序章Ⅰ
「エルフが他の種族に対し圧倒的に優越している理由は神話の時代に求めることが出来る」
エルフは全く臆面無くそう豪語する。彼らの信ずる理論はこうだ。
神々がまだ地上に立ち創造物たる生き物と共に暮らしていたとされる神話の時代。森羅万象を創造し生命の伊吹をあまねく広めた神々は、最後に自らの姿に似せた知恵ある種族を生み出した。
その知恵ある種族には獣人や龍人、魚人、そして人間など多くの種族が存在したが、中でも神々から最も寵愛を受け、最もその恩恵を受けることが出来ていたのはエルフであった。
美を司る神が余人を介さず手ずから彫像したのだと形容されるエルフの美容はなるほど、斯くの如く語られる美しさがある。だがそれを最も理解していたのは他ならぬエルフであろう。蝶よ花よと神々の寵愛を一身に受けるエルフだからこそ、神々から恵まれた容姿と恵まれた体躯、そして何にも増して恵まれた知恵を与えられたのだった。
エルフにとって自らの美貌はその神聖を拠って立つ証であったのだ。だが翻ってそれは同時に他の種族からの嫉妬を受けていたことを意味し、たとえそれが逆恨みであったとしても、ことさら神々からの風当たりの強かったオークやギガースと言った存在から目の敵にされ、それは後に到来する時代でまざまざと見せ付けられることとなる。
そう、神話の時代の終わりを告げる鐘が突如として鳴り響いたのだ。それは多くの種族が群雄割拠することを告げる鐘の音であり、エルフにとって突如始まった、受難の時代が到来したことを告げる鐘の音でもあった。
地上に君臨していた神々が突如として地上を去ると、知恵ある種族は狼狽するでなく、その治世を神々は我が種族に預けたもうたのだとする理論を以って公然と武装し、己が種族こそが大陸の覇者と信じ鎬を削りあった。その過程で絶対者たる神と言う名の大樹の陰に隠れていたに過ぎないエルフは無力にも迫害されることとなる。
自らを守る術を持たなかったエルフは這う這うの体で、あらゆる種族の耳目が届くことのない秘境である深き森へと隠れ住み、自らを迫害した多種族への雌伏の時として牙を磨いた。そして千年の雌伏の末、エルフは、
万の葉を実らせる万葉樹の枝。
強靭が故に一つ加工するのに森が育つと言われる千樹鹿の角。
俊敏で獰猛な狩人たる百牙虎の腱。
森の罠師と恐れられる十目蜘蛛の糸。
これらを合わせ作り出された複合弓たるこのエルフ弓の誕生と、武芸を拠って立つウッドエルフ、治世に優れたハイエルフ、魔導を行くノースエルフ、これら三種族の迎合を以って反撃の鏑矢を放つ。
その複合弓の赫赫たる戦果たるや、射程は優に山一つを飛び越え、板金仕立ての大盾をも容易く貫く威力であり、先の迫害の報いかたちまち多種族は圧倒され、新たなるエルフの安住の地たる帝国の建国を座視する他無かった。
未曾有の帝国を築き上げ栄華の限りを極めたエルフたちは、先祖の仇とばかりに帝国の四方に住む人間や亜人を蛮族平定と謳い駆逐し、各地を併呑し属州から巻き上げられる貢物によって財を成した。
極めて長命で知力・膂力共に優れるエルフたちが帝国と言う小さな領域の内で汲々とするなどありえず、大陸全土を席巻するのは全く不思議なことではなかった。あるゴブリンの国は戦わずしてその軍門に下り、あるケンタウロスの国は勇敢にも戦い滅ぼされていった。そして大陸全土にエルフの威光があまねく照らされるや、ほどなくして帝国には属州から絞り上げられる税・食料・財宝の如何を問わずが集められ、エルフはその身に余る飽食の限りを尽くした。
まさにエルフの黄金期であり、今世のエルフは皆この時代を懐かしんだ。だが昔日の帝国の末路の多くがそうであったように、堕落した退廃的な帝国は内側から分裂する。
怠惰な生活は深き森でエルフが学んだ勤勉さと教養、そして帝国市民としての自覚を奪い、快楽に興じるだけの肉袋としてしまった。であるからして、奴隷として使役していた人間に王位を簒奪され、以降現在に至るまでの数千年に渡りエルフは帝国の玉座から追われ、その数を戦乱によって減らし続け滅亡の憂き目を見ているのであった。
今までの報いを受けるかの如く、やんごとなき身分から奴隷に身をやつすエルフたちにこの大陸で手を差し伸べる者は居なかった。むしろ多くの者が進んでその迫害を担ったのだ。もはや大陸中に安住の場所など殆ど無い。大理石の居城を失った彼らが再びの安住の地として選んだ場所は、かつて無敵を誇った弓を生み出した、人の踏み入れ得ない深き森であった。
エルフが隠者と成り果てても時は無慈悲に流れ行く。帝国は崩壊し人間が隆盛の極地に立つと、ほどなくして知恵ある者共は改めて己の種族こそを大陸の盟主として屹立せんと覇を競い合い、それぞれの生存領域として大陸を分断した。その過程で生じた人的損失と文化的損失を無視し、如何なる者が覇者となったのか結論だけを述べれば、エルフの帝国の遺産を継ぐ人間がこの大陸の覇者となったのである。エルフが大陸の覇を譲ってから実に一千年後の出来事であった。
エルフに代わり人間が大陸の覇者となり、ラミルディア帝国の建国を宣言した。だがかつて存在したエルフの帝国とはその様相を様々な面で異ならせていた。エルフが武力により多種族を制圧しこれらを属州化出来たのに対し、相次ぐ戦乱で人間に残された戦力は多種族の国々を独立した自治国家としての君臨を許さねばならないまでに損耗していた。さりとてその中でも神々を称えし教会が公的に組織され、これと帝国が聖俗共に普遍的な権威として君臨し、諸種族間の利害調整を行えるまでに人間の力は残されていた。だがそれも余命六百年の出来事であった。
清貧を以って拠って立つはずの教会は神の御名の下に己に対する批判を許さず、積年の腐敗により不信感を招き自壊の中に身を置いていた。大陸に住む種族は神々への尊敬を忘れてはいなかったものの、最早、宗教屋に対し私心を殺す過度の熱狂を抱けずに居た。また利害関係の中で教会と封建領主による争いが鋭角化していく中、宗教改革を起因とする帝国の内戦により大陸は再び戦乱の世に舞い戻り、その中で封建貴族を絶対的な強権により従える統一王朝と、その下に開かれる中央集権化された主権国家が登場し、時代を新たなステージへと進ませつつある。大陸は時代の駒を中世から近世へと進めつつあるのだ。だがその中でもエルフは大陸の歴史に名を晒していない。彼らはまだ森の中に居た。
そこに身を隠すエルフは訪れる者に全く区別無く矢を射掛ける。まるで卑しい身分に身をやつした羞恥を隠すように。
昔日の栄光に思いをはせボロ布のように打ち捨てられた自尊心を慰める姿は、未来永劫この責め苦が続くのだと心の奥底で諦観するエルフの心の証左であった。
そして数千年の時を経てもなおエルフたちの受難は続くのだと思われた。
この深き森に一人の人間が迷い込むまでは。