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返報  作者: ハヤオ・エンデバー
第2部
11/12

第11回

 トイレに入るなり西野は個室に倒れ込むように入って嘔吐した。その後、しばらく便座に両手をついて咳き込み、状態が良くなったと思って立ち上がろうとするも胸の当たりに違和感を覚えて再び異物を吐き出す。彼は咳き込みながら泣いていた。泣いている理由は嘔吐から来る苦しみではなく、潜入捜査官仲間を撲殺したことへの罪悪感からであった。

 トイレのドアが軋んで奇妙な音を上げながら開く。西野は誰かが入って来たと思い、急いで立ち上がるとトイレットペーパーで口の周りを拭いて個室から出る。

 「大丈夫かい?」トイレに入って来た細身の男が西野を見て尋ねる。

 「問題ない。」西野は手洗うために細長い4つの蛇口が設置されている手洗い場まで歩く。

 「君の様子が気になってさ。それより着替えた方が良いよ。」

 潜入捜査官は目の前にある鏡に視線を移して自分の姿を見た。髪と髭は以前よりかなり伸びており、顔色は白に近い。全身に撲殺した捜査官の血が飛び散っている。髪、顔、両腕、Tシャツ、ジーンズ。嘔吐が再び西野を襲った。彼が再び嘔吐すると背後にいた男が西野の背中をやさしくさすった。

 「大丈夫だよ。辛いのは最初だけさ。それに彼の犠牲は革命のため。気にすることはないよ、小林。」

 細身の男に偽名で呼ばれた西野であったが、男のやさしさには感謝していた。今、彼の背後にいる男は西野に捜査官仲間を殺すように命じた額に切り傷を持った男とは違って、常に西野を気遣っていた。

 「三須!」トイレのドアを開けるなり、額に小さな切り傷を持つ男が叫んだ。室内にいた二人はトイレに来た男に顔を向け、西野と先ほど会話をしていた男が訪問者へ近づく。

 「先生が来たのか?」三須と呼ばれる男が言う。

 「もうすぐだ。」そう答えると男は三須に近づき、「小林は使い物にならないだろう」と囁いた。血が付着している顔と両手を洗っていた西野に二人の会話は聞こえていなかった。

 「いや、これからだよ。」西野に一瞥を送って三須が言う。「君はいつもそうだ。もう少し冷静に物事を見るべきだよ。」

 「しかし―」

 「革命のためには人手がいる。知っているだろう?守谷…」








 狙撃手との連絡が途絶えたことに危機感を覚えた広瀬は助手席にいたSAT隊員に狙撃手の様子を見てくるよう頼んだ。そのSAT隊員は野球帽を深く被り、後部座席にいた同僚から渡してもらった上着を羽織ってバンから降りた。上着はPOLICEのロゴが入った防弾ベストとそれに取り付けられている装備を隠すことはできたが、右太腿の拳銃が収められているホルスターは隠せなかった。

広瀬は近隣住人に見られる心配もないだろうし、辺りは薄暗いので目立つこともないと推測した。捜査官の指示を受けたSAT隊員は両手を上着のポケットに入れて狙撃手がいる建物に向かう。移動中は周囲に目を配り、できるだけ歩行者との接触は避けようと努めた。そして、彼が細い路地に入ろうとした時、SAT隊員は聞き覚えのある唾を吐くような音を耳にした。彼はこの音が消音器を使った時に生じる発砲音だと反射的に感じ取り、右太腿のホルスターから拳銃を抜き取ってその音がした方へ走り出した。






 堀内のカウントダウンは止まることがなかった。「3…」

 「待て!確かに俺は約束を破ったが―」西野はできるだけ時間を稼ごうとした。

 スコープ越しに西野の様子を窺いながら堀内は上着のポケットから小型無線機を取り出して電源を入れる。最初から彼は新村とバンで待機している広瀬たちを殺そうと考えていた。

 「2…」右耳に差し込んでいるイヤホンから聞こえてくる西野の助けを求める声を無視して無線機の送信ボタンを素早く三度押した。新村の後頭部に銃を押し付けていた男は堀内からの合図を耳にして引き金に指をかける。これとほぼ同じタイミングでマンションの陰で待機していた短機関銃を持つ二人組の男が広瀬とSAT隊員が乗っているバンに近づく。

 「1…」

 カウントダウンが終わろうとした時、西野は決意した。彼は構えていた右腕をしっかり伸ばして照星を新村の背後で銃を構えているテロリストの頭に合わせて引き金を絞った。狙いはしっかりしていたものの銃弾は男の左耳に命中し、致命傷には至らなかったが男は負傷した耳を抑えて西野に銃口を向ける。捜査官はすばやく真横にあったSUVと軽自動車の間に飛び込み、彼の後を追うように西野の背後にいた男たちが発砲して消音器付きの短機関銃が唾を吐くような断続音を出し、SUVと軽自動車に銃弾が雨のように降り注いだ。

バンにいたテロリストは新村をバンの奥に押し込んでスライドドアを閉める。彼はもし西野が撃ってきたら逃げるように堀内から事前に指示を受けていた。

「出せ!」左耳を負傷した男が運転手に向かって怒鳴った。テロリストのバンは予め用意して置いた避難ルートを目指して走り出す。

遮蔽物に隠れた西野に向かって発砲していた男二人は慎重に距離を詰めながら弾倉を入れ替える。一人は大量の銃弾を浴びた軽自動車の前まで、もう一人は軽自動車の真向かいに駐車してあった乗用車の横まで移動した。

「警察だ!」二人が行動に出ようとした時、叫び声が駐車場に響く。彼らが周囲に目を配ると野球帽を被ったSAT隊員が接近してくるのを見た。




 その場から少し離れた場所にいた広瀬とSAT隊員たちはこの声を聞き、中年の捜査官がバンのスライドドアを開けて外に飛び出した。しかし、外に出た瞬間に広瀬は固まった。彼の目の前には短機関銃を持った二人組の男がおり、彼らは広瀬を見るなり引き金を絞った。MAC-10短機関銃から放たれた銃弾は広瀬の胸部と腹部に命中し、衝撃に耐えられなかった中年の捜査官は仰向けにバンの中へ崩れ落ちた。

これを見たSAT隊員たちは状況を上手く理解できず、崩れ落ちた広瀬の姿を見ることしかできなかった。広瀬の姿を見ている内にSAT隊員たちは混乱してバンの外へ出ようと動き出す。SAT隊員たちが動くと同時に二人組のテロリストはバンに向かって弾倉が空になるまで引き金から指を離さなかった。応射する暇もなく、バンの中にいたSAT隊員は無数の銃弾を浴びて死亡した。

 二人組のテロリストはバンの様子を確認しようしたが、アパートや民家の明かりが付き始めたので素早く蜂の巣のように穴だらけになっているバンから目を離して走り去った。




 「警察だ!」

 この声に西野を追っていた男二人は気を取られ、気付いた時には短機関銃をSAT隊員に向けて発砲していた。銃撃を受けた野球帽姿のSAT隊員は急いで手前にあった車に隠れたが、その様子をスコープ越しに見ていた堀内に頭部を撃たれた。

 その間に西野は軽自動車の前にいた男の背後に回ってテロリストの後頭部と背中に銃弾を数発撃ち込む。乗用車の横にいた男は背後から聞こえていた銃声に気付いて肩越しに背後を確認する。捜査官は間を置かずに残りのテロリストに銃口を向けて引き金を4度引いた。銃弾は男の胸部と腹部に命中し、テロリストは短機関銃を夜空に向けて発砲しながら崩れ落ちた。

 “クソッタレめ!”まだ銃弾は残っていたが、西野は弾倉を拳銃から引き抜いて新しい弾倉をUSPに差し込む。堀内を警戒する西野は素早く真向かいにあった乗用車の横に移動し、息絶えたテロリストから短機関銃をもぎ取る。この際、彼は一切銃弾を浴びなかった。それでも西野は警戒を怠らずに車の間を縫って堀内がいるであろうと建物に向かった。




 もうすぐ本間のいる建物に着くところであったが、携帯電話に着信が入ったので佐藤は路肩に車を停車させて電話に出た。

 「どうしましたか?」

 「“アイツ”から連絡があった。計画の変更がある。」男が抑揚の無い声で言った。

 “これはまた…”佐藤は口元を緩めた。

 「どれほどのものですか?」

 「そこまで変わってはいない。ただ、的が増えるだけだ。」

 「その的は?」

 「本間と堀内だ。」

 「本間は分かりますが、何故、堀内も?」佐藤は言い終えた後に後悔した。

“質問が多すぎたな…”

佐藤が返答を待っていると受話口から笑い声が聞こえてきた。「お前には関係ないだろ?」その声には怒気が含まれており、中年男は内心動揺していた。

“これ以上怒らせると金を払ってもらえないかもしれないな…”

 「ちょうどこれから本間の場所に向かうところです。」

 「そうか。内輪揉めに見えるように処理してくれ。」

 男は一方的に電話を切り、佐藤は通話が終わると電話を上着のポケットにしまった。

 “追加料金を請求するべきかな?”




 そこに堀内の姿はなかった。西野がいた駐車場から70メートル程離れた建物の屋上にはバンの中で頭を撃ち抜かれたSAT隊員の狙撃銃が置かれていた。捜査官は銃を構えながら狙撃銃の傍まで移動して周囲を観察し、約10メートル離れた場所に停車してあるバンを見つけた。バンの周りには大勢の人だかりができており、西野はその場に駆けつけようと屋上の出入り口を目指した。その時、彼のポケットにあった携帯電話が鳴って捜査官は走りながら電話に出る。

「西野だ!」

「よかった。まだ生きていてくれたんだね…」電話は堀内からであった。男の声を聞くと西野は階段の踊り場で立ち止まり、それと同時に頭に血が上って右手で階段の手摺を力一杯握った。

「広瀬たちに何をした?」怒り心頭の西野であったが、口調は至って冷静であった。

「さぁね?俺は知らないよ。でも、君の可愛い部下は今のところ安全だよ。」

「もし新村に手を出せば―」

「『殺すぞ』とでもいいたいの?」堀内が話しを遮る。「こっちはせっかくアンタにもう一度チャンスをやろうと思ったのに…」

“チャンス?!”

「聞く気はあるみたいだね。」

西野は何も言わなかった。

「俺の言った通りに動いてくれればアンタの可愛い部下を解放してあげよう。」

「条件はなんだ?」

「そう焦らずに…まず、仲間に連絡して助けを呼ぼうなんて無駄なことはしないこと。それと職場に戻ってよ。話しはそれからだよ…」




 電話を切ると堀内は隣で運転している男へ顔を向ける。「西野は予定通り職場に戻る。本間のところに着いたら準備を整えてすぐ集合場所に向かえ。」

 「神崎と三浦はもうあそこにいるんですかい?」運転手が尋ねた。

 「おそらくな。現場の指揮はお前に任せるからなんとかしてくれ。といってもすることを一つだけだけど…」

 「それでも失敗は許されないでしょう?」

 “コイツはいつも質問ばかりだな…”堀内はサイドミラーで尾行を確認しながらそう思った。

 「もちろんだよ。失敗したら全てが台無しになる…」

 そうこうしている内に彼らを乗せた乗用車が赤い屋根の本間がいる建物に辿り着いた。建物の前には2台のSUVと白い大型バン3台が駐車してあり、各バンには短機関銃を持った警備がついていた。この建物から40メートル程離れた場所で堀内は物陰に潜む武装した二人組の男を確認しており、本間の警戒ぶりに満足していた。もし、異常があればあの二人組が襲撃者に銃撃を浴びせ、それが本間への警報となる。

 車から降りると堀内は後続のバンに向かって歩き、スライドドアを開けて車内の様子を見た。血で染まったタオルで左耳を抑えていた男はドアが開くと驚いて足元に置いていた拳銃に手を伸ばそうとした。

 「落ち着けよ。」右手を挙げて堀内は男を制する。「女は?」

 負傷しているテロリストは後部座席の奥でうずくまっている新村を指差した。

 「生きてるのか?」

 「殺してはいませんよ。ちょっと殴っただけですよ。」

 「そうか…」そう呟くと堀内はバンの中に入って新村の髪を掴んで引っ張った。激痛に新村は悲鳴を上げ、引っ張られる方へ動いて痛みから逃れようとする。バンを降りる途中で堀内は上着のポケットからナイフを取り出し、負傷した仲間の喉仏を刺して素早くバンから降りた。刺された男は急いで喉から飛び出る血を両手で抑えるも出血は止まらず、哀れに思った仲間の一人が男の頭を撃ち抜いた。

 堀内が建物の入り口に辿り着くとMAC-10短機関銃を持った見張りがドアの前に立ちはだかった。

 「本間に会いに来たんだ。この女は人質だ。」堀内は見張りに笑みを送る。

 それを聞いて見張りは大人しく目の前にいる男のために道を開け、堀内は新村の髪を引っ張って建物の中に入る。彼は本間がいる2階へ行こうとしたが、運良く入口付近に本間がいた。

 「その女は?」本間が開口一番に尋ねた。

 「西野の部下だ。アイツはこの女を取り返すのに躍起になっている。」堀内は新村の髪から手を離す。

 「それがアンタの言ってた計画?」

 「そうさ。最初から言っただろ?俺たちの手を汚すことなんてないんだって。西野を使って議員を殺せばいいんだよ。」

 「もし、西野が失敗すればどうするの?」

 「その場合は俺が全て片付ける。」

 「できるの?」

 本間の一言に堀内は苛立ちを憶える。“クソ女め!”

 「信用してもらいたいね。」

 女テロリストは鼻で笑うと視線を床で蹲っている新村に向けた。「この女を議員の娘がいる更衣室まで運んで。それからあと20分で中継が始まるから、木下と一緒になんとかしてちょうだい。私はもうここから出るから。」

 「はいはい。」堀内は適当に返事をすると新村の髪を再び掴んで小田菜月が監禁されている更衣室に向かう。

 本間は上着のポケットから携帯電話を出し、着信とメールの有無を確認すると外に出て待機させてあった一台のバンに乗り込む。

 “堀内は信用できないけど、仕事はできる方だからまだ残して置いた方がいいかもしれないわね…”




 「応援の到着に最低でもあと25分はいるそうです。」電話を切って野村が紙袋を漁っている中島に向かって言った。

 「残弾は?」SAT隊員はまだ持参してきた紙袋に両手を入れて何かを探していた。

 若い捜査官はベルトに挟んでいた拳銃を取り出すと弾倉を引き抜き、横に開いている小さな穴を見て残弾を確認する。

 「14…いや、15発です。」野村は上着のポケットにある予備弾倉と薬室に収められている銃弾も含めて報告した。

 「あんまないねぇ~」中島の声に危機感というものはなかった。

 宮崎と小木は車内に残って、ボンネットに紙袋を置いて荷物を探している中島と周囲の様子に気を配っている野村を見守っていた。

 “拳銃一丁だけでテロリストと戦うなんて死に行くようなもんだ!”小木は緊張のあまり心臓が高鳴り、このまま口実を作って車に残っていようと考えていた。

 彼の隣にいる宮崎も同様に中島の案は自殺行為だと思っていたが、不思議なことに小木ほど不安を感じてはいなかった。

 中島たちは本間の建物から150メートル以上離れた場所に車を停車させており、テロリストが見張りとして置いる二人組の男たちとは100メートルしか離れていない。目的地に着く500メートル前から野村はヘッドライトを消し、200メートル前まで近づくと中島の助言を聞いてギアをニュートラルに入れて惰性で現在の位置まで走らせた。ギアの変換によってエンジン音が低くなり、本間の配置した見張りが彼らに気付くことはなかった。

 「おかしいな~」中島がやっと紙袋から頭を上げて腕を組む。

 「どうしたんですか?」と野村。

 「こっちに来てから買った靴下が見つからないんだよ。」

 “靴下?!”若い捜査官は真剣な顔つきでいるSAT隊員を見て思った。

 中島は思いついたように後部座席に座っていた宮崎の方へ歩き、「宮崎くん、コンビニで買った物まだ持ってる?」

 突然のことに宮崎は素早く反応できなかったが、足元に置いてあったコンビニ袋に気付くとそれを中島に渡す。

 「ありがと。」

 そう言うと、SAT隊員はコンビニ袋から二足組の紳士用靴下と4本の単2電池を取り出した。野村たちが呆気にとられている一方で中島は取り出した靴下を重ね履きさせ、電池を4層に厚くなった靴下の中に放り込んでその口をきつく縛った。




 野村からの電話は黒田にとって良い知らせであり、できるだけ早く応援を野村たちに送るべくネズミ取りの捜査官とSAT隊員に急いで準備するように連絡した。受話器を元の位置に戻し、黒田はもし野村が小田完治の娘を救い出せば、彼と自分の出世への足掛かりになるだろうと考えて口元を緩めた。

 “野村は未熟な点もあるが素質はある…”

 着信音がネズミ取り北海道支部支局長を現実に呼び戻し、彼は武装を整えた捜査官たちからの電話だと思って急いで受話器を持ち上げる。

 「また、余計なことをしてくれたみたいだな。」電話に出るなり男がそう言った。

 「加藤か?」予想外の電話に黒田は驚いた。電話の主は黒田の大学時代の同級生で現北海道警察本部長からであった。

 「高級マンション付近で10つの死体が見つかった。その内8人はSAT。残りは正体不明の男2人だ。一応、生存者がいる。広瀬という男だ。運良くほとんどの銃弾が防弾ベストに命中していた。肩や腕にも擦り傷があるらしいが、致命傷ではないようだ。問題は目撃者が多すぎることだ。近隣住民とマスコミがかなり写真や映像を撮っていた。報道規制はかけれると思うが、なんせ相手はマスコミだから覚悟はしておいた方がいいだろう。」

 黒田は混乱して何と言うべきか分からなかった。

「とにかく、あまりにも露出が多すぎる。いくら協力関係があると言っても、これだけの事になれば完全にはお前たちを公衆から隠し通すことはできない。」

「忠告をありがとう。こちらで何とかする。」

「気をつけろよ、黒田。」

「分かってる。ありがとう。」

受話器を戻すなり黒田は椅子から立ち上がり、自分の部屋から飛び出して早歩きで小野田の机に向かう。彼が小野田の机に辿り着くと分析官はパソコンの画面をから目を離して黒田を見る。

「説明しろ!一体何が起きてるんだ!!」




 三人は短機関銃を持った二人組の見張りを建物から40メートル程離れた場所で見つけた。野村と小木はMAC-10短機関銃を見た途端、心拍数が急激に上がって手足が小刻みに震えだした。若い捜査官は咄嗟にベルトから拳銃を取り出し、もし発見されれば交戦しようと考えた。

 そんな二人を他所に中島は腰を屈めて短機関銃を持った見張りに近づき始めた。野村はSAT隊員を止めようと手を伸ばしたが、時既に遅くて中島は既に彼らから2メートルは離れていた。テロリストは細い木の陰に二人並んで立って3メートル離れた道路に意識を集中させており、背後に目を向けることが少なかった。

移動中に中島は上着のポケットから乾電池を詰めた靴下を取り出し、見張りとの距離が2メートルに縮まると素早く立ち上がった。衣類の擦れる音を耳にして二人組の見張りが振り返ろうとすると、中島はきつく結んだ靴下の結び目を掴んでそれを水平に振る。乾電池が詰められた靴下は電池の重さによって伸び、中島から見て右側にいた見張りのうなじに命中した。この攻撃を受けた見張りは片手をうなじに回す。それを確認すると中島は靴下から手を離して短機関銃を中島に向けようと動き出した左側の見張りに近づき、敵のMAC-10を左手で掴んでテロリストの喉に右拳を叩き込んで動きを止める。

 掴んだ短機関銃から手を離さず、SAT隊員はまだうなじを抑えて呻いている見張りの喉に手刀を入れ、呼吸困難に陥ったテロリストは短機関銃から手を離して喉に手を回して両膝を地面につく。喉に拳を叩き込まれた見張りは引き金を引こうとしたが、すぐにその考えを捨てた。なぜなら、その前に中島が短機関銃を包み込むように両手で掴んで反時計周りに回し、銃口が男の方に向いたからである。テロリストに隙ができるとSAT隊員は右膝蹴りを男の股間に入れて男から短機関銃をもぎ取ると、銃口でテロリストの顔面を殴った。顔を殴られた男は気を失って地面に倒れ、中島は素早く振り返って喉を抑えながら地面に両膝をついているテロリストを確認すると、MAC-10の銃床を使って残ったテロリストの顔面を殴った。

 安全確認を終えると中島が野村と小木の方へ振り返って笑顔でピースサインを送り、二人の捜査官は恐る恐るSAT隊員へ近づく。彼らが来る前に中島は見張りが持っていた短機関銃とその予備弾倉を拝借し、1丁のMAC-10と2本の予備弾倉を小木に手渡した。

「ここからまた二手に分かれようか…」中島が気絶しているテロリストの両手足を野村が持っていたプラスチック製の手錠で縛りながら言う。「二人は建物の裏に回って合図を待ってください。」

「合図?」小木がオウム返しに尋ねた。

「分かりやすい合図だからからすぐに分かると思う。」SAT隊員が腕時計に目を配る。「あと10分しかないし、急ぎますか…」




 黒田の怒鳴り声によってその場にいた職員たちは動きを止めて支局長と彼の怒りの矛先である小野田に視線を向ける。注目の的になっていても黒田は動じずに小野田を睨み付け、状況が理解できない分析官はただ黒田を見ることしかできなかった。

 「広瀬たちの通信を管理していたのはお前だったな?」黒田が顔を真っ赤にさせて尋ねる。

 小野田はただ頭を縦に振った。

 「さっき道警から連絡がきて、広瀬とSATを乗せたバンがテロリストに攻撃されたと連絡してきた。お前は、お前はいったいその時何をしていたんだ!!」

 「私もよく分かりません…」小野田はパソコンの画面に一瞥を送って言った。そして、彼はもう少し慎重に言葉を選ぶべきだったと後悔した。

 「『分からない』とはなんだ!!何故、問題があった時に報告しなかったんだ!!」

 「通信障害はよくあることですし、さっきからそれを直そうと―」

 「遅すぎる!!」黒田は小野田の話しを遮る。「今日だけ何人の捜査官が死んだと思ってるんだ!!」

 小野田は黒田の目が真っ赤になっていることに気付いた。

 「これ以上、誰も失うわけにはいかないんだ。小さな問題でもすぐに報告しろ!!」

 「わかりました。」小野田は俯いてそう応えた。他の職員たちも小野田のようにならないため、これからはどのような些細なことでも報告しようと肝に銘じた。

 「道警の話しに西野、新村、それに武田と繋がっている守谷というテロリストはなかった。アイツらはまだどこかにいるはずだ。探し出せ!」そう言い終えると黒田は自分のオフィスに戻って行った。




 その頃、ネズミ取り職員専用の駐車場に車を入れた西野はカード・キーを使って職員用のエレベーターに乗り込む。彼がメインオフィスのフロアボタンを押そうとした時、上着のポケットに入れていた携帯電話が鳴って西野は素早く電話に出る。

 「そろそろ職場に着いたかな?」堀内の声が受話口から聞こえてきた。

 「何が目的だ?」と西野。

 「まずは武器庫に行ってもらおうか。もし、あればだけど…」

 「新村の無事が確認―」

 「そこから“出られたら”、いくらでもアンタの可愛い部下の声をたっぷり聞かせてやるよ。」

 西野は堀内の皮肉が込められた台詞に再び怒りを覚えた。エレベーターが停止してドアが開く。見慣れた大きなスクリーン、その前に並ぶ大量のコンピューターとその機械と睨み合っている職員たちが見える。

 「できるだけ早く頼むよ。」堀内が西野を苛立たせるために呟いた。

 捜査官はエレベーターから降りると武器庫に続く廊下を歩きだし、その時、コーヒーを取りに行こうと立ち上がった奥村に姿を見られた。小太りの女性分析官は捜索対象である西野がオフィスにいる訳がないと思ってコーヒーメーカーがある机に向かった。

 武器庫前のドアには監視カメラがあり、常に誰が出入りしたかを確認している。ドアを潜り抜けると金網付きのカウンターに突き当たり、ここで担当者にセキュリティー・カードを提示、また関係書類に署名してから武器庫に入る。武器を選んだ後は担当者に確認してもらい、それが終われば武器を持ち出せる。

 手続きを終えると西野は金網のドアを抜けて銃器が並ぶ通路を歩き、担当者と監視カメラの陰となる位置まで来るとポケットから隠していた携帯電話を取り出す。

 「お前の言った通りに武器庫に着いたぞ。」カウンターで書類整理をしている担当者に聞こえないよう西野が小声で言う。

 「それじゃ、散弾銃を3丁と弾を100発程仕入れてもらおうかな。散弾銃は銃床が無いタイプで頼むよ。弾はダブルオーバッグ(注:00B。直径8.4mmの中型動物(鹿など)の狩猟、または軍用に使われている弾。主に6から9粒の弾が一つの薬莢に込められている)。」堀内は西野の仕事の速さに満足していた。

 “本間の部下を使うよりコイツを使う方が楽だ…”

 捜査官は散弾銃が置かれている棚まで行くと棚の一番下に畳んで置かれていた鞄を取り、堀内が言った銃床の無いポンプ式散弾銃3丁を鞄に押し込む。

「それからスタングレネードを4つほどお願いできるかな?」堀内が注文を付け足した。

堀内の新しい注文を受けた西野は苛立ってはいたものの、テロリストの目的を探ろうと努めた。

“散弾銃とスタングレードくらいなら入手できるはずだ…”カウンターに向かって歩きながら西野は思った。

書類整理をしていた担当者は西野を見ると、持っていたバインダーを机に置いて捜査官用の記入用紙をカウンターに備え付けられている引き出しから取り出す。西野が金網付きのカウンターに散弾銃の入った鞄をカウンターに乗せると、担当者はその中身を見て用紙に武器とその数を記入する。

「弾の種類は?」担当者が記入用紙から顔を離さずに尋ねる。

「00Bを100発。それからスタングレネードを4つ。」

「セキュリティー・カードを―」

担当者が言い終える前に西野はセキュリティー・カードをカウンターに置く。白髪頭の担当者は西野のカードを取ると、それをカウンターに置かれているコンピューターに備え付けられているカードスロットに入れる。

「今から残りの物を取ってくる。」そう言い残して、担当者はカウンターを後にする。

素早く西野は上着のポケットから携帯電話を取り出す。「武器は手に入った。次は何だ?」

「携帯に次の場所の指示をメールで送る。25分以内にそこに向かって俺の部下と合流するんだ。後のことは部下が教えてくれる。」と堀内。

「新村は無事なのか?」

「無事だよ。それじゃ、仕事が終わったら連絡をくれ。きちんと仕事を終わらせることができれば、アンタの可愛い部下を返してやるよ。」新村を解放する気などなかったが、西野を利用するためにテロリストは嘘を言った。

「約束しろ!」

「わかってるよ。それじゃ…」堀内が一方的に電話を切った。

 堀内との会話が終わると同時に担当者が箱に詰められた銃弾と黒いプラスチックケースに収められているスタングレネードを持ってカウンターに戻ってきた。彼はまず先に取ってきた銃弾と閃光手榴弾を散弾銃が入っている鞄に押し込み、それから手続き通りに記入用紙に目を移した。その時、パソコンの画面上で点滅する何を見つけて視線を用紙からパソコンへ向ける。その画面には新しいウィンドウで「警告」の文字が表示されていた。

“またエラーか?”

 西野は鞄のジッパーを閉めて部屋から出る準備を始める。

「ちょっと待ってくれないか?」担当者がキーボードを何度か押しながら言う。「また、システム・エラーだ。すぐに直るから…」

 捜査官は怪しまれないように鞄をカウンターに戻す。「よくあることなのか?」

“もし、あの銃撃の話しが黒田の耳に既に届いていれば、警戒態勢を敷いて俺と新村を探し始めているはずだ。最悪、俺が広瀬とSATを殺した犯人として手配しているかもしれない…”

「最近、よくあるんだ。この間、システムの入れ替えをしたからだと思う。」担当者は半ば諦めてコンピューターから記入用紙に視線を向ける。「問題ないと思うし、出て行っても大丈夫だよ。」

「ありがとう。」

 西野が鞄を持ち上げて武器庫から出ようした時、けたたましい警報音が室内に響いた。それとほぼ同時に武器庫のドアが勢い良く開き、拳銃を持った警備員2人が突入してきた。白い襟付きの半袖シャツに紺のスラックス姿の警備員たちは西野を確認すると、ドアのすぐ傍で立ち止まって拳銃を散弾銃の入った鞄を持つ捜査官に向ける。

「手を挙げろ!」警備員の一人が西野を威嚇するように言った。

 西野の背後にいる武器庫の担当者は何が起きているのか分からず、目の前で繰り広げられている状況を見守ることしかできない。

 捜査官はゆっくりと持っていた鞄を床に置いて両手を肩の高さまで上げる。警備員たちは素直に西野が彼らの指示に従ったので、素早く目の前にいる捜査官を拘束できると思った。実際、この状況を監視カメラ越しに見ていた黒田もそう思った。しかし、当の西野は投降することなど一切考えていなかった。




 野村はテロリストがいる建物の裏口から8メートル程離れた木陰に小木と並んで待機している。

 “分かりやすい合図って何だ?”二人とも同じ疑問を抱いており、小木に関しては中島が二人を囮にしたのではないかと考えていた。

 二人の心配を他所に中島は姿勢を低く保ちながら赤屋根が特徴の2階建ての建物に近づく。その途中でSUVとバンが通り過ぎ、この時は流石に地面に伏せて隠れた。生い茂っていた雑草がSAT隊員の姿を隠すのに一躍買ったのでバンに乗っていた本間とその部下たちは中島に気付くことはなかった。

 テロリストの建物に近づくに連れて車のエンジン音と話し声が聞こえてきた。中島は交戦に備えるため、MAC-10の銃握を両手で握ると両脇をしっかり締めて短機関銃を自分の体に押し当てるようにして構えた。姿勢は低いまま、忍び足で建物との距離を詰める。距離が近づくに連れて中島は段ボールや大型のジェラルミンケースを運ぶ武装した男5人を発見し、その男たちは建物の前に駐車されている2台の白いバンに荷物を積み込んでおり、バンから少し離れた場所にあるSUVの近くには誰もいなかった。テロリストの建物との距離は10メートル弱。二階建ての建物で一階には窓が4つ、二階には6つある。どちらも暗くて中の様子は窺えない。正面入り口は両開きの大きなドアがある。現在のところ、SAT隊員が肉眼で確認できることはこれだけであった。

 腕時計に目を配る。小田菜月の処刑まであと7分。

 「そろそろですな…」中島はそう呟いて再び建物との距離を縮めるために前進を始めた。




 更衣室に閉じ込められていた小田菜月は堀内がドアを開けて入って来た時に殺されると思って泣き叫んだが、部屋にやってきた男はパンツスーツ姿の女を議員の娘の横に放り投げて去った。新村は床に蹲ってすすり泣いていた。それを見た菜月は彼女を哀れに思ったが、他人の心配をするより自分の心配をしなければならないと同情心を捨てた。

 “死にたくない!!”菜月も新村も同じことを考えていた。二人とも助けが来るという希望が持てなかった。ドアの向こう側で足音がする度に菜月の心臓は高鳴り、音が通り過ぎると安堵感を得る。これの繰り返しが何百回と続いていた。不安は一向に消えない。

 「ねぇ…」菜月はすすり泣いている新村と会話でもすれば、この不安を少しでも紛らわせることができるかもしれないと思って話しかけた。議員の娘の存在に気付いていなかった新村は声を聞くと驚いて体をビクンと動かし、恐る恐る声のした方へ振り返る。

 「アンタ、名前は?」声はかけたものの、菜月は何を話すべきか悩んで無難に名前を聞くことにした。

 「新村春花…です…」若い捜査官は両手を縛られているのでぎこちなく起き上がって目に溜まっている涙を手で拭う。「あなたは?」

 「小田菜月…何でアンタはここに連れて来られたの?」

 「私は―」

 その時、ドアが開いて坊主頭の大男が室内に入って来た。二人とも男を見ると口を噤んで固唾を飲む。

 殺される!

 そう思うと、自然と目に涙が溜まって心臓が異常なほど高鳴り、涙を我慢しようとすると鼻息が荒くなった。二人の感情など気にもせず、男は部屋に入ると小田菜月の右腕を掴んだ。

 「いやー!!」耳朶を震わせるような菜月の悲鳴が室内に響き、議員の娘は必死にもがいて男の手から離れようとする。大男にとって菜月の抵抗は大した問題ではなかった。命拾いをした新村は小田菜月が引きずられて運ばれるのを見て安堵感を得た。しかし、すぐに若い捜査官は自分に嫌悪感を抱いた。

 “人を見殺しにするために警察官になったわけじゃない!!”

 新村は壁に寄りかかりながら立ち上がると大男に向かって走り出す。距離が近くなると地面を蹴り飛ばして男に体当たりした。新村の体当たりによって大男はバランスを崩したものの片足で踏みとどまる。一方の新村は転んで急いで起き上がろうと両手で上体を起こし、壁を使って立ち上がるために片膝をつく。攻撃を受けた男は苛立ち、立ち上がろうとしている若い捜査官の姿を見つけるとベルトに挟んでいた拳銃を取り出す。それを見るや否や腕を掴まれていた小田菜月が大男の腕に噛み付き、テロリストは呻き声を挙げて銃底で菜月の額を殴る。間を置かずに新村は無謀と分かっていながらも勢い良く床を蹴り飛ばして大男に向かって体当たりした。議員の娘に気を取られていた大男は少しバランスを崩したが、倒れる直前に新村の髪を掴んで右肘を彼女の左側頭部に入れた。激痛によって若い捜査官の戦意は削がれ、男と同時に地面に落ちると死に物狂いでその場から逃げようとした。しかし、男は新村の髪から手を離さず、銃口を彼女の頭部に押し付けた。

 「このアマども…」男はそう呟きながら立ち上がる。新村は震えて動けず、小田はただ頭に銃を押し付けられている捜査官を見守ることしかできない。テロリストが引き金にかけていた指に力を入れる。

 その時、間断ない銃声と窓ガラスが割れる音が三人の耳に飛び込んできた。


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