘を責める俺に反するように、御処野がだるそうに告げた。そりゃそうだ、楽しそうだったもんな。

「いいわけねえだろ。お前、彼氏とかいるんじゃないのか」

「今はいねえよ? それに、そしたら彼女作るだけだし。お前まず彼女にしてやってもいいぜ。次、久瀬な」

「駄目だ駄目だ! こいつは絶対駄目!」

「なんでそんなに庇うよ。お前らやっぱできてんじゃねえの」

「巻き込むつもりはなかった」

 くだらない言い合いをする俺たちの間を、凛と引き締まった枸橘の声が駆け抜けた。それだけでもう俺たちは、無駄口を叩けなくなる。静かにしろとも聞けとも言われてないのに。

「性別反転は、難しいんだ。何せ体のつくりを中から変えてしまうんだからね。普段のぼくでは瞬時には叶えられない。御幣を用いても、まだ足りない」

 枸橘はがさりと魔法のステッキを鳴らした。特に魔法を行うつもりはなかったようだが、そこにいた全員が何かされるのではと身構えてしまった。

「だから山の力を借りようと思って、ここへ来てもらったんだ。そしたら逆に……思いのほか山の力が強くて、みんなばらばらに吹き飛ばされる事態に」

「その上で、巻き込んだって?」

「じゃあもうそれでいいから、戻せよ!」

 いらだった様子で西園寺が叫んだ。枸橘は人形のような目を彼に向けると、首を振った。横に。

「できないんだ」

「は?」

 それは全員の目を丸くさせるのに最適な回答だった。よもやこの場面で不可能と断定されるなど、誰に想像できよう。

「何言ってんだよ。お前、山の力で今強くなってんだろ?」

「言っただろ。力が強すぎるって。今ぼくの力はほとんどが山に吸い取られてしまっていて、これを使って君らを探すのが精いっぱいだ」

「なんで探してんの?」

 俺の後ろから、翔威が恐る恐る問いかけた。西園寺の方を向いていた目が再び戻ってくる。

「今の状態で山を下りると、もう戻せないから。一人でも欠けたら意味ない。だからクラス中の人に呼びかけて山頂に行くように言って回ってるんだ。これは沢城委員長の願い事だ」

「ん? どういうことだ? なんで山頂に?」

「戻すのに、一か所に集まってた方がいいってことだろ? でもなんで沢城が? あいつクソ真面目で超つまんねえじゃん」

 相変わらず不満そうに御処野が言う。単に沢城とは合わないので嫌いなだけかもしれないが。

「彼女は元に戻ることを希望しているから、その可能性を示したら願い事として申し出てくれた。それだけだよ」

「ふーん。だったらさあ、最初にそもそもの願い事した奴に撤回させたら、戻んじゃね?」

「それは無理だ。だってもう願いは叶ってしまっている」

 御処野としてはそいつを犯人として祭り上げつるし上げるつもりだったようだが、枸橘によって否定されてしまった。一度叶えたら撤回は不可なのだ、コッペパンのように。

「つーかだいたい、誰なんだよ?」

「それは言えない。誰のどんな願いでもそれは同じだ」

「ケチ」

「なんとでも」

「よ、よぅしお前らぁ、山頂に行くぞぉ」

 ずっと黙って震えていたくせに、ここぞとばかりに教師ぶる如月が、ゆっさりと重そうな巨乳を重力に反発させるように揺らしながら立ち上がった。じっとりとした目でそれを追った獣たちが、山頂に着いたらみんなの前で辱めてやろうかなどと相談していた。怯えた西園寺が一目散に斜面を駆けあがっていき、襲われて倒れていたはずの宮野と神谷もそれに続く。それを見ながら御処野が易々と枸橘を貶していた。

「お前って大したことないんだな」

「この山、一見平和なんだけど、負の怨念が渦巻いているんだ。山頂の社があまり敬われていないせいかもしれない。だからぼくの力では太刀打ちできない」

「マジかよ、こええ」

「怖いからって俺の胸を揉むな、てめえ。歩きにくいだろうが」

「ちょうど収まりがいいんだよ。なあ、このままだったらマジで付き合わね?」

「このままじゃねえし、お前女と付き合えんの? レズなのか?」

「なんとかなるって」

 ならねえよ。そして俺は元に戻るんだ。それまで翔威の極上巨乳は守って見せる。が、はっきり言って御処野は触りすぎだ。そろそろ飽きろ。サイズ的に収まりがいいのは認めるが。

 その翔威は唇をかみしめて、山頂方向を睨んでいた。怖い話を聞いてビビっていたのとは違うようだったが、どんな感情が去来していたのかその横顔からは窺い知ることはできなかった。

 ていうかさらっと今、太刀打ちできないって言わなかったか? 大丈夫なんだろうか。戻れるんだろうな。一生女で過ごすのは嫌だぞ。例え童貞のまま生涯を終えるとしても。


 願い事を秘めている誰かがいた。だが叶えてもらうには、枸橘の現状では無理。だから山へ登らせた。全員である必要はなかったが、よもや巻き込んでしまうとは思わなかったのだろう。だから担任の如月を唆し連れて行かせた。そして、現在である。

 悪いのは、我を押し通して連れてきた如月か? それとも、願い事を叶えた枸橘か? それとも願った誰かだろうか。

 おそらくクラスメイトたちもそれぞれ、そのうちのどれかを恨んでいるはずだ。どれか一つでも要素が欠けていれば、このような事態にはならなかっただろうから。

 山頂である。とはいえ、社が建っているから、そこそこの人数なら収容できる空間がある、というと語弊があるかもしれないが、どこかの霊峰のようにとんがっていたり傾斜していたりするわけではない。上辺の小さい台形とでも言うべきか。それでも山の頂だから、街が一望できたりする。今はどんより曇っているため、霧に覆われてくすんでぼやけた景色しか見えないが。

 とはいえ、絶景を見に来たわけでもない。

 男子は女子に、女子は男子に、漏れなくなっている。そんな異常事態であれば普通、「こんなの嫌よぉ」と女々しく泣いている男子(女)や、女体ににやついている女子(男)であふれていてもおかしくないだろうに、このクラスは違った。

「なんで女子になると髪が伸びるんだよ……禿げへのカウントダウンが加速するじゃないか」

 戻れないかもしれない可能性などなんのその、そんな風に将来への不安を嘆く女子(男)。かと思えば。

「御処野さんって超イケメンじゃない?」

「でも私は桜花さんの方が好みだわ」

「なんかこの状況って悔しいわねぇ」

 などとイケメンにうっとりする男子(女)。それから。

「性別逆転しても、俺らには関係ないよな」

 いちゃつくカップル。お前らは死ね。

 どいつもこいつも、このまま一生送らねばならないなどとはつゆほども考えていない。どうなってるんだ、このクラス。誰か普通の反応をしろ。あ、俺がしてるか。いやそうじゃなく。

 まあ当然、誰の仕業か皆、分かっているからこそなのだろう。彼がしたのだから彼が戻してくれると信じている。その彼がお手上げ状態とは思っていない。楽観主義もここに極まれり。

「全員そろった?」

 委員長の沢城が確認している。こういうのは普通担任の役目だと思うのだが、勢いだけが取り柄の如月は、社の傍で小さくなって膝を抱えていた。間に挟まった巨乳が至極邪魔そうだ。己の無力さを知ったのか、それとも御処野らから隠れているつもりなのか。

 沢城は、いかにもなメガネ男子になっていた。女子の頃もいかにもな委員長という外見だったが、こういう人は性別が変わろうとも頼りがいがあることに変化がないから頼もしい。

「萬里小路さんがいないわね」

 沢城が呟く声に反応して俺も見回してみる。確かに姿が見えない。あの時どこかへ行ったっきりということか。しかし枸橘は俺の横でふわふわ浮いているだけで探しに行こうとしない。お前、沢城の願い事はどうした。

 と思っていたら、翔威が駆け出した。探しに行くつもりなのか、傍の登山道を下っていく。

「翔威? どうしたんだよ」

 呼びかけるが振り向かない。トイレだろうかと思ったが、簡易トイレは見回せばすぐそこにあるのだ。どうしたのだろうと首をかしげていると、俺の身長より上にまで浮き上がっていた枸橘が高度を下げて俺の耳に囁いてきた。

「追いかけた方がいいかも」

「なんでだ?」

「彼も、願い事をしたからだ」

 寝耳に水だったが、驚いている場合ではなかった。俺は慌てて翔威の後を追いかける。それってつまり、元に戻るのを拒否して山を下りるって意味だろう? しかも、彼もと枸橘は言った。ということはもう一人同じ願いを抱いている奴がいると言うことで、そいつらのどっちかが山を下りてしまえば俺たちは誰も元に戻れないってことで。そのもう一人というのは当然頂上にいなかったあいつ。

「萬里小路。……と、翔威?」

 中腹付近で、俺は二人を見つけた。どうやら麓まではまだ下りて行っていなかったようだ。あんなどことも分からない地点から萬里小路は、ちゃんと登山道に合流で来たらしい。だが彼女は固い顔つきで動こうとしない。一方そんな彼女を必死で説得しようとしているのは、翔威だった。

「山頂へ行こうよ。このままじゃみんなまで、違う性別で一生を過ごさなくちゃならなくなるんだよ」

「……知らない。ボクには関係ない」

「そんな言い方はないだろ。みんなの人生、めちゃくちゃにしていいの?」

 いいわけないことは分かっているのだろう、萬里小路は唇を噛みしめていた。俺は出て行くに出て行けず、木陰から見守る。一緒についてきた枸橘と共に。

「……あいつがここにいるってことは、お前、沢城の願い、叶えてなくね?」

「いや、沢城さんの願い事には強制力までは含まれていないんだ。だから自主的に山を登ってもらうしかない……」

「なんか責任逃れみたいに聞こえんぞ、それ」

「もちろん、萬里小路さんにも伝えてある。でもそれは、彼女の願いに反するから」

 男になることを切望した萬里小路は、その気になれば非力な女になった翔威などものともせずに下山していけるだろう。だが彼女は、必死にすがる彼を邪険にしていない。ただしその足は張り付いたように動かず、それを山頂へ向けることが困難なのは明らかだったが。


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