NO.037 サイン・オブ・ジデス
違和感は最初から付きまとっていた。指示通り、裏側に回り込み、研究施設の壁をぶち破って突入したその時から拭いようのない違和感を全員が感じていた。
すぐさま迎撃をしてくるはずが、敵は彼らの前には現れず、警戒音だけがけたたましく鳴り響いていた。それ以外には、彼らの鼓動と静かな呼吸しか聞こえてこない。あまりにも静かすぎる、それがヒカリたちが抱えていた違和感の正体だった。
罠の可能性を十分考慮し、四人は慎重に慎重を期して、施設内の進んでいく。工兵である尾村を中心に据え、残りの三人が周囲を固め 、あらゆる方向からの急襲に対応できるように陣形を組み、引き鉄から指をはずさすに少しづつ彼らは奥へと向う。
四人の警戒を嘲笑うかのように、彼女たちは施設の中心近くに辿り着くまでなんの異常も起こりはしなかった。外円部の研究区画と思わしき場所には空になった培養ポッドや檻があるだけで、まさしく蛻の殻といった有様だ。残された痕跡だけがここに最近まで誰かが居たと言う証左だ。だが、見つかるのは痕跡ばかりで、既にすべて手遅れになってしまったのではないかという予感が少しづつ強まっていく。
「――よし、開くぜ。それにしても随分と緩いセキリティだこと、やっぱここはハズレなんじゃ......」
固く閉ざされた扉も、尾村が左手に装着されたデバイスをかざすだけで、簡単に解放される。ここに辿り着くまでと同じく、この防護扉に掛けられたセキリティは"組織"のものであるにしてはあまりにも簡素なものだ、ある程度のハッキングスキルがあれば開くのは難しいものではなく、お粗末に過ぎる。
その事実に三人の予感が確信へと変化しようとするその瞬間、扉の向こうに広がる光景が彼らの楽観を微塵も残さず打ち砕いた。
「――っ!?」
一瞬上がった悲鳴は一体誰のものだったか、彼らの眼前にある確かな惨劇の前ではそんなものは大した意味を持たない。目の前の光景は奇襲のように彼らの頭を支配した。
床は言うまでもなく、天井まで飛び散った目を焼くような血、ぶちまけられ混ざりあった誰のものとも分からない無数の腑、そして前衛芸術を思わせる惨殺体の数々、地獄絵図もかくやと言わんばかりの光景が目の前にひろがっていた。
「……酷い」
思わず、ヒカリが目を逸らす。他の三人も敵地にありながら我を失いかけていた。凄惨さだけで言えば、港でみた事件現場の再現とそう変わりはしないだろう。だが、今度のそれは再現されたホログラムとは違う、確かに目の前に存在している。視界を埋め尽くすような血も、転がっている誰かの頭部も、寸断された下半身も紛れもなく本物に違いない。臭いまでが伝わってこないのは不幸中の幸いといえる、五感の全てを持ってこの現場に立ち会うことは正常な精神にはあまりに負荷が大きすぎる。
「――隊長から各員、状況報告をしろ」
「は、はい、こちらA-02。状況は……」
通信越しの声が彼らを任務へと引き戻す。目の前の光景から目を逸らしたくなるのは人として当然の性だが、状況はそんな事を言っていられるほど甘くはない。重要なのは目の前の光景の凄惨さではなく、ここでなにが起こったかだ。しかし、目の前の状況をどう表現したらいいのかヒカリには分からなかった。一体どのような言葉を用いればこの惨状を上官に伝えられるのか、皆目見当が付かなかった。
「隊長。死んでます、全員、ここにいた全員が殺されてます。数は……少なく見積もっても十以上、おそらくはここの研究員です。あとは、あとは……」
極力感情を押し殺した声でラーキンが報告を引き継ぐ、しかし、勤めて冷静さを保っているがすぐに言葉に詰まってしまう。この光景と正面から向かい合って冷静さを保ち続けるのは今の彼らにはまだ無理だ。
「隊長、人間だけじゃない、なにかよく分からない生き物の死体も混じってます……大きいけど、犬みたいです。そいつらも含めて全員、切り殺されてる、と思います」
少しの沈黙の後、いつもとは違う緊張した声色でソレンソンがそういった。吐き気を堪えて目の前の光景に目を向ければ、無数の死体は全てが全て人間のものではないことにすぐ気付ける。犬のような姿をしていながら、大型犬よりも一回り以上にに大きな体格と全身を光沢のある外骨格に覆われた奇妙な生き物、その死体が研究員たちの死体の合間に転がっている。
頭を割られ、真っ二つにされたそれらの死体を認識してしまうと蘇りかけた気力が再び消え失せていく。積み重なった死体の山と奇妙な生物、まるで出来の悪い怪談に迷い込んだようなそんな感覚に膝が笑っていた。
「――全員、落ち着いて。その犬みたいなのはおそらくここで研究されてた生物兵器よ。NEOHの特性を生物兵器へ与えたってところでしょう。こっちにも何体か居たけど、私でも殺せたわ。いい? ちゃんと血が出て殺せる相手よ、冷静に対処すれば大丈夫。そこの下手人にしてもそうよ、そいつがどれだけ強くともあなたたちに私と01が付いてる、そして何よりも貴方達自身を信じなさい、こういうときのために訓練を詰んできたんだから、怖気てちゃ勿体ないわよ」
「……はい、ありがとうございます、司令」
そんな彼らを冷静で力強い声が鼓舞する。惑わされるなと、どれだけ敵が強大に見え、どれだけ目の前の光景が恐ろしくとも、殺せぬ相手ではないと、積み重ねてきた訓練が彼らを守ると、ただそれだけの事実を伝えるだけで一菜は折れかけた彼らの心に力を取り戻させた。兵を鼓舞し、士気を統御するという点において滝原一菜はまさしく天才的な将校であるといえるだろう。
「……無理はしなくていい。大きさのわりにはこの場所は厄介だ、撤退はお前たちの判断に任せる、拙いと思ったら迷わず引くのも優秀な兵士の条件だ。いいな?」
「……了解です、隊長。とにかく中央に向かいます、そこで合流しましょう」
「分かった。気を付けて行け、その先はそこよりももっと酷いだろうからな」
01からの気遣いに覚悟と勇気で答える。言葉の通り状況は芳しくないが、だからといって逃げ出すわけにはいかない。どうのような状況であれ、誰よりも前に立つのは彼らの誓いであり義務だ。自らの誇りに掛けて、できうる限りの事を為さずに引くことは許されない。
「――進みましょう。この先何があっても、進まないとこれまでですから」
凄惨さを増していく地獄絵図の中を彼らは地を這うように少しづつ進む。赤い河が途切れることはないが、意気を取り戻したおかげか、感覚が麻痺してきたおかげか、彼らは幾分冷静に死体を観察することができた。獣のような実験体の数は進むほどに減り、地獄絵図を形成するのは研究員と思わしき死体だけになったきた。しかも、その死体はどれもうつ伏せに倒れており、背中から切り掛かられている。つまりは逃げているところ斬り殺されているということだ、それも抵抗も許されずに一撃で切り伏せられていた。まさしく、一方的な虐殺の跡だった。
流れてくる血の河、その流れを上流へと彼等は遡っていく。そうして、少しして彼らはその源流に辿り着いた。
「……今更だけどさあ、帰るっていうのは無しだよな?」
「…………尾村技官」
目の前の光景への感情を素直に口に出したのは尾村だけだったが、その感情はこの場にいる全員が共通して抱いていたものだった。一際大きな隔離壁、そのまえに折り重なった複数の死体の山、閉じた隔離壁に群がった彼らは一纏めに切り裂かれ、無残に放置されたままになっていた。彼らは味方からも見捨てられ、ただ無残に殺されたのだ。
「――扉が破られた形跡はないみたい。この向こうは手付かずみたい、なにかあるのかも」
「尾村さん、お願いできますか?」
「はぁぁぁ、仕方がない。死体を退かすの手伝ってくれ、これじゃ端末に触れない」
全員で協力して、死体を退かしていく。スーツを通して伝わる死体に残る生暖かい熱に呻きながら、作業を続けていくと、ようやく端末が現われる。愚痴を吐きながらも、尾村が足元の血溜まりを搔き分けながら作業を開始した。他の扉と違い、この扉に掛けられたセキリティは段違いに強固なものだ。尾村の技官としての技術がいくら最高水準のものだとしてこの扉を開くのには数分の時間を要した。
数分の後、最後のセキリティを解除した尾村が端末にデバイスを翳したその瞬間、巨大な防護扉は悲鳴のような音を上げて開き始めた。扉の向こうには広がる景色が何であれ、彼らはその先に進む。その先に待つのが例え抗いようのない死だったとしても、彼には進む理由がある。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
四肢を振るう、武器として、凶器として、四本の手足を存分に振るう。兵器としての身体は一分の狂いもなく稼動する。これ以上ないほどに今の俺は力を十二分に発揮できてる。
喰らい付いてくる犬型の生物兵器の頭を正面から踏み潰す。間髪入れず正面から突っ込んでくるサルのような固体はこちらから踏み込み動きを合わせ、カウンターで胴体を拳で貫いてみせる。頭上を飛ぶ蝙蝠を片手で引っ掴み、そのまま翼を引きちぎり、蹴り殺す。鋭い牙も堅牢の生体装甲も諸共に砕いて、一撃で息の根を止めていく。どれだけ敏捷で、どれだけ性能を誇っていようとも、こいつらはどこまでいっても所詮は獣に過ぎない。直線的な軌道しか取れない以上、この研究所という限定空間において動きを読むのは簡単だ。例え、こいつらが百体揃おうとも俺の背中を決して抜かせはしない。
「――私要らなかったかもしれないわね」
「そうでもないさ、いちいち防護扉を蹴破って進むよりは効率がいい」
周囲の敵を全て始末すると、背後に控えていた滝原が声を掛けてくる。実際のところ、滝原がいてくれて助かっている。このセキリティは緩いようだが、生物兵器の実験を行っているせいか、区画ごとに重厚な防護扉があり、ハッキングなんて当然できない俺では、一々扉を文字通り蹴破って進まなければならない。それでは手間だし、手加減を間違えれば施設ごと吹き飛ばしかねない。滝原が扉をハックして開いてくれるのは正直言ってありがたい限りだった。
「ならいいんだけど……っ01、伏せて!」
「ッ!」
滝原の声に思考よりも早く体が動いた。指示通りに素早く姿勢を落とす、背中で何かが動く気配を感じた、どうやら一体仕留め損なっていたらしい。内臓を引きづり出された固体が牙と爪で俺の背中を狙っているが、問題なく反応できる。外れた一撃に合わせてもう一撃、完璧に止めを刺してしまえる。その直前に、三発分の銃声が響き、俺の頭上を銃弾が通り過ぎた。
頭に一発、胴体に二発、三発の的確な効力射。命中した弾丸が獣を吹き飛ばし、今度こそ息の根を止めりる。地面に倒された獣は哀れっぽい声を上げてそれっきり動かなくなった。
「助かった。礼を言うぞ、滝原」
「気にしないで。それよりもこいつら、頭を潰さないとすぐには死なないみたいね、注意しないと」
自分の未熟さに呆れながら、滝原に礼を述べる。情けない話だ、感覚に浮かれて殺しそこなうとは俺もとうとう耄碌してきたらしい。
滝原の手には拳銃にしてはかなり大きな銃が握られている。二つの銃口が並ぶ特徴的な対サイボーグ用の特殊制圧拳銃、トライデント179、発射される超電磁徹甲弾は命中しさえすれば、純度の低い生体装甲ならば問題なく貫き、身体の内部で電撃を撒き散らす。この程度の奴らなら十分、殺しきれる武器だ。実際ここに来てからも数体、今の様に実験体をしとめている。が、有用ではあったもののあまりの重さと反動の強さ、それ以上に弾丸があまりにも高価なせいで量産されなかった曰く付きな銃でもある。もう五年以上前に採用を見送られた代物を、滝原は一体どこから引っ張り出してきたのやら……。
「――とにかく先へ進もう。あいつ等が心配だ」
「そうね、ここら辺には重要なものは無さそうだし、中枢に向かいましょう」
自分で積み上げた死体を搔き分けて、滝原の通れる道を作りながら、通路を進んでいく。部下たちが進んでいるほうとは逆にこちらにはここの研究員たちの死体はなく、先程のような実験体が数多く潜んでいた。こいつら程度物の数ではいが、それ以上に気に掛かるのは部下達の状況だ。どうにも嫌な予感がする。積み重なった死体の山、それ全て背中から切りかかられて斬り殺されたここの研究員たち、直接に見てはいないが容易に想像がつく、もっと酷い状況も知っているが、生で見る虐殺の跡はあいつ等にとっては衝撃的ではすまないだろう。
「それにしても、こっちと向こうじゃあまりにも状況が違うわね。一体どうなってるんだか……」
「分からん。だが、嫌な予感がする。扉を開くのにどれくらい掛かりそうだ?」
「三分、いいえ、二分で済むわ。こいつ、他の扉より大分硬いのよ、もしかしたら当たりかもしれない」
数分もしないうちに、一際大きな防護扉の前に辿り着く。ただ壊して通るにはあまりにも大きく堅牢だ、端末に取り付いた滝原がハックして開いてくれるのを待つのが最善策だ。
「滝原……」
「わかってる、でも、ここにその犯人がいるとして、目的は何? ”組織”の手先じゃないにしても、ここを一人で襲撃するなんて正気じゃないわ。……まあ、それは私たちも大差ないかもしれないけど」
急かすようにもれた俺の声に、滝原が反応した。恐らく研究員たちを始末した奴はまだこの施設の中にいる。そして、そいつは港で副部長を殺した奴だ。通信で聞いた情報から考えただけのお粗末な推理だが、根拠のない俺の話を滝原は信じてくれている。確信はある、そいつはここにいる、何が目的かはさっぱり分からないが、俺の直感は間違いなくそうだと告げている。ここにその犯人がいるのなら、もはや目的がどうであれ、正気かどうかでさえ大した問題ではない。問題はただ一つ、凄腕の敵がここにいて、部下たちがそれと遭遇するかもしれないということだ。あいつらは強くなってはいるが、それでもこのレベルの相手と戦うには足りない。あいつらが殺される前に合流しなければならない。
「よし、開いたわ。この先が中枢よ、ここには――っ」
滝原の言葉の通り、数分で扉が開き始めた、その瞬間目に飛び込んできたのは鮮やかな赤とそれを照らす両脇の培養ポッドの緑色の光。床に転がっているのは、あいつらが見つけたの同じ、ここの研究員と思しき連中の死体の山だ。そして、ポッドの中に入っているのは――。
「――十人、いや、二十人かしら。よくも、こんな……」
「ああ、分かってる」
怒りの滲んだ滝原の声、俺のうちにも同種の怒りが湧き上がる。許せないなどという抽象的なものではなく、怒りは絶対に報いを受けさせるという決意に変わる。
両端に並んだポッドの中に浮いているのは人間、いやかつて人間だった彼らだ。ポッドの中に眠り続ける彼らは全て年端の行かない子供に見える。身体から生えた尾や翼、鱗や牙、そして胸に埋め込まれた機械を除けば眠り続ける彼らは本当にただの子供にしか見えなかった。
だが、どうしようもなくわかってしまう、彼らはもうただの人間ではいられない。健全な身体に健全な精神が宿るように、異形の身体はどうしようもなく異質な精神を招いてしまう、俺がそうであるように正気を保ててももう人間ではいられない。俺はいい、俺にはこれしかなったし、自分の意思で選んだ、雪那や他の仲間達も自分でこの身体を選んだ。彼らはそうじゃない、他もっと選べる道があった、こんな身体に変えられてしまったのは彼らの意思ではない。彼らがどうやってここに連れてこられたのか俺にはわからない、しかし、事実さえ分かっていれば他の事などどうでもいい。
「死んでるのは、十人ちょっとくらいかしら……」
「わからんが、こいつらで最後とは思えない。先に進もう」
あいつらのほうでは見つかった死体はたしか三十体前後だったはず、これでここで死んだこの施設の人間は四十人ほど、この施設の規模から考えてここにいた所員の過半数は死んだはずだ。残りがいるとい瑠事を祈るとしよう、情報を引き出し、報いを受けさせるにしても、死んでいては何もできない。
ここで死んでいる連中には何の感情も抱けない。港で死んでいた副支部長と同じだ、こいつらが殺されたのはただの当然の結果であって、そこには哀れみも同情も感じられない。やるべきことは一つ、ここでできうる限りの情報を集め、生き残りを確保する。何の情報も持たないこいつらの死体になんて用はない。
「わかった。行きましょう、彼らのことは後で考える。私たちは先に進まないといけない」
「……そうだな、君の言うとおりだ」
俺には何もしてやれない彼らにせめてもの事、意味のない誓いを立てて、背を向ける。必ず報いは受けさせる、返事をすることのできない彼らに一方的にそう約束した。例えそれが、唾棄すべき自己満足だっとしても構わない、俺のやることが彼らを救うわけではないということはいやと言うほど理解している、それでも俺は義務を果たすのみだ。
決意をこめて再び踏み出す。この先に待ち受けているのが何なのかはしらない、一体何が潜んでいるのかも知りはしない、何が待ち受けていたとしても、前に進まなければ何も変わりはしない。この先に待ち受けるのが死であっとしても、すべきことは何時だって変わりはしない、なんであれ誓いに掛けて打ち砕くのみだ。
どうも、みなさん、big bearです。前回今回から戦闘だと言ったな、あれは嘘だ。次回からです、申し訳ない(汗)
では、こんなだめ作者と拙い文章ですが、どうかこれからも暖かい目でよろしくお願いします。
誤字脱字報告、ご意見、ご感想、ご質問等ございましたらぜひぜひお書き込みください。




