自由落下
もう手首を切るのにも飽きたので、下を見つめることにした。初対面の手頃なビルの屋上。あと一歩足を出せばたぶん私の身体を落ちる。息を小さく吐いて、脚に力を入れたとき、腕をぐっとつかまれた。
「死ぬの?」
人の気配なんてしなかったのに突然引っ張られた。誰だ、私を安定した場所に連れ戻したのは。私は不安定でいたいのに。振り向くと女が立っていた。綺麗な女だった。
「花の女子高生が、死ぬの?」
「いけませんか」
引き留めようとでもいうのか。
「いけませんね」
「あなたにそんなことを言われる筋合いありません」
命は大切、だなんてクソつまらない説教をするつもりだろうか。
「先輩からの助言よぉ」
「先輩?」
「投身自殺の先輩です」
なにを言っているのだろうか。
「わたし、飛び降りたことがあるのよ、そこから」
クソ、ただ単純に頭のおかしい女だった。
「飛び降りたのに、生きてるんですか?この高さで?」
「いいえ、死んだわよ、ちゃんと」
「じゃあ、幽霊?」
「んふ、地縛霊ですのよ」
「足、ありますけど」
「足が消えてる幽霊ってこの世へ対する未練が弱いんですって」
「あなたは未練が強いんだ」
「自分ではそんなつもり無かったんだけど、そうみたい」
「……手、はなしてもらえます?」
「いや」
「なんで」
「なんででも」
ふざけんな。掴まれた腕を乱暴に振り払おうとしたけど、拘束はほどけなかった。幽霊というのはこんな、力が強いものなのだろうか。
「あそこ、つめたいのよすごく」
女の動きに合わせて前髪がさらりと流れる。ビルの下を見ているようだった。
「びっくりするくらい、だれも来ないの」
「確かに人通りは少なそうですけど」
「だれも見つけてくれないの」
「結局見つけられたんでしょう」
だからあそこにはもう死体が転がってないのだ。
「何日か経って、身体が腐って、変な臭いがするようになって、烏や野良猫が群がるようになって、やっと」
そこには無いはずの死体が見えたような気がした。
「……場所が、悪かったですね」
「そう、選択ミス。誰かに見つけてほしかったから、飛び降りたのに」
「……はなしてください」
「誰にも迷惑かけたくなくて死んだのに、あんな汚い死体を片付けさせることになってしまって」
「はなして」
「後悔したの。落ちてすぐ、身体から血が抜けていくのを感じながら、痛いなあって思いながら」
「後悔なんか、しない」
絶対に死んでやる。こんなクソみたいな世界、こちらから見限ってやる。唇を噛みながら睨みつけると、女は笑った。困ったようないかにも人の良さそうな笑顔だ。たぶん、生前たくさん苦労したろう、主に人間関係で。
「どうせ死ぬなら、私とお話してからにしない?」
「は?」
「私との会話に飽きたら死んで良いから、手をはなすから」
女は足元に座って上目づかいに小首を傾げる。
「ね?」
返事をする前にまた強い力で引き寄せられる。強制的。こんなの座らされるしかないじゃないか。この女幽霊とやら、人は良いが同時にとんでもなく厚かましい。
「お姉さんとお話しましょ」
嫌いな人種だ。基本的に自分以外の人間は全員嫌いだが、その中でも特に、極めて。
「……なに、はなすんすか」
「コイバナとか?」
「殺すぞ」
「んふ、もう死んでる!」
ケラケラと耳元でうるさい笑い声に負けないように、大きく舌打ちをする。ブレザーのプリーツスカートが風に揺らされて、少し寒い。空いた手で膝を抱えた。
おわり。




