NO.06 トラスト・ホープ
それが夢だということはすぐに分かった。
燃える街、黒焦げの死体、鳴り止まぬ轟音。炎の赤が夜空の黒を彩る中、無数の影が蠢いてる。影は炎に紛れ、俺の周りを取り巻いている。炎と同じく影の包囲はじりじりと迫ってきている。少なくとも五十、それ以上の数の敵が炎の中に潜んでいた。生体装甲に感じる炎の熱と、焼け付くような高揚感と憤り。その時とそのまま変わらぬ感情を実感の無いまま傍観している。
これはいつの事だっただろうか。確か九年前の夏だったはずだ。酷く暑い日だった、纏わり付くような熱気と人々の賑わいを覚えている。そういえばこのときは丁度夏祭りの最中で避難誘導が上手くいかなかったという話を後から聞かされた。
異相空間の生成技術は六年前に確立されたものだ。それまでの戦いはいつも市街地を巻き込んで、多数の被害者を出していた。この戦いもそんな戦いの一つだ。
声を上げず襲い掛かってきた一体を拳で砕いた。俺の意思に関係なく、記憶のとおりに体が動いていった。拳を振るい、蹴りを放ち、手刀で切り裂き、次から次へと敵を屠っていく。白銀の両腕を奴らの血で朱に染め、火の粉と粉塵を振り払いながら戦い続けている。
ふと記憶のとおり、足が止まった。足元に転がる何かを俺は見詰めていた。最初は瓦礫だと思った、次に死体だと判断した。だが、強化された視力は幽かに動くその指を、聴力は確かに消え入るようなその声を捉えていた。
小さな本当に小さな十歳にも満たない子供だった。助けてというその声は俺に向けられたものではなく、今際の際に発せられたただ切実な祈りそのものだった。その時、誰にむけられたものでもなかったそれを聞いているのは俺だけだった。答えて上げられるのも俺だけだった。そしては俺は戦う事を選んだ、俺が覚えているのはそれだけの事だ。
立ち止まったのはほんの数秒だっただろうか、たった数秒の間、俺は躊躇した。どうしようもないことは頭では分かっていた、だが、その意味を理解していなかった。俺たちの戦いは命の取り捨て選択に過ぎないということを俺は何も知らなかった。
同時に飛び掛ってきた数体を諸共に砕いた。続けざまにさらに数体纏めて叩き潰した。それを何度か繰り返した後、肩と脇腹に綺麗な穴が開いた。見れば二体の幼体がそれぞれ食いついている。燃えるような痛みと人工血液が流れ出す感覚も良く覚えている。
なおも喰らいついてくる二体を強引に引き剥がす。体内に残った牙の鋭い痛みを感じる。当然の結果だ、目の前で立ち止まった敵を見逃すほど奴らは鈍重ではない。
目の前には群がってくる幼体の群れ、その中心には一際大きい影が一つ。宿主であり、頭脳でもある成体の影だ。成体を倒せば、幼体も機能を停止する。言うには易い、行うのは難しい、いつもの事だった。
夢は続く。拳を振るい、蹴りを放ち、技と力で敵を砕く。ただひたすらそれを繰り返す。いつの間にか、小さな声は消えていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
目を覚ますと照明の明るさに目が眩んだ。待機用にあてがわれた空きの執務室の真っさらな壁と天井はどうにも落ち着かない。
そのせいだろうか、あんな昔の夢を見たのは。九年前、まだ一人で闘っていた頃の記憶、いや一人で戦っていると思い上がっていた頃の記憶だ。思い出すのはあの日のことばかりで、それより前の事を思い出すのは久しぶりの事だった。
「――――」
体を起こし、掛けてあったUAFの制服に袖を通す。これを着るのもひどく久しぶりの事だ。私服で支部内をうろつくと悪目立ちしかしないので、滝原に貸してもらったものだが、サイズも着こなしも問題ない。これを着ていると心なしか、身が引き締まるように感じるのは今も昔も同じだ。
時計に目をやると、時刻は午前八時半。予想以上に長く寝ていた。結局わざわざ帰るのも無駄なので、支部に泊めてもらったのだが、思っていた以上に疲れていたようだ。確か、式典の開始は昼過ぎだったはず、時間的にはまだ余裕があるにはある。
だが、滝原のほうは徹夜で仕事をしているだろうに、俺のほうが暢気に寝ていては世話が無い。
そのまま仕度を整えていると、付けっ放しになっていた端末に気付いた。端末からは朝のニュースが流れていた。
「――今年度の最高委員会における予算会議において、さらなるUAFの規模縮小と予算削減が決定しました。人類戦役終結後、NEOHの出現停止に伴い予算削減を続けてきたUAFですが、さらに二つの支部の統廃合し、一部の部隊はそのまま国連軍への編入を来年度までに行うということでおおむね合意がなされました。さらに、独立行動権に関しても……」
流れてくるのは滝原の言っていた予算削減についてのニュースだ。事実として知ってはいたが、当事者として聞くとまた違った意味では腹が立ってくる。上の連中に現場の苦労を理解しろと言うのは無意味な事は知っているが、いい加減飽き飽きしてくきた。
これ以上聞いていても無益だと、端末を消して、ドアを開こうとしたその瞬間、コンコンとノックの音が響いた。
誰だろうか、俺を訪ねてくるのは滝原くらいしかいないはずだが、滝原の使いかもしれない。
「――どうぞ」
「し、失礼します」
どこか聞き覚えがある声が聞こえてきた。ひどく緊張して震えているが、どこかで最近聞いた覚えのある声だ。
一呼吸ほど間を空けて、扉が開いた。現れたのは、UAFの制服を着た年若い女性、いや少女といってもいいだろう。どこか幼い印象を受ける。ポニーテールの栗色の髪とあどけない顔立ちもその印象を強めている。
少なくとも知り合いではないはずだ。こんな若い知り合いは俺にはいない。聞き覚えがあると思ったのは思い違いだったようだ。
「――た、た滝原統括官がお呼びです。せせ僭越ながら、じ、自分がブリーフィングルームにご案内します」
緊張でガチガチだ。背筋をぴんと張り、ぎこちなく敬礼しているが、手が震えている。訓練校を卒業したての新人だとしても緊張しすぎだ。滝原のやつ、一体何を吹き込んだのだろうか。
「……君は」
「しし失礼しました! わ、私は、小官は岩倉ヒカリ特技官であ、あります!!」
ポツリと漏らした声を聞き取ったのか、彼女は一際大きな声でそう官姓名を名乗った。別段、名前を聞いたわけではないのだが、まあ名乗ってくれる分は構わない。しかし自分が新人だった頃はどうかなど憶えちゃいないが、ここまでではないと思う。
そんな風に考えていたところでふと考え付いた。聞き覚えがあるはずだ、つい昨日聞いたのだから。
「は、はい。なんでございま、あ、ありましょうか!?」
あのときより緊張で上擦っているが間違いない。あのときの素人くさい彼女だ。違ったら大恥だが、俺にはなぜか確信があった。
「…怪我は、どうだ?」
「え?」
できるだけ優しく静かに声を掛けた。生憎と愛想よく声を掛けるのは無理だ。昔から直そうとはしているのだが、どうにも上手くいかない。
「け、怪我でありますか!? は、はい、その、おかげさまというか何というか…命に別状も無く、ご覧とおりその……」
呂律が回ってない上に、今一要領は得ないがどうやら怪我のほうは良いらしい。怪我はそれなりに深かったはずだが、再生治療を受けたなら一晩で回復してもおかしくない。
なんにせよ、大事が無いならそれでいい。
「そうか。……昨日はすまなかった」
事情はどうあれ彼女に突然殴りかかり気絶させたのは俺だ。それすらも中途半端なのは我ながら情けない話ではあるが。
「――へ? あ、ああいえ、そもそもあれは私のミスでして、その、えっと。謝るのはこちらのほうでして、だからその」
あたふたとする彼女はどこか微笑ましい。俺の周りの女性は皆、肝が据わっていた。こういうタイプと接するのは初めてだ。正直言って、対応に困る。
それにしても、滝原の奴もどういうつもりなんだろうか。いわば加害者と被害者みたいなものだろう俺たちは。
「あ、あの、そのお聞きしたいことが――」
「滝原が呼んでるんだろう? 案内してくれ」
何か言いかけていたようだが、のんびり話している時間は無い。滝原をあんまり待たせるわけにもいかない。ブリーフィングルームの場所が変わっていなければ、俺一人で辿り着けるだろうが、折角案内してくれるというのだから追い返すのも悪いので、とっとと案内してもらおう。
「は、はい!!」
一際大きい声の返事。思わずこっちが萎縮しそうなぐらいだ。
ここに来てようやく一つ思い出したことと、一つ気付いたことがある。こんな態度を取られるのは五年ぶりだ。五年前との違いは一つ、俺の姿だ。こんな反応を受けるのはいつも変換後の姿だった。白銀の鎧に、緑の瞳、赤のマフラー、記号としての俺への憧憬と尊敬。俺には分不相応な希望という記号が彼らの心に息づいていた。
その反面、生身ならある意味気が楽ではある。今まではこうやって生身の姿を知られても、そもそもそういう事を気にしない奴ばかりだったせいか、生身でいるときは比較的に自由だった。
皮肉な話だが、生身のときにこういう反応をされるのは初めてだ。どうにも妙な気分になる。この子みたいな目で見られるのは正直言って苦手だ。
俺は逃げるように彼女に続いて部屋を出た。どこか居心地の悪い懐かしさと緊張が尾を引いていた。俺はやはりヒーローには向いてない。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ブリーフィング自体は短時間で終わった。内容のほうも昨日滝原に聞かされていたものから大した変更は無かった。ブリーフィングルームに集まっていた人数の多さに多少は驚いたが、百人以上の職員たちの前で手馴れた様子でブリーフィングをこなす滝原の姿は昔よりももっと輝いて見えた。
輸送用の変翼機の翼が広がってゆく。低い唸るようなエンジン音が聞こえる。幾度と無く聞いた腹の奥底に響くその音はひどく懐かしい。
支部に隣接する発着場は支部内に比べて閑散としている。式典会場自体はそう遠くないのだが、俺だけは輸送機で上まで運んでもらうことになっていた。
「――ねえ、本当に良いの? 別に変更効くのよ?」
タラップに足を掛けると、後ろから滝原が声を掛けてきた。振り向くと、少しやつれた滝原が真っ直ぐこちらを見詰めている。忙しいはずなのにわざわざ見送りに来てくれたらしい。
「何がだ?」
「別に雪那と同じようにやらなくても良いって言ってるのよ」
「ああ、そのことか。そういってくれるのはありがたいが、雪那と同じことをやらないと代役にならないだろう? まあ、気にするな」
滝原の言葉は心底ありがたいが、雪那の代わりを務めるなら俺の都合で予定は変えられない。つらくないと言えば嘘だが、それだけだ。なんの問題もない。
「――貴方がいいならそれ以上は言わないけど、やっぱりいくらなんでも派手すぎよ。記念式典をパーティーかなにかと勘違いしてるのかしらね」
明らかに怒りの滲んだ滝原の声。誰の要望かは知らないが、しめやかに行うはずの記念式典にしては少々演出過多ではある。だが、あれから五年経っているのだ、そのぐらいのことはあっていいのかもしれない。
「っと、忘れるところだったわ。これ、移動中に見といて」
そういうと滝原は端末を投げてよこす。連絡なら通信で充分だろうに、どういうことだろうか。
「――雪那の視覚データが入ってるわ」
俺の疑問を察したのか、滝原から補足が入る。なるほど、雪那の視覚データか。件の連中と直接戦闘したのは雪那ただ一人だ。その情報があるとないでは大きな違いがある。
「……助かる。すまんな、大変だったろう」
怒らせた俺が言うのもなんだが、雪那の怒気は凄まじいものだった。とても話が通じるような様子ではなかった。傷が開かなかったのは不幸中の幸いだった。それにしても、あの雪那を説得したのかを考えると、滝原には頭が上がらない。その怒りは本来俺が受けるべき咎だというのに、俺は滝原にそれを負わせてしまった。
「そうでもないわ、データ自体はすんなりくれたから。でも、無茶苦茶怒ってたし、かわいそうなくらい憔悴してた。あの子、自分を責めてるの」
最後に見た雪那の姿を思い返す。取り乱し、瞳に涙を溜めた彼女の姿。俺という存在がそれほどまでに彼女に重く圧し掛かっていたのだ。
「……すまん」
詫びて詫びきれるものじゃない、ならばせめて俺が戦う。俺個人としてではなく、記号01として戦う。
「――01、ごめんなさい。私たちはまた貴方に押し付けてる、もう貴方には頼らないって五年前に誓ったのにね」
告解するように滝原はそういった。彼女はいつも高潔で誠実だ。彼女にとって俺を引き戻したこと自体が、許せないのだろう。だが、詫びるのも感謝するのも俺のほうだ。十年間俺たちが戦い続けていられたのも、五年間俺が逃げ続けていられたのも、全て彼女のおかげだ。
「滝原、俺は――」
「だけどね、信じてるから。昔も今も、貴方と私たちならどんな敵にだって負けないってね」
五年前から変わらぬ頼もしい戦友の顔がそこにあった。決して一方通行ではない、鎖のような強固な信頼と絆。変わらず切れることの無い緋色のつながりは懐かしく心地良い。そうだった、九年前にあるのは炎と死だけじゃなかった、こういう温かいものもあったのだ。
「――ああ、その通りだ滝原。後ろは任せた」
ありったけの信頼をこめて、静かにそう告げた。いつだってそうだったのだ、俺はいつでも一人ではなかった。俺は背負っていただけではない、どんな時でも共に戦っていた。どうしてそんな大事な事を忘れていたんだろうか。この体が動く限り、俺には信頼にこたえる義務があるというのに、俺はその義務さえ放棄していた。だから今は、全力を尽くす。誰のためでもなく、俺が再び信じるために。そのためには、英雄でも道化でも演じてみせる。
どうも、みなさん速さの足りないbig bearです。
今回は繋ぎの話です。更新遅れてるのにこんな内容ですいません。次は動きがあると思います。
では、こんなだめ作者と拙い文章ですが、どうかこれからも暖かい目でよろしくお願いします。
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