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「枸橘皐月です。特技は魔法です。まだ修行中の身ですが、願い事がある人は何でも言ってください」
最初の自己紹介でそんな風にのたまったのは、かわいい美少女ではなくキタローのような髪形の男だった。大きなつぶらな目をいつも眠そうに半眼にしていて、その表情はほとんど動かない。
「終わりか? よし、次ッ!」
クラス中が「は?」という顔をしている中、全く聞いていなかった様子の如月が次を促したためその場で深く突っ込むことは誰にもできなかった。面白くもない冗談かと、皆が思ったのだろう。俺もそう思っていた。だからあえて踏み込もうとはしなかった。
最初にそこを斬り込んだのは、西園寺だった。
「お前、魔法使えるってマジなわけ?」
彼は絶滅危惧種と言っても過言ではない存在だった。ここ小坂井高校は進学校でこそないが普通より少々上の水準にあり、集うのはそこそこ成績や素行が良かった連中ばかりのため、不良というものが育つほど濁った水ではないのだが、西園寺は入学早々に制服を着崩して髪を金に染め形をこねくり回し、クロームハーツのごつい指輪とごついピアスを何個も嵌めて斜に構えた態度を崩さなかった。いかにも「ワルです」という剣呑な雰囲気を醸していたため、早速如月に目をつけられたりしていたようだが、本人は無視していた。そして入学式の翌日には早くも舎弟のような存在をも従えていた。
わかりやすく近寄りがたさをアピールする男。それは一昔前の不良そのもので、俺たちは畏敬を込めて影で「ヤンキー(笑)」と呼んでいた。
もっとも髪を染めたり着崩したりピアスをしたりというのは大なり小なり誰かがしていたし、学校側も禁止しておらず、特にギャルグループはそれが顕著だった。だから恰好だけでは彼が、格別目立つワル(笑)だったとは言い難い。
それでも暴力的な雰囲気を持ち合わせた彼に目をつけられたらやばいかなというのは誰しもが分かっていたので積極的に関わろうとはしなかったのだが、そんな中で誰よりも目立ってしまったのが枸橘だった。
「正確には神通力だよ。ぼくは神様になるつもりだから」
「はあ? なんだそりゃ。お前、頭いかれちまってるのか?」
枸橘には西園寺とは別の意味で誰も近寄らなかった。冗談を冗談として理解できなかったものある。俺も触れてはいけない人物のような気がして、他の連中と同じに早速遠巻きにしていた。意に介さず話しかけにいった西園寺はすごいと思う。かっこわらい抜きで。
「じゃあ神様よぉ、パン買って来いよ」
「それじゃただのパシリだよぉ、西園寺くん」
西園寺は枸橘の座る机を取り囲んで、取り巻きたちと共に威圧的な雰囲気でげらげらと笑った。俺だったらあの中にいるのは耐えられない。数の圧力だけでもうビビッて震えてしまうだろう。だが当の枸橘は平然とした顔で彼らを見上げ、そして手を差し出した。
「あ? なんだそりゃ」
「コッペパン。次は何パンがいいか教えてね」
「ふ……ふざけんなっ!」
そこには泰然とした態度でパンが乗せられていた。いつの間に出したのだろう。瞬きした間としか思えない。同じように思ったのか憤然とパンを叩き落とす西園寺。パンは床で一度バウンドしてゴミ箱へ飛び込んで行った。その時少しだけ枸橘の目が悲しげに曇ったように見えた。
「食べ物を粗末にしたらダメだよ」
「うるせえっ! つまんねえ手品しやがって」
取り巻きたちは完全に飲まれてぽかんとしていたが、手品と言われて納得したようだ。そう言われればそうなってしまうが、俺には気のせいでなければ何もない空間から出現したように見えたのだが。
「それから、ぼくはまだ神様じゃないよ。修行中だから」
「あーそうかよ。だったらてめえ、来週の実力テストの問題をパチってこい。なんでもできるんだろ? あ?」
「それはできない。実力テストは実力で挑むべきだよ」
「はっ、やっぱりなんでもできねえんじゃねえか」
「大丈夫、中学までの問題しか出ないから」
「うるせえんだよ、てめえ!」
感情を感じさせない枸橘の声に苛ついたのか、とうとう西園寺は暴力に訴えた。がらしゃんと音がして椅子から転げ落ちたのが見えたが、それでも枸橘はどうということもない顔をしている。否、まるで表情筋が動いていないのだ。
「おら、お得意の魔法で俺を撃退してみろよ!」
「それが君の願い?」
「はあ? うるせえんだよ、いちいち! うぜえこと言ってんじゃねえ!」
西園寺の苛立ちは、枸橘の無表情さも手伝っているとしか思えなかった。その横顔には怯えすら見える。体格やら暴力性やらで優位に立っているのは西園寺のはずなのに、彼は本人には手を出せず机や椅子ばかりを蹴っている。それだけでも普通なら音でビビッて萎縮してしまうのだが、やはり枸橘は平然とした顔つきを崩さない。ポーズだけではとてもそこまで徹底することはできないだろう。
つまり枸橘は本気で、怖がっていないのだ。しかし荒ぶる暴力の影響に脅かされることを避けるためか、そそくさと教室を出て行ってしまった。一度は追いかけようとした西園寺だったが、途中で足を止めた。誘い出された先でどんな目に遭うかと怯えたためだろう。誰もが彼の心中を察していたが、彼は俺たちの視線に気づくと虚勢を張って席に戻った。取り巻きらもそれに倣う。
「なんだろうね、あれ」
一緒に受験しクラスまで同じになった翔威が俺に囁いてきた。彼だけでなく、他でもひそひそこそこそと囁き合っているようだ。
「ちょっとアレなのかもな。電波っての?」
「でも僕には、パンがどこから出てきたか分からなかったけど」
「まあな。じゃあガチで魔女っ子系か、あいつ」
「はあ? そこは魔法少女系だろ?」
翔威がすかさず反発した。どうでもいいところに食いついてくるな、こいつ。
「少女はねえだろ。どっからどう見ても男だったぞ」
「そうじゃなくて、ミミの比喩が古いってことだよ」
「……悪かったな、レトロアニメ好きで」
「いたたた、最近のも見たら? 面白いのに」
俺は翔威の頬を抓った。こいつとの共通項はアニメ好きなのだが、残念ながら俺は最近のアニメには興味がないのだ。オンラインでやり取りする友達もかなり年上ばかりで、中には年配といってもいい歳の人もいる。
「お前みたいに季節ごとに嫁が変わるようなふしだらなオタク生活は送りたくねえんだよ、俺は」
「しっつれいだなー。僕は前ジャンルに砂かけしないよ? それよりもこないだのイベントで、本が全然売れなくてさー」
「またかよ。二・三冊は売れてんだろ?」
「それじゃ駄目なんだって、もっとバンバン捌けてくんないと!」
既に意識は枸橘のことから完全に離れてしまっていた。こうなるともう絶対に戻ってこない自信があった。話題はともかく、本人はどこまで行ってしまったんだろうか。もうすぐ休み時間も終わるのに。
「お前、毎回言ってるよな。それ」
「だって売れたいし、売れたくないなんて人いないよ」
オタク的サークル活動に余念がない翔威は、売れたくて必死だ。一応同人誌などは売上目的ではなく好きだから作っているようだが、売れないはもう口癖のようなものだ。中一から活動を始め、受験期間だけ休止し、この春からまた再開できるようになったのだが、始めた頃から変わっていないようだ。この手の話になるとキリキリしだすので、俺としてはあまり付き合いたくないのだが、だからといって枸橘の話を蒸し返すのも気が引けて、結局嫌な顔しながらも聞き流すこととなるのだ。