NO.03 プライド・スノウ
「五年ぶり…かしらね。思ったより元気そう」
少しの気まずい沈黙の後滝原がそう切り出した。
UAF極東方面支部所属、滝原一菜統括官。随分出世したもんだ。昔から努力家だったが、この五年間並々ならぬ努力と苦労が彼女の成長を促したのだろう。
「ああ。そうだ、もう五年になる。君のほうも元気そう……ではないな」
「――そうね、少し疲れたかも。五年前のほうが忙しかったけどその分充実してたから、今は逆に」
疲れた微笑みを浮かべ、どこか懐かしむような遠い目をしながら滝原は答えた。
どんな仕事であれ上に行けば上に行くほど気苦労は増える。毎日が命懸けの戦いだった五年前のほうが充実していたと語る彼女の姿は俺の知らない滝原一菜のものだった。それが悲しくもあり、嬉しくもあった。
「今朝は悪かったな、忙しいところに迷惑をかけた」
彼女の言葉を遮り、謝罪の言葉を口にした。今朝の一件の事後処理をしたのはおそらく彼女だろう。五年前よりましとはいえ、彼女も管理職。手間を増やしたのは純粋に申し訳なかった。それにあのついてない彼女の安否も少し気になっていた。
「…今朝の? ああ、あの市街での戦闘ね。代わりに倒してくれたんでしょ? なら、謝るのはこっちになるわ。一応、一般人を巻き込んだ挙句、あのままじゃ手配犯を逃がすところだったんだから。事後処理くらいやらないと給料泥棒よ」
気にしないでと軽く流した彼女の表情には明らかに疲労が滲んでいる。それにしてもあのゴリラ、手配犯だったのか。それなりのことをやらかさないとブラックリストにはに載らないから中々のもんではあったようだ。あの迂闊さではそう長くは生き延びることはできなかっただろうがな。
「…あの彼女はどうなった? 傷は浅くなかったろう?」
とりあえず端的に疑問点を尋ねた。
「まあ、大丈夫よ。おかげさまで傷は悪化してなかったから、命に別状はないし、意識もしっかりしてた。でも彼女、今日が初任務だったのよ」
なるほど、どうにも素人くさいと思ったら、そういうことだったなら仕方がない。初陣の興奮と緊張、それによる視野狭窄は経験者にしかわからない。それに初任務でブラックリスト相手など五年前ならいざ知らず、いまはありえない。となると独断専行が原因だろう。
「そんなとこ。あんまり処分はしたくないけど、減給くらいは覚悟してもらうかも。訓練校主席でもやっぱり初陣はきついものね」
そう指摘すると溜息交じりに滝原はそういった。まあ、俺が言うのもなんだが良い薬になっただろう。訓練校でのイメージと現実の齟齬こそが新人たちの最初の死線だ、そこを越えなければ先は無い。彼女は俺というイレギュラーのおかげとはいえそこを越えた。あとは個人の資質の問題となる。
とりあえず、偶然且つついでとはいえ助かってよかった。
「それより――」
言葉を切り、すこし言いにくそうに滝原はそう切り出した。
「01、あなた…彼女に見られたでしょう?」
「ああ、やっぱりか」
分かってはいたが、ますます滝原に余計な苦労を掛けてしまって心苦しい。姿を見られないために例の彼女のを気絶させたのはいいが、中途半端だった。もう少し深く揺らしておけばよかった。
「目覚めてから大騒ぎだったわよ。私は01を見たーってね。ログにも残ってたし、誤魔化すのが大変だったわよ」
「すまん」
申し訳ないと頭を下げる。案の定な事態になっていた。
俺は、いや01の姿はある種の象徴になっている。最初の改造人間にして最強の英雄、人類の守護者等々多種多様な大言壮語で脚色された英雄はいつのまにか実体を持たない一つの象徴になっていた。実際の俺とは似ても似つかないというのは皮肉な話だ。
おまけに公式には五年間消息不明ということになっている。その五年間行方知らずだった有名人が突然目の前に現れたのだからそりゃあ騒ぎたくもなるだろう。
「そんなに神妙にしないでよ。大丈夫だって、上手いこと言っておいたから」
あわてたように滝原がそういった。今更ながらもう少し上手くやるべきだった思う。五年間で力を落としたのは俺もだったようだ。
「そうか、迷惑をかけた。後ありがとうな。ここの人払い、お前がやってくれたんだろ?」
「え、ええ。一応、ね」
礼を告げると急に滝原は歯切れが悪くなった。どこか戸惑うような、後ろめたさと迷いを感じさせる彼女らしからぬ態度だ。
「……なにかあったのか?」
詳しくは分からないが、察することぐらいはできる。だが、俺も鈍ったものだ。ここの人払いは何か目的があったのだろう。大抵こんな場合は、部外者には聞かせたくない話があるのか、何か見られたくないものもしくは事があるのかだ。
「それが……その」
またもや彼女らしからぬ調子で滝原は答えに詰まる。これはよほど言いにくいことなのだろう。
「――俺のことは気にするな」
うぬぼれだが俺には話しずらいことなのだろう。五年間、廃人同然の生活をして世間から離れていた俺のような輩相手では話せないことのほうが多いはずだ。一体何の話だろうか?
一瞬、脳裏によぎった可能性を噛み潰す。五年前から続く痛みと恐怖の記憶を必死で握りつぶす。そうでもしないと俺は彼女の前には立っていられなかった。
「――駄目ね私。覚悟は決めてきたのに…実は」
続く言葉は他のどんな言葉より決定的に、絶対的に、驚愕と衝撃を伴って俺のまどろみを壊した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
病的な白と明るすぎる照明、窓際にポツンと置かれたベッドと窓から覗く空の蒼穹。見事なまでに病室だ。この作られた白と薬品の臭いはどうにも苦手だ。だが、そんなことはいっていられない。
ここにいるのは俺の妹だ。その妹が今ここで苦しんでいる。俺の好みなどこの際どうでもいい。
「――ッ」
ベットに横たわる彼女の姿は美しさも、可憐さも、幼さも五年前から変わらずにそこあった。長く伸ばした艶のある黒髪も、白磁のような肌も、幼さを残す顔立ちも五年前から変わっていない。だが、随所に繋がれたチューブと様々な機器、血の滲んだ包帯が彼女の状況をこれ以上なく雄弁に語っていた。
彼女は戦い続けていた。俺が迷い、悲しみ、ついには逃げ出したあの日から五年間、俺の代わりに痛みに耐え、悲しみに耐え、そして孤独に耐え戦ってきたのだ。そうしていま、彼女は傷つき、ここにいる。その在り方は壊れそうなほど美しく、押し潰されそうなほどに眩しい。
ベッドに近づき、手をとり、声を掛けようとした。だというのに、指先は痺れたように動かず、乾いた喉からは言葉を搾り出すこともできない。胃の中には鉛のような重さを錯覚してしまう。吐き気さえ湧いてくる。膝さえもがくがくと震えてきた。
俺は恐れているらしい。十年近くもの間、共に戦い続けた戦友を、俺と同じ血の流れる唯一の妹を俺は恐れている。
そうだ、彼女と会うのを俺は恐れている。
なけなしの勇気と最後の意地を振り絞り、彼女の手に触れようとする。彼女は嫌がるかもしれないが、俺にできる些細な自己満足だ。
ベッドの隣に崩れるようにしゃがみこみ、祈るように彼女の手を握る。
白く、細い、一見触れれば砕けてしまいそうな彼女の指。実際触れれば、分かってしまう。本物の皮膚の下には造られた強靭な骨と筋肉が眠っている。俺と同じだが決定的に違う、彼女には誇りがある。この鋼の肉体には誇り高い魂と輝く精神が宿っている。それが彼女だ、今も昔も変わらずにそれが風見原雪那だ。
「――ん」
意識の無い彼女が幽かにうめき声を上げた。咄嗟に握る手に力が篭った。モニターの数値には異常はない。素人目で見ても眠っている彼女の顔に苦痛の色は浮かんでいない。
「…雪那」
静かに丁寧に声を掛ける。いつも名前の呼び方が雑だと怒られていた事を思い出す。彼女は自分の名前に誇りと愛着を持っていて、任務中03(ゼロスリー)と呼ばれるのでさえ嫌がっていた。
03が、雪那が瀕死の重傷を負った。滝原が語ったその言葉は俺にとって、いや誰にとっても衝撃的な言葉だった。雪那は強い、俺よりも、この世界の誰よりも強い本物の英雄だった。
彼女は今、傷を負い、眠りについている。彼女もまた象徴の一つだ、希望と秩序の体現者。俺が逃げ出したその役目を彼女は背負って戦っていた。その意味は俺の想像しているよりも重く、致命的なのだろう。
その最高機密にでもなりうる情報を滝原は俺に話した。彼女がどれほどの思いで、どれだけの迷いを抱えて俺にその事を語ったかは理解できないほど俺は鈍感ではない。
今更だ。今更だと雪那は怒るだろう。だがそれでも――――。
視線を感じた。終わりのない思考の迷路に迷い込んでいる俺をジーっと見つめる視線がある。
「――よう」
ゆっくりと視線を上げ、妹と向かい合う。五年ぶりに正面から見た彼女の顔は夢見心地にまどろんでいた。
「……夢ね」
どこか拗ねたように雪那はそういった。俺の顔もまじまじと見詰め、頷きながらこれは夢だとか何とか一人で納得している。
「あー夢じゃない。幸か不幸かは分からないが」
「夢、夢なら、なにをしても……良いわよね」
熱に浮かれたような表情で、うわ言のように彼女は呟いた。それでいてどこか切羽詰ったような妙な様子だ。何度かこんなこともあったような気がする。酒を飲みすぎたときとか、オーバーヒートしたときもこんな感じだったはずだ。
「おい、大丈夫か? 起きてて良いのか? なにかいるか?」
意識がハッキリしていないようなので声を掛けてみる。どうにも反応が鈍い。彼女らしからぬが、聞いた限りでは変換核にまでダメージが及び、肺まで抉れるほどの傷だったはずだ、無理も無い。そもそも滝原の話じゃあ、意識が戻るかも怪しいといわれたんだ。こうして起き上がってること事態が奇跡に近い。
「そうよ、夢なんだから好きにしても」
立ちがあがり医者を呼ぼうとした瞬間、突然、何の前触れもなく肩を掴まれた。がっしりと重傷者とは思えない力強さだ。
「ちょっ、どうしたんだ!? 雪那!?」
これまた凄まじい力で引き寄せられ、そのままベットへと引きずり込まれる。女の細腕だが、雪那の腕力は俺よりも強い。軽自動車くらいならトランスしなくても持ち上げかねない怪力の持ち主だ。握られている肩がミシミシと悲鳴を上げている。
「……一体如何した?」
顔を上げると端正な少女の顔が目の前にあった。互いの心音すら聞こえてきそうな至近距離で向かい合った彼女の表情には、困惑が浮かんでいた。先程までの熱に浮かされたような朦朧さが消えている。
「――すごいリアルな夢ね。明晰夢ってやつ?」
そういうと何かを確かめるように俺の顔やら体をペタペタ触りまわしながら、しきりに首をかしげている。まるで子供のような仕草だが、端正な顔立ちとのギャップでドキリとさせられる。
「…・・・何か顔に付いてるのか?」
「ホント凄い再現率…・・・。質感は完全に兄さんね。でも夢のわりには、甘くないわ」
少し残念そうにそういうと、雪那はどこか悩ましげな表情を浮かべた。
それにしても兄さんか。そう呼ばれるのは酷く久しぶりな気がする。それほど雪那が弱っているということなのだろう。
「まさか……ねえ?」
何故か非難めいた疑いの目線を向けてくる。いや、後ろめたいことは山ほどあるが今回ばかりは本当に身に覚えが無い。
「夢じゃない、夢じゃないなんてことはないはずよ。そうよね、そうじゃないと――――っ!」
突然、思い出したように雪那は胸を抑える。よく見れば病衣から除く包帯に赤い血が滲んでいた。
続いて、繋がれた機械類がアラームを鳴らす。心電図が異常値を示している。起きて動いてしまったせいだ。傷が開いている。触れている手からは焼けるような熱も感じられた。
「動くな、すぐに医者がくるからじっとしててくれ」
諭すような口調でそう語りかけ、ベッドに寝かしつける。触れた肩からは幽かな震えさえ伝わってきた。
「痛い、痛い。胸が痛いわ。――――痛いってことは夢じゃない!?」
今更気付いたのか、雪那が叫び声を上げた。傷が痛んでいるというのに、そんなことよりも夢じゃなかったということが重要らしい。思ったより元気なのかと思うが、顔は熱を帯びてやかんの様に沸騰している。傷口からの熱だけじゃない、改造部分自体がオーバーヒートを起こしているはずだ。
「そんな、じゃあ、ほんとうに?」
うわ言のようにそう呟きながら、彼女はこちらを見詰める。瞳から涙一粒、零れ落ちた。
雪那は人の前では決して泣かなかった。どんなに辛くとも、苦しくとも涙を堪えて、戦ってきた。その雪那がいま泣いている。それほどまで彼女を追い詰めてしまった一因は俺にある。
焼けるような戦いの熱、幾度となく経験したその痛みが俺の脳裏を掠めた。頭にこびり付いた記憶から最悪の記憶が蘇る。
冷たくなっていく身体の感触、赤に濡れた白銀の腕、瞳から光が消えるその瞬間。どんな痛みより辛く、どんな孤独より悲しく、どんな思い出よりも深く重い悪夢の記憶が現実を侵していく。
縋るように伸ばされた白い手が俺の意識を覚ました。美しく、気高く、尊いその手は今救いを求めるように俺の元へと伸ばされている。
「――雪那」
続く言葉は掠れて消えた。
俺には彼女に詫びる資格さえもないのかもしれない。俺がここに来たのはやはりただの自己満足だった。ただ余計に雪那を苦しませているのは俺なのだから。
それでも、跪くように彼女の手を取る。そんなことしかできなかった。彼女の苦しみと痛みを俺が背負うことはできない、詫びることさえ許されない。こうして雪那の命を感じていないと、俺は押し潰されしまいそうだった。
俺はまだ悪夢の中にいる。
どうも、みなさん速さの足りないbig bearです。本編放置でなにやってん(Ry
こっちも遅れてしまい申し訳ないです。まだ導入部分なのに展開が遅い疑惑が浮上してます。これはもう私、焼き土下座ですかねえ(ゲス顔
では、こんなだめ作者と拙い文章ですが、どうかこれからも暖かい目でよろしくお願いします。
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